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-  辿り着いたのは、駅前商店街の細い裏路地だった。  メインストリートから離れ、色あせたさみしい色彩のビル群が並ぶ。その中のひとつ、クリーム色のビルの前で、前原が足を止めた。  ビルの正面には、一階を占める店舗への扉と、二階へ続く階段が設えてある。前原は階段を上った。  二階の踊り場には、三階へつづく階段と、二階フロアへの入り口である扉があった。扉には、『桂木探偵事務所』のプレートがそっけなくかかっている。 (……探偵事務所?)  ”もう一人のメンバー”は、警察外部の人間で、幽霊が見える、のだという。前原の話から勝手に、お坊さんか神主、もしくは霊能者のような人物を想像していたが、目の前のプレートはどう見ても違う。  だが、今はその疑問を口にださなかった。  今日は最初から徹頭徹尾、わからないことだらけだ。一つ一つ聞いていたらきりがない。ひとまず前原の説明がすべて終わるまで、吹き荒れる疑問は胸の内にしまっておくことにした。  前原がノックしながら、室内に声をかける。 「おおい、先生。新しい捜査員連れてきましたよ」  返答を待たず、前原が扉を開ける。ブラインドを閉め切った室内は薄暗く、本当に人がいるのか疑わしいほど静まり返っている。  部屋に入ってすぐの位置に、ソファとローテーブルがでんと構えている。それらの背後には籐編みの衝立が置かれ、さらに奥には、窓を背にした事務デスク。  ブラインドの隙間から細く差し込む光を目で追っていくと、視線の先で、むくりと動く黒い影があった。  思わず注視すると、影は背の高い男だとわかった。  部屋が薄暗いせいで、顔立ちも判然としない。そんなおぼろな幻のような男が、ゆらりとこちらを振り向いた。前髪の隙間から、妙に鋭い半眼がこちらを射貫く。  とたん、腹の底がざわっと騒いだ。  これまでに感じたことのない奇妙な感覚だったが、しいて言えば、小学校の山登りで体験した、目がくらむほど高い谷にかけられた吊り橋を渡った時の感覚に似ていた。 「おや先生寝てたんですか? 昼間だっていうのにブラインド下げて」  いつの間にか部屋の奥へ移動していた前原がブラインドを勢いよく上げる。  男のシルエットが日光に照らし出された瞬間、さっきまでの腹を焼くような感覚は消失した。  唐突に緊張感から解放されて、はっ、と息をつく。知らず知らずのうちに息を止めていた。  さっきまで影がいた場所に代わりに浮かび上がったのは、髪の毛が伸び放題の、背の高い陰気な男だった。 「……いえ、寝てませんよ。ちゃんと来るのを待っていました」  こちらを見ていたはずの男は、戸口に立ったままの俺になんの反応も返さず、くるっと回れ右をした。  そしてそのまま、部屋の奥にあるスペースに消える。  無視された形の俺は、あっけにとられながらも、とりあえず室内へ入った。  男の行動を気にも留めず、前原は姿の見えない相手に声をかけ続ける。 「ご紹介しますよ、新しく入った吉野です」 「……吉野といいま、す」  俺も、相手の姿が見えないまま挨拶をする。一瞬ひょこっと壁の向こうから顔を出した男は、むっつりとこういった。 「……どうも、カツラギです」  一瞬遅れて、それが男の自己紹介だとわかった。その一言を発してすぐ、桂木は壁の向こうに頭を引っ込める。 「…………」  どう二の句を次いでいいかわからず、困っていた俺の前に、湯気の立つカップを二つ持った桂木が再び現れた。どうやらお茶を用意してくれていたようだ。 「どうぞ、座ってください」  ローテーブルにカップを置き、ソファを勧められる。  その対応に、あ、案外まともな人だ、と安堵しかけた瞬間であった。 「目ざわりなので、あなたは出て行ってください」 「……は!?」  いきなり厳しい言葉で退室を促された。ぎょっとして桂木を見る。桂木は、心底迷惑そうにため息をついて言った。 「ご来客中です。出ていきなさい」  ローテーブルの上にかがみこんだ姿勢の桂木と目があった。  えぐるような強さの半眼が俺を見ている。……ように思えたが、その視線はすぅっと横へずれていく。  そして、測ったようなタイミングで、閉まり切っていなかった入口の扉がバタンと閉じた。