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07 ※04/11 内容微修正

 翌日、出勤した俺に前原は、朗報だ、と告げた。支援班の調査への参加が正式に認められ、朝一番に調査要請が届いたという。  前原が各所へ根回しを終えた昨日の段階では、捜査への支援班参加の許可は下りていなかった。だが今日になって、参加を許可する旨の調査要請書、兼、指示書が、例によってまた誰も気が付かないうちに支援室のホワイトボードに掲示されていた。それを見つけたのは、朝、誰よりも早く支援室へ到着した浦賀だった。  学校内での調査も許可が下りた。俺たちに許されたのは、校内への立ち入り、事件現場の調査、そして関係者への聞き込みなどである。また学校へは、生徒に配慮して、授業が終わった夕方以降に立ち入るよう注意書きがされていた。  前原は今日の夕方から調査を行えるようにと、すぐさま浦賀を通して日百高校へ連絡していた。  今回の調査もいつものように、俺と桂木の二人で現場へ向かうことになる。俺はさっそく桂木に連絡すると、調査の許可が下りたこと、夕方以降校内で調査ができることを伝えた。 『わかりました。夕方までに時間があるなら、噂の祠の場所に行って実物を確かめたいんですが、』 「そうですね、行きましょう。今からでも問題ないですか?」 「大丈夫です。では、事務所の前で」  簡潔な桂木の言葉に、はい、と答えると通話を切る。俺はさっそく車を駆り、桂木を迎えにいつものように事務所へと向かった。  祠があるという場所は、美津達の通う日百高校のすぐ裏手にある山の中腹である。日百高校が建てられた山戸町は、山々と、人の住む平野部の、ちょうど境目にある町だ。深御市を中心にして広がる平野部の一番端っこと言ってもいい。  そんな外れにある山戸町は、駅前の商店街以外はほぼ住宅街という静かな町だ。その街でもさらに端っこに、日百高校は建っている。学校の正面は行儀よく並んだ家々のほうを向いているが、その背面はなだらかに続く山の斜面に接している。  町を囲む山は、個人の所有するものもあったが、日百高校の裏にある山は町が管理しているものであり、小規模ながら遊歩道などが設置されていた。  俺と桂木は、近くの駐車場に車を止めると、日百高校の敷地の横に伸びる坂道を上る。横目には高いフェンスで区切られたグラウンドがあった。そのグラウンドを通り過ぎ、少し山の中へ入り込んだところで、横手に遊歩道の入り口がぽつんと見えた。  あたりはしなやかに伸びた青竹の生い茂る竹林で、その竹林の真ん中に、切り込みを入れたように、踏み固められた土の道が続いている。 「…………」  俺は無言で周囲を見渡した。特に怪しげなものは見当たらない、今のところは。桂木も同様に軽く周囲を見渡すと、異常がないことを確認して、「行きましょう」と俺に頷いた。  桂木を先頭に、乾いた土の道を登っていく。風が吹き、笹の葉がこすれあう音に交じって、時折竹のぶつかる硬質な音が響く。  しばらく進むと竹林が途切れ、周りを取り囲む竹がただの樹木に様変わりした。と同時に、道が緩くカーブしていく。  カーブを曲がりきると、右手の視界が開けた。山肌に張り付くように道が伸びているようで、右側には急角度に下る斜面が広がり、そのおかげで視界を遮る木々の頭越しに風景を見ることができた。住居の屋根と、日百高校のグラウンドが見える。  ほんの少しそこで足を止めたが、先を進む桂木が黙々と登っていくのを見て慌てて歩調を合わせた。  その桂木の足元が、派手ではないが機能性の高いスニーカーであるのを見て、ふと思い出す。  俺が支援室にきて最初の事件と、その次の事件は、どちらも桂木と共に山林へと分け入って調査を行った。その時に何となく感じたのだが、桂木はこういった山歩きに慣れているように思う。  山歩きと言っても、トレッキングや登山といったハードなものではない。