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病院の待合室で、俺と桂木は所在なさげに立ちすくむ。
先ほど医師が俺たちのもとにやってきて言うには、高橋葵は昨日の夜からずっと眠ったままであり、そして桃井は事件のことに触れるとひどく動転し、話を聞くどころではない精神状態で、聞き込みなどとても許可でいないということだった。
この聞き込みで何か一連の事件の手掛かりが見つかるのでは、と期待していた分、断られた衝撃は大きかった。
それでも何とかお願いできないか、当人が無理でも診察をした医師に聞き込みができないかと食い下がり、しばらくお待ちくださいとこの待合室に取り残されたのが、10分ほど前のことである。
俺はそわそわと落ち着かない様子であたりを伺う。面談が叶うかが気がかりなのではない。この体質になってから初めて訪れる“病院”と言う場所に、戦々恐々としているからだ。
さきほどから待合室の椅子の下からこちらを見ている老婆、あれは絶対に生きているものではない。なぜならその椅子の下は、子供ですらもぐりこむのが難しいほど狭いのだから。
そして先ほどから窓の外で、“気づいて”とでもいうように振られる手は、窓の下ではなく上からにょっきり生えている。どう考えてもあの位置から手を振るには、空中に浮くしかない。
「……ん―――……んん゛――」
「…………」
それから、先ほどから聞こえてくる音の割れたハミング。なぜそれは壁に背をつけているはずの俺の背後から聞こえてくるのだろう。
(俺は何も気づいてない、気づいてない……)
心の中で念仏のように唱えながら、ひたすらじっとうつむいて耐える。気づいていないという体を保つためには、何も反応してはいけない。
とはいえ、視界の端にちらちら映るそれらも、目とは違って閉じられない耳から流れ込んでくる声も、気にしないではいられない。
桂木は無言で、そんな俺の傍らに立っている。俺と同じように、何も見ていない、聞いていないふりだ。
何度も聞かされているが、桂木にはいわゆる除霊能力はない。昨日のように、怪異を力ずくで除けることはできなくもないが、それで怪異が退治できるとも限らないし、それ以上の力で仕返しをされては、下手をすれば命を落とす。
「……吉野さん、そういえば」
「……っなんでしょう」
唐突に桂木に声をかけられ、驚いて喉が詰まったような声を出してしまった。なんだかいつもよりも少し、声のトーンが明るいような気がするのは、俺の気のせいだろうか。
「昨日見てて思ったんですが、……聞き込みの、時のあれは、前原さん仕込みですか?」
「あれ、ってどれです?」
周囲の一般人に聞こえないよう、“聞き込み”のところだけ小声になり、桂木が言う。
「いえ……昨日、いろんな方に話を聞いている吉野さんを見ていて、すごく、前原さん似ていると思いまして」
「え……前原さんにですか?」
俺は目を瞠った。桂木がそんなところを見ていたというのも驚きだったが、一緒に仕事をしたこともない前原と、聞き込みの方法が似ていると言われたのは意外だった。
桂木は頷く。
「特に、笑顔で人を威嚇するところがとても、似ていますね。前原さんとはこの班に異動になるまでは一緒になったことはないと聞いていますが、」
「ええ、そうです。でも……あ、前原さんから聞いてますか、俺の家と、前原さんのこと」
前原と俺は、保護者と子供に近い関係性を持っている。桂木はもしかしたら、前相棒の前原からそのことを聞いているかもしれない。
その問いかけに、桂木は少し考えて首を振る。
「前から知っている、とは聞いてましたが、詳しくは」
「そっか……。前原さんは、俺の父親の古くからの友人なんです。だから、俺がガキだったころから前原さんにはお世話になってるんですけど、仕事では一緒になったことは無いです。俺はずっと、地域課勤務だったので」
前原は、俺が物心つくころからすでに、県警本部でバリバリに刑事をやっていたのを覚えている。俺はと言えば、多くの普通の警察官と同じく、警察学校を出て駐在勤務を経て、地域課で経験を積んでいた。
