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 廊下から目線を戻すと、麗奈がそろそろ、とこちらに歩み寄ってくる。その表情は昨日に比べてより憔悴したように見えた。  そんな、麗奈を伴って面談室へ入ったところで、ふと小さな疑問に気が付く。 (……もう麗奈さんには何も起きてないはずなのに、なんでこんなにやつれているんだ?)  桃羽様の話が真実なら、昨夜から怪異現象は収まっているはずだ。現に今、麗奈からは桃羽の気配がしない。  だというのに、昨日よりも憔悴しているように見えるのはなぜなのだろうか。  ソファへ腰かけた麗奈は、張り詰めたような表情で、体も緊張で縮こまっていた。昨日の聞き込みでは、最後の桂木の言葉に魂が抜けたように放心していたが……。  不安を覚えて桂木をちらちらと見るが、桂木は一度もこちらを見ない。もともと麗奈への聞き込みは桂木主体で進める予定だったが、麗奈がもし辛そうなら、できる限りフォローを入れることにしよう。  桂木が静かに口を開く。 「麗奈さんにまずお伝えしておきたいことが一つあります。おそらく今後、麗奈さんにあのような不可解な現象が起きることはありません」 「……ほ、本当ですかっ……!」  麗奈は勢いよく顔を上げると、目を丸くして桂木を見つめる。力の感じられなかった表情に、一瞬光が戻った。 「実際、昨日の夜以降、あなたのもとで怪異現象は起きていないのでは?」 「あ……そう、そうです、確かに……」  言われて気が付いたかのように、麗奈は頷く。しかし、その表情はまたみるみるうちに曇っていった。一番の心配事であったはずの怪異現象が解決したというのに、何か別の不安が、麗奈の胸の内をじわじわ浸食しているかのようだった。  その麗奈の不安にそっと触れるように、桂木が告げる。 「……率直に、お聞きします」 「……あ……」 「麗奈さん、あなたは祠に行ったことがありますね」  しばらくの間、麗奈はただじっと桂木を見つめているだけだった。息がつまるような時間が数秒流れ、彼女はゆっくりと頷いた。  そのまま、首が落ちそうなほど深く項垂れる麗奈に、桂木は淡々とした口調で告げる。 「私達も桃羽様の祠へ行って、調査をしてきました。詳しくは説明しづらいのですが、その調査の結果、麗奈さんの身にもう怪異現象が起きることはないと、そう判断しました」 「そう、ですか……、あの、それで……?」  麗奈は打ち沈んだまま、ごく自然にそう口にした。「それで?」とこちらの話の先を促すかのように。  これからの展開を悟っているかのような口ぶりだと思った。その表情にも、どこか諦めのような色が混じる。  桂木は余計な回り道をせず、率直な言葉を麗奈に投げかけた。 「お参りに行って何があったか、すべて話してもらえませんか」 「……何があったか、ですか……?」 「祠に行ったことを隠していたのは、お願いの内容が縁結びだから、というだけですか?」  そう告げられた瞬間、麗奈の表情が一瞬苦しそうに歪んで、そして、ふっとその表情が緩んだ。まるで何かを手放したように。  麗奈は震えるため息をつき、心底疲れ切ったような声で、ゆっくり口火を切った。 「……そうですね、私が最初から話していれば、こんなに皆さんが苦労することはなかったのに」  麗奈は、後悔のこもった口調で話す。だがその口調や表情からは、どこかほっとしたような雰囲気が漂っていて、先ほどまでの張り詰めた緊張感は消え去っていた。  麗奈がぽつりと呟く。 「刑事さん。……私の縁結びの、相手は聞かないんですね」  麗奈が桂木の目を見つめ、次いで、俺の目を見つめた。俺は虚をつかれて、とっさに目をそらしてしまう。  俺としては、正直なところ、相手の名前を聞くのは気が進まない。しかしそれは……ただの、俺個人の感情に過ぎない。調査の上では知っておいた方がいい情報なのは確かだ。  おそらく桂木なら、躊躇なく聞くだろう。そう思っていた俺の耳に、麗奈の「美津です」と言う声がきこえた。 「え……」  とっさに声を出してしまい、麗奈の方へ視線を戻すが、麗奈はこちらにつむじを向け、細い首筋を晒すほどに項垂れている。  その長い髪の下から再度、麗奈が告げた。 「相手は、美津です。美津との縁結びをお願いしに、祠へ行きました」 「……そうでしたか」  予想外の相手に動揺する俺の横で、桂木静かに瞑目し、そう返した。ふふ、と麗奈はさみし気に笑って言う。  俺の正面では、麗奈がゆっくりと顔を上げようとしていた。持ち上がる頭に合わせてつややかな髪が滑り落ちる。髪の狭間から、麗奈がこちらを見つめていた。  日の入りが迫り、今にも消えようとする夕日が窓から入り込む。薄暗い逆光。その中で濡れたように光るじっとりとした麗奈の目に、俺はつかの間動けなくなった。 「女の子同士、って思わないんですか? いえ、きっとそんなこと言えないですよね。みんな優しいから、思っても言わないの。美津だって、きっとそう。私が告白しても、……それが叶わなくても、ずっと友達でいようって言ってくれる。夕実も、まるちも、サツキだって、表立って私を『おかしい』とは言わないんだわ。だとしても、私が告白する前の五人には絶対に戻れない。きっとどこかで破綻する。だから……今の関係が壊れるくらいなら、一生言わないつもりだった」  美津は、サツキの悩みを受け入れていた。