今登っているようなちょっとした山道は、高低差はそれほどだが、足元が落ち葉で滑りやすかったり、凸凹していたりで、結構歩きにくい。  俺が仕事中に履いている靴も、歩いたり走ったりしやすい機能的なものだが、山道には向いていない。  だが桂木は、毎回山に登るときは歩きやすそうなしっかりした靴を履いている。それ以外にもうまく言えないが、枝をよけたり、ぬかるみを避けたりする仕草から、“場慣れ”していると感じるのだ。  そのちょっとした俺の気づきを、桂木に直接聞いてみたことがある。  桂木はこう言っていた。 『山の中とか、そういう場所には町中とはまた違った種類の怪異が居て、……以前はそういったものを尋ねて、行くこともありましたから』  その時は、そんなものかと思ってあまり気に留めていなかったが、なぜ桂木は、わざわざ怪異を尋ねて山の中まで分け入っていったのだろうか。……やはり、哲生を探すためだろうか。  下を向きながら、そんなことをつらつらと考えているうちに、前を歩く桂木の脚がぴたりと止まったのに気が付いた。  はっとして顔を上げるとそこは、道幅が急に広くなって、ちょっとした広場のように平らな地面が広がっている場所だった。  左手に高く盛り上がっていた上り斜面が、大きく内側にえぐれるように引っ込んでいるため、そこだけ道の幅が広くなって、結果的にこのようなスペースができているようだ。  広場には、俺たちが立っている側とは反対側に、さらに先へと進む道が伸びている。  広場の奥に、盛り上がった斜面を背にして、小さくて古びた木の箱のようなものがあった。一目見てすぐにわかる。これが祠と呼ばれるものだろう。そう気が付いた時に、ふわりとこれまでとは違う風が吹いた気がした。  今まで吹いていた風が自然な風だとすれば、それはまるで、誰かの息吹きのような意図のある風。誰かに見られているような落ち着かない気分になって、俺は周囲をきょろきょろと見回した。 (あ……ここからも学校が見える)  右手の下り斜面を見ると、先ほど竹林の間から垣間見たのよりもさらにはっきりと、日百高校の校舎が見えた。校舎全体が見下ろせるここは確かに、学校を見守る神様がいる場所と言うにふさわしいところだと俺は思った。  学校から視線を祠へ移すと、祠の前に立って桂木がその内外を観察していた。俺も桂木の傍らに立ち、間近にその祠を見る。  平らな石を選んで積み重ねた台座の上に、木でできた小さな社が建てられている。小ぶりながらも、切妻屋根と観音開きの扉が備わっており、なかなか凝った造りだ。しかし、そのすべてが驚くほど古く、さびれている。壊れかけていると言ってもいい。  扉の取っ手は片方がどこかへ行ってしまい、切妻屋根は端が大きくかけている。祠全体が大きく歪んで傾いでいるせいで、右手の扉は枠に収まらず、1cmほど手前に飛び出していた。そして長年風雨にさらされ続けていたせいで、その全体はコケに覆われて緑色じみていた。  俺はその観察の最中も、ずっと、首筋に何者かから息を吹きかけられているような妙な感覚を覚えていた。しかし、都度あたりを見渡してみても何も見えないし、それ以上の気配を感じない。はっきりとしない曖昧な空気だけが常に自分のそばにあるような感じだ。  俺はたまらず、桂木に声をかけた。 「……桂木さん、なんか、さっきから妙な気配というか、何もいないんですけど、何かあるような感じがしてすごく気持ち悪いんですが……」 「俺も同じです」  桂木が自分のバックパックを探りながら答える。 「明らかにこの祠についてから、何かいるような気がするのですが、それが何かわからない。こういう、何かを祀っている場所に本当にそれがいる場合はもっとはっきり気配がすると思うのですが……ここは、そういったものの存在が希薄というか、不確かな感じなんです」  存在が希薄、という言葉が妙にしっくりきた。確かに、俺もここに何か「いる」とは思うのだが、それがとても「薄く」感じる。  そうこうしているうちに桂木が次々と背負っていたバックパックから包みを取り出していく。