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―  昼下がりのさびれた公園。開けた視界の中には人影はない。これなら会話を誰に聞かれる心配もない。俺は並んで座る桂木に、ずいと近づいて言った。 「さっきの件、いろいろと聞きたいことがあるんですが」 「どうぞ」  全部最初から最後まで説明してくれ! とか、事前に質問内容打ち合わせるとか必要だったんじゃないですか!?とか、いろいろ喚きそうになるのをこらえて、まずは一つ質問をぶつける。 「……彼の話は本当だと思いますか? ええと、彼が家の中で見知らぬ女に追いかけられた、という話」  桂木はちら、とこちらを横目で見ると、 「ええ、……本当でしょうね」  億劫そうに答えた。 「その女性は、幽霊なんでしょうか」 「幽霊かは断定できません。ですが、それに類するものでしょう。支援班の皆さんは、幽霊とか妖怪とかに限らず、事件にかかわる異常な現象を、まとめて“怪異”と呼んでいます」  怪異。声に出してみると、使い慣れない単語に、唇がなんだかむずがゆい。  質問に答えてくれた桂木に気をよくして、俺はさらに質問を続けた。 「秋保さんに尋ねていた質問は、なんのために聞いたんですか? というか、ああいう質問って、事前に打ち合わせとかしないんですか?」 「今さら気づいたんですか? 刑事なら聞き込みとか事情聴取に行く前に、質問内容を把握しておくのが当たり前だと思いますが」  絶句した。俺の過失であるというのは、確かに指摘の通りだが、それにしたって。 (それにしたって、俺は初心者なんだぞ、…………とは、さすがに情けなさすぎて、言えない)  俺は捜査にかかわるのは初めてだ。しかし、桂木は一般人で、俺は刑事だ。いくら一般人の桂木が捜査の上では先輩だったとしても、桂木の捜査に対して責任を持つのは俺だ。不勉強だと言われれば、正論がゆえに黙るしかない。 しかも、相当毒のある言い方のくせに、本人は大したことないといった様子なのも、信じられない。 「まあ、質問するのは私なので、あなたが知らなくても問題ないと判断しました。必要だと思うなら今度からはそうしてください」 (うわ、むっかつく) 内心の感情を表情に出さないようにするのが精いっぱいだった。思わず体の横でこぶしを握って耐える。ここで俺が桂木に喧嘩を売ってしまっては、今後の捜査に支障をきたす。どうにかして、桂木から情報を引き出さなければ、せっかくコンビで捜査をしている意味がない。 俺はむしゃくしゃする感情を飲み込んで、頭を下げた。 「不勉強ですみません。俺もちゃんと捜査かかわりたいし、きちんと理解したいから、桂木さんがどういう意図であの質問をしたのか、経緯を教えてください」  なんとか不貞腐れた声音は隠すことができた。言っていることは本音だが、あえて殊勝な態度で下手に出てみる。これで、少しでも喋ってくれる気になればいいのだが。 「……わかりました」  がばっと頭をあげると、桂木の口元が苦いものを食べたかのように歪んでいる。どうやらかなり嫌な気分になったようだ。俺はあえて、その顔に気づかないふりをして、桂木に礼を言った。慇懃に頼むことで、遠回しに嫌みを言ったつもりだったが、少しは効いたらしい。  ほんの少し胸がスッとして、俺は改めて桂木の話を聞く姿勢になった。  桂木は自分の髪の下に手を差し入れ、額を手のひらに押し当てる。何かを考えるような間をもって、ポツリと呟いた。 「彼……秋保さんに会った時に、腐った水のにおいがしていました」 「腐った水、ですか」  俺は、家の流しにたまった水の匂いを思い出す。そんな匂いは、少なくとも俺は感じなかった。 「それから、あまり良くない気配もしました。もしかしたらと思っていましたが、話を聞くうちに、わかってきました」 「何がです?」 「沼です」  ちら、と前髪越しにこちらを覗く瞳。どろんと暗い半眼と目があう。 「以前行ったことがあるんですが、神様というか、悪霊というか……そういったものが住み着いている沼があるんです。名前は、巳縄沼。ここから車で1時間ほどいった場所にある沼です」  聞いたことがなかった。ここから車で1時間ほどというと、普段の生活圏内からは外れた場所にある。俺の実家は同じ県内ではあるが、もっとはずれのほうにあるど田舎だ。その田舎からも、その沼は遠い。つまり、今まで生きて生きた中で、俺はその沼に行ったことも聞いたこともない。 「有名ではありませんが、いろいろと曰くのある場所なんです。あそこ。そこの匂いが、秋保さんの周りからただよっていました」  桂木は静かな声で淡々としゃべる。俺は徐々に、その語り口に引き込まれていく。 「秋保さん……彼が話を進めるにつれ、匂いがどんどん強くなっていきました。でもまだ、確証がありませんでした。まだ、彼にそのことを突っ込んで聞く段階ではないと判断し、とりあえず、彼の話を聞いていて引っ掛かった点をまずは聞くことにしました。女の外見についてです」 「外見……は、秋保さんは覚えていない、という話でしたが、」 「ええまあ、そうです。秋保さんの自発的な話の中では、女の外見について何も触れられていなかったので、見覚えのある女性だったのか聞いてみました。すると、『わからない』という答えが返ってきました」  わからない、という答えは、よく考えれば不自然だ。