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「最初からお話しするのがいいでしょうね」  桂木は記憶を掘り起こすように遠くに目線を投げ、やがて唐突に語り始めた。 「俺たちが最初に行ったのは、秋保さんの病室でしたね」  俺は思い出す。秋保の病室で聞いた話と、そのあとの桂木の話を。秋保に憑いていたという、顔の見えない女。 「あの時、女について気づいたことは、あなたに話した通りでしたが、もう一つ気づいたことがありました。秋保さんの声です」 「声?」 「怪異現象は何も死んでいる人間や妖怪が起こすものとは限りません。俺の場合は、特に強い思いとか、生霊みたいなものはよく見えてしまいます。あの部屋からは、秋保さんの声が残っていました」  俺は怪異について何も知らない。だから、へえ、そういうものなのか、と頷いた。 「秋保さんは、自分を守るために、自分をだましている状態でした。姉を殺したという事実を認めたくないがゆえに、“幽霊になった姉がやってきた”というその筋道を否定したんです」  ことの流れはこうだ。秋保は姉を殺してしまった。だから姉は幽霊になってしまった。だから、幽霊となった姉は自分を殺しに復讐しに来た。  己を殺しに来た幽霊が姉だと認めてしまっては、秋保が姉を殺してしまった事実を認めることになってしまう。  だから、秋保は女の顔を覚えていないと証言した。見知らぬ女の幽霊が、己を殺しに来たのだと、事実を捻じ曲げた。  桂木は、病室に入ったその瞬間から、その事実を否定し、自分に言い聞かせるような苦悩の声が聞こえていたらしい。僕じゃない、僕はやっていない、と。 「その声もそうですし、家族や沼のことを聞いた時に、隠し事をしているそぶりを見せました。だから、何かあることは確信していましたが、秋保さんの状態が不安定だったので、本人に聞くことは断念しました。  沼に行ったのは、そこに当の女がいる可能性も高かったことと、沼の水神であるくちなわ様は関係しているのか確かめたかったからです」  結局、沼に行っても女は見つからず、くちなわ様からもたいして有益な情報は聞けなかった訳だが。 「……くちなわ様は、本当に美春さんや、高里一家のことを知らなかったんですかね?」  彼は美春の味方だったわけだから、彼女をかばう目的で、俺たちに嘘を言った可能性もあるのではないか。そう思って尋ねたが、桂木は微妙な顔をするだけだった。 「どうでしょうか。……俺には、あれが嘘だったとは思えませんね」  長い間存在し続ける怪異にとっては、時間の概念があやふやになることはよくあるのだという。  くちなわ様も、相当古くからそこに祀られていた神だ。最近は人の訪れることも少なくなってきていたし、遠い過去に来たはずの来客が、つい数日前に感じても不思議ではないし、その逆もあり得るのだという。 「そのあと、高里家の家に行ったのは?」 「そのあたりは、警察と同じ動機です。怪異の調査の場合でも、事件が起きた場所はたくさん情報がある」  あそこで何を見たのか、尋ねそうになって口ごもった。嘔吐した桂木の苦しそうな表情を思い出す。  気を使ってしまった俺とは対照的に、桂木はなんのためらいもなく語りだす。 「1階のソファ。あそこに座っている女が見えました。病室で秋保さんに憑いていた女と同じ、沼の匂いをさせた女です。それから、秋保さんの言った通り、仏間へ逃げていく秋保さんと、追いかけていく女の様子も」 「ちょ、ちょっと待ってください。桂木さんはその、過去の様子も見えるんですか?」 「必ずではありません。例えば恨みとか悲しみとかすごく強い怨念みたいなものが、本人の記憶を見ているように目の前に見える時があります。まあ、殺人現場なんかはそういう恨みつらみの塊ですから、見えることのほうが多いですね」  俺は、くちなわ様に捕まった時のことを思い出した。あの時も、あの神様が見てきた記憶が俺には見えた。ああいうことが桂木にも起こったということだろうか。  しかし、幽霊=死んだ人間という図式が定着しているせいか、その説明を受けてもいまいちピンとこない。  そんな俺の様子を見てとり、桂木が言う。 「……俺が経験した中だけで言っても、怪異に関連することは本当に……乱暴に言ってしまえば、なんでもありです」 「……なんでも、ですか?」  ええ、と桂木が頷く。 「例えば、幽霊だから触れない、という定説も、そうじゃないパターンはたくさんあります。物理で殴ってひるむ霊もいますし、存在が限りなく人に近いものもいます。……今回で言えば、例えば血痕。当初、高里家の事件現場には、美春さんの血が残っていました」  そういえば、そんな記録も確かにあった。