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「わかりました……。サツキさんは特に変わった様子がなかったそうですが、サツキさんに限らず、何か身の回りで変わったこととか、印象に残るようなことはありませんでしたか?」  その一言に、ぴくり、と麗奈の体が反応した。それを察知した美津も、ちらり、と横目に麗奈を見る。美津の体にさえぎられて、その様子は夕実とまるちの二人には見えなかったはずだ。その証拠に、その二人は麗奈のほうを気にするそぶりもなく、互いに顔を見合わせている。 「……変わったことって言われてもさあ……」 「ねぇー……何もなくない?」 「本当に、何でも構わないです。最近話した話題とか、出かけた場所とか、そこで少し気になった事とかでも大丈夫です」  この質問は、麗奈の身に起きている怪異現象に美津以外の二人が気づいていないか、また、麗奈と同じようなことが別の誰かにも起きていないかを確認するためのものでもあった。今のこの二人の反応を見るに、そういったことは起きていないようだ。 「美津さんと麗奈さんも、特にありませんか?」 「えーっと……」 「最近、何話してたっけ?」  不自然にならないよう、美津と麗奈にも水を向けてみる。それからぽつぽつと、最近の五人の中で話題になった話や、一緒に出掛けた場所の話が出た。  好きなバンドの話、最近開拓した喫茶店の話、夕実の所属する陸上部の大会の話、深御市のショッピングモールに出かけた話……。  他愛のない話が列挙されていく中、それは、他の話題を話すときと同じような調子で、美津の口から発せられた。 「そういえば、あれもあったね。なんだっけ……“桃羽様(ももうさま)“の噂」 「……モモウサマ?」  聞きなれない単語に、反射的にそう問い返していた。  しかし、その呟きめいた声は、当初の目的を忘れて最近の話題を挙げ連ねていくことに熱心になっていたまるちの声にかき消される。 「ああ、そんなのもあったね。ん~、あとは、担任のセンセーが恋人できたとか、あと冬コスメの特集とか……」 「その、桃羽様の噂っていうのは、どんなものなんでしょうか」 緩みかけていた場の雰囲気に冷水を浴びせるような、有無を言わせない桂木の一言に、ぴたり、と少女たちの声が止まった。そして八つの目が吸い寄せられるように一点を見つめる。  ただの置物が急に喋りだしたら、人はこんな顔をするに違いない。席に着いてから今まで黙ったままだった桂木が急に言葉を発したのを見て、一度桂木と言葉を交わしている美津までもが、まるで不気味なものを見るかのような顔で、桂木をまじまじと見つめていた。  しばらくの気まずい沈黙の後に、取り繕うように美津が答える。 「ええと……桃羽様の噂は……確か、まるちがわたしたちに、話して聞かせてくれたんだよね」 「えーっと……うん、そうだね」  まるちはそんな風に、煮え切らない返事を返す。彼女の顔はなぜか気まずそうだ。美津はそんなまるちの様子には気づいていないようで、そのまま話し続ける。 「この学校には桃羽様っていう神様がいて、その神様にお願いをすると、好きな相手と恋人になれるっていう話です。……だったよね?」  そう美津がまるちに問いかけると、まるちは観念したように「そーだよ」と頷いた。  どうもまるちは、この話題に乗り気ではないらしい。そして、麗奈と夕実も、この話題に関しては口を挟んでこない。けろりとしているのは、美津だけだ。  そんな各々の様子に何か引っかかるものを感じたが、ひとまず話の詳細を聞こうと、俺はまるちに向かって問いかけた。 「へえ……学校の七不思議みたいなもの、なのかな」 「七不思議、ってほど有名な感じでもないかな~。学校中みんなが知ってるわけじゃないし」 「あまりメジャーな噂ではないんだね。まるちさんは、その噂をどこで?」 「ローカル掲示板漁ってたら見つけて……」  かすかな振動を感じてちらりと目線を向けると、夕実が不愉快そうな表情で、テーブルの上に置いた右手の人差し指で、いらいらと机をたたいていた。 (無意識なのか、それとも、苛ついているアピールか……)  だとしても質問を止めることはできないし、その程度の仕草だけなら特に何かを言う必要もない。テーブルを叩いたり椅子を蹴ったりしない限り止めはしない。俺はその様子を気にしつつも、改めてまるちに向き直る。 