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06

   志倉家の次は、行方不明事件の当事者への聞き込みを行う手筈だった。  失踪し、ほどなく見つかった行方不明者は、全部で6人。  一人目は高校生である高橋葵、8日に失踪し、11日に発見された。現在は入院中である。  二人目は、会社員の近藤晴彦。一人目の高橋葵が発見される前日、10日に失踪し、12日に見つかった。  三人目は大野木藤枝。主婦である。11日に失踪し、13日に見つかった。  四人目は目黒勝司。野辺町で親子二代で蕎麦屋を営んでいる。彼は14日の早朝に失踪し、同日の深夜に連れ戻された。  五人目は桃井正。会社員で、彼も現在、病院へ入院中である。15日に失踪し、18日に発見された。  最後、六人目は安藤和樹。彼も会社員で、17日失踪、19日発見だ。  一人目の高橋葵、そして五人目の桃井正は精神科病棟へ入院しているが、他の失踪者はみな自宅に戻っている。  聞けば、会社勤めをしていた失踪人はみな、現在は自宅療養や長期休みを取っているらしい。したがって、入院していない当事者全員に直接話を聞ける可能性が高い。  入院中の高橋と桃井には、話を聞くことができるかどうか、病院と調整中だ。しかしその家族になら、今日中に聞き込みができるかもしれない。  住宅街の中でも、古めかしいアパートが立ち並ぶ一角を車でゆっくりと走る。そのうちの一つ、二階建てのアパートの駐車場に車を止めた。  ここが、二件目の行方不明事件で失踪した、近藤晴彦の住まうアパートである。  尋ねていったアパートから出てきた近藤は、怯えたような目つきで俺と、その手に持つ身分証を見比べた。 「この間の、近藤さんが行方不明になった時のことについて、もう少しお伺いしたくて。今お時間よろしいですか?」  よろしいですか? と聞きつつ、ずいと体を寄せる。近藤はのけぞるように一歩引いた。とどめを刺すようににっこり笑う。 「お時間取らせませんから。玄関先でかまいません」 「わ、分かったから……。近所が気になるんで、玄関の中でもいいですか? 狭いですけど」  ええ、もちろん。と頷いて、近藤がおずおず開いた扉から素早く体を滑り込ませた。間髪入れず桂木も後に続く。そして近藤がバタンと扉を閉めた。  ワンルームと思しきアパートの玄関はとても狭い。男二人が並んで立っていると、それだけで満杯だ。桂木は上背もあるため、縦も横もとても窮屈そうにしている。表情は上半分が隠れて見えないが、口元がへの字になっているのはわかった。  近藤は自分だけ上がり框に立ち、玄関に立つ俺たちと向き合った。黒いスウェットを着て、頭は寝乱れたように癖がついている。彼の背中越しに見える室内には、つい先ほどまで寝ていたとわかる乱れた布団が敷かれていた。  近藤は現在、勤めていた会社を休み、自宅療養をしているらしい。行方不明事件以来、慢性的な体調不良を訴えているのだそうだ。 「それで、どんな用ですか」 「お聞きしたいのは、近藤さんが行方不明になった当時の状況についてです。近藤さんが行方不明とされたのは10日の夕方ごろ。なので、前日の9日からごろの様子から、お話いただけますか?」 「え? で、でも、その時の証言なんて、そんな、俺は何も覚えてないし……だいたい、最初に聞いた内容じゃ、駄目なんですか? 俺、駐在さんに話しましたよ?」  近藤は最初は不安そうに、そして徐々に不機嫌そうになって言いつのった。  近藤は初期の行方不明者で、まだ野辺町付近での行方不明者が目立ち始める前だった。事情聴取をした駐在は、ただの家出だと思っておざなりにしか事情を聞かなかったようだ。  それに彼は、失踪当時のことをあまり覚えていないと供述している。きっとそんな言い分を真面目に受け取ってもらえなかったのだろう。  自身ですら何も覚えていなくて不安だったのに、まるで悪いことをしたかのように警察に聞き取りをされたわけだ。その時のことを思い出して、怒り出すのも仕方がない。 「……ええ。ただ、駐在に勤務しているものでは何か聞き逃してしまったこともあるかもしれません。きちんとお話を聞かせていただきますから、もう一度ご説明いただけますか? 本当に、覚えている範囲で結構なので」  結局、俺は困ったような笑顔を顔に張り付けたまま、下手に出てお願いしてみた。これでだめなら、少々強めの対応が必要かもしれない。下瞼を持ち上げるように、にこやかに細らせた目の奥からじっと近藤を見つめ、そんなことを考えた。  近藤はどうも、警察などの国家権力を信用しないタイプの人間に見える。かといって、当の警察相手に強気に出る度胸はない。こちらが温和に接してそれで済むのなら、そのほうがいい。  しかして近藤は、こちらの思惑の通り、しぶしぶと言った様子で当時の状況を話してくれた。 「9日の様子……からですね? ええ確かに、俺が覚えてるのは9日の夜までですよ。親からは、お前のところを10日に尋ねていったらもぬけの殻だった、なんて言われましたが、俺は10日に何をしてたかなんて、本当に覚えていないんです」  近藤はいつものように会社へ出勤し、残業をして帰り、家で食事をして、いつものように寝たのだという。つまり、行方不明直前まで、なんの変化もなく、いつも通りの日常を送っていたわけだ。 