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02

 浦賀からは、桂木が参加するかどうかの話は聞いていなかった。しかし、これまでのパターンで行くと、まずは支援班に事件の詳細なデータが届き、そこでいったん事件の全容を把握してから桂木に協力を求めるという手順を取るはずだ。  つまり、今日もいつものように支援室で前原や浦賀と共に事件の情報を整理し、その後俺が桂木の事務所へ赴くものだと思っていた。  だから、俺は勢いよく開けた支援室の扉の向こうに、桂木の姿がすでにあるのを見て、思わず固まってしまった。  桂木は、一見静かにそこに座っているように見えた。しかし、そのこぶしは指を組んで固く握りしめられ、うつむいた顔はいつもよりも深く影がかかっている。そして、その組んだ指が白くなるほど桂木が手に力を込めていることに気が付き、息をのんだ。 「吉野さん、お疲れ様っす」  時間にして多分、5秒ほどしか経っていなかっただろう。浦賀の固い声で、俺は硬直をほどいた。戸惑いながら扉を後ろ手に閉め、部屋に足を踏み入れる。張り詰めた室内の空気を感じながら、ゆっくりと歩を進めた  すると、パーテーションの向こうから、なにやら書類を抱えた前原が顔を出す。俺を認めると、一瞬口の端で笑った後に「よう」と声をかけられた。 「ご苦労さん。悪いな休み中に」 「……いえ。それより、なんの事件ですか?」  既に、この部屋に満ちる緊張感から、ただ事でないことは察しがついていた。  思いがけないタイミングで桂木と対峙した戸惑いも緊張感も、この異様な空気の中ではいったん飲み込まざるを得ない。前原も、浦賀まであの能天気さを引っ込めて深刻な顔をしているのだ。  前原は、一つ短いため息をついて、手に持った書類を忌々しそうに叩く。 「ついさっき、袖引川の川原で死後何年か経った死体が見つかったんだ。それがどうも、例の深御市多重殺人事件の被害者なんじゃないかって話でな」 「なっ……、」  俺は驚愕し、とっさに桂木を振り返ってしまった。同時に、しまったと自分の失敗に気が付いたが、桂木は傍らで行われているこの会話に見向きもせず、ただ自分の足元を見つめているだけだった。 「支援班に声がかかった理由は当然、怪異がらみの事件だからだ」  言いながら、前原は俺の背後にいた浦賀を手招きする。浦賀は用意していましたとばかりに素早く飛び出し、傍らのホワイトボードにいくつかの紙を張り付けていった。  そのうちの一つ、小さい男の子の写真が貼られた調書のコピーを前原が指さす。 「死体の第一発見者はこの小学生。ざっくり言うと、この坊ちゃんは、川原に立っていた女の幽霊が、死体の埋まっている場所まで自分を連れて行ったんだと、そう証言しとるんだな」  もちろん、今捜査している連中はそんな話を信じておらず、何者かがその小学生を川原へ連れて行ったとみて手掛かりを探している。 「しかも、その坊ちゃん曰く、女は自分の死体を見つけてほしいと言ったんだそうな。死んだ女が自分の死体を見つけてほしくて呼んだわけだな。それで……」 「被害者に直接話を聞いてこいと言うことですよ」  桂木が唐突に言って立ち上がった。俺と前原はそろってそちらを振り向き、そして隠しきれない苛立ちをほとばしらせた桂木を見ることとなった。  写真を覗き込んでいた俺は中腰の姿勢のままで、ただでさえ上背のある桂木の姿を仰ぎ見るような構図になった。支援室の白々しい蛍光灯を背後に、逆光の桂木の体がゆらりと立っている。見下ろされた俺の喉がひく、とひきつった。 「殺された本人がその場にいるなら、直接自分を殺した相手のことをきけばいい話です。それよりも早く出ましょう。怪異が自らの死体の発見を望んだのなら、その願いがかなった以上、今にも消えてしまうかもしれない」  桂木の声は凍えるほど冷たく、有無を言わせない強い響きがあった。前髪の向こうから焼け付くような視線がこちらに向けられているのが痛いほどわかった。 「……それもそうだ。残りの説明は車の中で。お嬢さんが晴れて成仏する前に、話を聞かなけりゃ」  俺の背後から、前原が言葉をかける。それを聞き終えるが早いか、桂木は踵を返して部屋の扉へ向かう。前原も、一つため息をついてそれを追った。  俺もそれに続こうとしたその時、 「吉野さん! これ持ってってください」 「あ、ありがとう」  浦賀が俺を呼び留め、事件の資料と思しき数枚の紙が入ったファイルを寄越してくれた。向こうで読めと言うことだろう。そしてさらに、「気を付けて」と似合わない一言をもらい、俺は一瞬驚いて浦賀を見た。いつもよりも硬い表情の浦賀と目線を交わす。ほんの少し気まずげに、口の端を曲げている浦賀の顔を見て、ほんの少し笑って頷くと、すぐに二人の後を追った。  