見覚えがあったか、という問いには、“ある”か“ない”と答えるのが自然である。だが、秋保が単純に混乱していたとか、質問の意図を受け取り損ねたとか、そういった可能性もある。 「わからない、知らない、と彼が答えたときに、彼の真上から髪の毛が垂れてきたので、あ、これは何か憑いているなと確信しました」 「え、髪の毛?」  ギョッとして思ったことをそのまま声に出してしまったが、桂木はその問いをスルーしてしゃべり続ける。 「父と母と姉について確認したのは、家族の中で女が誰を狙っていたのか知りたかったからです。もし家族が襲われている場面を秋保が見ているのだとしたら、そのあたりがわかるかな、と。まあ、彼はだれの姿も見ていなかったので、わかりませんでした。家族が誰かから恨みを買っていたか? という質問も同様です」  今のところ、父親と母親が殺されているが、殺され方からして、父親に対して最も殺意があったのでは、というのが、捜査本部の見方である。なぜなら、母親の刺し傷が1か所なのに対し、父親は数十か所にもわたる刺し傷が認められたためである。あくまでも推測だが。 「ここまでは、誰かが家族に危害を加えた、という想定での質問でした。それとは別に、もう一つ疑われるのは当然、家族間のいさかいによって殺人が起きたという想定です。家族仲が悪くなかったかと聞いて、彼が否定したとき、髪の毛の間を縫って、手がするっと降りてきました。そして、彼の頭を手のひらでこう、包むように掴んだんです」  そういいながら、桂木は両手を目の前の空中に伸ばした。右手と左手の間に、人の頭ひとつぶんほどの空間を持たせ、丸い何かを包むように手の平と指をカーブさせている。  戸惑いながら、その手をまじまじと見つめている俺を認めて、桂木は手を引っ込めた。 ……あなたは気づきませんでしたよね。そう、ぼそりと零しながら。 「家族内で誰をターゲットにしていたのか、それとも家族全員がターゲットだったのか、それはわかりませんが、今この瞬間は、彼があの女性のターゲットであると確信しました」  それは、秋保があの女の怪異に、命を狙われているということを意味するのだろう。 「ところで、その秋保さんを襲った女性、今のところ手掛かりは 秋保を追っているときに発した。“お前か”という言葉と、ゴボゴボという音。もし、この女性の恨みを買うようなことを秋保さんがしてしまい、女性に恨まれているのだとしたら、“お前か”はまるで「あれはお前がやったんだな」というニュアンスに聞こえなくもない」  それに関しては俺も同感だった。同じことを、秋保の話を聞いているときに連想したのだ。 「ゴボゴボ、という音は水音だったか、と聞いた時、彼は否定していましたが、嘘をついていることは明らかです。水の音、そして俺の感じた沼の匂い。当然それらの関連性を疑います。だから最後、最近沼に言ったことはないか、と聞いたんです」 「……それで、どう思いました?」  わかり切ってはいるものの、一応聞いてみた。当然のように桂木は答えた。 「幽霊の姿が見えなくてもわかったでしょう。彼には心当たりがある」  沼、と聞いた途端のあの秋保の様子。誰が見ても、何か後ろめたいことがあるのは明白だ。 (そういえば、) あの時、俺の耳にも聞こえた、ゴボゴボという音。秋保を襲った女がそこにいたと桂木は言う。そしてあの秋保の怯え様。 (本当に、いたのか。あそこに)  俺は遠くに見える病院を振り仰ぎ、いまさらながらに不気味さを感じたのだった。 「秋保さんが沼に心当たりがあるとして、やはり、実際に沼に行ったことがあるんでしょうか。いったい何をしに……」  そして、いったい何をして、あの女に恨みを買ってしまったのだろうか。 「彼自身が沼に行った可能性もありますが、家族も殺されている以上、秋保でなく家族が行った可能性もあるでしょう。彼を含め、家族の誰かが沼に行ったことがないか、調査すべきだと思います」  桂木はそういうと、浦賀に連絡をするようにと俺に指示した。言われた通り素直に電話をかけると、代わるように促される。 「お疲れ様です。浦賀さん。桂木です。実は―――」 桂木はその後、かいつまんで事情を説明し、こう言った。 「ええ。周辺人物への聞き込み内容から、巳縄沼に関する情報がないか探してください。―――はい、河野(こうの)稲町(いねちょう)の。マップに乗っていなければ町役場に聞けばわかります。それから、あの家族が巳縄沼周辺に行ったことがないか、今後の聞き込みで情報を集めたいと―――はい。わかりました」 失礼します、と桂木は通話を切った。なるほど、こんな風に情報を連携しているのか、と納得しながら、桂木からスマホを預かる。 「浦賀さんに、情報を回しておいてくれるよう頼みました。これで、捜査本部のほうでも沼に関する情報を集めてくれると思います。……ですがまあ、後回しになるでしょうね。捜査班が今もっとも力を入れているのは姉の行方を捜すことですから」 現在の捜査本部における調査の優先順位は、姉の捜索の次に犯人の目撃情報、その次に弟・秋保の犯行の可能性を想定した聞き込み調査だ。 今日はすでに、捜査員が方々に出払っていることもあり、沼云々の話を関係者に聞き込みできるのは、明日以降となるだろう、という話だった。

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