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 俺はふと、目の前で揺れるそれが、瞼を透かして入ってくる日の光であることに気が付いた。それと同時に、自分が目を閉じていることを認識する。途端に、全身にかかる重力が戻ってきて、どっと体の重さを全身に感じた。  ゆっくりと目を開ける。目の前にぼんやりと映る何かがあった。ぐらぐらする頭は何かに支えられている。言葉にならない呻き声だけがくぐもったまま喉から這い出した。 「……吉野さん?」 「…………う……」  二重にぶれる視界が、瞬きを重ねるうちにはっきりと像を結んでいく。桂木の顔がこちらを覗き込んでいた。  その後ろには、ちらちらと光を透かす木の葉が揺れている。ここは―――あの、祠のある山の中だ。俺はそこで仰向けに横たわっている。頭の下にあるゴワゴワした感触は、桂木のバックパックだろうか。 「―――かつらぎ、さん。今、おれ、どのくらい……」 「20分くらいです。吉野さんが気を失って、……起き上がらないで、まだじっとしていてください」  呂律の回らない問いかけに桂木が答えるのを聞きながら、俺は上体を起こそうとする。しかし、すぐに桂木がその動きを制した。  手足は動くか、気分は悪くないか、桂木の質問に半ば夢うつつのまま答えていくうちに、だんだんと頭が回るようになってきた。桂木の助けを借りて、ゆっくり体を起こす。眩暈はするし、体は徹夜明けのように疲労していたが、痛む箇所はない。  おそらく俺は祠の前で倒れたのだろう。多分、あの謎の空間で男と話していた時間、俺は現実では気を失っていたのだと思う。  ちらり、と祠のほうを見ると、意識を失う寸前に見た人影は、当然ながらそこにいない。ただつくねんと、古い木の祠が立っているだけだ。 「まずは、山から下りましょう。少し休んだ方が―――」 「……れ、麗奈さんは、もう大丈夫です」  ただ頭の中に浮かんだ言葉が口を突いて出た。回らない舌にもどかしさを覚えながら、乾燥した口で唾を飲み込む。 「も……桃羽様が……麗奈さんを呼んだせいなんです、でも代わりに俺に頼むから、麗奈さんはもう大丈夫です。何も起こらない。それに、他にも祠に……」 「ちょっと待って、……話は車に移動してからにしましょう。立てますか?」  そう言われて、俺は何か言い返そうとして、結局やめた。実際、頭がぼんやりして何を喋っているのか自分でもわからない状態だった。  俺は仕方なく頷くと、おとなしく桂木の肩にもたれ、不安定な山道をゆっくりと下った。  山道から抜け、駐車場に止めてある車にたどり着くと、桂木は後部座席の扉を開けた。促されるまま、後部座席の上に力の抜けた体を横たえる。  柔らかなシートの感触が心地よい。桂木はバックパックや車に積んでいたタオルなどを丸めて、俺の頭に枕代わりに敷くと、自分は運転席へ回って座った。  酷かった眩暈が、弾力のあるシートに吸い込まれていくように徐々に薄まっていく。俺は目の上に腕を当て、回る風景を視界から締め出すと、ゆっくりと口を開いた。 「……多分、桃羽様と話しました。俺が、こういう体質で、桃羽様と話すことができる人間だったから、もう一度祠に来るように呼んだんだそうです。それで、桃羽様と話を……してきました」  それから俺は、あの空間で話したすべてのことを桂木に話して聞かせた。  桃羽様の事、その力と、奇妙な頼みごとのこと。麗奈が祠へ来ていたこと、麗奈に起きていた怪異現象は桃羽様が原因だったということ。麗奈以外の、日百高校の生徒と思しき人物が祠へ来ていたこと。  一通り話し終える頃には、眩暈もだいぶ収まっていた。俺は目の上の腕をどけて、上体を起こす。そして後部座席からいったん起き上がり、助手席へと回った。この方が桂木と話がしやすい。今自分が得てきた情報を、桂木がどう判断するのか興味があった。  桂木は無言のまま、口元に手をやって考え込んでいた。俺はその思考の邪魔をしないように、桂木から口を開くのを待つ。やがて、桂木はふっと顔を上げてこちらを見た。 「……まず、祠の移動云々というのは置いておいて、……麗奈さんは祠へ行き、それがきっかけで桃羽様が彼女を呼んだ。それが怪異現象の原因だったと。そして、麗奈さんが階段から落ちてしまったのはまったくの偶然で、サツキさんの転落死とは無関係。これから先麗奈さんに怪異現象が起きることもないから、麗奈さんはもう安全だということですね」 「ええ。まずは一安心です。……結局、サツキさんの転落に関する手掛かりはありませんでしたが」  俺達がこの事件に関わるきっかけになったのは、麗奈が悩まされていた怪異現象について相談を受けたことだ。その、麗奈の悩みはこれで解決したわけだが、支援班として正式にサツキの転落死事件に関わるとなった以上、“サツキの転落死”に怪異が関わっているか、までを調査で明らかにしなくてはならない。  麗奈に起きていた怪異現象がサツキの死に関係していなくても、サツキの死そのものに怪異が関わっていないとは言い切れない。  そして何より、怪しいのは祠へ参っていたというもう一人の人物だ。 「その、桃羽様が言っていたという、祠に参っていたもう一人の人物が誰なのか、気になります。彼女たち五人の中の一人がお参りをしていたのだったら、サツキさんの死に関係があるかもしれない」  桂木のその意見には、俺も同意だ。あの時期に祠に行った日百高校の生徒がいるのなら、あの五人のうちの誰かである可能性が高い。 「あの五人以外の誰かがお参りに行った可能性もありますから……ひとまず、学校内でどのくらいあの噂が浸透しているのか、調べてみたいですね」 「そうですね……他の生徒か、先生にも聞いてみましょう」  それだけでなく、美津たち四人にも改めて、祠に行ったことは無いか聞いてみる必要があるだろう。