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見ると男は当初よりも斜めに姿勢を崩している。相変わらず表情は見えないが、何とはなしに、退屈しているように見えた。
「昨日、俺の住んでいる部屋に何かがやってきて、扉を叩いて『いまいちどもうでよ、まいれよ』と残していきましたが……あれはあなたの使い、でしたか」
「おそらくそうじゃ。吾は詳しくは知らぬ。吾はただ『呼んで来い』と使いのものに言うただけじゃからなぁ。なんぞ無作法でもあったか、」
「いえそういうことは無いですが……。俺の他に、十七歳くらいの女の子にも、使いをやりませんでしたか」
俺のところに昨晩やってきた何者かが残した言葉は、麗奈のもとへやってきたそれと同じものだった。
あれがこの男の向かわせた使いならば、麗奈のもとへ来た何かもまた、同じ存在なのかもしれない。
「……ああ、そういえば居たな。そう、あのおなごもおまえと同じように、吾が渡しをつけるに易い御魂(みたま)をしておったからな。しかし、呼んでも招いてもあのおなごは来なかったのう……。そこに、おまえさまのような更に居心地のよい男がやってきたから、今度はおまえさまに声をかけたのじゃ」
「そ、その女の子は、祠へやってきたんですか?」
急きこむように訊ねると、男は大きく頷いた。心臓がひとつ大きく脈打つ。やはり、麗奈は俺たちに隠し事をしていた。彼女は実は、祠へ行ったことがあったのだ。
俺達は四人と話をした際に、桃羽様の秘密について興味を示していた。麗奈に後ろ暗いことが何もないのであれば、祠に行った、と俺達に打ち明けてもいいはずだ。それが無かったということは、隠しておきたい何かが麗奈にはあったということか。
『私には何が憑いてるんですか?」
『それとも祟られているんですか? 何に? 私、私は……』
あの時麗奈が、抱えきれない不安と恐怖を吐き出すように言ったあの言葉は、祠へ行ったことが原因なのではないかと、半ば核心していたから出たものだったのではないか。
何かが“憑いている”、何かに“祟られて”いる。それは、祠に居た“何かに”、なのではないか、と。
更に俺は、麗奈が階段から落ちたことについても訊ねることにした。
「その使いのもの、というのは、彼女の家に行っただけでなく……彼女の体を引っ張ったり、その、階段から突き落としたりは……」
「あれは、わざとではない」
食い気味にそう言うと、男は不服もあらわに首をぷいと横へ向けた。
「あれをした使いのものはもう罰した。このさき十年あやつは石の下だよ、ああやれ、おなごじゃから優しゅうせいと言うたのに……」
「彼女が落ちた場所、あれは、あの場所だったことに何か意味は?」
「さて特に意味などなかろうが、しいて言うならば祠のある山に近い場所のほうが干渉しやすい。して、その場所とはどこじゃ?」
興味深そうに身を乗り出した男にそう問われて、俺は頭の中に校舎の構造を思い浮かべる。確かあの階段は、西校舎の端に位置していて、校舎の中では一番山に近い場所にある。そう説明すると男は考える仕草をしつつ、
「山に近い場所ならば、それだけ使いの力も強うなる。ほんの少し触れるつもりが、勢い余ってしまったのかもしれん。なんにせよ、使いのものに人を害する動機はない」
「……その場所で、数日前に、使いをやった女の子の友達が同じように転落して死んでいます。それに、心当たりは、」
「んん? 知らんな。吾が使いをやったのはそのおなごとおまえさまだけ。他にすべき仕事など吾のようなおちぶれた神にあると思うか」
男はそう言い、憂いからか呆れから、ハッ、と嘆息する。
その言葉を信じるのなら、この男が直接関係していたのはあくまで麗奈だけで、サツキの死には無関係ということになる。麗奈があの場所で転落したことも偶然だったわけだ。
未だにサツキの死の原因という謎は残っているものの、麗奈に降りかかっていた問題は、解決したということになる。それなら、と俺は男に問いかけた。
「俺がこうしてあなたの招きに応じたということは、もう彼女には何もしない、ということになりますよね?」
「ん、ああ、そうなるな」
そう聞いて俺は安堵に大きく息をついた。本当によかった。これで、麗奈が姿の見えない何者かに怯えることはなくなる。
麗奈は俺達に隠し事をしていて、それについてはもう少し事情を聞かなければならないが、それでも、彼女が怯えていた問題の一つを解決することができて本当に良かった。
(麗奈さん……あと、美津さんも。少しは元気になってくれるといいな)
麗奈は、受け答えはしっかりしていたが、それでもまだ未成年だ。あんなに憔悴しきった表情は見ていてとても辛かったし、きっと友達である美津もしんどかったと思う。
「ま。それもおまえさまが吾の願いをしっかりと聞き入れればの話じゃ。しかと励めよ」
「そ、それは! ちゃんと俺が叶えますから、もう彼女には……」
「冗談じゃ、本気にするな」
「……」
一瞬、本気で慌てた俺にそう言って、男はかっか、と豪快に笑う。俺は胸をなでおろし、同時に目の前の男の胸倉をつかみたくなる衝動を必死でなだめた。相手は、人に見えてもその実得体のしれない怪異だ。下手に手を出したら、何が起こるか分かったものじゃない。
俺は一度深呼吸をして気持ちを落ち着け、再度頭を働かせ始めた。
(……それで、麗奈さんの身に起こっていた現象は謎が解けたわけだが、そうなると次は、『どうして祠へ行ったのか』、と『なぜ祠へ行ったことを隠したのか』が謎だな……)
考えていると、視界の端を真っ白い何かがはためいた。
