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04 ※04/11 内容微修正

 からんからん、というベルが鳴り、鼻先にコーヒーの柔らかい香りがふわりとまといつく。床や壁、テーブルセットなどの什器は木製で統一されており、穏やかな暖色の照明がそこかしこを飴色に照らしている。  外観から抱いたこじんまりとした印象とは裏腹に、店内は広く、四人掛けのテーブル席がフロアの奥まで続いていた。  その座席の並びをなぞるように視線を奥へと向けると、がたり、と席を立つ美津の姿を見つけた。  すぐにそちらに向かおうとして……足を止める。美津のいるテーブルの、四つの椅子すべてが埋まっていた。今日、この場で話を聞くのは、当事者の麗奈と、付き添いの美津だけだったはずだ。美津と麗奈以外に、もう二人いる。  美津の隣の奥側に座っている人物はよく見えないが、美津の向かいに座っている二人の少女は、美津の視線の先にいる俺たちをじっと見つめている。……いや、睨みつけていると言ってもよかった。  戸惑いながらも美津のもとへ向かうと、美津は困ったように眉をハの字にして、向かいに座る二人と俺たちを交互に見た。 「こんにちは、美津さん。……ええと、こちらは、」  厳しい視線をこちらに向けてくる二人の少女をちらりと窺う。手前側に座っているスポーティーな見た目の少女と、奥側にいる小柄な少女が同時にこちらを睨みつけてくる。もう一人、美津の隣に座っている、長い黒髪の少女がいるが、こちらは二人とは異なって、不安げな表情だった。  美津がおろおろとしながら口を開く。 「すみません。麗奈と一緒にここへ来る途中、偶然こっちの二人と会っちゃって、何してるのって言われて、それで……」 「あたし達も麗奈の友達なんだから、ここに居たって問題ないだろ」  しどろもどろの美津の説明をさえぎったのは、美津の向かい、手前側に座る少女だ。言葉は美津に対して告げられたものか、それとも俺たちに向けられたものか、どちらにしろ、こちらへの警戒を隠しもしない、とげとげしい言葉だった。 「おじさん達が警察の人なの? 本当に?」  手前の少女の体の影から、奥にいた少女が顔を覗かせる。小動物めいた動きに、幼さの残る声。だがこちらへ向ける目線は、手前側の少女と同様に警戒心むき出しだ。  美津が、「本当だよ!」とむきになったようにその少女に詰め寄るが、言われた本人は、ふん、と鼻を鳴らすだけだった。 「えっと、確かに俺たちは警察の人間です。俺は吉野と言います。こっちは桂木。それで申し訳ないけど、最初に名前を聞かせてもらえないかな」  このままでは埒が明かない、と俺はその二人に向かって言った。先にさっさと自分たちの名前を名乗ったので、少女たちはしぶしぶと言った様子で口を開く。 「……近藤夕実」 「矢来まるち、です」  手前側の少女が、むすっとした表情で夕実と名乗る。奥にいる小柄な少女がまるちだ。午前中の美津の話の中に、共通の友人として話に出ていた名前と一致する。  とすると、美津の隣に座っている少女が麗奈だろうか。  そう思ってそちらを見ると、自分も名乗らなければと思ったのか、こちらの動きを窺っていた少女と目が合った。  まっすぐに切りそろえられた前髪の下から、黒目がちな目が覗いている。 「……丹、麗奈です」  少女、麗奈はそう言って俯いた。眉を寄せ、口を引き結んでいる。美津と同じように、唐突に参加してきた二人の友人に困惑しているようだが、こちらの方はさらに、思いつめたような切迫感も入り混じっている。  彼女の身に起こっている不可解な現象を思えば、それも仕方ないだろう。 「で、おじさんたちはまた、事件の話を聞きにきたんでしょ? もうさんざん、聞いて回ったじゃん。あたしも麗奈もみんな、全部話し尽くしたって」  夕実がうんざりしたように頬杖をつく。その後ろからまたしても、まるちがひょこっと顔を出し、うんうん、と頷いた。そして、意地悪さが見え隠れする笑顔をこちらに向ける。 「だから~、どうせ全部知ってることしか話さないんだし、うちらもここに居ても大丈夫ですよね? ってことで」 「………」  戸惑うため息を押し殺して、ちらりと傍らの桂木を窺う。