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02 ※04/11 内容微修正

 桂木と、捜査協力の約束を交わしたあの日から、そろそろ三カ月が経つ。  恋人の哲生の遺体を探し求め、彼を殺した犯人を追い続けている桂木。その捜査に協力させてほしいという俺の頼みを、桂木は受け入れた。ただし、それにはリスクがあった。何があっても桂木は哲生と犯人を最優先に動く。場合によっては俺を利用する。桂木は、それでもいいのかと問うてきた。  なんとも無情な条件だったが、俺はそれでもかまわないと言った。なんであれ、桂木を見捨ててはおけなかったし、それに、犯人への復讐を望む桂木を止めたかった。  桂木は冷静沈着な性格で、見た目は不愛想だが、話してみればむしろ物腰柔らかな男だ。しかしその穏やかな気性の裏に、虚無と憎悪を抱えている。哲生と、芹沢―――桂木が犯人だと断言している人物の名前だ―――への異常な執着が渦巻いている。桂木は、哲生の遺体をすべて集め、手厚く葬る事を求めているが、それと同時に芹沢への復讐を切望している。破滅的な道を進む桂木は、このままいけば芹沢を殺すだけでなく、自分自身をも滅ぼしてしまいそうだった。それを俺が止められるかはわからない、が、放ってはおけない。  一緒に捜査していれば、いつか桂木が犯人と対峙したとき、そのそばに居て、彼を止めることができるかもしれない。もちろん、哲生の遺体を見つける手助けをしたいという気持ちもあるが、桂木が一線を越えようとするのを見過ごせない、という気持ちの方が大きかった。  そんな決意をもとに、いざ捜査の協力を……と思っていたのだが、実はこの3カ月間、俺が桂木に貢献できたことはほとんどない。  せいぜいが事件資料の横流しくらいだが、それは以前前原が行っていたもので、それを俺が担当するようになったに過ぎない。ネットの情報は宛てにならないし、聞き込みをしたところで、それは数年前に、大勢の警察官が嫌というほど繰り返したことだ。過去の資料を並べて唸ってみても、俺の頭で新しい手掛かりがひらめくとは思えない。つまり、協力と言える協力は何もできないでいた。  それでいて、俺が怪異の被害にあって困ったときには、桂木は必ず助けてくれる。時には、古めかしいまじないのようなものを用いて。時には、神社仏閣に俺を連れていくことで。そして時には、実力行使で。  今やり取りしているメッセージアプリも、履歴を遡ればそのほとんどが業務連絡か、俺のとち狂った文章でつづられた救援要請だけである。  警察はそれなりにハードな職場だ。支援室は基本的にその本来の仕事が少ないとはいえ、手が空いていれば他部署・他課の手伝いに駆り出される。そんな日々の忙しさに加え、怪異への対処にも追われる毎日の中で、俺は正直余裕がなかった。それは時間や体力の余裕というよりも精神的なもので、原因の九割は怪異のせいだと言えた。  怪異を避けるよう日頃神経を使うだけでなく、運悪く怪異と遭遇してしまった日には、様々な面で悪影響が出る。めまいや吐き気といった症状のほか、まるで生気を吸われているかのような倦怠感に襲われることもあった。体力だけには自信があった俺だが、それでも毎日かなりしんどかった。  そんな状態でもきっちり仕事を続けられていたのは、桂木の助力があったからだと思う。俺が半泣きで電話をかければ対処法を教えてくれたし、事務所に駆け込めばそれなりの対応をしてくれた。しかし、こちらが助けられてばかりで、約束したはずの事件捜査に自分はまったく貢献できていない。そんな自分に落ち込み、焦燥を感じる今日この頃だった。  眉間にしわを寄せてしばらくメッセージアプリを眺めてから、俺はのろのろとソファから身を起こし、ベッドにもぐりこんだ。  ------------------  翌日。美津と約束していた時間よりも早く、桂木は支援室を尋ねてきた。昨日連絡していた通り、こまごまとした他の所要があったからである。  桂木の捜査のため、集めるよう頼まれていた資料などもあったが、こんな事務作業はぶっちゃければ雑用でしかないし、浦賀がやった方が俺より何倍も速い。本当にこれでは、桂木の役に立つなんて夢のまた夢だな……と、ため息をつきたくなる。昨日の鬱々とした気分を引きずったまま、ため息を隠して書類を受け渡す。薄い茶封筒を受けとった桂木は、なんの感慨もなくただ「ありがとうございます」とだけ言った。  そのまま浦賀も交え、他の諸々の書類をチェックしていく。 「……それはそうと、吉野さん。