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08
4件目、安藤和樹宅では、本人が寝込んでいるため、母親が代理で聞き込みに応じてくれることとなった。
安藤は6人の中で最も新しい行方不明者である。入院はしていないと聞いていたが、どうやら行方不明後のショックで体調を崩しているらしい。
そう語る安藤の母親、留美子は、俺と桂木をダイニングに通すなり、噂好きのおばさんのテンプレートのようなしぐさで話を切り出した。
「ちょっと、一昨日のあの高校生が近所のおばさん刺したって話、本当? 怖いわねぇほんと、こんなこと、この町で初めてじゃないですか? 私がこぉんな子供のころから住んでましたけど、あんなにサイレンの音を聞いたの初めてですよ……。被害者の、あの方ね、私の通っている同好会に参加してたのよ。あ、同好会ってあれね、ダンス。あんまりお喋りしたことなかったけど、ダンスの先生なら何か知ってるかも。連絡先教えましょうか?」
「い、いえ。今回はその件とは別件でして。私たちは安藤和樹さんの行方不明の当時のことを聞きに来たんです」
あらそうなの、と少し不満げに呟いた留美子は、喋っている間も常に手を動かしており、手早く人数分のお茶を用意してくれた。……と思ったら、一つ余分に湯呑があった。留美子は俺の前にお茶を配り終えると、何も言わず部屋の奥へ向かい、開け放たれた引き戸の向こうにある和室に入っていった。和室にはテレビとちゃぶ台が置いてあり、ちゃぶ台の前には、座椅子に収まって座っている老女がいた。その老女の前にお茶を置くと、留美子がダイニングに戻ってくる。
「うちのおばあちゃんだけど、居たらまずいかしら。まあ大丈夫よね」
こちらの答えなど聞かず、留美子はいそいそとダイニングテーブルの椅子に収まった。話を脱線させないようにするのが大変そうな相手である。しかし、こちらに委縮していないのは良いことだ。
俺は改めて、安藤がいなくなった当時の様子や、行方不明前後で気になることがないかを尋ねた。途端に留美子は弾けるように喋りだした。
「あの子、ここ最近ずっと調子が悪いみたいでね。夜遅くまでゲームでもしてるんだと思ってたけど、なんか夢見が悪いー、なんて言いだして。でも、それも仕方ないかなと思うんです。あの子の会社が、ほら、ブラック企業っていうの? あれなもんでねぇ……。年を取ったおじさんおばさんにひたすらずーっと責められる夢なんですって。いやですね、きっと会社で毎日怒鳴られるからそんな夢見るんだわ。しかもストレスで夢遊病なんて、これまでこんなことなかったのに。やっぱり、春に入ったあの会社のせいよね……」
怒涛の勢いで話始めた留美子に、自分は何度相槌を打ったのだろう。
彼女の話は、要約するとこうだった。
和樹がいなくなったことに気が付いたのは、17日の朝だった。朝になって、いつものように彼を起こしに行ったら部屋がもぬけの殻だったらしい。その後、どこを探しても見つからなかったが、失踪の二日後の夕方、和樹が保護されたと連絡が入った。
山にふらふら入ろうとしている和樹を不審に思い、声を掛けたところ急に倒れてしまったため、発見者が警察と救急車を呼び、ことが発覚したらしい。和樹はパジャマのままで、泥だらけになっていたという。
「それは、大変だったんですね……。それで、和樹さんご本人は、行方不明になっていた間のことを覚えていなかったらしいですが」
「ええそう、ずっと眠っていたんですって。だから何にも記憶がないって言ってましたよ。あの後すぐ病院に行ったんですけど、なんだかはっきりわからなくて。しかも帰ってきて以来、今度は逆に眠れなくなっちゃって。昨日も一晩眠れなかったって、さっき丁度眠ったところなんですよ」