……が、この角度からでは桂木の顔が前髪にほとんど隠れていて見えない。こういう時桂木の長い髪は不便だ、目での意思疎通ができない。  代わりに、美津と麗奈を見た。美津は顔にありありと『どうしよう』と書いているし、麗奈は深く俯いて顔を隠している。 「ええっと―――」 「ひとまず、席を移りませんか」  何とか言葉を絞り出そうとした俺に助け舟を出してくれたのは、桂木だった。気が付けば、声をかけたものか悩んでいたのだろう店員が、近くで棒立ちになっていて、桂木は「すみません、六人掛けの席ありますか?」とその店員に声をかけた。四人掛けのテーブルしかないが、テーブル席を二つ繋げれば可能だという。席の用意のために向かった店員の後に続くように、桂木が言った。 「では、お話はあちらで」  最初、不満な様子を見せていた夕実たちだったが、唐突に喋り始めた桂木の存在に戸惑ったのか、独特な雰囲気に気圧されたのか、素直に席を立つ。ぞろぞろと店の奥へ向かう少女たちの後に続こうとしたその時、桂木は俺の腕をさりげなく掴んで引き留めた。 「……麗奈さんの事情を知っているのは、確か美津さんだけでしたよね。今ここで、麗奈さんに起きている怪異現象を話題にするのはやめましょう」  桂木のひそめた声にはっと気づいた。確かに、麗奈の悩みを知っているのは自分だけだと美津が言っていた。  確かに、夕実も「事件の話を聞きに来たんでしょ?」と言っていたし、まるちもそれに同意を示していた。今回のこの場を、ただの事件の事情聴取だと思っているのだ。  麗奈も美津も、事情を知らない二人が飛び入り参加したことで、あんなに戸惑っているのだろう。助けを求めるように、しきりにこちらを振り返る美津を見て、俺も小声で桂木に答える。 「……わかりました。ひとまず、事件の聞き込みをしに来たということで、この場はお茶を濁しましょう。麗奈さんへ話を聞くのはまた、別の機会に」  俺は、桂木に言われるまで気づかなかった自分に若干落ち込みつつ、こくり、と桂木に頷いて、共に奥の席へと移動した。  案内されたのは店の一番奥で、店員が四人掛けのテーブルをくっつけて作ってくれた、八人掛けの座席があった。  それぞれが椅子に腰かける。自然と、俺・桂木の二人と、美津ら四人に分かれて座っていた。  店員がタイミングを見計らって、注文を取りに来る。俺と桂木はコーヒーを、美津たちには、すべて経費で落ちるから好きなものを頼むように言った。それを聞いて、めいめいに紅茶やクリームソーダといった注文が飛ぶ。店員がそれらをメモして座席から離れていったところで、俺は気持ちを入れ替えて、さて、どうしようかと考えた。  俺の正面には、美津と麗奈が座っている。麗奈のほうを観察してみるが、今のところ、何もおかしなものは見えないし、気配もない。とりあえず、今すぐ何とかしなければならないほど、切羽詰まった事態ではないように思う。  とすれば今回は、麗奈への聞き込みは置いておいて、この四人から聞いておきたい幾つかの事柄を訊ねよう。  それに、支援班として川西サツキの転落事件に介入する以上、サツキの共通の友人である彼女たちの関係性を、自分なりに掴んでおきたかった。今なら四人がそれぞれ会話をする様子を自然に観察することができる。  まずは、彼女たちに事件の話を聞いてみよう。俺はそう方針を固めて口を開いた。 「じゃあまず……既に話したこともあるかと思うけど、もう一度改めて、亡くなったサツキさんのことについて聞かせてください。サツキさんは、階段から落ちて亡くなる前に、何か変わった様子はありましたか?」  夕実やまるちといった、こちらに警戒心のある人物がいるため、なるべくゆっくり、穏やかに問いかけた。  その二人も、頭ごなしに反発しようという気はないのか、案外素直に、うーん、と考え込むような姿勢をとってくれる。そして四人は全員がしばらく考え込んだ後、ちらちらと互いに目線を交わしあった。 「……なんも、なかったよな?」 「んー……うちもわかんない。麗ちゃんは?」 「私も、ごめん……何も」 「ん~、そうだね。変わったところはなかった、よね……」  こしょこしょと内緒話でもするかのように囁きあっている。ふと、夕実が思い出したようにぼそりと呟いた。 