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07

 次に訪れたのは、商店の立ち並ぶ通りに店を構えた、一軒の蕎麦屋だった。暖簾はまだ出ていないが、店の側面に配置された換気扇は、ごうごうと唸りを上げ美味しそうなお出汁の匂いを排出し続けている。  店の入り口からお邪魔し、自分たちの肩書と用向きを告げると、出迎えてくれた初老の女性は丁寧に俺たちを店の奥へと連れて行った。  店舗入り口から地続きになったテーブル席と、少し奥まったところに広い座敷席が設けてある。俺と桂木が案内されたのは、厨房入り口がすぐ横にあるテーブル席だった。着席して間を置かず、厨房と店舗を分ける暖簾をかき分けて、がっしりした体格の男性が現れた。彼が目黒勝司、4人目の行方不明者だ。野辺町で代々続くこの蕎麦屋の2代目として働いている。  ぺこり、と頭を下げる彼に頭を下げ返すと、彼は近くの椅子を引き寄せ、俺たちの座るテーブルの傍らに腰かけた。 「開店前のお忙しいところすみません。すぐに済ませますので」 「まだ時間はあるので平気です。開店は12時なので」  そうはいっても、昼を前にした飲食店の忙しさは相当なものだろう。特に、目黒はこの小さな蕎麦屋の主戦力だ。先代である目黒勝司の父親はすでに60近い。できるだけ手早く済ませよう。 「今日は、目黒さんが行方不明になった当時のことを教えていただきたくて、お伺いしました。14日の早朝にご実家を出て行ったそうですが、その朝の出来事から、目黒さんが見つかった時まで、覚えていることをお聞かせ願えませんか?」  目黒もまた、戸惑ったような表情を見せた。彼もまた、行方不明の最中に寝ていた、又は夢を見ていたと証言している一人だ。俺は、それでもかまわないから、と再度目黒に頼み込んだ。 「は、はぁ……変なこと聞くんですね。まあいいですけど」目黒は首を傾げながら口を開く。「夢のことを知ってるなら、そこから話したほうが早いですね。俺は13日の深夜に布団に入って、ずっと眠っていました。その間、いやな夢を見ていて……たくさんの爺さん婆さんに責められる夢です。親父やお袋じゃないですよ。全然知らない人です」  言いながら、目黒はちらりと厨房を見る。厨房からは人の動き回る音がしていて、時折ぼそぼそと「誰だ」「警察の……」などと言う男女の声が聞こえてくる。  目黒はこちらに向き直り、何事もなかったかのように続ける。 「この夢、実はしばらく前から何度か見ていたような気がするんですよね。ぼんやりとしか思い出せませんが。……でもその日見た夢ははっきりと覚えていました。だから今でもこんな風に話すことができます。……で、その夢を見始めてどのくらい時間が経ったのかわかりませんが、ふっと目が覚めて、目を開けたら夜の山の中に突っ立っていました」  目黒は、発見された当時、山の付近にいたところを保護されたという。本人が目覚めたときにはまだ山の中にいたらしい。発見された時刻は深夜だ。山の中にいたのでは、自分の足元もよく見えなかったのではないか。  案の定、近藤は目を覚ましたその瞬間、周囲の暗さに相当肝を潰したらしい。 「自分がどこにいるのかもわからなかったし、周りは暗いし、パニックになりかけました。その後、自分がなだらかな斜面にいるのはわかっていたので、とりあえずゆっくり下って行ったんです。そうしたら、遠くに明かりが見えたので、そちらに向かって進んでいったら、山の近くの道路に出ました。その時点でもう疲れ果ててしまって、街頭の下で休んでいたら、本当に偶然、親父の車が通ったんです。一日中探し回っていたとかで。その後、警察にも相談していたと聞いて、警察にも行って事情説明をしました。警察の人は胡散臭そうな顔してましたね。俺が夢遊病なんじゃないかって疑っているようでした」  目黒がしゃべっている最中からちらちらと暖簾の奥からこちらを伺っていた女性が、そこで意を決したように暖簾をめくって現れた。