65 / 120

14

   滑らかに車を操り、道を走っていく桂木を横目に、俺は眠気をこらえてスマホをいじっていた。  桂木も知っていた万代神社について、もしかしたらネットに情報が載っているかもしれないと思ったのだ。だが、検索しても地図情報が出てくるばかりで、詳細な情報は何も出てこない。 (うーん、マイナーな神社なんだな……)  眠い頭でのろのろと、検索ワードを足したり変えたりしながら検索するうちに、車は隣町へ入った。そのまま、なんの成果も出ないうちに、車は万代神社の前へ到着した。  万代神社は、決して大きくはないが、鳥居と社、手水場がある、普通の神社だった。敷地の奥にはさらにいくつかの社と、用途のわからない石塔、そして最も奥まった場所に住居らしき建物がある。地面は土がむき出しで、その上に、真ん中の社へ続く一本道を作るように、石畳が敷かれていた。  桂木が鳥居の下をくぐるのに合わせて、自分もその後に続く。車で休んだおかげで、とりあえず普通に立って歩くことはできるまで回復していた。  桂木はまっすぐに社へ向かう。まず最初に社に参拝するようだ。うろ覚えな知識で、まず手水場で手をすすぐかと思ったが、手水鉢の水は枯れていて、中にはカサカサの落ち葉がたまっているばかりだった。  神社ではお辞儀と柏手をするのだと、テレビか何かで見て知っていた。お賽銭を入れるのは言わずもがなである。だけど何となく気おくれして、俺は桂木の動きを窺ってから、まねをするように社に向かって頭を下げた。桂木の仕草は自然で、いかにもこういった場に慣れているようだった。  手を合わせるが、願い事は特にない。ひとまず、今回の事件が早く解決しますように、と願った。ついでに、あまり怪異を見ませんように、とも願っておく。  顔を上げるとすでに桂木は俺に背を向け歩き出しているところだった。慌てて追いかけて、並んで境内をぐるりと周り歩く。  鳥居の正面に本殿があり、右手には枯れていた手水場、左手には柵で区切られた空間がある。柵の内側には砂利が敷かれ、小さな立札と共に背の低い木々が植わっており、ちょっとした庭のようになっている。  桂木はその立札の前で歩を止め、かろうじて判読可能なその文字を読んでいる。そこに書かれているのは、どうやらこの神社の縁起についてだった。  この万代神社というのは、山戸町の隣町である地引町(ちひけまち)……もとは地引村だったそうだが、その地引村の産土神を主神として祀っている。その縁起は、はるか昔、まだ人の住んでいなかったこの地に人が住み始めた時までさかのぼる。  この地一帯はもともとが荒れた土地で、作物も育たず山に木もなかった。そこに、山の向こうの、作物も育ち、木もよく伸びる土地の土をもらい受け、この地に撒いた。すると、荒れた土は見る間に潤い、人が住めるほど豊かな地になった。  それからというものこの場所は、“山向こうから恵まれた土地を引っ張てきた”場所ということで、地引(ちひけ)と呼ばれるようになった。  そして、快く土を分けてくれた山向こうの神への感謝と、またこの地を末永く見守ってくださるよう祈願をこめて、人々は社を作り、そこに、山向こうにいた神を祀った。それが、万代神社の起こりだった。  また、その当時は隣町である山戸町も含め地引という地名だったそうなので、この二つの町は縁の深い土地なのだそうだ。  朧げな文字の中に、読み方のわからない漢字がある。俺は首をひねり、「桂木さん、」と声をかける。 「この、さん、ど? 神というのは……」  俺の指さす手元を覗き込み、桂木は、ああ、と頷く。 「うぶすな、と読みます。その土地に生まれた人間を守護する、その土地の神様です」  そう言うと、桂木はおもむろに立ち上がって境内の少し奥へ歩いて行く。  振り返り、ちょいちょいと手招きされたので、呼ばれるままについていくと、桂木は本殿とは別にある小さな社を指さした。 「あれは境内社(けいだいしゃ)といって、神社の中に主神とは別の神を祀っている社です。ここはお稲荷様ですね」 「あ、お稲荷様は聞いたことがあります」  薄暗い朱塗りの格子扉の奥に、うっすらと狐の像が見える。  次に桂木は、立札の横に立っている低い石塔の前で屈みこむ。続いて俺もそちらを覗き込むと、 「……この石塔は、この土地のはやり病でなくなった人の魂を祀っているもののようです」 「へぇ……」  文字の刻まれた石は、風雨に削り取られ形があいまいだが、桂木にはしっかりと読めるらしい。多分、こういったものをたくさん見ているから、読み取ることに慣れているのだろう。  やはり、桂木はこういったことに詳しいのだなあと改めて感心する。と、そこで俺はふと、ここに来た理由を思い出す。  桃羽様は、この万代神社に自身の祠を移設するように俺に頼んだわけだが、果たしてそれは、誰に、どのように頼めば可能になるのだろうか?   冷静に考えれば、それをするためにはまず万代神社と、祠のある山を管理している町役場に了解を得なければならないし、ただ移設するにしても必ず費用が発生する。それはいったい誰が払うのだろうか。  その疑問をさっそく桂木に尋ねてみると、桂木は思案しつつ答えた。 「考えられる手段としてはいくつかありますが……。俺の知り合いの神社関係者の伝手を辿って、その人づてに伝えることはできるかもしれません。ただ、俺の伝手にそのような人が果たしているかどうか……俺はもともと神社の子ってわけじゃないですから」 「へぇ、じゃあどんなご縁で神社と仲良くなったんですか?」  