「いつも通り寝て、そんで次に起きたら、なぜか外に寝っ転がってたんです。誰だか知らない人が俺の周りに立ってて、俺のことを覗き込んでました。それから、よくわからないまま交番に連れていかれて、俺がずっと行方不明だったって知ったんです」  交番についた時、近藤は薄汚れた寝巻のままで、足元はかろうじて靴を履いていたものの、スニーカーは泥だらけだったらしい。また、本人が今しがた話してくれた通り、交番でも、「自分は何も覚えていない」と話していた。  もっとも、駐在はこれを信じなかったようだが。 「寝て、起きたら3日後の12日だったわけですが、その間何をしていたか、まったくわかりませんか? 寝ていたというなら、例えば夢などは見なかったんでしょうか」 「うーん……。夢を見ていたような気はするんですが、俺、いつも起きると夢の内容忘れちゃうんですよね……」  行方不明になっている者の何人かは、失踪しているときのことを覚えていると証言している。しかし、近藤のこの様子を見た限りでは、本当は覚えているのに隠している、ということもなさそうだった。 「以前からそういう……寝ている間に歩き回ってしまう症状はありましたか?」 「いやまったく……そりゃ、最近めちゃくちゃ寝不足でしたし、体調もあんまりよくなかったですけど。……いや、つかそのせいですかね?」  寝不足、というワードが近藤の口から飛び出した。平静を装って質問を重ねる。 「寝不足と言ってましたが、眠れなかったんですか、いつ頃から?」 「眠れはするんです。……ということは寝不足では、ないのかな。寝ても寝ても、疲れが取れないというか、寝て起きた後、どっと疲れているんです。だいたい、今月入ってからくらいですかねぇ……」  近藤の話からは、どうしても志倉直樹の事件前の様子を連想させる。由香の話では、事件の1週間前ほどから、直樹は悪夢のせいで寝ても疲れが取れないと言っていたらしい。  まだそうと確実に決まったわけではないが、この後の聞き込みで得た情報と合わせれば、何かの意味を持つかもしれない。 「最後に、最近なんでもいいので気になったこととかはありませんか?」  そう聞くと近藤は「特に何も……」とそっけなく答えた。もともと、事件当時の調書からも、近藤が事件のことを何も覚えていないということは知っていた。失踪する直前に、特に変わったことは何もなかったということ、そして最近、寝ても疲れが取れなかったということ。この二つがわかっただけで十分な収穫ではある。  聞き込みを切り上げようとしたとき、急に桂木が割り込んできた。 「この辺で、最近葬儀が執り行われた家はありませんか?」 「は? 葬儀ってお葬式?」  急に喋った桂木に面食らったようだったが、上背のある桂木が無言で返答を待っているのを見て、気圧されたように小さく「な、無いですけど……」と答えた。それに満足したのか、桂木は小さく礼を言って一歩下がった。これで質問は終わりだ、とでも言うように。  俺はごまかすようににっこりと笑顔を浮かべ、何事もなかったかのように聞き込みの終了を告げた。 「ご協力、ありがとうございました。お休みのところ、お邪魔してすみませんでした」  それでは、と軽く礼をして踵を返す。早いもので桂木はすでに扉を開け、するりと廊下へ出ていた。  それに続いて玄関の外へ足を踏み出した時、背後からおもねるような声が聞こえてきた。 「……あー、あのー、これ、いったい何のための聴取だったんですかね?」  振り向いて見た近藤の顔は、わずかな好奇心をのぞかせる瞳で、へらっと笑っていた。だから俺も、にっこりと笑い返した。これ以上聞かないでくださいね、という断固とした笑顔だ。  地域課時代に自然と身についた、「言うことを聞かない困った人たち」を相手にするときに見せる顔だ。はたから見たら穏やかに見えるけど、目が全然笑っていない。そして有無を言わせない迫力がある。 「あなたの行方不明事件について、二、三確認したいことがあったので、そのためですよ」  近藤は、はあ、そうですか……としおらしく扉の奥に引っ込んだ。  俺と桂木はもう一度、慇懃に礼をして、近藤宅の扉が閉まるのを見届けた。  そしてアパートの階段を下り、駐車場へ出た段階で、ようやく盗み聞きされる心配がないと判断して、桂木に話しかけた。 「……い、いきなりびっくりしましたよ。葬儀の話、聞くんだったら俺が担当します」  少し咎めるような口調で言うと、桂木は何かに驚いているように俺を振り返った。  瞳の動きは見えないものの、何となく、まじまじと見つめられていることはわかる。 「…………吉野さんは、……いえ」桂木は何かを言いかけ、ふっと口を閉ざす。そして言った。「さっきは失礼しました。では、葬儀についても聞き込みをお願いします」 「え、あ、ちょっと」  何を言いかけたか聞き出したかったが、桂木はさっさと車の助手席に乗り込んでしまった。運転席に乗り込むと、桂木は資料を広げて何か書き込みをしており、先ほど言いかけたことについてわざわざ問いかけるのは憚られた。  釈然としなかったものの、俺は疑問を飲み込み、「次の場所、向かいますね」とエンジンをかけた。 -

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