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   案内されたのは、西校舎の一階の半ばにある教室だった。『面談室』とプレートの掲げられている教室の、また更に隣の教室に案内される。そこには、夕実とまるちの二人のほかに、麗奈と美津もいた。円になるように椅子を並べ、互いに顔を合わせて座っている。八つの目が一斉に、教室に入ってきた俺たちを見た。 「……あれ、今日用があるのは、近藤と矢来だろう。他の生徒は帰りなさい、」 「いえ、構わないです。むしろ近藤さんと矢来さんは、その、警察と話をするのは緊張もするでしょうから、友達には残っていてもらった方がありがたいです」  ね、と同意を求めるように美津へ視線を送ると、はっとして力強く頷いて返してくれた。賛同するように麗奈も頷いてくれるが、他の二人は不本意そうに俯いたままである。  その後、付き添いにと真壁も一緒に残ろうとしたが、それは俺と桂木で丁重にお断りした。  しぶしぶ廊下を歩いていく真壁の背中が見えなくなったところで、教室の中に目を移す。何も言わないうちに、夕実が椅子を鳴らして立ち上がった。 「……それじゃあ、面談室に」  促すように言った言葉にも何も返すことなく、夕実は黙って俺たちの後に従い、面談室へやってきた。  面談室は普通の教室と違って狭く、小ぶりなソファがローテーブルをはさんで対面に設置されている。部屋の奥には窓が一つだけあり、薄いカーテンが夕刻の赤い光をさえぎっていた。  奥側のソファに座った夕実は、膝に手をついて背を丸め、上目遣いにこちらをにらんでくる。まるで臨戦態勢の猫の様だった。 (……これは、なかなか話を聞くのに骨が折れそうだな)  今回の聞き込みの目的は、桃羽様の噂に関する情報を得ることだ。かといっていきなりその話題を持ち出すのは、警察の聞き込みとして不自然だ。そのため、不自然ではない程度に事件全般の質問をしてから、本題に入ることにする。  それまでに、少しでも夕実の警戒がほぐれてくれればよいのだが。  ちらり、と横目に桂木を見る。桂木はいつものように、じっと目の前の夕実を見つめていた。その威圧感のある雰囲気に、俺は前回の麗奈への聞き込みの時を思い出す。  今回は、こちらに最も警戒心を持っている夕実が相手だ。できるだけ刺激せず、うまく警戒をほどいてもらえるよう話を運んでいきたい。 (……桂木さんの言動がきつかったら、何とか俺がフォローしよう)  よし、と気合を入れて夕実に向き直る。相手を変に刺激しないよう、穏やかな口調を心がけて聞き込みを始めた。 「まずは、前回と繰り返しになってしまうかもしれませんが、改めてサツキさんのことについて、思い当たることが無いか話を聞かせてください」 「…………」  一通り、以前も聞いたような質問を繰り返していくが、夕実は始終不貞腐れたような態度で、そっけなく、以前と同じ回答を繰り返すだけだった。こちらを睨みつける以外は、ずっとそっぽを向いている。会話をする気などない、と言いたげな態度だった。  どうにか対話をすることができないだろうか。YESとNOだけでなく、言葉のやりとりが発生すればそれだけでも心理的なハードルは下がる。そう思ってさらに質問を続ける。 「そうですか。……では次ですが。サツキさんが落ちた現場は西の校舎の北側ということで、普段はあまり使われることのない階段だそうですが、サツキさんがあの時間、あそこへ行った理由はわかりますか?」  そう問いかけると、夕実はわずかにぴくり、と体を震わせ、直後に「知らない」とそっけなく返した。先ほどはじっとローテーブルを見つめていた瞳が、かすかに揺れている。 (動揺してる……のか?)  むっつりと不機嫌そうだった表情から、苛立ちや焦りと言った表情に変わっていく。  顔色の悪くなった夕実を見て、俺はぴたり、と言葉を止めてしまった。このまま続けていいのか? と心のどこかで制止する声が聞こえた気がした。  実際、沈黙した時間はわずかだったと思う。しかし、頭の中で渦巻く様々な考えや葛藤を抱えていた俺には、大層長い時間のように感じられた。桂木の声が鋭く発せられたのはその時だった。 「どころで、サツキさんは美津さんと幼馴染だと伺っていますが、夕実さんも幼馴染なのですか?」 「っ、え……?」  夕実が虚をつかれたように顔を上げると同時に、俺もハッとして顔を上げた。  俺の目線の先で、桂木はいつもの表情でそこに座っている。対する夕実は、あっけにとられたあと、皮肉気な表情を浮かべた。そして、明らかに悪意の混じる言葉をその口から投げかけようとした瞬間、先んじてそれを封じるように、桂木が声を上げた。 「―――ああ、すみません。話がとびとびになってしまうかもしれませんが、確認したい事項がいくつかありまして……お答えいただけると、ありがたいです」 「……っ」  その言葉は、わざとらしいほど慇懃無礼で、桂木にしては珍しくあからさまに相手を煽るような言動だった。  なぜ急にこんな態度をとるのか、俺は内心唖然としながらも、たしなめるような視線を桂木に送る。しかし、桂木は夕実から目をそらさず、俺のほうなど見もしない。  夕実は「そんなの事件に関係あんの」とでも反論しようとしたのかもしれない。だとしたら桂木の先回りはかなり効果を発揮したことだろう。夕実は腹立たしげに、喉の奥から唸るような声を出した。そして低い声で告げる。 「……あたしとまるちと麗奈は、幼馴染じゃない。