そして必死に絞り出した声で俺に訴えかける。 「この子、まだ暗い早朝のうちからバタバタ家を出て行って、止める間もなくどっかに行っちゃったんですよ。しかも寝巻のまま。そんで、山のあたりをふらふらしてたっていうんだから、何にも、犯罪に関わるようなことはしちゃいません。夢遊病ですよ、病気。ドラッグとかも絶対、やってないです。毎日毎日、仕事と私たちの世話で忙しいのに、そんな暇ないんですよ」  小ぶりな目が目黒とよく似ている顔をずいと近づけられ、懇願するようにまくしたてられる。どうやら警察が話を聞きに来たことで、息子が良からぬ疑いをかけられているのではないかと心配になったようだ。 「私たちはただ、目黒さんにお話を聞きに来ただけです。目黒さんには何も疑わしいところはないとわかっていますから」 「そう? ……そうなの? 本当に?」 「大丈夫だよ、お袋。ほら、心配ないから、準備頼むよ」  不安そうに俺と桂木、そして目黒の顔を順繰りに見つめ、女性はぎゅっと手を握ると暖簾の奥に消えていった。  その背を見送り、目黒はため息をつく。 「すみません、お袋は最近心配性で。ちょっと前に親父がぶっ倒れたもんで、そのすぐ後に俺が行方不明になんかなったから、気持ちが高ぶってるんです。しかも、最近物騒な事件も起きたでしょう?」  物騒な事件、というのが志倉直樹の事件だということは、想像がついた。この小さな野辺町で起きたショッキングな事件は、報道では大きく取り上げられなくとも、住人たちのうわさによって十分にこの町に浸透していた。 「……そうですか。ほかに、行方不明の当時の状況について、気づいたことはありませんか?」  目黒は目を伏せて首を振る。「特には、何も無いです」 「そうですか……。つかぬことをお伺いしますが、この辺で最近、お葬式ってありましたか?」  唐突な質問に目黒は訝し気な顔をしつつ、これにも首を振った。どうやらここで聞けることはもう底をついたようだ。  開店時間も迫っている。俺と桂木は席を立ち、目黒に礼を言って蕎麦屋を後にした。  -  3件目は、蕎麦屋からいくらも離れていないところにある、小さな一軒家だった。  小ぶりな玄関ポーチを抜け、カメラとスピーカー付きのインターホンを押すと女性の声で応答がある。カメラに見えるように身分証を掲げ、来訪意図を告げると、ほどなくして子供を抱えた女性が玄関の扉を開けて出てきた。 「あの……私が大野木藤枝です」大野木は、自身にしがみつく子供を難儀そうに抱え直す。「すみません、目が離せない子供がいるもので、中でいいですか?」 「もちろんです。お邪魔してすみません」  通されたのは、居間と思しきフローリングの一室だった。部屋の隅にベビーベッドが備え付けられている。そして、中央に置かれたローテーブルとソファの周囲に、子供用のおもちゃが点々と散らばっていた。  大野木は、「すみません」と言いながら慌ただしくおもちゃを拾い、部屋の隅にある箱にしまっていく。その間も子供を抱えたままだったので、見ていられず俺と桂木もおもちゃ拾いに参加した。 「すみません、上の子がぐずっちゃって、手が回らなくて……。いつもならうちの親が子供の面倒を見てくれるんですが、今日はちょっと出払っているんですよ」  言いながら大野木は手を止めず、おもちゃを拾い終えると早足ベビーベッドに向かい、赤ん坊にかけられているタオルケットを手早く直した。何気なくベッドの中を見ると、目をきゅっと閉じ、握った手をバンザイするような姿勢で赤ん坊が眠っている。  ソファに座れるくらいに部屋が片付くと、俺と桂木、そして子供を抱えた大野木はソファ対面に腰かけた。どうしても子供が大野木のそばを離れたくないという。子供はくりくりとした目で警戒するように俺と桂木を睨みつけていた。  インターホンでも簡単に伝えたが、改めて今日の来訪意図を説明する。行方不明になった当時の前後の状況や、行方不明になっていた間のことについて、覚えていることはないか、と。  