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 昼の時間もだいぶ過ぎたころ、その辺のコンビニで適当に腹ごなしを済ませ、次の訪問先へ向かう。  ここまでで、行方不明事件の6件のうち、4件話を聞くことができた。残りの2件は、失踪した当人が入院しているため、失踪した当人の家族に話を聞くことになる。  町の中心部から外れたところをしばらく走り、到着したのは1軒の大きな家だった。立派な造りの瓦屋根付きの門があり、引違いになった格子戸が設えてある。門の柱にあるインターホンを鳴らして身分を名乗ると、まもなくしてその格子戸ががらりと開き、いかめしい顔つきの初老の男性が顔を出した。 「警察の方ですか」と男性は言外に身分証の提示を要求する。  無言で手帳を示すと、男性は手のひらで戸の内側を示し、俺たちを招き入れた。 「葵の祖父です。峰太郎と申します。申し訳ないが、玄関で構いませんかな」  峰太郎の顔からは強い警戒心が見て取れた。こちらとしては、安全に話を聞けるならば問題はない。  玉砂利と石畳の敷かれた前庭を抜け、これもまた大きな玄関に通された。高橋家はどうやら相応に裕福な家らしい。  峰太郎は失礼します、と言って上がり框に正座し、こちらに向き直る。俺は改めて、高橋葵の行方不明事件について、ご家族からも事情を聞きたいと説明した。また、病院の許可が下りれば本人にも話を聞きたい、という旨も伝える。  峰太郎は、はい、とひとつはっきり頷くと、背筋を伸ばして受け答えした。 「わかりました。孫の件ではご迷惑をおかけします。私がわかることでしたらお答えしましょう。あいにく、あれの両親は共働きでして、どちらも夜遅くまで帰ってきません。もし親に話を聞きたいなら、改めてお越しください」  峰太郎はそう前置きして、当時のことを語った。 「葵がいなくなったのに気が付いたのは8日の朝です。私どもはすぐに警察に届け出ましたが、警察の方は家出の可能性もある場合はすぐに動けないということでした。私はてっきり、葵は繁華街にいると思っていたのですが、見つかったのは野辺の羽山の近くでした。羽山の近くの道路を、何かから逃げるように叫んで走っているところを、ご近所の方に通報されて、保護されました。葵はパジャマを着たままで、片方しか靴を履いていませんでした」  峰太郎をはじめとした高橋家の人々は、当初は完全に葵の家出だと思っていたため、繁華街ばかりを探し回っていたらしい。それがなぜか、近所の山の近くで、パジャマ姿のまま、しかも錯乱した様子で見つかったものだから、すわ変質者かあるいは、と、高橋家ではかなりの騒動になったらしい。結局、担ぎ込まれた婦人科で、何事もないと診断はされたのだが、結局葵は病院からこの家へ帰ってくることはなかった。 「あの子はずっと病院でうなされていました。何か言うのですがほとんどは要領を得ず、かろうじてわかるのは、『山に何かがいて、何かを見た』ということと、『夢を見る』ということだけです」 「何か、ですか。何を見たかはわからないということですか?」 「ええ。でも、とても葵は……怖がっとります。私はやはり、頭のおかしい変質者にでもさらわれたんじゃないかと、心配です」 「夢を見る、ということについては?」  少し考えるそぶりを見せた後、峰太郎は答える。 「どうも……私は知らなかったのですが。最近ずっと夜更かしをしていると思っていたのですが、どうも葵は、その夢を見てしまうせいで、あまり眠れなかったようなのです」 「つまり、行方不明になる前から、夢見が悪くて悩んでいたということでしょうか」 「うわ言のように言うばかりなので、はっきりとはわかりませんが……そうだったように思えますな」  葵は現在、家族が見舞いに行ってもほとんど眠った状態らしい。たまに起きていても夢見ごこちと言った様子でそういった“うわ言”を言うだけなのだという。  意気消沈している目の前の男に、俺はかける言葉もなく、そうですか、とあいまいな相槌を打つことしかできなかった。  葵の失踪した当時の状況は分かった。葵も、周囲の発言からして、行方不明の間は山にいた可能性が高い。  ほかの事件との類似点は確認できた。欲を言えば、詳細について葵本人に話が聞ければよいが、それは明日以降の予定だ。 「最後にお聞きしますが、このあたりで最近、お葬式はありましたか?」 「……? いえ、ありません。なぜ、そのようなことを?」 「別件で少し情報を集めているもので。あまり気になさらず」  あいまいにぼかしながら、ちらりと桂木に目をやる。桂木も何か口をはさむそぶりは見せない。ここで聞くべきことは聞いた、ということだろう。  俺は目の前で正座する峰太郎に丁寧にお礼を言い、豪奢だがひどく静かな邸宅を後にした。  -  桃井正の生家は、先ほどの高橋家とはある意味真逆の家だった。  年季の入った古びたアパートは、長年の汚れが堆積してどこもかしこもさびれて見える。そんな侘しい室内に招き入れてくれたのは、高校生くらいの少年だった。  彼は桃井正の弟で、桃井清というらしい。桃井宅も、父親は単身赴任、母親は桃井の見舞いということで、この清しか話の聞ける人物がいなかった。 「いなくなる前も、兄はいつも通りに見えました」  勉強道具が乗ったままのテーブルをはさみ、清の話を聞く。 「兄とは部屋が同じなのでよくわかりますが、兄はここ最近ぜんぜん眠れてなかったみたいです。というか、眠りたくないからわざと寝ないようにしている節がありました。特にそれについて、俺は何も相談されてないし、たぶん母も知らないと思います」  桃井は家族のだれにも、その不眠の理由を話さなかった。その理由はおそらく、眠るとみてしまう夢のせいだろう。 「本当に唐突にいなくなって、びっくりしました。山の近くでぶっ倒れてるって聞いた時はもっとびっくりしましたけど。でも、一番ビビったのは、病院で兄貴と合った時です」  桃井は病院に連れてこられるまでも、病院に入院してからも、錯乱がひどく、手が付けられない状態だった。しきりに喚くのは決まって同じ言葉だったらしい。「俺を山に連れて行くな、山に行きたくない」。 「……お兄さんが、山で何か見たと言っているみたいだったけど、そんな話は聞いたことある?」 「……ある……あります。でも、何を見たかはわかりません。はっきり喋ってくれないし、それを聞くと怖がって会話にならないんで」  清はまるで不貞腐れる子供の用に猫背のまま、ぼそりと「もっと早く見つかっていれば、」と呟いた。それは、失踪届を出しても、特別な事情がない限り動かない警察を恨む言葉にしか聞こえなかったし、実際そうであったと思う。  清の俺たちを見る目には、明らかに恨みがこもっていた。 「……もしかしたら、明日、お兄さんに面会するかもしれないけど、その時はちゃんとこちらにも連絡すると、お母さんに言っておいてくれるかな」 「……」  清は無言で頷いた。声を出さず、全身で、「もう帰れ」と言っているようだった。  最後の質問を口にするのを一瞬ためらった。今までさんざん聞いてきたことではあったが、家族が危機に見舞われたばかりの人に対し、“葬式”と言う単語を口にするのは、少し抵抗がある。 「最後に、聞きたいんだけど……ここ最近、近所でお葬式がなかったかな?」 「……」  おずおず口にした質問だったが、清は無言で首を振るだけだった。余計な問答で時間を長引かせたくないのかもしれない。  俺たちは素直に、手早く挨拶をしておとなしくその小さな部屋から立ち去った。

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