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 翌朝、支援班の詰める例の狭い部屋―――支援室と呼ばれているらしい―――に出勤してきた俺を待っていたのは、事件調査の要請だった。  部屋の右奥にあるホワイトボードの前で、前原が腕を組んで立っている。じっと見つめていたのは、ホワイトボードに掲示された一枚の書類だった。  おはようございます、と部屋に入りながら声をかけた俺に、前原はその書類を指さして見せた。 「班長からの伝言だ。二課から支援班へ調査要請が来ているらしい。喜べ、配属二日目で早速実戦投入だ」 「……!」  調査要請。その言葉に、単純に胸が高揚した。ついに、憧れの仕事ができる。前原と同じ仕事が。  たとえそれがちょっと怪しい仕事内容でも、相棒になる人物が自分に対して友好的でなくても、その時の俺はただ気持ちが高ぶっていた。 「お前の最初の仕事は……事件被害者の証言の裏取りだな。もう、被害者への面会の許可は取ってあるようだから、あとはこの場所に、先生と向かえばいい」 「了解です。てか、その紙なんですか?」  前原が見ている紙には、調査要請の概要が書かれている。前原が用意したものではないようだ。紙の右下には、「元町」という印鑑が押されてある。 「これはな。我らが班長・元町殿の指示書だ」 「班長?」  前原がホワイトボードから紙をとり、五つ並んだデスクのうちの一つに置く。対面になるようくっつけられたデスクが四つと、その島から少し離れたところにあるデスクが一つ。  上司と部下たちの位置づけを如実に表す配置だが、その上司にあたるデスクに、前原は紙を置いた。 「支援班のトップが、元町班長だ。調査要請があった時は、こんな風に班長を通じて俺たちに連絡が来る」 「必ずホワイトボードを介して、ですけどね~」  続いて出勤してきた浦賀が会話を引き取る。  随分と眠そうな様子の浦賀だったが、昨日は遅かったのだろうか。いやそれよりも、 「ホワイトボードを介してって、どういうことだ?」 「元町班長は、支援室に出勤してきたことが一度もないんすよ。諸連絡はすべて、ホワイトボードに掲示された紙で通達されるっす。しかも、紙はいつの間にかホワイトボードに貼られている。誰も、元町班長を見たことがない……」  口ぶりからして、単純に忙しすぎて不在、というニュアンスではないことがわかる。  姿を見せない謎のトップ。いつの間にか掲示されている指示書。そして行うのは、心霊調査。  怪しさが満載だ。 「……そもそも、班長って存在するんですかね?」  目を細め、猫のようににんまり笑う浦賀の目に、漠然とした不安を覚えた瞬間、前原に肩をたたかれた。 「存在しようがしまいが、班長の指示は絶対だ。ほれ、さっさと事件概要読んで、先生のとこ行ってこい」 「はっ、はい!」  前原から束になった事件の報告書を渡される。 わからないことはまだ沢山あるが、まずは与えられた仕事を着実にこなしていこう。  気を取り直し、俺はデスクに腰かけて資料を読み込み始めた。 -  訪問の前に一本電話を入れていたおかげで、事務所の前で桂木を車で拾い、そのまま目的地へと向かう。  今日の桂木は、一見して普通のサラリーマンと変わらない、黒い上下のスーツに、濃いグレーのネクタイを締めていた。 助手席で事件資料を読み込む桂木に向けて、俺は意を決して声をかけた。 「萬木(よろぎ)町一家殺傷事件ですが、事件発生は一昨日の夜です。被害にあったのは、萬木町在住の高里家。四人家族です。父親と母親は何者かに殺害され死亡しました。姉は安否不明で所在が知れず、弟はケガを負ったものの軽傷です―――」 何度も読み込んだ事件のあらましを、緊張気味に伝える。桂木は無言で頷いた。どうやら、聞いてくれているらしい。その様子に少し自信を取り戻して、説明を続けた。  事件が露呈したのは、昨日の午前中だった。近所の住人が、いつまでたっても高里家の家長が出勤しないことに気づいた。それだけではなく、高里夫人も、日課である庭の手入れに出てこない。訝しく思い通報したところ、殺害されている夫婦と、仏間で気を失っている弟が発見された。 「姉が行方不明とのことですが」 「ええ。現場に血痕だけが残されていました」  血痕が残っていたのなら、姉も怪我を負っているか、あるいは死亡している可能性もある。  姉の姿が最後に確認されたのは、事件前日だ。家族と一緒に車に乗っているところを目撃されている。当日の行方は、いまだに確認が取れていない。  とはいえ、姉の足取りを調査するのは捜査二課の捜査員の仕事だ。自分たちの仕事は別にある。 「それで、弟の証言を聞いたところ、怪異の関与が認められたため、調査要請がきたと」 「……そうらしいです」  何とかうまく情報伝達ができたようだ。ほっとため息をつく。 前原からは、しばらくは桂木に教わりながらやっていけと言われているが、昨日の雰囲気ではそう簡単にいかない。かといって、支援班での捜査のセオリーというものをまったく知らない俺が、一人で捜査をうまく進めることなどできるわけもない。 (……まあ、桂木さんも子供じゃないんだし、捜査に支障が出るほど俺をあからさまに嫌うことはないだろ)  とにかく、そう思いながらやるしかない。俺は再びもれそうになったため息をぐっとこらえた。

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