少なくとも美津は、きっと麗奈のことを差別したりはしなかっただろう。  それでも、表面上は何も変わらないとしても、彼女たちは決して「知らなかった頃の自分たち」には戻れない。 「おまじないくらいなら、そのくらいなら、夢を見てもいいかなって思ったの。七日参りをしたからって告白する気はなかった。でも、もし……奇跡が起きて、美津が私を好きになってくれたら、どんなに嬉しいだろうって、そう思うだけで……。だから、誰にも秘密で祠へいきました」  麗奈が、まるで遠くを見るかのように呟く。 「……不気味なことが起きて、不安でたまらなくて、でも、都合の悪いところだけ隠して助けてもらおうと思った罰でしょうか。美津に励ましてもらっている間、ずっと罪悪感で、胸がいっぱいだった。……サツキの事も、ずっと、私、もう、ごめんなさい。黙っているのが耐えられなくて、ごめんなさい。黙ってて、ごめんなさい……」  誰に向けてかもわからない謝罪が麗奈の口からあふれ出す。顔を両手で多い、麗奈は俯いた。 「ずっと一緒にいられたらよかった、だけなのに、どうしてうまく行かないのかしら……」  震える声で絞り出すようにそう言った麗奈は、はっ、と息をついて顔を上げた。  その表情は辛そうではあったが、何かの覚悟を決めた顔だった。麗奈が俺たちに何か告げようとしている。そう思って、俺はじっとその言葉を待った。 「あの時、私が祠に行ったときに、後から登ってくる人がいました。私は、とっさに祠より先の山道に身を隠して、その姿を見たんです。―――夕実でした」  自分でも半ば予想していたような気がする。その名前が出て、驚くよりも、ああ、やはり、という納得を先に感じた。  麗奈は懇願するかのようなに顔を歪めた。ただ、助けてほしい、と目の前の俺たちに訴えていた。 「夕実が、祠の前で縁結びのおまじないをしていました。その、相手が―――」  親友の秘密を打ち明けようと、震える唇を開く、その時だった。面談室の扉の外から、ガタン、という大きな音がした。  麗奈がびくり、と体を起こし、桂木は廊下を振り返り、俺は反射的にソファから腰を浮かせる。次の瞬間、ばたばたばた、というあわただしい足音が廊下を遠ざかっていくのが聞こえた。俺はとっさに、その足音を追って、面談室から飛び出していた。  廊下に出ると、隣の教室から美津が廊下に顔を出すところだった。彼女が、廊下の奥へかけていく人影に向かって「夕実!」と叫ぶ。同じ視線の先を辿ると、走る人影は二つだった。先を走る夕実と、それを追いかけるまるちの姿だった。  夕実を追いかけるまるちの、「ゆんちゃん、まって!」という声が廊下の奥に消えていく。俺は開けっ放しだった面談室の扉から室内を振り返った。 「―――夕実さん、ここに居たんだ」  麗奈の顔が青くなり、あ! と悲鳴を上げ、両手で口を覆う。俺は桂木に向かって叫んだ・ 「追いかけます!」  今度は止められることはなかった。俺は足元がスリッパなのにも拘わらず、廊下を走り出した。  既に彼女たちの姿は廊下の奥に無い。方角からして中央校舎に向かったのは間違いないはずだと、俺はそのまま廊下を突っ切った。  中央校舎へ入り、左右に伸びる廊下を見回すが、視界の中に二人の姿はない。後から追いかけてきた美津が、立ち止まっている俺の横をすり抜けて昇降口へ向かった。俺もその後について、昇降口の下駄箱の間をひとつひとつ見ていく。  後ろから桂木と麗奈もやってきて、麗奈が美津の隣へ走っていった。美津が下駄箱の一か所を覗いて言う。 「靴がない。外に行ったのかも……」  立ち上がった美津の顔は青ざめていて、不安がありありと浮かんでいた。俺もなぜか、嫌な予感がして仕方がない。麗奈も、そして桂木も。不思議なことに、その場にいる全員が何か嫌な予感を感じているということがわかった。  俺の脳裏に、何故かあの祠のある場所が浮かんだ。 「……裏山の、桃羽様の祠……」 「え……? なんで祠……」  戸惑うような声を出した美津は、不自然にふっつりと口をつぐんだ。美津の青ざめた顔、多分俺も同じような顔をしているのだろう。言いようのない嫌な予感が徐々に強くなっていく。  言葉少なに俺たちは昇降口から外へ出た。俺と桂木の靴は裏口にあるため、急いで取ってきた。向かう先は、互いに確認しあわずとも決まっていた。 「……あの、学校のグラウンドの横を突っ切っていくと、裏山まで近道なので」  そう言って先導する美津について、学校の敷地の中を突っ切っていく。グラウンドの横から道へ出ると、そこは山道入口に近い道の途中だった。  歩いてすぐたどり着いた山道の入り口は、傾きかけた夕日の頼りない光の中で、より一層薄暗い。山へ至る整備された道の上は、オレンジ色の夕日が強烈なコントラストを作り出しているというのに、一歩でも山へ足を踏み入れれば、そこは背の高い竹林に光をさえぎられた、夜のように薄暗い道だ。  その入り口近くに生える一本の竹の根元に、学生用のカバンが投げ捨てられている。まるで見つけてほしいとでも言うように。  美津がそのぺたんこの鞄を拾い上げると、「……まるちのです」と言った。 「行きましょう」  ここに二人がいる、とその場にいた全員が確信しただろう。俺達は山道へと入った。

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