もしかしたら、一対一の場なら話してくれるかもしれない。  麗奈だって、他の友人たち全員に、祠へ行ったことを黙っていたのだから。 「……サツキさんの死に、本当に怪異が関わっていないとしたら、原因は、やっぱり人間関係……なのか?」  麗奈の隠し事から想起されたのか、俺はそんなことを呟いていた。仲の良い友人同士でも、隠し事はある。  横で桂木がヘッドレストに頭を預け、車の天井を見上げながら言った。 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……。そもそも、偶発的な事故かもしれない」  桂木も俺と同様、独り言のような呟きだった。その声を聞きながら、俺はじっと中空を見つめて考える。  サツキ自身は、少し前まで自身のセクシャリティで悩んでいたようだが、それは美津に相談したことで解決に向かっていたようだ。それが原因で自殺したとは考えられない。誰にも知られていない悩みがあって突発的に自殺した可能性もあるが、やはり、自殺の線は薄いと感じる。  そうなると他殺か事故が有力だが、他殺なら何かの因果があるはず。家族か、友人か、そのほかの人間関係か。  その考えを言葉にして桂木に話すと、「そうですね」と桂木が同意を示してくれた。 「……しかし、原因が人間関係にあるとわかった瞬間、そこから先の調査は俺たちの仕事じゃなくなります」 「あ、それもそうか……。ともかく、怪異の関連性について、今日の調査で少しでもわかればいいんですが、」  何気なく桂木を見てそう言ったのだが、同じようにこちらを見て頷く桂木とばっちり目が合ってしまい、どこか不思議な気分になった。珍しく目元が見えているからとか、そういう事もあったが、 (なんだろう……こう、事件の謎を話し合って整理して……こういうの相棒っぽいなぁ)  頭の中に唐突に浮かんできた『相棒』という言葉に、急激に気恥ずかしくなって目をそらす。しかし、一度言葉にしてしまうともうなかったことにするのはできなくて、むずがゆい嬉しさがじわじわ胸を浸食した。  桂木と組みはじめたころは、桂木は俺に事件についてわかったことがあっても話してくれないことが多かった。こんな風に、自然と二人の間で意見交換ができるなんて。少しは俺も桂木に信用されてきているのだろうか。 (……いや、調子に乗るな。だいたい、まだ桂木さんの調査協力もろくにできてないだろうが)  そう自分をたしなめたが、一度感じた喜びはそう簡単に収まってくれない。やがて、そのふわふわした嬉しさは、居てもたってもいられないほどの衝動に変わっていった。  もっと桂木と対等に話せるよう、経験を積みたい。信頼される人間になりたい。そのために、早く調査に向かいたい。  すぐにでも駆け出したいような気分だったが、あいにく体のほうはまだ猛烈なだるさを訴えていた。眩暈は収まったが、自分の一挙手一投足がどうしても鈍い。 「……吉野さん、具合は大丈夫ですか。この後の捜査は、行けそうですか」 「大丈夫です。今は眩暈も直りましたし、体が怠いだけですから……ぶっちゃけ、少しだけ寝させてもらえたら、ありがたいですけど。」  実際、先ほどから何度か睡魔を感じていた。多分、今眠ったら、かなり熟睡できる自信がある。  それを聞いて、桂木は少し思案して言った。 「約束していた夕方まで時間があります。俺はもともと、時間まで情報収集して過ごすつもりでしたけど、吉野さんはその間ヒマでしょう。その時間、休んでいたらどうですか?」 「で、でもいいんですか。その情報収集、俺も手伝いますよ」  桂木が調査を続けると聞いては、眠ってもいられない。そう食い下がったのだが、桂木は「個人的な伝手に連絡するだけなので」と俺の手伝いを断った。  しばらく、どうにかして役に立ちたい俺と、休んでいたほうがいいという桂木の間で押し問答が続いたが、根負けした桂木が折衷案を提案してきたので、それで手を打つことに決めた。 「わかりました。じゃあ、こうしましょう。……実はこの後、桃羽様の話に出てきた“万代の社”について確認したいと思っていたんです。おそらく、“万代の社“とは隣町の“万代神社”の事です。そこの境内を見て回るので、それだけ一緒についてきてください」 「! 実在したんですね、分かりました、行きます!」 「ただし、運転は俺に任せてください。今の状態じゃ吉野さんに運転は任せられませんから」 「あ、それは……はい」  桂木にしては珍しく、あからさまなほど苦々しい表情をしている。よほど俺がしつこくて参ったのか、困ったな、とでも言うように、指でこめかみを引っかいてまでいた。  その珍しい桂木の様子をまじまじ観察していると、再度厳しい視線が飛んできた。 「それから神社に行った後、吉野さんはどこかで寝てください。俺はしばらく、個人的な知り合いに連絡を取らなければいけないので、電話とメールにかかりきりになります。その間は吉野さんにできることはありませんから、何もせず、寝てください」 「……はい」  ただでさえ怖い半眼がさらに脅しつけるようにこちらを見てくるものだから、俺はおとなしく返事をするしかなかった。  手伝いができないのは少し不満だが、これも桂木の気遣いには変わらない。俺はシートベルトを締める桂木に、「ありがとうございます」と頭を下げた。  桂木は短く、いえ、と返事をすると、俺がシートベルトを締めたのを確認して、静かに車を発進させた。  ----------

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