びくっとしたものの、風で閉じたのだろう、と思った。  それよりも、と俺は恐る恐る口を開く。 「あの……俺、席を外したほうがいい……んでしょうか?」  自分の顔がおおいにひきつっている自覚があった。来客中だから出ていけ、と言われているのは、今の状況では自分以外考えられなかったためだ。たとえ、それがかなり理不尽な要求だとしても。  しかし、前原は苦笑して首を振る。 「違う違う。先生はお前に向かって出ていけって言ったんじゃねえよ、あれは……」 「……失礼しました。数日前からしつこい輩に付きまとわれていまして。あれくらい厳しく言わないということを聞かないのです」  ぼんやりと独り言のように桂木が説明を引き取る。『何に』付きまとわれていたのかがはっきりしない説明ではあったが、すでに自分の中ではピンときていた。 「これは……ええとつまり」 「そうだよ、幽霊だよ」  どろん、と前原が顔の前で手首をぶらぶらさせる。  そして、とっさに先ほど音を立てて閉まった扉を勢いよく振り返った。 「え、さっきの音は、えっ……。幽霊!?」  扉と桂木を何度も見比べながら叫ぶ。いまさらながら、「ここに幽霊がいた」といわれて、急激に背筋が冷たくなった。 「何も見えなかった……」 「はは、俺もだ」  笑いながら、前原がどっこいしょ、とソファに腰かける。桂木も向いのソファに腰かけた。こうなると俺一人が立っているわけにもいかず、前原の隣に腰を下ろした。 「さて、邪魔者もいなくなったところで、改めて紹介させてくださいね。こちら、今日から配属になった吉野です」 「よ、吉野忠幸巡査部長です。よろしくお願いします」  ひとまず、今言いたいことはすべてを飲み込み、テンプレートの自己紹介を口にする。前原の手の平が俺から桂木に移った。 「で、こちらが特殊捜査支援班に協力してもらっている、桂木探偵事務所の桂木先生」 「……桂木です」  桂木は静かに、最低限の名前だけ告げて頭を下げる。俺と目が合うと、ふい、と目をそらされる。その様子からは、近寄りがたい強固な壁を感じた。  前原は、友好的な雰囲気がまるでない俺たちに目もくれず、マイペースに説明を続ける。 「吉野は今日来たばっかりなんですよ。そんでまあ、いろいろ説明もまだでしてね。口で言っても面倒だから、とりあえず先生に引き合わせたほうが良いかと思いまして」 「……はあ」 「いやぁ、おかげで早速、怪現象を体験できましたよ。これでこいつの飲み込みも早くなるってもんです」  適当なことを言いやがって、と前原をにらむ。桂木はただあいまいに相槌を打つだけで、感情が読み取れない。 「吉野、お前、俺の引退が近いってことは知ってるよな?」  俺は頷いた。今回の異動に際し、前原が引退を予定しているため、受け持っている業務を引き継ぐ必要があるのだと聞いている。 「先生は、支援班に調査の要請が来たとき……幽霊とか心霊とか、怪異がらみの事件が起きたとき、調査に加わってもらっている。その時、一般人の先生がスムーズに仕事ができるよう、サポートするのが俺の仕事だ。いきなり警官じゃないやつが聞き込みに行っても市民は警戒するだけだし、事件現場で一般人がうろついていたら刑事部のやつらがギョッとするし、な」  たしかに、一般人が捜査に加わるのだ。調整役は必須だろう。 「そういう役割を、吉野には引き継いでもらう」 「……はい、」  がんばります、とか、よろしくお願いします、とか。反射的に返事をしようとした俺の言葉を、桂木が強い口調でさえぎった。 「俺は了承していません」 「……は?」  反射的に声がでた。しかし、桂木は俺を無視して前原を見て話しだす。 「浦賀君じゃダメなんですか。支援班の業務に不慣れな人が担当するより、ある程度捜査の流れを知っている人のほうがいいでしょう」 「前も言いましたけど、浦賀は内勤専門なんですよ。あいつに聞き込みだの折衝だのは無理です」 「それでも、まったくの素人を入れるよりはいいかと。少なくとも、浦賀君なら、扉が勝手に閉まったぐらいで、いちいちびくつきません」  かっ、と顔が熱くなった。確かに勝手に閉まった扉にビビったのは事実だ。まるで臆病者のように扱われたことに、怒りと恥ずかしさが噴出する。  