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  「それでは、ここ最近の直輝さんの様子について、聞かせてくださいますか」 「様子、というと……」  茫洋とした様子でおうむ返しに問いかけてくる由美に、静かに答える。 「例えば、ここ最近変わったこととかはありませんでしたか?」 「変わったこと、そうですね……なんだか機嫌が悪いような気はしていましたが」 「それは、理由は?」  由美は苦いものをかみしめるように、眉をひそめて目を閉じる。 「……嫌な夢を見る、と言っていました。寝ても疲れが取れなくて、寝ているのに寝不足みたいだ、と」  はぁっ、と、痛みを耐えるような勢いのあるため息を由美はついた。そしてさらに深く顔を俯かせる。その軌道に合わせて、後頭部からゆらりと灰色の煙がたなびいた。 「すみません、直輝、きっと眠れなくて、ストレスであんなこと……」 「直輝さんは、その夢について、どんな内容だと言っていました?」  桂木が唐突に口をはさんだ。その声に由美がはっと顔を上げる。無遠慮ともいえるタイミングであったが、それはまるで、由美が自責の念に捕らわれそうになるのを邪魔したかのようだった。  由美は戸惑いながらも、小首をかしげて何かを思い出そうとしている。 「確か、知らないおじいさんとおばあさんが大勢出てくると言っていました。自分が寝ていると、どこからともなくその人たちがやってきて、布団の周りを囲むように立つのだそうです。そして、自分をじっと見つめて、山へ行くように言うのだと。それが、毎晩毎晩続くといっていました」 「なるほど、直輝さんが警察に話してくれた内容と、一致しますね」  由美が恥じ入るようにまたうつむく。つむじが見えるほどうつむくものだから、まるでつむじに向かって話しかけているような光景だった。 「直輝さんがその夢を見るようになったのは、いつごろか分りますか?」 「……さあ、1週間か、いえ、もっと前だったかと思います」 「体調が悪くなるほどの悪夢ということですが、何かその夢を見る原因になりそうなものに、心当たりはありますか? 老人や、”山”に関係することで?」  桂木がそっと“山”という単語を交えながら聞くと、由美がもう一度顔を上げた。「そういえば」と呟くように由美が言う。 「最近、家出事件がありましたね。直輝と同年代の子で、山の周りで見つかって、そのまま入院してしまったって……」  それは、野辺町で起きた行方不明事件の一人目の失踪者のことだった。直輝と同じ高校生の少女だが、通っている高校は違い、直輝との交遊関係はない。  由美は自分の額を軽く指で押さえながら、何かを耐えるように瞼を伏せる。 「……直輝が悪いことをしたのは、分かっています。でも、きっと何か……いえ、私が気づいてあげられれば良かったんですが……何か悩みがあったんです。きっと。私……すみません、ちょっと……」  由美は言うと、まるで座っていられないという風に畳に手をついた。俺は慌てて立ち上がり、テーブルを迂回して由美の横に行く。手を差し伸べようとして、大丈夫と言うように手のひらで制された。  瞼を覆う手のひらの舌で、血色の悪い唇が皮肉気に笑う。 「ずっと直輝の言っていたことを考えていたからでしょうね。直輝の言っていた夢と同じような夢を昨日見たんです。おじいさんとおばあさんが、山へ行け、っていう夢」  俺ははっとした。素早く桂木と目線を交わす。由美は相変わらず、手をついて体を支えながら自嘲するように笑った。 「直輝とおんなじ、同じように苦しめってことなんでしょうかね……直輝を助けてあげられなかった私への……」 「由美さん、そんな…………っ!?」  改めて由美に向き直って、ぎょっとした。線香ほどの細さだったあの煙が、由美の頭や体のいたるところからしゅうしゅうとあふれている。もはや線香という細さではなく、とぐろを巻くように由美を取り込むそれは、まるで黒い雨雲のようだった。  俯いている由美に気が付かれないように、わたわたと慌てて桂木を見ると、ジェスチャーで「黙って、離れろ」と指示された。  