「……その噂の内容を詳しく教えてください」 「え~うちが? そういうリロセーゼンとした説明苦手……みっつん、パス」 「はいはい」  心底嫌そうに言うと、まるちは猫のように机の上にだらしなく伏せる。それを見た美津が呆れたように笑って応じた。 「学校の裏の山に古い祠があるんですけど、その祠には桃羽様っていう神様がいて、この学校の守り神なんだそうです。その神様は恋愛成就の神様でもあって、この学校の生徒の恋愛を叶えてくれるっていう話です。でも、その願いを叶えるためには、……何日間だっけ、ああ、七日? ありがとう、まるち。……七日間欠かさず、深夜にその祠にお参りをする必要があるんです」 「いつもは、あまりこういう系の話ってしないけど、そういえば珍しく盛り上がったわね」  ぼんやりと当時を思い出すように麗奈が呟く。美津が、「そうそう」とおかしそうに笑った。 「恋バナはよくするけど、こういう系はね。っていうか、麗奈オカルト好きなのに、この噂のこと知らなかったからめっちゃ食いついたんじゃん」 「そうだったけど……夕実もだいぶ盛り上がってたじゃない。恋バナ好きだし」 「…………」  自然と、夕実に目線を向けるが、夕実は明らかに不機嫌そうな顔で何も答えない。それまでだいぶ緩んだ雰囲気を見せていたまるちと美津と麗奈だったが、夕実の表情を見て気まずくなったのか、また委縮した雰囲気に戻ってしまった。まるちも、机の上に投げたしていた状態をそろそろと起こしている。  急に途切れた会話を取り繕うように麗奈が告げた。 「さ、サツキは……もともと奥手だったし、あんまり興味がありそうな雰囲気じゃなかったわね」 「あ、うん。サツキは、そうだったね」 「皆さんは、その祠には行ったのですか?」  麗奈の言葉に美津が答えて、再度会話をつなごうと頑張っていた彼女たちだったが、またも桂木が口をはさんだことにより、テーブルを挟んだ向こう側の空気が一瞬止まる。そうだろうとは思っていたが、桂木はこの少女たちにかなり警戒されている。一風変わった風貌のせいもあるだろうが、何よりも。流れていく会話の中にある、核心めいた部分だけを正確に突く、鋭い言葉が彼女たちを不安がらせている。  桂木が明確に興味を示しているのは、桃羽様の噂だ。俺にはまだ、それがどんな意味を持つのかはわからない。しかし、桃羽様の話が始まってから苛ついた様子を見せるようになった夕実や、あまり乗り気ではなさそうなまるち、そしてそれにつられるよう気まずそうにしている麗奈、一人だけなんの気負いもなく話す美津、といった、彼女たちの反応からは、そこに何かがあるのでは、という予兆めいたものを感じていた。 「…………くわけないじゃん」 「え?」 「行くわけないじゃん、そんなの」  地を這うような呟きが聞こえた。あまりにも低いその声は、一瞬誰の声かわからなかったが、それは俯いた夕実の口から発せられたものだと、遅れて理解した。  その声に俺は少なからず異常なものを感じたが、それに気が付いていないのか、どこかおっとりとした美津の声が続ける。 「みんなで行こうか、って話も出たけど、結局サツキも乗り気じゃなかったし、止めたんだよね。わたしは、散歩がてら今度見に行ってみようかな、と思ったけど」 「なるほど。……では、その桃羽様の―――」  美津の言葉を受けて、桂木がさらに話を続けようと口を開いた瞬間、だんっ、と大きな音と共にテーブルが揺れた。  目の前の美津と麗奈がびくり、と肩をすくめる。そしてゆっくりと、握った拳をテーブルに叩きつけた夕実に目を向けた。  桂木も口を閉ざし、ゆっくりと夕実を見る。夕実は俯いたまま低い声で唸った。 「……警察が、警察のくせに、なんでこんな事にこだわるわけ? おかしいでしょ、こんなオカルトみたいな噂話にばっかり食いついてさ」  その疑問はもっともだと思った。普通の警察なら、こんなことを詳しく聞かない。だが俺たちは、怪異を専門に扱う支援班の人間だ。怪異現象に脅かされている麗奈と、それを相談しにきた美津なら、俺たちが桃羽様の噂にこだわるのもわかってくれるだろう。だが、そんな事情を知らない夕実にとって、この疑問は至極真っ当なものだった。  夕実は苛立ちもあらわに乱暴に髪をかきむしり、吐き捨てる。 「こんなことしてる暇があったら、もっとまともな捜査しろよ。あんだろ、聞き込みとか現場検証とかさあ!」 「サツキさんの件は、事件か事故かいまだにはっきりしていません。