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  「気になるのは夢の内容と、行方不明になった人たちの様子、それから行方不明者の近況……。そもそも行方不明のほうの事件は情報量が少ないですし、可能なら行方不明者の家族や本人に話を聞きたいですね」 「それなら可能です。入院している2人はちょっと難しいかもしれませんが、それ以外なら、アポさえとることができれば当人たちにも話を聞くことはできると思います」  俺は書類を手繰って、行方不明となった人物の情報を探し出す。何人かは勤め人で、昼間に行っても話が聞けないかもしれないが、自営業や主婦など、日中に尋ねていっても問題なさそうな人もいる。  野辺町は決して大きくない町だ。各家庭を訪問したとしても、そんなに時間はかかるまい。 「あとは、傷害を起こしたという少年の様子も聞き込みはしておきたいですね。彼の家族は?」 「日中は母親が家にいます。というか、今日、浦賀さんがアポ取っておいてくれました。『この家に聞き込みするのは必須だから取っておけ』っていう前原さんの命で」 「助かります」  桂木と頭を突き合わせ、書類を覗き込みながら明日の予定を立てた。そういえば、初回の捜査の時は「事前に打ち合わせておくのは当たり前だ」と桂木に言われたっけ。あの時のぎくしゃくした関係から考えると、一か月でなかなかの進歩だ。  そもそも前回の捜査は、異動した直後で右も左もわからず、勝手に捜査を進める桂木に強引に引っ付いて回るしかなかった。あれは“捜査”と呼んでいいものか自信がない。  そう考えると、今回が初めての、捜査らしい捜査になるのではないか。 (それに、俺ももう、怪異の姿が見えるわけだし)  前回のように、“何が起きているんだか分らないまま捜査終了”みたいな事態にはもうなるまい。きっちり1人前の警察官として捜査をまっとうできる筈だ。  この時の俺はそう意気込んでいた。怪異が見えるということがいかに厄介で、理不尽で、そして俺に害を及ぼすものかを完全に忘れて。  ―  翌日、空はどんよりと曇り、どことなく薄暗い朝だった。車を駆り、桂木の事務所がある路地へと向かう。  ビル群の立ち並ぶ狭い一角に入ると、事務所の前で桂木がたたずんでいるのが見えた。一般人に聞き込みをするためか、今日はスーツを着込んでいる。チャコールグレーのスーツは、今日の日差しの下では黒々と沈んで見えた。  桂木を拾うと、車はそのまま北へとまっすぐに突き進む。中心街を抜け、道路の幅が広くなり、徐々に周囲の家々の間隔も広くなっていく。それに比例するように、視界の端に見えていた小高い山が徐々に大きくなっていった。  野辺町は、県警本部からはそう離れていない距離にある小さな町だ。先月、巳縄沼へ行ったときは1時間ほどかかったが、あの沼のあった山よりは断然近い。  羽山は規模の小さな低山で、山のふもとぎりぎりまで野辺町の住宅街が迫っている。山の上に住居が建っているのではなく、山の急斜面を背に隠すように民家が並んでいるのだ。斜面が急すぎるため家が建てられなかったという面もあるが、昨日桂木に教えてもらったwebサイトによれば、山は神様の住まいだからと野辺町の住民が住宅開発にことごとく反対したという理由もあるらしい。  そんな信仰を大事にする一面を持った町だが、住宅開発云々の話が持ち上がったのは30年以上も昔のこと。今、車窓から見える町並みは、古い家こそあれど、今どきらしいしゃれたデザインの家も多く立ち並ぶ。ここ野辺町も、他の多くの市町村と変わらない。古いものは徐々に廃れ、新しいものが流入し、そしていつかその新しいものが古いものへと成り代わっていく。  町に入ってしばらく走ると、カーナビが目的地に到着したことを告げた。今日の最初の聞き込みは、傷害事件を起こした志倉直樹の母親に対するもので、今しがた通り過ぎた一角のうちの一軒が志倉家である。俺と桂木以外に車を見ておいてくれる人間はいないため、事前に聞いておいた近所の駐車場に車を止めた。  