俺は途方に暮れて一度、由美を見下ろし、それからそっと声をかけた。 「……あまり、その、自分を責めすぎないでくださいね」  言ってから激しく後悔した。陳腐な台詞だ。直輝と由美について昨日知ったばかりの部外者の俺が、何を偉そうに。言わないほうが良かったかもしれない。  目の前にこんなに打ちひしがれている人がいて、何かせざるを得なかった。だが、由美の心情を知らないまま、うわべだけの言葉をかけても意味はなかった。俺は諦めて、由美のそばを離れた。  元の場所に戻った俺を、桂木が見ていた。今この瞬間は、桂木の目元が見えないことに感謝した。どんな目で見られているのか、呆れか詰責か、それを知るのが怖い。 「……志倉さん、本日はありがとうございました。私たちはこれで、失礼させていただきます」  桂木がすらすらと辞去の挨拶を述べ、立ち上がる。俺もテーブルの上に開いたままにしていたメモ帳をしまい、後に続く。由美は取り巻く煙の中で顔を上げ、こちらこそ、とか何とか小さな声でつぶやいた。  俺と桂木は志倉家の廊下を抜ける。途中で、見送りは結構ですと断ったが、由美は小さく首を振った。 「いえ、お見送りします。……ついでに、外の空気を吸いたくて、」  疲れたように笑った顔は、濃さを増した煙にさえぎられ、半分しか見えなかった。  玄関の扉をくぐり、外へと出ると、門扉までのわずかな距離を玄関先で由美が見送ってくれる。小さく頭を下げて歩き出そうとしたときに、妙にやかましい鳥がバサバサと俺たちの頭上を飛び去った。  その音に、俺たち三人はそろって、鳥の飛び去った方向を見やる。空には5、6羽ほどの黒い鳥の影があった。  ぼうっと空を眺めていると、同じく空を眺めていた由美に、桂木が奇妙なことを問いかけた。 「……つかぬことをお伺いしますが、ここ最近、この辺でお葬式はありましたか?」  虚を突かれたのは、俺も由美も同じだったようだ。由美が困惑した表情で桂木を見ている。しかし、桂木がさも何事もなかったかのように返答を待っているのを見て、由美は戸惑いつつ口を開いた。 「い、いえ。ここ最近はお葬式はなかったと思います……。少なくとも、私の知人や、この近所ではなかったかと」 「そうですか、ありがとうございます」  桂木はあっさりそういうと、お邪魔しましたと丁寧に頭を下げた。俺もそれにならって頭を下げる。由美は不思議なものを見るような表情で、頭を下げ返した。  志倉家の門扉を抜け、車を置いた駐車場へ向かいながら、俺は桂木に問いかけた。 「さっきの、葬式がどう、とかいう話は、何か意味があるんですか?」  今回の聞き込みで聞きたいことは、大まかではあるが、昨日の打ち合わせで決めておいた。その中に、葬式に関する事項はなかった。あの時、とっさに桂木が葬式について聞こうと思った何かがあるに違いない。  前回の事件の時は、俺が何か知りたいことがあっても、桂木ははぐらかして教えてくれないことが多かった。だが今は違う。そう思って問いかけたのだが、桂木の返答ははっきりしないものだった。 「ちょっと気になったので……大したことではないのですが、」  桂木は明らかに言いたくなさそうだった。  しかし、俺がまるで責め立てるようにじっと見つめていることに気が付き、はぁ、と一つため息をつく。 「……今の時点では情報が少なくて、確証が持てないんです。憶測でものを言って、先入観を持ってしまいたくない。……だからもう少し待ってもらえますか?」  確かに、確実でない情報で捜査が偏ってしまうことは避けたい。以前のようにやみくもに秘匿されているわけではないということがわかったため、俺はしぶしぶ納得した。  桂木は情報不足だと言った。確かに、聞き込み一件目で確証が持てる情報なんて、そうないだろう。 「……わかりました。じゃあ、次の聞き込み行きましょうか」  そう言って車のキーを解除すると、二人そろって車に乗り込んだ。  -

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