中学校で美津とサツキと知り合った」  そう言うと、夕実はどこか寂し気な表情を一瞬浮かべた。先ほどと同じように俯いているが、その目には不貞腐れたような不満げな色ではなく、その話題に触れられたくないとでも言いたげな拒絶の色を浮かべている。  先ほどまで警戒心全開で身構えていた夕実だったが、今は動揺し、態度に隙を見せている。  桂木の質問は揺さぶりをかけるためのものだったのだろう。このままうまく質問を続けていけば、情報が聞き出せるかもしれない。だがそれを夕実に仕掛けるというのは、あまりに酷ではないか。  桂木の目にも、夕実の態度の変化が見て取れたのだろう。わずかに姿勢を正して、淡々とした声音をで桂木が問いかける。 「……話は変わりますが、桃羽様の祠の噂について……。祠には、皆さん全員、行かなかったということでしたが、」 「…………」  低く、またそれかよ、と、顔を横にそらして夕実が吐き捨てる。しかし、その声は小さく、顔は目に見えて青ざめていた。夕実はそのまま、黙って首肯する。 「わかりました。では、あの時期、ほかに祠に行った人物に心当たりはありますか?」 「……っ知らない」  その声は頑なだったが、震えていた。俺は桂木が口を開く前に、急いで口を挟んだ。  このまま桂木に質問させ続けていると、夕実が先につぶれかねない。 「そういう噂は、あまり学内では聞かないのかな?」 「……、うん、あまり聞かない」  質問の矛先が、自分から逸れたことに安心したのか、すこしホッとした様子で夕実は言う。その様子に少しだけ胸をなでおろすが、直後、夕実の顔が怪訝そうな表情に変わった。  あまりにも桃羽様の噂に俺たちが執着するからだろうか。不気味そうにこちらをみて、 「その祠が、なんかあったのか?」  と尋ねてきた。  それに対して、今度は俺の言葉をさえぎるように、桂木が素早く告げた。 「私たちも、その祠に行ってみて、念のためにいろいろと、調査はしてみたのです」 「……調査?」  その言葉に反応して、夕実が顔を上げた。 (だめだ)  目を合わせてはいけない、とその瞬間強く思った。その、心の奥底まで見透かすような目を見てしまったらきっと、夕実は決壊する。  口を挟む間もなかった。夕実と桂木の目線が交差する。そして彼女の目をとらえた桂木が、最後の揺さぶりをかけた。 「……最近、あそこに人が入った形跡がありました。……なのでどなたかあそこへ行ったことがないか、念のため確認でした」  それは明らかにブラフ、揺さぶりのために発せられた嘘の言葉だった。俺たちが祠を調査したのは事実だが、人の入った痕跡など見つけた覚えはない。  桂木は、このはったりで夕実が祠に行ったかを確かめようとしている。  夕実はしばらく無言で桂木を見ていたが、やがてゆっくりと唇を開き、呟いた。 「そ………れが、」  なんだってんだよ、と語尾が掠れて消えた。精いっぱいはった虚勢は、見るのが痛ましいほどはがれかけていて、今にも顔を歪めて泣き出してしまいそうだった。 (……こんなに、動揺している。もしかしたら夕実さんは……)  夕実を痛ましく思う気持ちと、疑ってしまう気持ちが、胸の内でせめぎ合う。  次にかけるべき言葉を見つけあぐねているうちに、夕実は桂木の視線から逃げるように顔を伏せた。  そして、その緊張に張り詰めていた体から、急にすべての力が抜けきったように見えた。いったいどうしたのだろう、と思う俺に、脱力しきった夕実の声が、ぽつん、と届く。 「……意味わかんない。なんでそんなのに興味持つんだよ。……もっと真面目に、捜査しろよ、っ」  その声は最初、力なく虚ろだった。しかし、言葉の途中から、まるで風にあおられて勢いを増す炎のように、声は激しい怒りに変わる。  自分で言ったその言葉に突き動かされるように、夕実がソファから立ち上がった。そして憎悪とも恐怖ともいえる激しい目で俺と桂木を睨みつける。 「あんなの馬鹿げた噂だろ!? 恋愛成就とか、マジうける。JKでも信じねーもんおっさんが信じてるとか……」  あはは、と毒づいた笑いを発する夕実だが、その目は笑っていない。そして、こちらを傷つけようと発した言葉が、そのまま夕実自身を傷つけているように思えた。女子高生でも信じないようなそんな、眉唾な噂を、信じるなんて馬鹿馬鹿しい。ありえない。でもそれを、一番信じているのは……。  しばらくじっと、息をのんで夕実の次の言葉を待っていた。しかし、夕実はただ黙って拳を震わせ、そこに佇んでいるだけだった。 「…………」  俺はもう隠すことすらせず、非難のまなざしを桂木に送った。しかし、桂木はもう我関せずと言った様子で、ただ静かに、聞き込みを終わらせるよう目線で促していた。  俺は仕方なく、ぷいっと視線を正面に戻すと、手元のメモ帳に支援室や業務用のスマホの番号を記して、夕実の前に差し出した。  夕実はただ項垂れてそこに立っていて、その打ちのめされた姿が気の毒で仕方なかった。 「……なんでも良いので、気が付いたこと、思い出したことがあったら、こちらに連絡をください」 「…………っ」  夕実は、差し出された紙と俺を交互に睨みつけるが、結局俺の手から紙をむしり取る。と、その勢いのまま夕実は、テーブルを蹴倒すかのような勢いで走り出した。面談室の扉を乱暴に開けると、廊下へと飛び出す。

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