8 / 20

第8話 癒やし係拝命

ふいに額に濡れた感触がして、ビクッと肩を跳ねさせると僕を囲む腕がゆるむ。見上げれば陛下が僕を見てる。もしかして僕、寝てた?! ……というより、さっきの濡れた感触。もしかして口づけられた? 一気に覚醒して動悸が激しくなる。 「嫌だった?」 「え?! ……いや?」 額を触ろうとする手を取られて、そこに口づけながら目をのぞき込まれる。 どう? と聞いている目。陛下、つまり男の人の唇が触れているのが嫌かってこと? べつに鳥肌が立ったり背筋が寒かったりもしない。それよりも、心配そうな目で見てくる陛下がなんだか可愛い。 「嫌、じゃないです……全然」 陛下の腕枕の上でかぶりを振れば、目尻が下がって僕の手に触れている唇が笑みの形になる。 「しょーちゃんは、やっぱり女の子が好きだよね?」 唐突に尋ねられて慌てて考えるけど、この身体になってからは人と距離を取っていたし、女の子っていうとリァンさまと侍女たちくらいしか知らない。 「女の子たち、かわいいなぁとは思いますけど……でも僕は、女の子とどうにもなりませんよ。お付き合いとか結婚とかはすっかり諦めてます」 ――こんなちびだし、男らしさの欠片もないし。女の子たちの眼中にないのは自覚してる。陛下だったらモテまくりの相手選び放題だよなぁ…… 「しょーちゃんが男に興味ないって、それは分かってるんだけど。それでも、俺の癒やしになってくれないかな」 「へ? 僕が……陛下の癒やし? ですか?」 「うん。俺、毎日狸みたいなクソ親父と戦っててね。口だけは達者なくせにろくに働きやしない。金儲けと権力が大好きで、下品の権化……もう顔も見たくないんだがな」 深いため息をつきながら、僕の長い前髪をすくい上げる。 「そんな時にしょーちゃんの顔を見れば、疲れが吹っ飛ぶ」 また額に唇でふれ、触れたまま食むようにつぶやく。 「しょーちゃんに触ってると、まだあいつらには負けないぞ、って頑張れる気がする」 額を唇がすべり、そのまま髪の毛に鼻先を突っ込まれる。 大きく吸い込んで満足げに息をつく。僕の匂いを吸い込んでいることに気付いて軽く身をよじるけど、かえって腕と顎を使って捕捉されてしまう。 「閨宿直は表向きそう言っておくだけ。役職登録はちゃんとしたからね。でも、ほんとは俺の癒やし係。ダメ……かな?」 低音のささやき声が僕の脳みそを侵す。温かな腕と胸に囲まれて、琥珀の目で見つめられて、肉厚な唇がねだってくる。命令すれば、何でも従わせることができる尊い身分にもかかわらず、僕の返事を待ってくれる。 その事実にまた目眩を覚えながら、どうにかあえぐように声を絞り出した。 「ぼ、僕で良いのでしたら、どうぞ、務めさせて下さい」 結局あの後、顔中さらには耳や喉に口づけられて僕が動転している隙に、きっちり着込んでいたはずの宦官服は、グズグズのしわくちゃになった上に気付いたら床に落とされていた。どうにか下着は死守したけど、薄い生地の上から、骨格を確かめるみたいにして全身隈無くなで回された。たまに「奇跡!うん、奇跡!」とかつぶやきが聞こえたけど、何が奇跡なのか全く分からない。くすぐったいしそのうち腰骨の下辺りがジンジンとしびれてきて大汗をかいてしまった。汗を拭きたかったけど、抱き枕のように太い腕と脚に巻き付かれていて抜け出すことどころか身動きすらできなくて、不覚にもそのまま意識を失うように眠り落ちてしまった。 そして今…… 飛び起きればすでに日は高く、褥には僕一人。陛下はすでにご公務に出られた後のようで血の気が失せる。陛下を差し置いて寝坊するなんて寝ぎたないにもほどがある! 「も、もも、申し訳ありませんでした!」 陛下付きの侍女長さまが、温かい湯と布を持ってきてくれたところで土下座をする。昨日迎えに来てくれた年かさの侍女長さまである。こんな下っ端の失態にどんな叱責が降ってくるかと身構えたけど、ふんわりと優しく微笑みながら僕を立ちあがらせる。 「陛下は大変ご満足されてとてもお元気そうでした。お役目ご苦労さま。そう、陛下が宿直のあとだから、好きなだけ寝せておいてやれとおっしゃって」 「あ、ありがとうございます。それでも、だらしのないことで申し訳ありません」 ――もう泣きたい。もし次があるのなら、絶対に寝過ごさないように気を引き締めないと! 猛省しながら、昨晩床に落ちていったはずの僕の官服を探すけど見当たらない。すかさず体にぴったりの新品の宦官服とあわせて下着も差し出される。いつの間に準備したのかと思うと薄ら寒い。 身支度を調えた後、必死に辞退したけど結局言いくるめられて、遅い朝餉をいただいた。繊細な出汁が香るおかゆはやさしい味わいで、身体に染みわたり力がみなぎってくる。食後に果物や香り高いお茶までいただいてやっと退室する。 「宿直の後ですから日中は休みですよ。また、夕刻にお迎えに行きます」 と告げられて狐につままれた気分のまま自室へと戻った。 ちっとも眠くない。むしろ頭は冴えて元気いっぱい。 そこで侍女長さまの言葉を思い出す。夕刻に迎えに行きますって? ――え、今日も宿直する?!

ともだちにシェアしよう!