桂木とそろって車を降りると、朝の通勤時間帯を過ぎた町並みはとても静かで、どこかで鳴いた鳥の鳴き声だけが空寒く響いた。  歩きながら、俺は目前にある羽山を見上げた。小さい山だが、正三角形に近いきれいな形をしている。ただそれだけなのに、妙に目を引き付ける引力のある山だった。ふと横を見ると、桂木も同じように、じっと山を振り仰いでいた。  志倉家を訪問すると、直輝の母親、由美が出迎えてくれた。第一印象は、まるで柳の木みたいだ、というものだった。背が高くすらりとしているが、憔悴しきった顔を隠すようにうつむけて、自信なさげに猫背で立つ姿は、ゆらゆらと揺れる柳の木を思わせるものだった。しなやかに揺れる柳の枝ぶりにあたるその腕には、大ぶりな絆創膏や包帯がまかれており、全体としてとても痛々しい風情だった。  俺はまず、自身の挨拶と桂木の紹介をする。 「朝の早い時間からすみません。私は捜査二課の吉野と申します。こちらは桂木です」 「とんでもない。この度はうちの直輝がご迷惑を……どうぞ、あがってください」  心労極まりやつれた様子の由美の後について、家の中に通される。ふと、由美の髪の毛がするりとたなびいたように見えて、後ろにいた俺はとっさに身をそらした。自分では、突然たなびいた髪の毛をよけたつもりだったのだが。 (……ん?)  目の前に、つー、と流れていくものは、濃い灰色の煙のようなものだった。じっとその軌跡を目線でたどると、斜め後ろにいた桂木と目が合う。桂木が「前をみろ」とばかりに指でジェスチャーをして見せたので、慌てて由美の後を追った。 「こちらへどうぞ。お茶を持ってきますので、」 「あ、ありがとうございます」  そう言って背を向ける由美の背中を追うように、また灰色の煙がたなびいていた。線香の煙の細さにも似ているが、線香をたいているような匂いはしない。勧められた座布団に座りながら、その煙から目を離さない俺に、桂木が由美に聞こえないよう低い声で言う。 「落ち込んでいる人や疲れている人に、たまに見えるんですよ。よどみというか瘴気というか……オーラみたいなものですかね」 「あ、やっぱり桂木さんも見えてたんですね」  俺もささやき声で返した。桂木は空気中に溶けて薄くなりつつある煙を見ながら言う。 「相当落ち込んでいるので、悪いものを寄せやすい状態になっているんだと思います。無理もないとは思いますが……」 「悪いものって……なんかやばいことになったりします?」 「そこまで重大な状態ではないです。せいぜい頭痛、めまい、吐き気、あとは落ち込みなどでしょうか。今回の事件のショックが薄れていけば、そのうち自然と良くなりますよ」 「……ならいいんですが」  廊下を歩く摺り足の音が聞こえてきて、俺と桂木は口をつぐんだ。由美はうつむいたまま湯呑を置くと、向かいに座った。  ここに来る前に、今日の聞き込みでの役割分担を決めていた。質問し、話を進めるのは俺、桂木は俺のフォローに回る。怪異関係の捜査初心者の俺が情報を俺が集め、経験者の桂木が推理するという体制だ。俺はちらりと桂木を見て、由美に向き直る。恐縮するように縮こまっている由美は、まるで全世界に対して「私がすべて悪いのです」と言わんばかりに、全身で申し訳なさを表していた。  そんな由美に、ゆっくりと控えめに声をかける。 「……いろいろと大変な時期に、お時間を作っていただいてありがとうございます。そんなにお時間は取らせませんので、今回のことについてお聞かせいただいてもよろしいですか、」 「いえ……大丈夫です……」  肩をこわばらせ、由美はテーブルの上で指をきつく絡ませた。言葉とは裏腹に、言葉ひとつ絞り出すのにも苦労していそうだ。これから聞かなければいけない内容は、もしかしたら由美にとって負担になるかもしれない。できる限り手早く終わらせたいものだ。

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