そこまで語ると、留美子の話はまた和樹の勤める会社の愚痴に戻っていった。念のため、最近気になったことがないか、葬式が行われなかったかについて尋ねてみるが、最初に話を振られた傷害事件の話に戻ってしまい、またも暴走しそうだった留美子を慌てて止める羽目になった。
「最近の気になることなんて、あの事件のこと以外ないでしょうに……お葬式? えっ、やだ、あの事件人が死んだの!?」
「ち、違います。それとは別件で、最近お葬式がなかったかどうか……」
「やぁだ驚かせないでよもう! お葬式なんて最近とんとありませんよ」
アハハ、と何がおかしいのだか笑う留美子に、どっと疲れを覚えた。これ以上聞ける話はないだろう、そう思って席を立つと、桂木がじっと、部屋の奥の老女を見ていることに気が付いた。俺も桂木に倣って居間のほうに目線を向けるが、パッと見たところ、気になるところは特にない。
だが、そんな俺たちの様子に留美子が食いついた。
「あら、おばあちゃんにも何か聞きます?」
「あ、いえ、そういう訳では……」
「でもねえ、おばあちゃんボケてるから、和樹がいなくて大騒ぎだったこともわかってるかどうか……ねぇ、おばあちゃん。和樹がいなくなった日のこと、何かわかる?」
またも留美子はこちらの話を聞かず、勝手に老女へ事件のことを問いかけた。座椅子に深く腰掛けた老女は、顔を上げてふと窓の外を見るような仕草をする。留美子がそばに寄り、背中をさすりながら顔を覗き込んだ。
「おばあちゃん、何かある?」
老女はぱく、と口を開けた。そして、ああ、という吐息のような声を漏らし、一言呟いた。
「ああ、留美子さん。おじいちゃん、きとるねぇ」
老女は、一度も窓の外から目を離さなかった。窓の外には、家の裏の藪や、隣家の塀の他に何もない。
留美子が苦笑いをしながら困惑顔の俺のもとに戻ってくる。そして俺の肩を留美子と同じくらいの高さまでグイっと引き下げて、無理やり俺の耳元でささやいた。
「……やっぱり、覚えてないみたい。おばあちゃんやっぱり相当ボケが進んでるのかしらね……おじいちゃんがもう十年以上前に死んじゃった事も覚えてないみたい。これじゃ和樹のこともきっと全然、覚えてないわねぇ」
「……は、はぁ、そうですか」
ぎこちない笑みを浮かべながら、俺は一刻も早くこの家を去りたい、と強く思っていた。これ以上、何をしでかすかわからないこの女性の相手をしていたくない。なんだか知らないが不気味な雰囲気の老女の存在も不穏だ。
そう思って玄関のほうへ踏み出しかけた俺を、騒々しい何かの音が引き留めた。振り返ると、老女の見つめる窓の外で、数羽の鳥がぎゃあぎゃあと声を立てながら飛び立っていった。
なにが面白いのか、老女はそれを見て笑っていた。
俺は手短に挨拶を述べると、引き留めたがる留美子の声を振り切り、何とか安藤家を脱した。
最後にグイっとされた肩が痛い。ぐるぐるとそちらの肩を回しながら車へ近づき、ふと桂木が立ち止まって何かを考え込んでいることに気がついた。
「桂木さん……?」
問いかけようとしたが、桂木は無言のまま歩みを再開し、さっさと、車に乗り込んでしまった。その態度に少しムッとしながらも、車内に戻るなり早々に資料をめくり始める桂木に、声をかける隙が無い。その集中力を乱してしまうのはどうにもためらわれた。結局俺は、もう一つ大きなため息をつく代わりに、桂木へぶつけたい問いかけを飲み込んだ。
せめて、今日の聞き込みがすべて終わるまで我慢しよう。この我慢も、桂木の相棒として必要なスキルの一つかもしれない。
俺はと車に乗り込むと、次の目的地に向けて車を走らせた。
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