特に考えもなく発した一言だったが、桂木はふつり、と口を閉ざしてしまった。そして、少しの沈黙の後、「……哲生が、神社にゆかりのある家系だったので、」と言った。  あ、と思った時にはもう遅く、気まずさをそのまま表情に出してしまった。取り繕うように平静なふりをして、「そうだったんですか」と相槌を打つ。  気にするほどの事でもないはずなのに、唐突に出てきたその名前に、心臓がトクトクと奇妙に脈打っていた。  哲生。その名前は俺にとって、桂木と俺の間に横たわる、決して近づきがたい距離を象徴する言葉だ。  彼について知りたいとは思う。だが、それを口にするには、桂木と俺の距離は離れすぎている気がした。  無遠慮に踏み込んで桂木を不快にさせたくない。……何より、この間の事のように、そうやってもう一度拒絶されることを、俺自身が恐れている。  一瞬の沈黙の後、桂木が何事もなかったかのように話を再開する。 「……それ以外の方法だと、そうですね……。事件の後処理の一環として、支援班室の、その上にいる人たちに任せてしまうのが一番現実的ではないでしょうか」  言われて、俺は思い出した。支援班が調査し、怪異が関わっていると判明した事件はその後、終息を図るために、しかるべき組織がしかるべき処置をする。  怪異の起こした人死は、犯人死亡や犯人逃亡、事故などの形で収められる。そして怪異そのものについては、いつの間にか事件跡地に派遣される宗教人、お払い屋に任せられる。  そういった手配をするのは、俺達がけして知ることのできない、支援室よりももっと上層の組織だ。 「万が一、サツキさんの事件に祠が関係していなかった場合、もしかしたら支援班の管轄外になるかもしれませんけど……まあきっと、何とかなりますよ」 「……何とかなるといいですけどね」  上層部も桂木のつても使えなくなるような事態になったら、俺にはもうどうすることもできない。そうならないことを祈るばかりだ。 「……そろそろ、戻りましょうか」  一通り境内も見終わったところで、桂木が俺に声をかける。そうですね、と歩き出したところでふと、思い出したかのように空腹感を覚えた。スマホをとりだして見れば、表示されている時刻はとっくに昼を回っている。  俺は桂木と相談して、山戸駅付近の喫茶店、『マーブル』で昼食をとることにした。この間、美津達と話をした喫茶店だ。あそこなら長居もできるしテーブルもあるということで、そこで夕方まで待機しようという話になった。  まだ運転に自信の無い俺に変わって、桂木が車を走らせる。万代神社から山戸町へはすぐの距離だった。  以前と同じ駐車場に車をとめ、歩いて店へ向かう。レトロな扉を開くと、平日だからか、店内はすいていた。これなら、長居しても大丈夫だろう。  その後、めいめいに食事を注文した。桂木はナポリタン、俺はオムライス。  食後、さらに二人とも追加で頼んだプリンを平らげた頃には、俺の眠気もピークに達していた。おもむろに自前のノートPCを取り出して作業を始める桂木を眺めつつ、俺は鼻先をくすぐるコーヒーの香りに包まれて、つかの間の休息をとった。  ------------------------  そして夕方、約束の時間がやってきた。  数時間の間爆睡していたためか、体の怠さはかなり楽になっていた。  俺と桂木は学校へと向かうと、昨日と同じように教職員用の通用口へ向かった。そこで待っていたのも、昨日と同じ真壁と名乗った教員だった。こちらにおもねるような態度は昨日と変わらず、ぺこぺこと頭を下げながら俺達を校舎内へ招き入れる。  真壁の話によると、今回は事前に夕実とまるちへの聞き込みを行うと連絡を受けていたため、気を聞かせて面談室を用意してくれているらしい。当の二人も学校側が呼び出して待機させているという。今から、そちらへ案内するとのことだった。 (直前で二人が逃げ出さないか心配だったけど、むしろこうなると、二人の態度が頑なになりそうで怖いな……)  そんなことを思いつつ、俺はひとつ、真壁に聞かなければいけないことを思い出し、その背中に声をかけた。 「あの、すみません。ひとつ、先生方にも聞いておきたいことがありまして。……生徒間で、桃羽様の噂というものを聞いたことがありませんか?」 「は? モモウ……?」  突拍子のない質問に、真壁は立ち止まって振り返り、困惑の表情を浮かべる。補足するように、「恋愛成就のおまじないとか、学校の七不思議とか、そんな感じのノリの……」と付け足す。真壁は、はぁ……と不思議そうな顔をしつつ答える。 「そんな噂は聞いたことがないですねぇ……」 「もし、そういう噂が生徒間で流行っていたとしたら、先生方はお気づきになるのでしょうか」 「ある程度流行していたらそりゃ、気が付きますよ。もう一昔前になりますが、こっくりさんなんかは流行ったのがすぐにわかりました。他にも、ミサンガだの、あと女子高ですから恋愛系のおまじないなんかは、生徒の間で流行ればだいたい気が付きますね」  真壁の見た目は五十半ばといったところで、教師歴も長いのだろう。その言葉には実感がこもっていて、信用できると思った。  その教師から見て、聞いたことの無い噂なのだとしたら、この桃羽様の噂も日百高校ではあまり流行っていないのかもしれない。念のため、後で時間があったらほかの教師や生徒にも聞いておこう。  それがどうかしたのかと真壁に聞かれ、適当にごまかして先を促すと、真壁は気にしたふうもなく、再び面談室への道を先導して歩き出した。

ともだちにシェアしよう!