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彼女に何があったのか、その全貌が明らかになる前に沈黙した彼女。その唐突な幕切れに、盛大に肩透かしを食らうとともに、どこかうそ寒い思いを抱いた。最後に言った、虫、という言葉が、やけに不穏に耳に残った。
俺は疑問が渦巻く脳内はひとまず置いて、宮内医師に尋ねた。
「……今、高橋さんの容体は?」
「この問診の後から、彼女は一日の大半を眠って過ごすようになりまして……起こそうとしても、まったく起きる兆候を見せません。一通り、CTなどの脳の検査もしてみましたが、今のところ異常は見つかっておらず、原因の特定には至っていません」
今のところ、病気による妄想・幻覚という確実な診断はできていないということか。
話し手である二人の精神状態を考慮し、“普通”なら今の証言を妄想と判断するだろう。しかし、その判断をするのは俺たちの役割ではない。
今、聞いたままを真実ととらえ、整理するならば、こうなる。
桃井は何者かに、山の大きな岩の前に連れていかれ、そしてそこで、何かを見た。
要領を得ないあの記録の中で、唯一しっかりと聞き取れるのはこの部分だけである。
高橋も同様な体験をしているが、桃井とは違ってさらに詳細な内容を覚えていた。
まず、高橋はいなくなったその日、夢を見ている。その夢は、“いつもの”夢であり、いなくなった日よりも前に、同じ夢を見ていたことが伺える。
高橋は、夢の中に出てくるたくさんの人間の中に、自身の祖父を見つける。そして高橋は「“不浄”なものが埋められているせいで、何かが暴れているから、山にいることができない。その“不浄”なものを掘り起こしてほしい」という祖父の訴えを聞き、祖父と共に山へ向かう。
その後、大きな岩の前まで行ったこと、そしてそこで何かがあったことは、桃井の証言と共通する。何があったのか、もしくは見たのかは、高橋の証言でも不明であるが。
高橋の証言の中には、ほかの行方不明者とは異なる点がある。一つは、自身の身内が夢の中に出てきたことだ。
ほかの行方不明者はみな、見知らぬ人間が夢の中に出てきたというが、高橋の場合は知っている人間だった。だからこそ、会話が可能だった。
そして、高橋の祖父は、『何かが暴れているから、山にいることができない。そして何かが暴れているのは、“不浄”なものが埋められているからだ』と訴えている。
高橋の言う“おじいちゃん”が、関西出身、そして存命中の峰太郎ではなく、野辺町出身、すでに鬼籍に入っている母方の祖父なのだとしたら、これで野辺町に降りてきていた祖霊たちの行動の説明がつくのではないだろうか。
「……一つお聞きしたいのですが、高橋さんが言っている夢の中であった“おじいちゃん”は、今も家で一緒に暮らしている祖父のことでしょうか?」
「いえ、そこは私も気になって尋ねたのですが、すでに亡くなられているもう一方のおじい様だそうです。同居はしていなかったそうですが、同じ町内の別の家に住んでいて、とてもかわいがられていたそうですよ」
宮内医師の答えに、やはり、と内心頷いた。祖霊が山から下りてきたのは、山で暴れる何かから追い出されたからだったのだ。
夢を見せるのは、高橋に訴えたのと同じように、“不浄”なものを掘り起こさせ、暴れる何かを鎮めたいからなのだろう。
そうすれば、祖霊は再び山へ帰ることができるのだから。
(……つまり、その“不浄”なものを掘り起こしてしまえば、事件は解決する……?)