前原と桂木は後部座席へ、そして俺は運転席に身を滑り込ませ、車を発進させた。ここから袖引川への大まかな道は知っている。現場に近づいたら前原に誘導してもらう予定だった。  それまで、前原には事件の詳細について説明してもらわなければならない。桂木は早くも俺が手渡した資料をめくっている。  運転している以上資料は読めない。俺は運転にも気を配りつつ、できる限り前原の話に耳を傾けた。 「まず事件の経緯だ。さっきも言ったが目撃者は梶原慎吾、10歳。今日の朝4時頃に川原のすぐ横の道を通ったところ、身元不明の女性に河川敷へ連れていかれ、その場所で女性の死体を発見。家に飛んで戻って、親御さんから通報があって事件が発覚した」 「朝4時? いったい小学生がそんな時間に何してたんですか?」  思わず声を上げると前原が「それがなぁ」と声を上げる。 「学校で、『夜、袖引川に女の幽霊が出る』っていう噂があったらしくて、この坊ちゃんはそれを確かめたくて一人で川へ向かったんだたな。でも、深夜に家を抜け出す勇気は出なくて、朝の暗いうちならぎりぎり許されるんじゃないかと思ったらしい」  なるほど、妙な時間だと思ったがそんな理由があったのか。学校で噂の幽霊譚を一人で証明しに行くとは、なかなか肝の据わった小学生だ。 「見つかった死体は、死体の持ち物から身元が判明している。3年前に行方不明になった、一之宮弓枝、25歳のOLだ。死体の状態から見られる年月の感じからしても、行方不明になった当時に殺害されて、あの場所に遺棄された可能性が高いらしい」  3年前。3年前は、深御市多重殺人事件がすでに発生していたとされる時期だ。事件の“発覚”は翌年、桂木の恋人が殺害された時だったが、同一犯による犯行と思われる死体は、一之宮弓枝殺害よりも前に発見されている。つまり、発見当時はただの変死体と思われていた死体が、その後に行われた殺人と同一の犯人によって引き起こされたことが判明し、一連の多重殺人事件とみなされたわけだ。  前原が、……あえてそう保っているのかもしれないが、いつもと同じような声の調子で続ける。 「で、今朝の通報で朝から現場検証と司法解剖が行われて、まあ年月も年月だったが、運よく犯行の手掛かりが残されていた。それも、深御市多重殺人事件の犯行との関係をはっきりと示すものが」 「……それは?」  前原は一言、「ナイフだ」と言った。  一瞬、凶器が特定できたのかと思った。しかし前原はそうは言わなかった。一瞬の違和感に、反射的に「ナイフ?」と聞き返していた。 「ただのナイフじゃない。そのナイフの持ち主がな、深御市多重殺人事件の、過去の被害者の私物だったんだよ」  件の事件の……少なくとも今の時点で判明している中で、最も古い被害者の名を、目黒智也という。彼は25歳のドラッグストア店員で、趣味でナイフなどの刃物の収集をしていたらしい。  彼の身元が判明したのち、家の中を捜索したところ、家の中の金品と共にコレクションのナイフが数本失われていた。  連続殺人には大抵ナイフでつけられたような刃物の跡が見受けられたため、犯行にそのナイフを使用しているのでは  、という推測が立っていた。  そして今回、無くなった目黒のナイフリストの中に合致するものが1本、現場に残されていたのだという。 「遺体は地中の浅いところに埋められていたわけだが、その遺体の下に隠れるようにナイフがあったらしい。犯人がドジ踏んで回収し損ねたってところだろう」  ははっ、と前原は実に愉快そうに笑った。もともと、体液等々は現場にうんざりするほど残していく犯人だったが、靴跡や指紋、何らかの落とし物と言った証拠は残してこなかった。これまでとは趣の異なる証拠を得て、違った角度から光を当てることができれば、今まで見えてこなかったものが見えるかもしれない。。 「司法解剖でも、遺体が腐り落ちていなかった部分に、かろうじて歯形が認められた。まあ、これでほぼ間違いなく、今回もあの連続殺人の一件なんだろうと判断が下ったわけだ」  お決まりの食人の痕跡もそろって、いよいよ新たな被害者と認定されたわけだ。  これで、なぜ今回の一件が深御市多重殺人事件とみなされたのかは理解できた。語り終えた前原は一息ついて、ついでのように低くぼやく。 「支援班にこんなに早く依頼が来たのは、長年の未解決事件の“被害者”に、“直接話を聞く”チャンスだからだ。無茶なことを言いやがる。死んだ人間に事情聴取しろとはな」  やれやれ、と前原のついたため息は、妙に静かな車内に白々しく響いた。俺も桂木も、一言も口をきかない。  気まずい沈黙だけが車内を満たしていった。

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