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第3話 悲しい僕の来し方

僕は5年前、12歳の時に大事なものを一気に失った。大臣だった父が失脚して処刑され、そのあおりで嫡男である僕は肉刑を受け宦官にされた。家族を失い、貴族としての生活も失い、同時に男でさえなくなってしまったんだ。 肉刑は今でもたまに夢に見るくらい、恐ろしい体験だった。もう無い物が痛い気がする時があるんだよね。ぶつけるだけで動けなくなるくらい痛かったのに、それを取るんだから。もうこのまま死ぬんだなと思ったよ。 父は処刑されてしまったし、母と妹は遠くへ流されたって聞いて命があったことにホッとしたけれど、下働きの宦官として宮廷に放り込まれた僕は、すっかり生きる気力をなくしてしまった。 男でも女でもないこの体は、それからほんの少し背が伸びたけど、ひょろひょろで子供みたいでのっぺりしている。このやる気のない体は、僕の気持ちがそのまま表われている気がする。これから成長期が来るっていうときだったんだろうね。もう少し、成長したかったなぁ。 顔つきだって、おでこや頬はなんだか丸みがあってちっとも男らしくならないし、ヒゲも脇毛もスネ毛も生えてこない。日焼けすれば少しは男っぽくなるかと思えば、庭仕事をしてもまったく日焼けしなくて生っ白いまま。こんな中途半端な自分が、恥ずかしくて大嫌いで…… だから、なるべく人に見られないように、ついついうつむいてしまう癖がついた。外廷の下働きでは貴族だった頃の知り合いとかち合う危険性も高かったし、とにかく目立たないようにひっそりと生活してきたんだ。 後宮のお役目をいただいたときは、ちょっとホッとした。知り合いに会わないで済むことも理由の一つだけど、他の理由もある。 僕の父は、背が高くて筋肉もつきやすい体の大きな人だった。頭も切れて武術もできる文武両道の人だったんだ。僕も父みたいにたくましくかっこよくなりたくて、勉強も武術の鍛錬も頑張った。でも、武術はちっとも上達しなくて。思えば、僕は小柄で華奢な母に似てしまったのかもしれない。さらに肉刑を受けたことで、ますます憧れから遠ざかる僕自身が嫌でたまらなかった。 外廷では軍人さんを目にすることも多くて、彼らのたくましい体や力強い動きを見るにつけ、悔しさや恥ずかしさを否応にも感じて、そして最後にはいつも虚しさでいっぱいになった。 後宮は宦官以外の男性は入ってこない。だから、僕の憧れや嫉妬心を普段は心の底に仕舞っておけると思ったんだ。そう、普段はね…… ここ後宮でそんな僕の醜い心がグジグジと動き出すことがある。 それは、唯一の男性、皇帝の姿を目にしてしまったとき。もちろん元より比べようもない、比べてはいけないことはよく分かってる。 即位してもうすぐ2年になる皇帝は、それはそれは立派な体躯をしていらっしゃる。衣の上からでも胸や肩がぱんと張って、すっと伸びた背中にしなやかな筋肉を感じさせながらも、無駄なものはすべてそぎ落とされていることがよくわかる。立ち居振る舞いだって、優雅さと鍛錬されたゆるぎない強さのどちらをも感じさせて、ゾクゾクするくらいかっこいい。中庭で鍛錬をされているお姿なんて、物語の主人公みたいで、男の中の男ってまさに陛下のことだなって思ったよ。 お見かけする度に、僕の理想がそのまま天から降りてきたようなお姿がまぶしくて、心臓がギュッとか変な音を立てるんだけど、そのあとで自分の貧相さを思い出すといつも惨めな気分になる。 父が今でも大臣だったら、僕が肉刑を受けなかったら……もしかしたら、僕もすらりと背が伸びて、この後宮ではなく、外廷でこの方のお役に立てたかもしれない。思っても詮無いそんなことが、胸の中にどす黒く湧き出てきてしまう。 僕は下働きだから、この尊い方を影からお見かけすることはあっても、直接お目にかかることはない……はず。だけどなぜかこの閑散とした後宮の行く先々で、僕はばったりと陛下に出くわしてしまう。恐れ多くて縮こまってひれ伏すのに、なぜか毎回捕まって引き起こされる。陛下の自室に連れ込まれては、ちょっと話し相手になれ、とか将棋の相手をしてくれとか。びっくりするくらい気さくでお優しい方なのだ。意志の強そうなきつめの眼差しをお持ちなのに、侍女や宦官、下々の者にも高圧的な態度はおとりにならない。即位するまで海外留学に出ておられたからか、この国の高圧的な貴族とは全く違う雰囲気を纏っている。 だからといってお誘いを断れる身分ではないし、至近距離から甘い琥珀色の瞳でのぞき込まれて頼まれれば、フラフラと皇帝に導かれいつの間にか卓子の向かいに座ってしまう。お忙しすぎてよっぽど娯楽に飢えていらっしゃるんだろうか? 最近では、後宮に仕事を持ち込んで執務されることが目に見えて増えてきた。うるさい横やりが入らないから集中できるとのこと。お邪魔になってはいけないと退室を請うと、お茶を入れろとか肩を揉めとか急ごしらえの用事を言いつかるので、諦めて掃除用具を持ち込んで静かに掃除をすることにしている。 たまにため息が聞こえたりして、こっそりと陛下のお顔を伺い見ると、意志の強そうな黒い眉を寄せたり、スッと通った高い鼻梁に皺を寄せたりしていて、さぞかしご苦労をなさっているのだなと心配になる。そんな愁いに満ちたお顔もなんだか色気があって格好いいんだけど、ふと目が合うと、途端に目尻を下げて引き結んだ唇がほころぶ。陛下の微笑みにやられて息は止まりそうになるし心臓が苦しくなって、いつも目を逸らしてしまう。 毎回とっても楽しそうにして下さるから、ついつい長時間過ごしてしまうことが増えてきた。ついには夕餉にご相伴して気がつけば就寝時間になっていたことも。サボりでそのうち解雇されるんじゃないかって不安になるけど、なぜか近ごろ言いつけられる仕事が少ないからちゃんとこなせてるはず。 陛下の一挙一動に惑わされて、心拍数が上がったり自分を思い出して落ち込んだり。ここのところ気持ちの浮き沈みが激しくて落ち着かない。でも、宦官になってから初めて世界に色が戻ってきたような気がする。 それより……陛下はせっかく後宮にお渡りになったのに、もっと妃とゆっくり過ごされなくて大丈夫なんだろうか? だって新婚さんだよ?

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