自分で……という線もぬぐい切れていない。どこに原因があるかはわからないから、とにかく情報を集めているんです。無意味に思えるかもしれませんが……」 「……んなの、信じられない!」  短くそう叫ぶと、夕実は椅子を鳴らして立ち上がった。「ゆんちゃん!」と叫んでまるちがその腕に縋り付く。  そのまるちと、そして隣に座る美津と麗奈を見て、夕実が言った。 「行こう! こんな人たち信用できない!」  しかし、夕実の言葉に、美津と麗奈は戸惑ったように目線をそらした。はっと息をのみ、夕実がわずかに後退る。夕実ははっきりと傷ついた表情を浮かべて、「……もういい!」と叫んだ。  夕実はまるちの腕を振り払って、驚くほどの素早さで店内を突っ切っていく。すれ違う店員が、運んでいるお盆をかばって慌てて横に退く。店内の客の目線をさらいながら、夕実はドアベルのやかましい悲鳴と共に、店の外へ飛び出して行ってしまった。 「待って、ゆんちゃん!」  その後を追い、まるで跳ねるように素早くまるちが飛び出していく。美津や麗奈が何かを言おうと立ち上がりかけるが、脱兎のごとくかけるまるちは、あっという間に店の外へ飛び出していってしまった。  そして、二度目のドアベルが鳴り響くなか、ゆっくりと扉が閉まった。  ―――りりぃん、というベルの残響を残して、店内に沈黙が落ちる。誰もがこの、大人二人と少女二人が座っているテーブルにちらちらと目線を向けていた。  中腰の姿勢だった美津と麗奈が、ぎこちなく席に腰かける。止まっていた店内の空気も、ざわざわとしたさざめきが戻ってくる。  何事もなかったかのように、店の中の空気が元通りになる頃になってようやく、蚊の鳴くような声で美津が「……すみません」と頭を下げた。 「美津さんが謝るようなことじゃないよ。……こちらも、状況が状況とはいえ、彼女たちを不安にさせるようなことばかり聞いてしまった」 「それは、だって、……」  言葉が続かないのか、美津は途中で黙ってしまった。  重苦しい沈黙が、四人の間に落ちる。奇しくも、夕実とまるちが飛び出して行ってしまったせいで、当初の予定通りのメンツがそろった。しかし、このままの状態で話を続けて良いものだろうか。 「美津さんと麗奈さんは、夕実さん達を追いかけなくて大丈夫ですか?」  暗い顔の二人にそっと尋ねてみると、美津がはっと顔を上げた。しかし、その表情はすぐに曇ってしまう。 「夕実、たぶんいま、わたしの顔を見たくないと思うから……。スマホにメッセージだけ送っておきます」  夕実が一緒に店をでよう、と言った時、美津と麗奈の二人は応えなかった。もともと、夕実とまるち抜きで秘密の相談をする予定だったのだし、二人は夕実と違って、俺達と話をする必要があったのだから、とっさに、この場を離れたくないという反応をしてしまった……のだろう。  美津がのろのろとスマホを操作している横で、麗奈は青白い顔で俯いていた。その唇がかすかに震えているように見える。 「……麗奈さん? 大丈夫ですか?」 「……あ…………」  静かにひそめた声で、桂木が麗奈に声をかけた。麗奈はぱっと顔を上げると、途方に暮れたような目で桂木を見ている。今にも泣きだしてしまいそうなほど、その目が潤んでいた。 「気分が悪いようでしたら……相談はまた、日を改めましょうか」  麗奈はぎゅっと唇をかみしめると、その言葉に無言で頷いた。  震えている肩をさするように美津が麗奈に手を伸ばす。しかし、その手が届く前に、麗奈はすっと席を立った。 「……今日は、せっかく来てもらったのに本当にすみませんでした。今日は……すみません、一人で、帰ります」 「麗奈……」  送っていこうか、と心配そうに寄り添う美津に「大丈夫」と少し笑いかけ、麗奈は俺と桂木に丁寧に頭を下げた。  静かに歩いていく麗奈の背中に美津が声をかける。 「……後で連絡するから!」 「……」  麗奈はわずかに振り返り、美津に手を振ると、ゆっくりと店の扉を開けて出て行ってしまった。  ひとり減りふたり減り、ついに三人になってしまった。何となく気まずい雰囲気をごまかすために、冷えたコーヒーをすする。喫茶店の雑音がやけに大きく聞こえた。 「あの……刑事さんたちに、言っておきたいことがあるんです」

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