この前、本部の前で大変な目にあったと言っていましたが、その後大丈夫でしたか?」 「あ~、それ、吉野さんが『本部に入れない~!』って電話くれて、めっちゃ遅刻したときの話ですか?」 「茶化すな浦賀。怖かったんだぞ! ずーっと本部の入り口の門の前にいるんだから」 「それなら通用口とか、駐車場の他の入り口から入ればよかったじゃないですか」 「行ったよ。でもいるんだよ、どの出入り口にも。走ったり、フェイントかけたりしてもいるんだよ、明らかに同一人物のおじいちゃんが。それでにやにや笑って、ずっとこっちを見てるんだ」 「敷地内を移動すれば、物理的に先回りもできるんじゃないっすか?」 「それはそれで怖い」  書類の受け渡しも終わって、そんなとりとめのない雑談をしている最中、がちゃ、という扉の音に、俺と浦賀は扉の方へ顔を向けた。  ノックもしないで入ってくるのは前原と浦賀と俺くらいしかいない。案の定、前原の幅の広い体が、扉を押し開けていた。 「すまん、待たせたな。……ほれ、入んな」 「あ、失礼します」  前原に招き入れられるように姿を現したのは、ブレザーの制服に身を包んだ少女だった。さっぱりとしたショートカットで、眉上で短めにカットされた前髪の下から、丸みをおびた目が不安そうに覗いている。彼女が、前原の孫の美津だろう。  かたわらで浦賀が立ち上がる。そしていそいそと、まだ扉の前にいる美津のもとへ向かうと、前原を無視して彼女にだけ声をかけた。 「こんにちは~! 前原さんのお孫さんの美津ちゃん? 俺、前原さんの同僚で浦賀って言います、よろしく~」 「あ、はい。よろしくお願いします」  明らかに浮足立っている浦賀の様子に少し呆れながらも、意外と動じない美津の様子に驚いた。へらへらと笑いかける浦賀に律儀にお辞儀を返している。  と、さらに美津に話しかけようとしていた浦賀の肩を前原がぞんざいに押しやった。 「お前はうるさい! しっしっ、ちょっとあっちいってろ!」 「えっあっ、酷い前原さん……」  部屋の隅に追いやられた浦賀を睨み、前原は俺と桂木のもとへ、美津を伴ってやってくる。  そしてそのまま、美津の肩に手を置き、俺と前原を示していった。 「こちらが昨日話した、同僚の桂木さんと吉野さんだ」 「よろしくお願いします。前原美津です」  美津はわずかに固い表情で、ぺこりとお辞儀をした。  美津のことは何度か前原から話を聞いていたが、今日が初めて顔を合わせる。ふわり、と短くて柔らかい髪の毛が揺れる。その髪も虹彩も、普通の人より色素が薄い。白い頬と鼻に散ったそばかすも相まって、どこか日本人離れした印象のある子だった。  俺と桂木も短く挨拶をして、さっそく応接スペースへと移動する。ちらと背後を見ると、浦賀が少しうらやましそうにこちらを見ていた。  俺と桂木が並んで腰かけ、美津の隣には前原が腰かける。応接スペースは最大で四人座ることができるが、いつも少人数で使用していたため、最大人数が座るとかなり窮屈に感じる。とくに、一人だけ子供で、しかも女の子の美津は、三方を男に囲まれて肩身が狭そうだった。 「さて……まあ、いきなり話に入るのもあれだ。美津、もう少し自己紹介してくれるか。その方が話にも入りやすいだろう」  改めて、場を仕切るように前原が美津を促す。  美津はこくり、と頷いて、柔らかな茶色の瞳をこちらに向けた。 「えっと……前原美津と言います。高二です。ここからちょっと山の方にある、日百(ひもも)高校に通ってます。……おじいちゃんから、二人がその、幽霊とかオカルトとか“そういうの”に詳しい人だと聞きました。わたしの友達が、変な現象に悩んでいるんです。なんとか力になってあげたくて……今日は、よろしくお願いします」  俺は内心微妙な気持ちになるのを押さえて「こちらこそ、よろしくお願いします」と答える。桂木もまた、横で静かに頷いた。  前原は事前に美津に対して、俺たちのことを、“自分の同僚の刑事で、霊感があり、神社や寺院などにつてがある人物”と紹介しているらしい。これは昨日のうちから俺と桂木に対しても共有されていたので、話を合わせて何も言わない。その説明で本当に信じてくれているのかと半信半疑だったが、前原は以前から、桂木と美津が顔を合わせる事態を想定し、周到に孫娘に説明をしてきたようで、その甲斐あって美津はこの話を信じているのだという。  なんでも、「警察では交通事故に殺人など、恨みつらみ、悲しみのつきまとった人間の死に接することが多い。そんな辛い職場だから、信心深い人もまた多いんだよ」とのことだそうだ。  