「強いて言うなら、ちょっと前まで、なんか落ち込んでるなー、とは思ったかな」 「ちょっと前? っていうと、どのくらい前かな」  詳しく聞きたいと思い、わずかに身を乗り出す。すると夕実は、「うわぁ」とでも言いたげに嫌そうに体を引いて、俺から遠ざかりながら答えた。 「わかんないよ、そんな細かいこと……でもひと月とかそのくらいじゃね? もっと前?」 「そんくらいじゃないかな~。うちもそう思ってたけど、ていうか、むしろ最近は元気になってたよね?」  まるちが、語尾を伸ばした口調で四人に向かって問いかける。美津と麗奈が同時に、うん、と頷いた。 「そういえばサツキ、夏頃は沈みがちだったわね……。でも、最近はそんな感じじゃなかったし、むしろ元気な感じだったわよ」 「そうだね……わたしもそう思う」  四人は互いに確認しあうように頷きあって、最後に、俺の様子を窺うように顔を向けた。その動きは面白いほどそろっていて、少女四人に一斉に見つめられて言いようのない圧迫感を覚えた。 (……なんでだろう。俺は悪者じゃないのに、悪者になっているような気分になる)  うっ、と息を詰まらせながらも、その視線を振り切るように次の質問をうつる。 「じゃあ次は、事件が起きた時の状況について……。放課後、ということでしたが、皆さんはまだ校舎の中にいた?」  そこで、さっ、と空気が変わった。皆の顔が一様に硬くなる。事件からそう日にちも経っていないし、やはり、事件の当日のことを思い出すのは、まだ辛いだろう。こちらもやむを得ないとはいえ、こうも悲しそうな表情をされるとこちらも苦しい。  全員がその言葉に頷いてくれたが、麗奈と美津は辛そうに目を伏せ、夕実は深く項垂れた。そんな夕実の腕に、悲痛な表情のまるちがそっと腕を添える。そのまま、低い声でぼそぼそと言った。 「学校の中で誰かが騒いでいて、何が起きてるんだろうって見に行ったら、さっちゃん……サツキが……」 「皆さん一緒に、現場に行ったんですか?」 「いえ……あの時は皆、ばらばらに集まりました」  麗奈がつややかな髪を揺らして首を振る。そのまま麗奈が代表して、その時の状況をまとめてくれた。  四人は騒ぎを聞きつけたとき、それぞれ別々に行動していたのだそうだ。各々が現場を見に行ってみると、同じく集まってきたたくさんの生徒が廊下にひしめいており、その輪の中心にサツキが倒れていた。  サツキの近くには教師が数名いて、サツキを抱き起して声をかけていたという。別の教師が、集まってきた生徒を近づけさせないようにしていたため、生徒の誰もが、サツキのそばに行くことはできなかった。 「さいごに、サツキの近くに行ってあげられなかったなぁ……」  そう悲しそうに告げる美津を見かねて、両隣から夕実と麗奈がその肩に手をかける。まるちも夕実の体越しに、切なそうに美津を見ていた。 「……集まった生徒たちの中に、美津や夕実や、まるちが居たのを見つけて、それからは一緒に行動していたと思います」 「うん……そう。そうだった」  麗奈がそう締めくくると、美津が同意し、夕実とまるちも頷いた。四人はまるで、身を寄せ合うようにしてテーブルの向こう側にいる。共通の親しい友人を亡くした彼女たちは今も、同じ悲しみを共有しているのだろう。誰もが友人の死を悼む目をしていながら、隣の友人を気遣うような優しさを見せていた。  出された飲み物にも手を付けず、打ち沈んだ様子の少女たちを見るのは、胸が詰まるようだった。   (……そのサツキさんって子とも、この四人同士も、すごく仲が良かったんだろうな)  そこでハッと気が付く。目の前の少女たちにつられて、かなり感傷的な気分になってしまっていた。これではいけない、仕事をしなければ、とコーヒーを一口飲んで気持ちを切り替える。ふと横に座っている桂木を見ると、じっと、目の前の少女たちのほうを向いて、微動だにしていなかった。  その表情は伺い知れなかったが、少なくとも俺のように、場の雰囲気に引っ張られていないことがわかる。  ばつの悪い思いがして、こほん、と小さく咳ばらいをしてコーヒーカップをソーサーに置いた。

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