一瞬、不安そうな、怪訝そうな顔をするのは、今日ここに来るまでに聞き込みをした人たちと同じ反応だった。“夢を見ていた”、もしくは“眠っていた”時のことを詳しく話せと言われても、ピンとこないとは思う。  事件の詳細な記録のため、当事者の発言もちゃんと記録しておきたいから、と説き伏せて、何とか大野木の疑惑を和らげることができた。 (この後も怪しげな聞き取りをしなきゃいけないと思うと、気が滅入るな……)  内心ちょっとうんざりしながら、大野木が話始めた証言に集中するよう、ペンとメモ帳を構えた。 「ええっと、私が行方不明になっていた……と後から聞いた二日間ですが、正直まともな記憶がありません。夫や周りの人からは『家出したのか?』なんてとても心配されましたけど、私からしたら意味の分からないことでした。いつものように寝て、ちょっと夢を見て起きたら、いつの間にか家を抜け出していた上に二日も経っていたんですから」 「二日間の間の記憶は、まったくないんですか?」  耳元のほつれた髪を耳にかけ直しながら、大野木は思案する。それからこちらを伺うように、そっと上目遣いで口を開いた。 「私、その間ずっと夢を見ていたんです。少なくとも、私はずっとそう思っていました。自分が山の中を歩いている夢なんですが、時間の経過も、昼か夜かもわかりませんでした。その夢の中で私は、これは夢だとわかっていて、『ここ数日変な夢を見ていたせいで、こんな夢を見ているんだろうな』と考えていたんです。……えっと、どういうことかと言いますと」  大野木は数日前から、誰かから『山へ行け』と言われ続ける夢をよく見ていたのだという。声はすれども姿は見えず、ただ声の種類が豊富だったため、たくさんの人がそう言っているのだと感じたらしい。大野木は、その妙に印象に残る夢がずっと心に引っ掛かっており、だからとうとう夢の中で山に行くことになったんだ、と思ったのだそうだ。  しかし、目が覚めた後、実際に自身が山の近くの道を歩いていたところを保護されたと聞いて、あれは夢ではなかったのかもしれないと思ったらしい。  整理すると、大野木も、「山へ行け」と命令される夢は見ていた。そして失踪中、山を歩く夢を見ていたと本人は思っていたが、実際に山を歩いた記憶だったという可能性が高い、ということか。  前の二人と比べ、失踪中は眠っていて保護される前後に目を覚ました、というところは同じだが、眠っている間の夢の内容はそれぞれ異なっている。だが、状況証拠から見ると、どの人物も失踪中山にいた可能性は高い。  俺は最後の質問をした。 「最後に、最近気になっていることはありませんか? なんでもかまいません」  大野木は腕の中の子供をゆする。ふっと顔を上げた子供の顔を見つめながら言った。 「あの日以来……私がいなくなって以来、上の子が赤ちゃん返りしちゃって。先日まではいつも通りのこの子に戻ってきていたんですが……今日、また、ちょっとありまして、こんな風になっちゃいました」 「ちょっとあった、とは?」  腕の中の子供が、自分の話題になっていることを察したのか居心地悪そうに身じろぎする。大野木は子供を抱きしめながら言った。 「最近は子供がようやく一人で活動する気になってくれて、私と一緒に庭に出た後、一人で遊んでいたんです。私は花に水やりをしていました。そうしたら、急にこの子が泣いて走ってきて、事情を聞いたら、どうも鳥に驚かされたらしいんです。このあたりのカラスが最近ごみ漁りを覚えてしまって、しかも人をあまり怖がらないので、うっかり近づいてしまったんだと思います。きっと威嚇されたんでしょう」 「……鳥ですか」  相槌を打ったのは桂木だった。これまで喋らなかった桂木が口をきいた事をたいして気にもせず、大野木は「本当に困ったもんです」とうんざり呟いた。  最後に葬式についても尋ねてみるが、大野木は不思議そうな顔で「最近はありませんでしたが……」というばかりだった。

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