その嘘が本当に通じたのか? という疑問はあるものの、今こうして直接美津と対峙してみても、緊張はしているようだが不信感を抱いている様子はない。  ちらり、と前原へ視線を送る。軽く頷くのを見て、俺は口を開いた。 「じゃあ早速、話を聞かせてもらってもいい……かな?」  この年頃の女の子(しかも上司の孫という微妙な立ち位置)に話しかけるのには、敬語で丁寧に接すべきだろうか、それとも砕けた口調でフランクに接すべきだろうか。  悩んだ末に、あまり緊張もしてほしくないので、ソフトな語尾を付け足した。大丈夫、と伝えるように頷いて見せる。  すると美津は、俺の心配をよそに、まったく緊張する様子もなくスムーズに話し始めた。時折、頭の中を整理するように目を伏せ、考えながら喋っているようだった。 「……どこから話せばいいかわからないから、順番に話します。四日前、私の幼馴染の、川西サツキという子が、階段から落ちて死ん……亡くなりました。校舎の三階にある階段です。放課後の、人の少ない時間で、サツキが落ちる瞬間を誰も見ていなくて、廊下に倒れているところを生徒の誰かがみつけたそうです。まだ、サツキがどうして死んだのか……事故なのか、自殺なの、か、……わかっていません」  美津はぎゅっと口元をこわばらせる。声がわずかに震えたのを必死でこらえようとしているようだ。隣に座る前原が、痛ましげな顔で美津を見守る。この年で、親しい友人を亡くするのはとても辛いだろう、前原の心配もよくわかる。  やがて美津は短く息を吐き、続きを話し始めた。 「その数日後、……一昨日になります。わたしとサツキと……ほかにも仲のいい子は二人いるんですが、共通の友達の、丹麗奈という子が、サツキと同じ場所で、同じように階段から落ちたんです。幸い、麗奈は脚を怪我しただけで済みました。でも、麗奈の様子がどこか変で……とても怯えた様子だったから、何があったのか尋ねたんです。そうしたら、何かに足を引っ張られた、って、麗奈は言うんです」 「何か……?」  相槌のように口にした疑問に、美津は頷いて返す。 「麗奈が落ちたときはわたしがすぐ後ろを歩いていて、他に人はいませんでしたから、誰かに引っ張られたということは絶対ない。それに、後でよく確かめてみたけど、服を引っ掛けそうなでっぱりとか、釘とかささくれとか、そういうものも無かったです」 「警察もそれは調査している。……事件後にすぐ、現場をよくよく調べたからな」  美津の説明に補足するように、前原が言葉少なに口をはさんだ。美津はその言葉に、こくりと頷く。 「だから最初、麗奈の勘違いかとも思ったんですが、あんまりにも怖がるというか……怯えるので、何かあったのかって聞いたんです。何度もしつこく聞いたら、渋々打ち明けてくれました。ここ最近、同じように誰もいないところで髪や服の袖を引っ張られることがあって、それに、いつもどこからか見られているような視線を感じるんだ、って」  美津は顔を歪める。机の上に乗せられた手が先ほどからそわそわと、不安を耐えるように落ち着かなく動いている。 「それで、わたし、思ったんです。麗奈が落ちたのはサツキが落ちたのと同じ階段でした。もしかして、サツキも同じ、何かに足を引っ張られて落ちたんじゃないかって。だって、サツキは自殺するような理由はなかったし、事故は……可能性はあるけど。でも、友達が二人も、同じ場所で、同じように落ちるなんて、偶然には考えられなくて」  そこまで告げると美津は、組んではほどくを繰り返していた手をぎゅっと握りしめた。おずおずとしながらも、まっすぐで強い、悲痛なまなざしを、俺と桂木に向ける。 「サツキを殺した“何か”が、今度は麗奈を狙ってるんじゃないかって、わたしはそれが心配なんです。……だから、その、……」  後に続く言葉が見当たらないようとでもいうように、美津は口を閉じ、それから再び、上目遣いに俺と、桂木を見比べた。反応を伺うように 「えと……どう、思いますか」  その縋るような目を受けながら考える。親しい友人を亡くした直後、今度は別の友人が怪しげな現象で悩んでいる。しかも、その二人は同じ階段で落ちたという。この短期間で二度も、しかも関係の近い人物同士で同じようなことが起きたとしたら、その二つを結び付けて考えるのは当然だと思う。  桂木は、どう思うのだろう、そう思って顔を上げると同時に、 「……ありがとうございます。事情は分かりました」  と桂木が低い声で答えた。美津の思いつめたような目が桂木へ向けられる。桂木はあくまで冷静に、美津に対して問いかけた。

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