考えをまとめることに夢中になっていた俺は、宮内医師の遠慮がちな声に、はっと頭を上げた。
「……それで、他にお聞きになりたいことはありますか?」
「あ……。そうですね、では……」
桃井や高橋が、以前から同じような夢を見ていたという話について意見を聞くと、そのような症例もないことはないが、それだけでは何とも言えないということだった。
また、高橋の証言で一部聞き取れない部分があったことについて言及すると、宮内医師は首を傾げながらこう言った。
「ああ……そういえば、はっきりとは聞き取れませんでしたね。あまり気にしていませんでした。この後の質問のほうが本題だったので……」
レコーダーに入っているノイズも、たまたま自分が腕を動かしたとか、そんなせいでしょうね。宮内医師はそう笑っていたが、俺にはそうは思えなかった。
俺からの質問はそのぐらいだったが、そういえば桂木が口をはさんでこない。静かな隣を見ると、桂木はじっと斜め下を見て考え込んでいた。
桂木も俺と同じように、高橋の証言について考えているのだろう。ここで怪異関係の意見交換はできないから、病院を出てから話し合わなければいけない。
俺の考えが正しかったのか、桂木はどんな結論に達しているのか。
「……桂木さん?」
ふと違和感を覚えた。どこが、とか、何が、という明確な理由はない。これは不安感だろうか、でも、いったいなぜ、何が俺にそうさせるのか。
声をかけても反応のない桂木の顔を、無意識に覗き込むようにしていた。そして息をのんだ。
前髪の覆いの下、いつも腫れぼったい眼が、目じりが裂けそうなほど大きく見開かれていた。
かすかに息をつめた俺の喉音が聞こえたのだろう。さっとこちらを見た瞳は、一瞬その黒々した円を見せたあと、かすかに顎を引くことで、見事に前髪の向こうに身を潜めてしまった。
そして何事もなかったかのように桂木は受け答えをする。
「……すみません、あまりに現実離れした話だったので、少し考え込んでしまっていました」
「うーん、確かにそうかもしれませんね。でも、こういった幻覚や幻聴の類は……」
宮内医師が医学的な見解を述べているが、俺はろくすっぽ聞いていなかった。今見た桂木の反応は何だったのだろう。よほど驚くことがあったのか、意外な発見があったのかもしれない。
なんにせよ、桂木と話し合う必要がある。この証言をどう捉え、そして俺たちはどうすべきなのか。
その後、桂木からも俺からも質問が出ることはなく、付き合ってくれた医師に丁重に礼を言い、病院を後にした。
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病院に隣接する広大な広場は、もともと病院の土地の一部で、入院する患者の健康のために近年になって整備されたものだ。
曇り空の下、ぽつぽつと広い間隔を置いて設置されているベンチに座る人影はいない。周辺には広大な芝生が広がっており、キャッチボールでもしたくなるような遮蔽物のなさだ。そのさえぎるもののない空間に、6月の湿った風が吹き抜ける。
俺と桂木は、そんな閑散とした広場のベンチに腰掛ける。車の中ではなく、このような開けた場所にやってきたのは、桂木の希望だったからだ。
「……めっちゃ広いですね。ここなら、近くに人も来ないし、大丈夫でしょう」
「……ええ、そうですね」
吹き付ける風にあおられながら、ちらり、と桂木を盗み見る。先ほど感じた違和感は、今の桂木からは感じられない。きれいさっぱり、いつも通りの雰囲気だ。やはり先ほどの妙な感覚は気のせいだったのだろう。それか、たまたま一瞬、変な表情をしていたところを偶然見てしまったのだ。そう思って俺は、さて、と気持ちを切り替える。
「高橋さんの証言ですが……」
俺は、先ほど俺の考えた筋道を桂木に話した。
祖霊が山から下りてきた理由、それが山で暴れる「何か」のせいであること。そして、山にいることができなくなった祖霊が、暴れる「何か」を鎮めるために、その原因である「“不浄”なもの」を掘り起こそうと動いているのではないか、という推論を。
俺の不慣れな “怪異に関する考察”を最後まで聞き終えると、桂木はゆっくり頷いた。
「……そうですね、俺も大筋で、吉野さんと同じ考えです」
その答えに、俺は緊張させていた肩の力を抜いた。良かった、まったくの的外れという訳ではなかったらしい。
桂木は、吹き抜ける風に乱される髪を手で押さえ、ぼそりと呟く。
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