というか、そもそも自分は、ここがどんな組織で、何を捜査するのか、今の今まで知らされていなかった。  俺だって、望んでこんな場所に来たわけじゃない。なのになぜ、桂木からこんなに強く拒否されなければいけないのだろう。理不尽な扱いに、自然と桂木を睨みつけていた。  前原が困ったように首に手を当てる。うんざりした口調からして、何度も事前に話し合ったことがうかがえた。 「その点はもう話し合ったでしょう。私だって幽霊は見えないが、立派に相棒を務めてきました。浦賀は外じゃ役立たず。そして、支援班の存在が知らされているのは上層部だけです。だから、”ある程度捜査の流れを知っている捜査員”は、この世に存在しないんですよ」 「…………ですが」  桂木が何か言いたそうにして、口を閉じる。前原はそれを見て、何か頷いた。どうも二人の間で何かしらの意思疎通がなされているらしい。 「……大丈夫です。捜査の流れは何も変わりゃしませんよ。今までもこれからも。協力は惜しみません」  協力? なんの話だろう。警察側から桂木への協力、という意味に聞こえたが、情報か報酬か、何かしらの見返りが桂木にはあるのだろうか。  力強くうなずいた前原につられるように、しぶしぶ桂木は納得してくれたようだ。  桂木は節くれだった手指で、長い前髪をわしづかみにする。あきらめの表情が前髪の下から現れた。前髪に邪魔されないで見た桂木の顔は、その暗い影のような雰囲気に似合わず、意外と鼻筋が通った男前だった。目の下の隈が残念極まりないし、前髪が造形のいい部分をすべて隠しているので意味がないが。  まじまじ見つめていると、桂木が視線に気づき、前髪から手を離した。あっという間に伸び放題の髪が顔に影を作る。俺はひきつった愛想笑いを浮かべるしかなかった。 -  その後、捜査手順の確認や、お互いの連絡先の交換などを行い、探偵事務所での面会は終了となった。  本部に戻り、異動初日の事務手続きや、前原からの引継ぎ資料を必死に頭に叩き込んでいる間に、あっという間に終業の時刻を迎える。 「お疲れっす、吉野さん! 今日は切りのいいところで上がってくれって、前原さんからの伝言です」 「あれ、前原さんは?」 「前原さんは別件で外出してまして、今日は直帰っす。吉野さんの歓迎会は、また後日盛大にやるからってことでした。お店は俺が選ぶんで、何がいいすか? 肉ですか?」 「そっ、そうだな。肉かな」  スマホを片手に勢い込んで尋ねる浦賀に気圧されつつ、なんだか人懐っこい犬のようだなと思った。昼間に挨拶したときはどこか気怠そうな雰囲気だったが、なぜだか今はとても生き生きして見える。 「浦賀はまだ帰らないのか?」 「あーはい、まだ帰らないっす。でも吉野さんは、気にせず帰ってくださいね」 「わかった。そうさせてもらうな」  スマホを操作しながら答える浦賀に返事をして、身支度を整えた。  そしてふと考え、そっと訪ねてみた。 「……歓迎会って、だれが参加するんだ?」 「前原さんと俺と、あと桂木さんっす!」  俺はお通夜の予感のする歓迎会を思い、ため息をついた。 -  前原は、その日二度目の訪問となる桂木探偵事務所にいた。事務机のへりに浅く腰を預け、窓の外を見ている桂木に声をかける。 「俺が引退しても、あんたへの情報提供は続く。ちゃんとその辺は、上に話を通してある」 「……ありがとうございます」  桂木は前原のほうを見ない。桂木が危惧するところを知っている前原は、桂木を説得することも諫めることもしない。 「吉野には、俺から話したほうがいいか?」 「いいえ。前原さんからも、俺からも、まだ話しません。最初の捜査で音を上げて、いなくなられたら後々面倒です」 「そんなことにはならんよ、」  ようやく桂木が前原のほうを見た。  だてに、子供のころから見守り続けていない。前原は吉野の性根をよく知っている。あの男が、そう簡単にこの仕事をほっぽれるはずはない。  口ではひねくれたことを言うし、根性もないかもしれないが、根は優しい。きっと桂木といい相棒になってくれる。  そう思っていることは口には出さず、前原はただ桂木に笑いかけるだけだった。 -

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