中身は酒や米などのお供え物の類だ。  桂木曰く、「初対面の相手にいきなりものを尋ねるのは、人間相手なら大事にはならないけれど、神や怪異相手にそれをするのはリスキー」らしい。その土地に祀られている神ならば、これまで祀られてきた歴史や作法が記録に残っている場合が多いから、その作法にのっとって接触するのが無難なのだそうだ。今回は、この祠についての調査はあまり進まなかったらしく、一番無難なお供え物を持ってきたと桂木は言っていた。  包みを解いたそれらを、祠の前にある古びた石の上に並べた。石は人工的に平らにされたもので、いかにも供え物を置くにふさわしい場所だった。これまでここにお参りに来た人たちも、ここに何かを捧げていたのかもしれない。  その後、桂木をまねて神社でも参るかのように柏手を打った。そのまましばらく待ってみたが、何も起こらない。気配の濃さもうっすらとしたままで、ただただ風が時折吹き抜けるだけだった。  横で短く桂木がため息をつくと、持っていたバックパックを背負いなおした。 「これ以上ここに居ても何も起こらなさそうです。行きましょう」 「……了解です」  妙な気配の原因もわからないし、何も収穫なしか、と内心落胆する。俺と桂木は仕方なく、そのまま下山した。  山道を無事に抜け、舗装された道路を歩いて駐車場へと戻る最中、ポケットで俺のスマホが鳴りだした。画面を見ると、支援室からの着信だった。通話をオンにすると、案の定浦賀の声がスピーカーから漏れ出した。 『お疲れ様っす! ええっと、さっき美津さん経由で連絡があったんすけど、丹麗奈さんへの聞き込みは、今日の学校が終わってからなら大丈夫だそうです。吉野さん達が学校の調査をする予定だって言ったら、そのまま学校で待ってるって言ってました。待ち合わせ場所は部活棟の前だそうっすよ』  できるだけ早く麗奈と話をしたいと思っていたため、その知らせは嬉しいものだった。部活棟の場所は校内の見取り図に載ってますよ、と言われ、そういえば以前そろえてもらった調査資料の中に見取り図もあったなと思いだす。 「そうか、了解。部活棟の前だな」 『あと近藤夕実さんと、矢来まるち? さんのお二人ですけど、そっちの方は本人たちが聞き込みを拒絶してるらしくって、まだアポ取れてないって話っすね』  俺はそう聞いて内心、困ったなと思う。警察からの要請だと言えば、彼女たちから話を聞くのは簡単だろう。でも、それをするのはなるべく避けたい。  あまり警察に対して悪感情を持ってもらいたくないのだ。ただでさえこちらに非協力的な態度なのに、さらにこちらへの警戒が高まれば、聞けるものも聞けなくなる。  俺は少し思案して、こう答える。 「……浦賀。とりあえず今日は、校内の調査と、麗奈さんへの聞き込みをしてくる。夕実さんとまるちさんの二人は、もう一度美津さんに説得してもらおう。そう、美津さんに頼んでくれるか? できれば、明日にでも聞き込みに応じてもらえると助かる。……もし美津さんでも駄目なら、警察として、聞き込みをお願いしに行くしかないかな……」  弱気になった語尾に、さらに大きなため息を付け足す。美津の説得が成功してくれるよう祈るしかない。そんな悩ましい俺の心中など意に介さず、浦賀はのんきな声で答えた。 『あいー、了解っす。じゃあ諸々連絡しておきますね。あと、学校に行く時ですけど、目立たないように職員用の駐車場を使って、正面の昇降口じゃなく教職員用の裏口を通ってほしいって連絡が来たっす。あ、裏口はわかりづらいんで、やっぱ改めて校内見取り図送りますわ。それじゃ、失礼しまっす』  浦賀はそれだけ伝えると、通話を切った。耳からスマホを下ろすと、桂木がこちらを見ていたので、会話の一部始終を端的に話して伝える。俺の応対を聞いていたからあらかた内容はわかっていたようで、桂木はただ頷いただけだった。

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