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気分も落ち着いたところで、桂木が空気を変えるように「吉野さん」と俺に問いかける。
「―――今日の午前中、俺が、『今はまだ言えない』と言った話、覚えていますか」
「ああ、あの……」
志倉家を辞去するときに桂木がきいた妙なことか。確か、この近所で葬式があったか、とかいう質問。
桂木は組んだ指を顎の下にあて、考えるようにしながら喋る。
「正直、今の段階でも、確証を得たわけではありませんが……。俺が、ここ最近葬式がなかったか、と聞いたのは、鳥が多かったからなんです」
「鳥? 確かに、鳥がわんさかいましたけど、それが何で葬式につながるんです?」
というか、志倉家を訪れたときからもう、桂木は“鳥の怪異”に気づいていたというのか?
桂木はおもむろに、自身のスマホを取り出して俺に差し出す。その画面には、昨日見せてもらった『野辺町いまむかし』が表示されている。
「そのページの、『野辺町の昔話』っていうページを開いてください」
言われるままにスマホを受け取り、ページを表示させる。昨日は羽山に関しての記事だけ読んで、そのほかのページを見てはいなかった。だからこの『野辺町の昔話』のページも初めて見る。
「昨日お話しした羽山信仰ですが、野辺町の羽山信仰には、野辺町にしか見られない特徴があります。……そのページに書かれているように、信仰というより昔話という扱いに近いですが。……そう、そこです。『鳥の治郎兵衛』という話です」
とん、と桂木の人差し指がスマホの画面の上を指した。そこに記されていたのは、短い昔話だった。
『鳥の治郎兵衛』とは、死んでしまった治郎兵衛が、残した妻と家族を心配し、鳥の姿に変身して家族を見守り、最後には立派な神様になる、という話だった。
話の中で治郎兵衛は、家族のもとに行けるのは年に二度、という決まりを破って、迫りくる水害を警告するために家族の元へ飛んでいく。それを山の神にとがめられた治郎兵衛は、山から出ることを禁じられるが、同じく死んで鳥となった仲間と懸命に修行に励み、最後には山の神様になった。
「治郎兵衛だけでなく、鳥はみな野辺町で死んだ者。つまりご先祖様というやつです。羽山信仰は、昨日も言ったように、死んだあとの霊魂が山へと昇り、子孫を見守り続けるという信仰です。そこに、野辺町だけの特色として、死んだ霊魂が鳥に姿を変える、という要素が加わっています」
「……さっきの怪異、鳥になりましたよね」
ハッとして俺は桂木に問いかける。桂木は頷いた。
「ええ、そうですね」
「あの怪異、『山へかえして』と言っていたんです」
「……なるほど。そのこと、覚えておいてください。いったん話を進めます」
桂木が指を組み、空中を見上げる。まるでその空中に何かが書かれていて、それを読み上げているかのようだった。
「今日、野辺町に来てからやたらと鳥を見かけました。仮にその鳥が死者の霊だったとすると、なぜ今そんなに鳥が多いのか。羽山の鳥は、年に二度、お盆と正月の時に実家に帰ることを許されています。今はそのどちらの時期でもない。そのほかに鳥が野に下るのは、同胞を迎え入れる葬式の時です」
つまり、鳥が多い原因が葬儀によるものなのかを、桂木は確かめたかったということか。
しかし、どの家の人に聞いても、ここ最近周囲で葬儀が執り行われたという話は聞かなかった。つまり、鳥=祖先であれば、あの鳥たちがあんなにも町にあふれていたのには、他に理由があるということだ。
「鳥の他にここ最近野辺町で起こっているのは、行方不明事件です。彼らはみんな同じ夢を見ているものと思われます。見知らぬ年老いた男女に、山へ行けと言われ続ける夢です。そして彼らは失踪し、実際に山へ向かう。この、『見知らぬ年老いた男女』と言うのが、祖霊だったらどうでしょうか」
「……ご先祖様が夢枕に立って……みたいな事ですか?」
