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   案内された部屋には、『デイルーム2』というプレートがかかっていて、何に使用する部屋なのか漠然としていた。多目的に使われる部屋なのかもしれない。医師がそのプレートの下に、“使用中”の札を下げる。  室内には白いテーブルと軽いプラスチック製の椅子が4脚置いてある、簡素な造りになっている。俺と桂木は部屋の奥側の椅子に並んで座った。そして施錠をした宮内医師がその向かい側に腰かける。  Vネック型の白衣の胸元から取り出したのは、手のひらサイズの録音、再生が可能なICレコーダーだった。 「私に何か聞くよりも、まずはこの問診の様子をお聞きになってからのほうが、話が早いと思います。再生の前に、問診がどのような状況で行われたかだけ、補足させてください」  宮内医師はそう言うと、高橋と桃井を問診したときの状況を説明した。  まず、高橋も桃井も共通して、問診を録音したのは彼らが運び込まれてから1日が経ち、行方不明直後のショックが少し和らいだ時のものだった。  二人とも、問診を始める前までは落ち着いていたが、問診が終わった直後、高橋は深く眠ってしまい、桃井は精神が不安定になってしまった。  どちらの問診も目の前の宮内医師が行い、その場にはほかに、何かがあった時のために看護師が2名ついていた。 「ええっと……これは桃井さんの記録ですね」  宮内医師がレコーダーを再生する。さー、というノイズ音から始まり、衣擦れの音や、椅子を引く音が聞こえる。  やがて、目の前の宮内医師のものと思われる声が、レコーダーから聞こえた。 『桃井正さんですね。ご気分はいかがですか?』 『……もう嫌だ、もう……』  地を這うような唸り声とともにそう答えるのは桃井だろう。言葉の合間にひきつったような断続的な呼吸の音が聞こえる。せわしない物音が絶えず聞こえてくるのは、桃井が貧乏ゆすりでもしているせいかもしれない。  体調や睡眠、食事などのいくつかの基本的な質問が続き、ようやく話題が行方不明事件に移る。 『あなたが、行方不明になった時のことについて聞きたいのですが、』 『山にはもう行きたくない! 連れて行かないでくれ!』  ガタン、という音とともに桃井の絶叫が激しく響く。それに続いて、椅子を引いたりパタパタと歩いたり、様々な音がまじりあってレコーダーから聞こえてくる。  やがて穏やかな宮内医師の声が聞こえた。 『大丈夫、誰もあなたを連れていきませんよ』 『本当?』 『ええ。あなたは、いなくなった当時のことを思い出せますか?』  そこで一瞬、沈黙が落ちる。ホワイトノイズだけが流れる時間が数秒過ぎ、『山に連れていかれた』という呟きが聞こえた。 『山へ……大きな岩の前に連れていかれて……大きな岩の……そこに、いた。見たんだ……!』  一度落ち着いたはずの桃井だったが、一つ言葉を連ねるたびに呼吸が乱れ、声がひずんでいく。そして最後はまた、ガタン! という音にさえぎられ、怒鳴り声と物音のミックスされた音がしばらく続いた。  机をたたく音、落ち着いて、大丈夫、というなだめる声、そして喉を裂くような叫び声。すすり泣きが混じったそれは懇願する声でもあった。もう山へ連れて行かないでくれ、山へは行きたくない、という恐怖にまみれた声。  もはや文章として意味をなしていないその叫びの中で、聞きとれるのは一部の文節だけだった。 『あれはなんだ』『こわい』『掘り起こせ』『鳥』……。  桃井の問診は結局、むせび泣く声と恐怖の叫びが3分ほど続き、唐突にぷつりと音が途絶えた。  宮内医師は無言で、レコーダーを手に取る。その仕草で、桃井の問診が以上で終わりなのだと理解しwた。 「……桃井さんは、この後どうなったんですか」  想像以上の桃井の錯乱っぷりに呆然としながら尋ねる。宮内医師は言った。 「この日は結局、問診は中止し、病室に戻ってもらいました。少しでも事件について触れるとこのように錯乱状態になりますが、それ以外はとても安定しているので、今は事件の話題を避け、病室で安静にしてもらっています」 「そうですか、確かに、こんな状態では聞き込みは無理そうですね……」  桃井はよほどのショックを受けたのだろう、と宮内医師は話す。 「特に恐怖を示すのは、山の中の大きな岩の近くで見た“何か”に話題が及ぶ時です。口に出したくもないほどの恐ろしいものを見たんでしょう。それが実在するものとは思えませんが」  医師は、桃井が夢か幻覚を見たものと考えているようだった。もちろん、医師という立場ならそう考えるだろう。  隣で桂木が訪ねる。 