だから、本部で働く前原とは仕事が一緒になることなどなかったのだが。それでも、純粋に慕ってきた前原と、捜査の仕方が似ていると言われるのは嬉しい。特に、長年前原と組んできて、その実力を認めていた桂木に言われるのは。
「そうなんですか。お父さんも、もしかして警察官ですか?」
「ええ。前原さんは昔から、ザ・刑事、って感じでしたけど、父親は、ずっと実家の近くの駐在をやっていました。父親には申し訳ないんですが、子供心としては、父親よりも前原さんのほうがかっこよく思えていましたね」
父親がもう死んでいることは言わなかった。この手の話は、口に出すほうも出されるほうも気を使ってしまう。幸いなことに、桂木はその点について触れることはなかった。
「じゃあ、そのせいかもしれませんね。言うことを聞かない人の相手にすると、前原さんは目が糸のように細くして笑うんですが、それが妙に怖いんです。最初の古アパートに行った時の吉野さん、よく似ていましたよ」
「はは、そんな風に思ってたんですか。……ありがたいですけど、俺はまだ前原さんには到底及ばないですよ」
警察に非協力的だったり、抵抗したりする相手にあえて笑顔で接するのは、むしろ地方課勤務の時の先輩方のやり方を受け継いだものだ。物腰は柔らかく、そして容赦なく。恫喝してはかえって逆上されることも多かったためか、よほどのことがない限り、表面上は穏やかに接するように言われた。前原からは捜査上の指導は受けたことがない。
それでも、前原との類似点があると言われるのは、昔から前原の働く顔を見てきたからかもしれない。そう思うと、血縁はなくとも受け継がれているものがあるような気がして、なんだか面はゆいものがあった。
(親父も始終ニコニコしてたけど、前原さんほどの迫力はなかったからな……)
いつも笑顔で、犯罪よりも落とし物や迷子、交通指導のほうが似合う警察官だった。そんな父を尊敬していないわけではないが、早世してしまったこともあり、記憶がおぼろげだ。
確か警官を志したのも、前原のような刑事部勤務にあこがれて、だった筈だ。
……今更だけど、血のつながった父に対して、俺は結構薄情かもしれない。次のお盆にはちゃんと墓を洗って、刑事部異動(ただし公的には存在しない部署だが)の報告をしよう。
ふとしたきっかけで今年のお盆の方針を決めたところで、向こうからパタパタと、一人の医師が俺たちめがけて早足でやってきた。
「すみません! お待たせしました。―――私が、高橋さんと桃井さんを担当した医師の、宮内です」
立ち止まり、ふぅふぅと息を吐きながら汗をぬぐう宮内医師。ずれた眼鏡を直しながら、俺たちを先導するように手の平で廊下の奥を示した。
「本人たちと合えない代わりに、といいますか。彼らに問診した際の録音をもってまいりましたので、お聞きになりますよね?」
桂木と俺は顔を見合わせ、そして頷く。
「ええ、聞かせていただけるのなら、ぜひ」
「よかった! ではこちらに」
そう言われて、俺は壁から背を離して、桂木とともに医師の後を追った。
―――と、そこで気が付いた。いつからだったか、あんなに耳障りだったハミングの音が気にならなくなっていた。それに、妙に気になっていた窓の外の手も、椅子の下の老女も、いつの間にか意識の外にあった。
そして気が付く。桂木だ。桂木が話しかけてくれて、そして話に没頭しているうちに、自然とそれらが気にならなくなっていた。
(……ぜんぜん、気が付かなかった)
そっと、横を歩く桂木の横顔を盗み見る。桂木は背が高い。ピタリと横に立って桂木の顔を見ようとすると、わずかに見上げなければならない。歩く振動に合わせて、揺れる前髪からわずかにその目元が覗く。
しばらくその横顔を見て、桂木に訝しがられないうちにふい、と目をそらした。嬉しさのような恥ずかしさのような、むずむずした衝動をこらえるように口もとをへの字に曲げた。
……そうしないとなぜか、にやついてしまいそうだった。
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