桂木は頷く。
「なんらかの理由で山から下りてきた祖霊、山へ誘う夢を見る人々の急増、しかも、その夢を見る人たちは今のところ野辺町出身の人のみです。祖霊の影響を受けていると考えれば、夢を見る人、見ない人の線引きが明確なのも納得できます。不確定要素が多い現状ですが、何かがあると見てもいいと思います」
「たしかに関係があるかも、ですが……そうだとして、なぜ祖霊はそんな事をしたんでしょう?」
疑問をそのまま口にすると、桂木は「それなんです」と俺のほうを振り向いた。
「先ほど、吉野さんが襲われた怪異は、『山へかえして』と言っていた。あの怪異が鳥に姿を変えたことから、祖霊であると考えると、彼が訴える『山へかえして』ほしいのはいったい何なんでしょうか。そこに、祖霊たちの一連の行動理由があるのではないでしょうか」
山へかえして。
何かを山に返還してほしいという望みだろうか。それとも、人を対象とした、“帰して”、だろうか。
なんにせよ、現時点ではわからない。では、いったい何を、どこを調べれば手掛かりはつかめるだろうか。
こういう時、普通の捜査であれば、その理由を知っていそうな人間に話を聞けばいい。当人に話を聞けなければ、当人と交流のあった周囲の人間に話を聞けばいい。
人は人と交流しないでは生活できない。大抵の場合はそうやって情報にたどり着く。単純な話だ。
だが今回の場合、理由を知っていそうな“人間”は文字通りいない。事情を知っているのは祖霊たちだけだ。
もしかしたら、事情を知る人間もいるかもしれないが、その人間を探し出すすべがない。
いったいどこにいると言うのだ。とうに死んだ人間が今何を思って行動しているか、知っている人物など。
そうなればもう、怪異に直接話を聞くしかない。だが、俺を襲ってきたあの怪異は、はたして話の通じる相手なのだろうか。
一人悶々と考え込んでいた俺に、こちらもじっと考えに沈んでいた桂木がいった。
「……明日、入院している高橋さんと桃井さんから、何か情報を得られるかもしれません。彼らは山の中で“何か”を見たと言っています。今のところ、それが何なのか不明ですが、手掛かりになるかもしれません」
「そう……ですね」
高橋と桃井の家族は、そこまで詳しく事情を知っているわけではなかった。だが、実際に失踪を体験した当人なら、何か新しい情報を持っているかもしれない。
もし彼らが情報を持っていなかったらそれはまた方法を考えなければならないだろうが、ひとまず、今の段階ではその二人に話を聞くことから始めるべきだろう。
さっきまで、怪異を相手にした聞き込みを想像してげんなりしていたので、多少気が楽になる。
前回の事件で、沼の水神や死んだ女性の幽霊相手に聞き込みをしたのは桂木だ。あれと同じことをしろと言われて上手にできる自信はない。
ある程度見通しが立ったところで、ちらりと腕にはめた時計を見る。時刻は夕方だ。聞き込みを続けようと思えばできる時間だが、再度野辺町の住宅街に戻るのは少し……いや、今の状態ではかなり、勇気がいる。
俺はそろそろと桂木に尋ねた。
「二人への聞き込みは明日にするとして、今日はこのあと、聞き込みは……」
「いえ、今日はもうやめましょう。さっきのあの様子、少し尋常ではなかったです。それに、」
桂木がこちらを振り返る。
「吉野さんは、今日はもうやめたほうがいいでしょう。俺はいいですが、あなたは少し……、怪異にとって、刺激的です」
刺激的ってなんだ? と思いつつ、ありがたい提案だったため迷わず頷いた。
そういう訳で、事件に関する聞き込みは切り上げ、情報収集は明日以降の聞き込みで行うこととなった。
だが、その目論見は翌日、当人たちの精神状態・健康状態が聞き込みに耐えうるものではないという病院からの連絡で、見事に外れることとなってしまう。
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