「桃井さんは、具体的何を見たかは話していないんですね」 「ええ。まあ、あの様子では当分無理じゃないでしょうか……」  わかりました、と桂木は引き下がった。俺もひとまず、質問は後にすることにした。 「では、高橋さんの問診の様子を再生します」  医師の指が再生ボタンを押すと、先ほどと同様に、さー、というホワイトノイズが聞こえ、続いて宮内医師の声が響いた。 『高橋葵さん、今の体調はどうですか?』 『……眠い』  ささやくようなかすかな声が、医師の低い声に続いて聞こえた。 『眠い? 眠れなかったのですか?』 『……眠っても、夢の中で寝かせてくれない―――……ねむい』  いまだ、まどろみの中にいるようなスローテンポで高橋葵は問いに答える。桃井の時とは打って変わって物音一つしない。 『……あなたは、8日に居なくなったということですが、その日のことは覚えていますか?』 『……眠って、夢をみ―――ました。いつもの、夢。たくさん、人が……その中に、おじいちゃんがいて……話しました』  おじいちゃん、とは高橋の祖父―――昼間に話を聞いた、峰太郎のことだろうか。  確か、高橋の家族構成は、両親と高橋本人、そして父方の祖父、峰太郎だけだ。数年前まで同居していた父方の祖母、そして母方の祖父母はすでに鬼籍に入っている。父方は関西のほうの人間だが、確か母方は野辺町の出身だったはずだ。  隣で、丸まっていた桂木の背が伸びる。高橋の発言の中に、興味を引かれるものがあったのかもしれない。  レコーダーからは宮内医師の穏やかな問いかけが聞こえる。 『どんなことを話したんですか?』 『おじいちゃんは……みんなと一緒に、山にいる。でも、今は山にいることができないって…………』 『……それは、なぜ?』 『……山の……みさまが、暴れるから……』 『……今、なんて言ったかな?』 『……まの、か………様が、暴れるから』  聞こえてきた高橋の声の一部が聞き取れず、思わず首を傾げるようにレコーダーに耳を近づけた。  高橋の言葉に合わせて、まるでレコーダーに誰かが直接息を吹きかけているような、ぼぉう、ぼぉう、という音が被っている。宮内医師も高橋も、声の大きさは一定で、レコーダーに近づいたとは思えない。もとから近かったとしても、高橋が話そうとする、「山で暴れていた“なにか”」の名詞にだけ、音が被るのは妙なことである。  しばらく宮内医師は無言になり、何事もなかったかのように質問を再開した。 『……うん、それで、あなたのおじい様は、それからなんと?』 『……か……まが暴れるのは、ふじょ……ふじょう? が埋められているからだ、って』  高橋がいった“ふじょう”がどんな単語か一瞬わからなかったが、おそらく“不浄”だろうと思い当たった。  高橋は一呼吸分沈黙して、再度喋り始める。眠気のせいなのか、長く話し続けることができないようだった。 『だから、葵が行って、それをどけてくれ、って』 『……どける、ということは、掘り返すってことかな?』 『そう……だから、……おじいちゃんと一緒に、山に行きました』  高橋の発言の最後の一節が気にかかった。  他の人たちはみな、夢に出てくる老いた男女は“見知らぬ人”だったと言っている。また、自分の意思で山へ向かった者もいない。  高橋は、夢の中に知っている人間が出てきた。そしてその人物に連れられ、山へ“一緒に行った”という。その言い方からは、高橋が自発的に山へ向かったというニュアンスがある。  この違いは何なのか、深く考え込みそうになった俺を、レコーダーから聞こえた宮内医師の声が引き留める。 『山へ行ったのですね。それが、あなたのいなくなった日のできごとですか?』 『……た……ぶん』 『山へ行った後、あなたは何をしましたか?』  かすかな吐息の音と、今までよりも長い沈黙。無意識のうちに、俺は息をのんで耳を澄ませていた。 『……高橋さん?』 『………………大きな、岩の前に立って……―――上に、』  上に。上に、……何があったというのだろう。  さらに耳をそばだて、さらさらと流れるホワイトノイズの一粒にまで神経を集中させる。  続く沈黙に、気遣うような宮内医師の声が聞こえてきた。 『大丈夫? 辛かったら、言わなくても―――』 『虫、』 『え?』 『…………』  ……そこで、無音が続くレコーダーに手を伸ばし、宮内医師は再生停止ボタンを押した。  医師はレコーダーを回収しながら答える。 「このあと、高橋さんは一切喋ることなく、3分ほど何の問いかけにも答えず、問診は終了しました」 「……そう、ですか」

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