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第4話 陛下のお楽しみ

「ジアン陛下、ショウは午後、庭で働いているようですよ」 仕事の目処がついて軽く息を吐いた俺に、侍従頭兼秘書のフェイが珈琲を置きながらそっと耳打ちしてくれる。 「そうか。ではこの書類が済んだら捕まえに行くか、な……フフ」 小柄でやせっぽち、目ばかりが大きな宦官の姿が脳裏に浮かび、口元が緩む。恐縮してわたわたするさまを思い出せば偏頭痛がふっと軽くなる。 宦官であるショウを構うのが、ストレスフルな俺の憩いというか趣味の時間になりつつある。はじめて見かけたときは、あまりに小さくはかなげな姿に子供を働かせているのかと驚き、声を掛ければこの秋には成人するというからまた驚いた。皇帝である俺に、媚へつらい少しでも目立とうとする者が多い中、ひたすら縮こまり隠れるかのように控え目で、隙を見て逃げようとさえする。どこかで顔を見たことがある気がして捕まえてみれば、側に置いていても煩わしくない。俺が怖いのかと思えばそうでもないようで、ゲームの相手をさせれば、始めは恐縮しているものの、次第に熱中し容赦なく攻めてくる。そしてある日、将棋を指している最中に、この者をどこで見かけたのかを思い出した。もう10年近くも昔、貴族子弟の将棋大会で小さな子供が優勝したことがあったのだ。そう、その子供がこんな目、こんな顔をしていた。 伯父に当たる前皇帝が崩御したのが二年前。俺が即位してから次々と明るみに出た腐敗と失政の残務処理がやっとここ最近落ち着いてきた。溜まりきった膿がはじけるように次から次へと問題が露見して、終わりはまだまだ見えないが。 俺の腹の中ではもう、皇帝制度はやめるつもりでいる。もともと皇帝位を継ぐつもりはなかったから留学名目で国外に逃げていたのに、後継者がお互いつぶし合って俺にお鉢が回ってきた。伯父の時代に乱れに乱れたこの国は、島国で国境を接する国がなかったことと、周辺国がたまたま理性的だったお陰でどうにか生き残っている。もう、皇帝なんぞにすべてをおもねる時代は終わっている。国民にも自分の国の未来をみずから考え選び取っていく気概を持てるようになってほしい。そのための準備を密かに進めているところなのだ。 伯父の時代に、真面目に政治をやろうとして粛清された者やその一族に少しずつ招集をかける一方で、優秀な民間人を次々と登用したり、国外からさまざまな分野の専門家を迎えたりして、組織を少しずつ変えていっている。 その中で一番頭を悩ませているのは、今まで旨い汁を吸ってきた貴族たちへの対応だ。悪事が明らかになった輩は排除できたが、まだまだ施政に食い込もうとする奴らが生き残っている。そんな奴らに限って婚姻関係で俺を操ろうとしてくるから、うるさくてかなわない。 好色な伯父は貴族たちに勧められるまま、次々と若い娘を後宮に入れた。貴族どもの狙いは的中し、伯父はだらしなく色事に耽るばかりとなってあとは貴族どもの思うがままだった。後宮から腐敗が広がり、侍女や下働きをも巻き込んでのいがみ貶め合い、いじめも横行、果てには殺し合いが多発するまでになっていた。伯父は傀儡となり果てて、うるさい忠言をする者や、有力貴族の気に入らない人物は、わずか5年という短い在位の間にかなりの人数が粛清されてしまった。 俺が即位後にまず取りかかった仕事は、後宮の捜査だった。ともに帰国した優秀な学友たちに協力を仰ぎ、留学先から持ち帰った先端技術を駆使して調べてみれば、出るわ出るわ……殺人や毒の痕跡が次から次へと明るみに出た。お陰で後宮の女たちやその背後にいる貴族どもをきれいさっぱり合法的に葬り去ることができて、宮廷は随分と風通しが良くなった。 後宮の惨状を目の当たりにして、俺は即座に後宮を解体することを決意した。在位中に皇帝制度を廃止したいと考えていたから、組織は縮小したかったし、妃ももともと娶る気はなかったのだ。だが即位とともにあまりにうるさく、そしてしつこく、利権を狙う貴族どもが娘を手札に群がってくるのにほとほと嫌気がさした。 父の知己だった現宰相は実は遠縁にあたり、娘のリァンも小さい頃からたびたび顔を合わせている。彼女は父親に似て理知的であり、さっぱりとした性格と物怖じしない態度は、数少ない女性の友人としてとても気に入っている。そして彼女と安心して付き合えるのにはもう一つ理由がある。彼女は俺に、というよりすべての男に興味がないのだ。俺に色目を使ってこない上に、媚びる必要がないからか正直で辛辣な言葉を投げてくれる。 リァンも成人後は、見合い話がひっきりなしに持ち込まれて辟易としているようだった。ふっくらとした丸顔に大きな扁桃型の目と肉感的な唇、ブルネットの艶やかで豊かな髪は彼女の豊満さを引き立てる。凹凸のはっきりした女性らしい見た目に相反し、中身はかなり合理的で辛辣であるのだがそれを知るのはごく一部の者しかいない。 顔を合わせるたびに周囲がうるさいとぼやくので、共謀して偽装結婚することにした。宰相はかなりゴネたが当のリァンが押し切る形で輿入れとなった。たまに式典や公務に付き合わせる以外は好きにさせ、後宮は彼女だけで好きなように取り仕切ってくれと言ってある。 たまに逃げ込んでは一人静かに過ごしたり、リァンと酒を飲み交わしたりすることもある。もちろん閨は別で肉体的な関係も一切ない。おかけで後宮は、心身ともに休息できる貴重な場所となった。 後宮に逃げ込んでいるうちに、どうにも気になる宦官を見つけてしまった。 大抵の人間は、俺が微笑みかけてやると大抵喜び近づきたいような態度を示してくるのだが、この子供のような宦官は何度構ってもなかなか打ち解けてくれない。やけに長い前髪で顔を隠していて、せっかくの大きな目を覗き込んでも、すぐに蹲るようにして逸らしてしまう。嫌われてはいないようだがいつまでもよそよそしい。 気になるのは態度だけではない。一見子供のような見てくれなのに、痩せた薄い背中ややけに色の白い首筋は子供とは違った何かを醸し出していて、ついつい手を伸ばしてしまいそうになる。なぜこんなに気になるのか。子供の頃に会ったことがあるのだが、そのせいだけでもないだろう。もっと側で見てみたい。いや……触れてみたい。 毎日のように自室に連れ込んだり、夕餉を振る舞ってみたりするうちに、近頃少しずつだがガードが弛んできた気がする。警戒心の強い猫を懐かせているような気分がなんとも楽しい。懐いたらどんな顔を見せてくれるのだろう。あの黒曜石のような瞳がこちらを見てくれたら、あの慎ましく結ばれた唇がほころんでくれたらと思うと、心が騒いで仕方がない。 もう、これは捕まえておくしかないだろう。 いよいよ今晩、次の一手を打つつもりだ。

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