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「な、なにがわかったんですか?」
「俺が吉野さんを守ります。それが、俺にできることです」
「……は?」
どうも突拍子のない言葉が出てきた気がする。
怪訝に思った俺に桂木が言い放った。
「あなたは、俺に歩み寄ろうとしてくれる。それは感謝します。でも、あなたは知らない。怪異と関わるということがどんなことか。どんなに危険で、理不尽なことかあなたは知らない」
「そっ……れは、」
そう言った桂木の顔からは、一瞬すべての表情が抜け落ちていた。そのぽっかりと黒い目に見つめられ、静かな声に諭され、俺は何も言えない。
桂木が今までその目で何を見てきたのか、なぜこんな声音で話せるのか、知らない俺は何も言うことができなくなる。
ぐびり、と息をのんだ俺を見て、桂木はふっと目元を緩める。いくらか緊張感が緩んだ中で、桂木は繰り返して言った。
「あなたが俺と組むというなら、その間俺はあなたをできる限り守ります。それが、こちら側に引き入れてしまった俺の、責任の取り方です」
面と向かって「守る」と言われると、どうにも気恥ずかしい。ましてや俺は警察官だ。本来なら逆に、桂木のような一般人を守る立場にいる人間だ。黙って受け入れるにはプライドが邪魔をする。
「守ってもらうなんてそんな情けな……いや、だから、責任を取るなんて考えなくていいですよ。俺が勝手にしたことだって言ってるでしょう」
「あなたが勝手をするなら俺も勝手をします」
何を言っても桂木は折れてくれなさそうだった。屈強とは言わないまでも、体力には自身がある、頑丈な成人男子だ。守るなんて言われても、体がむずがゆくなるだけだ。
そのまま何度か、「いいですから」「俺の勝手です」と応酬を続けたが、どちらも一歩も譲る気がない。先に音を上げたのは俺のほうだった。
むしろこれは好機かもしれない。
少なくともこれで桂木は俺にきちんと向き合う気になってくれたし、コンビを組むことも了承してくれた。思いがけず、怪異を見ることができるようにもなった。これでもっと実のある捜査が桂木とできるようになるはずだ。
俺はちらりと、横に座る桂木を見る。
まだ、あの時の手の平の熱さを思い出すことができる。俺を生の世界に連れ戻してくれた、火傷しそうなほど熱い温度を。
俺を助けてくれたこの人に、少しは報いることができればいい。
「そうだな……まずは、ちょうどいいかと思います」
「……? 何がです」
「まずは、この事務所内で慣れましょう」
ふむと考え込んだ桂木が、ちょいちょい、と指で俺の斜め後ろを指さした。
なんだ? と思って振り向くと、桂木の指の指し示す先、部屋の隅の暗がりに、壁に同化するように立っている人影があった。よくよく見ると影は女の姿をしており、眠っているかのような薄目で微笑んでいる。きれいな女性だが、何か引っ掛かった。妙に肩幅が狭い。
それもそうだった。彼女の肩から先は、彼女の来ている着物の袖ごときれいになくなっていた。
「ひっ!?」
「害はありません。見た目はソフトなほうですから、少しずつ慣れていきましょう」
無意識に尻が女のいる方向から逃げて、ソファからずり落ちそうになる。そんな俺をみて桂木は、ふ、と口角をあげた。こぼれた吐息に前髪がさざめいて、また瞳が見え隠れする。
(あ、初めて笑った)
時には深い穴のように底知れず、時には熱を帯びて人を射貫く黒い瞳は、笑うと柔らかく潤むのだと知った。
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それから数日。
高里一家殺傷事件は、秋保の過失による美春の殺人事件と、一家による美春の死体遺棄事件、そして犯人逃亡中の強盗殺人・傷害事件として、一応の終幕を見た。
俺、桂木、秋保が巳縄沼 から無事逃げ出すことができたその翌日、“匿名の情報”として、巳縄沼へ向かった高里一家の車の目撃情報が上がり、その日のうちに、沼から美春の死体が見つかった。
病状の回復した秋保が以前よりも落ち着いて事情聴取に応じたこともあり、秋保の過失致死と、家族ぐるみの死体遺棄が決定的となった。
それと時を同じくして、父親による虐待や、母親からのネグレクト等の証拠も多分に発見された。生まれたときから続いていた高里家の異常な家庭環境を鑑み、秋保の罪には相当の情状酌量がなされる見通しだ。