だからこそ、最初は美春も現場で襲われた被害者ではないかとみられていたのだ。 「美春さんは、宙に浮くし、現れたり消えたりできるが、包丁を持って人を襲い、原因不明の血痕を残す。よく考えてみると、一貫性がないでしょう?」 「まあ、そうですね」 「ある程度の“お決まり”はありますが、それに制約されない支離滅裂なことを起こすのが、怪異です。……まあだから、過去の風景が見えるというような超能力まがいなことも、俺が経験した中では普通にあり得ることなんです」  なんだか釈然としないが、たぶんそんな矛盾も腑に落ちない感じも、まとめて『怪異』なら起こりうるということなんだろう。 「話がそれてしまいましたね、……1階で美春さんと秋保さんを見た、というところまで話しましたか」  再び、高里家で起きた出来事について、桂木が自身の視点と、過去に起きた事実を交えて語りだす。 「秋保さんが帰宅する前に、美春さんは2階で父親と母親を殺していました」  桂木はなぜか自分の手を見つめる。 「美春さんが最初に家に辿りついた時、母親も父親も2階にいました。彼女は、自分の家の台所から包丁を持ち出して、2階に上っていきました。そして、たまたま廊下に出てきた母親と鉢合わせし、廊下で刺し殺した」  高里家の2階へ至る階段で、桂木が廊下を見て立ち止まっていた場面を思い出す。桂木が見つめていた変色した床。 「彼女は一度刺されたあと、廊下から自分の衣裳部屋へ逃げ込み、そこで死にました。よほど恐ろしかったんでしょう。俺が来た時も何度も何度も、刺されては自室に逃げ籠り、部屋から出てきてはまた刺される、を繰り返していました」 「……」  死んだ瞬間を繰り返すのも、よくある特徴なんです。俺の沈黙をどうとらえたのか、桂木がそう言い添えた。 「物音を聞き付けて駆け付けた父親を、美春さんは書斎まで追い詰めました。そして、書斎のソファで刺し殺した」  書斎のソファ、という言葉を聞いて、口の中に苦いものが広がった。  “表側”の捜査によると、父親による美春への性的虐待は、いつも書斎のソファベッドで行われていたという。正雄が密かに借りていたという貸倉庫を捜査員が見つけ、その中に収められていた虐待の記録映像などから、その事実が判明した。なお、その貸倉庫には多数の映像記録のほか、写真や衣服、言葉にも出したくない器具なども収められていた。  ―――あそこを中心的に切りつけられていたんで、桂木さんからのリークがある前から、捜査本部はその線を疑ってたようですね。  その情報を教えてくれた浦賀は、聞かされた真相に胸が悪くなっている俺をしり目に、けろっとした顔でそう言っていた。 「たまたま、そのソファで殺したのか、意図してかはわかりませんが……父親をめった刺しにする美春さんと、刺される父親の映像とダブって、過去に彼女が受けた仕打ちが見えました。彼女の性的虐待の事実を知ったのは、その時です」  よどみなく話される話は淡々としているが、桂木はその時その映像を見ていたのだ。多分その時、俺は一瞬意識が飛んで、気が付いたら桂木は部屋を出ていた。 「その時は、俺もちょっと入り込み過ぎて意識がぶつ切りなんですが……いつの間にか書斎を出て、廊下で美春さんと話していました。多分、俺は秋保さんの視点に立って、その映像を見ていたんだと思います。階段のすぐそばで、秋保さんと美春さんが口論をしていました。美春さんが、家に寄り付かなくなったこと、男性の家を泊まり歩いていることを秋保さんが咎め、美春さんはそれを押し切って階段を下ろうとしているところでした。  そして、秋保さんが美春さんの腕を掴んで、美春さんがそれを振り払って、美春さんは階段から落ちました。……あれが故意だったか、偶然だったのかは、判断ができません」  それがわかるのは、おそらく秋保だけだろう。いや、もしかしたら本人ですらわからないかもしれない。その時明確に自分が何を思って行動したかなんて、意外とあいまいなものだ。衝動的な行動ならなおさら。  あの時、階段の途中に立って「ねえさん」と呟いた桂木の姿は、そのまま数日前の秋保の姿だった。秋保はあそこで、美春を突き落とし、そしてその遺体を沼に沈めた。 「そのあとすぐ母親が帰ってきて、それからさらに父親の帰りを待って、夜のうちに美春さんの遺体を車で運んだのでしょう。近所の人が一家そろって車で外出したのをみた、と言ったのはその時のことだと思われます」  美春一人がいないことを怪訝に思われるかもしれない、そう危惧して、遺体をそのまま座らせたのだろうか。詳細はわからないが、ここで近所の人が見たものが美春の霊だったとしても、もう俺は驚かない。

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