見ると男はいつの間にか正座を崩し、ソファの背もたれにどっかり背を預けていた。視界を横切ったのは、伸ばされた足先を覆う着物の裾だったようだ。
ある意味今の状態がソファの正しい座り方であるのだが、問題は男が明らかにこのやりとりに飽きている様子だということだ。
この男の捉えどころのなさは、これまでのやりとりで、もういいというほどに実感している。この男は多分、自分がそうしたいと思った瞬間に、「飽きた」の一言でこの問答を終わりにさせるだろう。こちらへの気遣いも配慮も何もなく。そう断言できるほど、この男からは普通の人間と違う、超越した雰囲気を感じていた。
「それで、その女の子が祠へ来た時ですが、いったい何をしに来たんですか?」
「ああ、……祠に参っておった。どうやら縁結びのようであったな」
縁結び。確かに、彼女たちの聞いた噂では、桃羽様は恋愛の神様だとされていた。その噂を聞いて祠へ向かったのか。
五人みんなで行くのではなく、たった一人、そして親しい友人にも内緒にして。
自身の悩んでいた怪異現象を唯一打ち明けた相手である美津にも、祠へ行くことは黙っていた。単に恥ずかしかっただけなのかもしれないが、その事実が何か大きな棘のように、どうしても引っ掛かる。
気が付いたら口を開いていた。
「……ほかにも、最近女の子が縁結びに来ませんでしたか?」
「ああ、来たぞ」
その一言に飛びつくように、思わず身を乗り出していた。
「それはいつの事ですか、」
「はて、最後に来たのは……ひい、ふう、みい、よぉ…………ああわからん。十日だの七日だのそのくらいか前じゃ」
「……“最後に”ということは、何度か来ていたんですか?」
「ああ、“七日参り”じゃ」
七日参り、という言葉は、桃羽様の噂を説明した美津が言っていた言葉だ。確か、七日間連続で祠に参ることで、願いが叶うのだったか。
男は伸ばしていた足を抱え込むように座りなおすと、その立てた膝に顎を乗せた、だらしのないポーズで話始める。
「使いをやったおなご以外は、ひとり来たのみじゃ。七日参りはそも、縁結びのためのものではない。あれは吾にまだ力があったとき、おなごに子宝を授けるために行うものじゃった」
「その子の特徴は? 髪型や服装や……縁結びの相手の名前でもいいです。何か覚えていませんか?」
その不貞腐れた子供のような姿勢のせいもあって、つい、男が得体のしれない神なる存在であることも忘れ、一般人への聞き込みのように問いただしてしまった。
男は前のめりになった俺を鬱陶しそうに手で払うと、
「なぜそのような些事を吾が覚えておらねばいけないのだ……。その、使いをやったおなごと同じ格好だった。そのくらいじゃ」
「というと、制服? こう、黒い、俺が来ているような上着に、下は黒いスカートの……」
「縁結びのおなごは大抵同じ格好じゃ」
身振りで説明する俺のほうを見向きもせず、男はそっけなく答えた。……神に制服の説明をして何になるというのか。
少し冷静になって乗り出していた上半身を引くが、できればもう少し、手掛かりが欲しい。
「……ああ、じゃあ髪はどうですか? 長かったか短かったか」
「短い。おまえさまほどではないがな。それと“みこっけ”は無い、というぐらいじゃ、吾が覚えておるのは」
「みこっけ……?」
「巫女のケ、じゃ。おまえさまや、あのおなごのようなケ、はなかった、と云うておる」
そう言われて納得した。この男が干渉できるような気質、俗っぽく言えば、『霊感』が無かったということなのだろう。
それはともかく、髪の長さについては良い情報を得ることができた。あの五人の中で髪が短いのは、美津と夕実の二人だ。美津は顎より少し長いくらい、夕実は耳くらいの長さだったか。まるちはどちらかと言えば長いほうに入るだろうか。麗奈とサツキは肩より長いロングヘアなので除外される。
五人以外の日百高校の別の生徒が祠を参った可能性もあるが、彼女たちの話では、桃羽様の噂はあまりメジャーな話ではないとのことだった。
実態として、日百高校でどのくらいこの噂が浸透しているのかはわからない。しかし、本当にマイナーな噂話ならば、この数日間という限られたタイミングで桃羽様の情報を得ているあの五人……その中の誰かが、もう一人の参拝者として最も有力な候補になりえるだろう。
「……さっきっから、えらく問いかけが多いのう」
やけに表情豊かに見えてくる翁の面を横に傾けて、男が言う。本当に不思議だ。見た感じ木でできていて、もちろん表情など変わるはずもないのに、その面は見る者にくるくると目まぐるしく、いろんな印象を与える。それこそ本物の顔と表情かのように。
そのせいだろうか、この十数分で俺はこの翁面の男に対して持っていた緊張をまったく無くしていた。
「ええ、調べていることがあるので……」
ひょっとして、何か事件について知っていることはないだろうか。そう思って、さらに口を開きかけた時だった。
男は唐突にその場で立ち上がった。柔らかなソファの上で、すっくと仁王立ちをする。
そして、頭三つ分ほど下にいる俺を見下ろして言った。
「やれ、童のごとくなぜじゃなぜじゃと答えをせがまれるのも、たまには良いかと思うたが、疲れた。さておまえさまよ、これだけ付き合ってやったのだから、その勤め、しっかりと果たせよ」
「え……、あ、待っ」
まって、の一言が言い終わらないうちに、ソファの上から見下ろしてくる男の姿が再び真っ白に塗りつぶされた。
唐突な視界の明転に、目を閉じているのか開いているのか一瞬わからなくなり、さらには上も下も不明瞭になり、俺は広がり続ける白塗りの空間に身を投げ出した。
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