現在は秋保の精神鑑定の準備が進んでいるらしいが、本人の様子は、保護された直後とは打って変わって落ち着いており、問題なく進むだろうとのことだった。
そんな、以前よりも明確になった秋保の証言だったが、秋保を襲った女に対する証言は、いまだあやふやだった。医者の見立てでは、襲われた時のショックによる、一時的な記憶の欠如ではないかということだった。
近所での有力な証言も得ることができず、現在でも高里家を襲った強盗犯は正体不明、行方知れずだ。前原の話では、このまま犯人未検挙のまま、未解決事件として静かにフェードアウトするだろう、とのことだった。もちろん、真実は美春という怨念が高里正雄・京子を殺したわけだが、それを知る人間は、支援班メンバーと秋保しか存在しない。
支援班への捜査協力要請は解除された。これをもって、支援班の捜査は終了となるが、最後の大仕事が待っている。それが、報告書の作成だ。
表向きな事件の顛末とは違う、支援班が作成した“本物の報告書”。これを作成し、提出することで、支援班の仕事は完了だ。
本来であれば、作成は俺の仕事である。しかし、諸々の事情があり―――前原の代までは、前原が怪異を見ることができなかったこともあり―――この仕事は現在、桂木が主に行っている。
加えて今回、俺はほとんど事件の真相を、桂木から秘されてきた。調査の主幹はほぼ、桂木が単独で担っていたわけである。
そういうわけで、俺は本日、その報告書の原稿を受け取るために、桂木の事務所へ出向いている。
俺は事務所に続く階段をのぼりながら、きょろきょろと周囲を警戒する。あの日、この事務所で目が覚めたとき以来、俺はありがたいことに、一目で幽霊とわかるような外見の幽霊を見ていない。
一、二度ほど、すれ違ったと思ったら唐突に消えた人間を見たことはあるが、どれも普通の人間と見分けがつかなかった。もしかしたら俺が気づいていないだけで、もっとたくさんの幽霊を見ていたのかもしれない。
事務所で見たあの女の霊はこの事務所付近にたむろしているらしく、よく事務所の中に入ってくるらしい。出ていけ、と言えば出て行ってくれるため、特に追い払おうという対策をしたことがないと桂木は言っていた。
害がないとはいえ、あの見た目は心臓に悪い。周囲にあの幽霊がいないことに安堵しながら、事務所の扉をノックする。
「桂木さん、吉野です」
「……はい」
中から応答があった。扉を開くと、以前訪問した時と同じように、窓にはブラインドが下がっている。
俺は薄暗い室内に、桂木を探しながら足を踏み込む。ほどなく、奥の給湯スペースから、ぬぅっと桂木が姿を現した。
相変わらず、影のように暗い色彩の姿で、伸びた髪が顔の半分を覆っている。
桂木は手ぶりでソファを勧めると、自分は窓へ歩いて行って、下ろしていたブラインドをあげていく。俺は勧められたソファには座らず、桂木の後を追いかけた。
「桂木さん、ちょっとお話が、」
「……? なんでしょう」
今日、俺がここへ来たのは、報告書をもらうためだけではなかった。
それは、事件の詳細を、桂木が俺に秘密にしていたことを、桂木の口から聞くためだった。
「報告書を読めば済む、話かもしれませんが……今回の事件、桂木さんが知ったこと全部、俺に教えてくれませんか」
「俺が知ったこと全部、ですか?」
「全部、です……できれば」
強気に、「全部教えろ」と言い切れればよかったのだが。何となく遠慮が立って、弱気な語尾を付け足してしまった。
先日俺は、桂木と組んで捜査をすることを、正式に桂木にも認めてもらった。だから、今回の事件で桂木が得た情報も、教えてもらえるはずだと考えていた。
桂木の口から聞きたいと思ったのには理由がある。桂木が何を思い、そこからどんな捜査をしたのか。そういった、桂木の捜査手法、もしくは思考の流れといったものを知りたいと思ったからだ。
これから一緒に捜査をする相手の思考癖は、相棒として知っておきたい。それに何より、あの時、桂木は何を思っていたのかという、桂木自身を知りたい欲求が強い。
熱心に見つめる俺の視線に負けたのか、桂木はため息とともに俺から視線を逸らす。「どうぞ」と再度ソファを進められ、俺はそれを肯定の返事として受け取った。
「……長くなりますよ」
「かまわないです」
桂木と俺は対面でソファに腰を下ろす。まだ俺のことで後ろめたい気持ちを捨てきれないのか、それ以上の悪あがきはせず、桂木はすんなりと口を開いた。
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