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 薄暗い足元に気をとられながら、慎重に足を進める。黙々と登る四人の間には、嵐の前の静けさのような、張り詰めた緊張感が漂っていた。  夕実は、あの時廊下で、麗奈の告白を聞いていた。麗奈が「祠で夕実を見た」と、俺たちに秘密を明かすその瞬間を聞いていた。  麗奈に秘密を打ち明けるようにと促したのは俺達だ。だから麗奈は悪くはない。だが夕実はそんな事情を知らないだろう。夕実が外で聞いていたと知った時の麗奈の表情は、驚きと絶望が入り混じった悲壮なものだった。  夕実もきっとショックを受けたはずだ。友達が自分の秘密を赤の他人にばらそうとしていたのだから。だが何度でも言うが、それは俺たちのせいであり、麗奈だって好きで言ったわけではない。  むしろ麗奈はずっと、頑なに秘密を守り続けていた。警察官という、対峙するだけでも委縮する相手に対して。  夕実の誤解を解かなければ。でないと彼女たちはもう―――戻れなくなってしまう。  登るにつれて、徐々に桃羽様の気配が感じられるようになる。祠が近いためだろう。  その気配が濃くなるのと同時に、遠くから二人の少女が言い争う声が聞こえてきた。 「……―――だから! 全部こいつのせいなんだ!」 「ゆんちゃん、ねえ落ち着こう? いったん落ち着いて、ねえ、家に戻ろうよ!」  間違いなく、夕実とまるちの声だった。自然と足が早まる。その間も、激昂する夕実の声と懇願するようなまるちの声は、絶え間なく続いていた。 「私、あんなことするつもりはなかった!! まるち、私そんなつもりじゃ……!」 「うん、わかってるよ、ゆんちゃん、私わかってるよ、ゆんちゃんは悪くないから―――……」  道が開け、祠のある広場にたどり着く。先頭で歩いていた俺が真っ先にその光景を見ることができた。  そこには、迫る足音にも気が付かないほどに夢中になっていた二人が、祠を前にして向かい合っていた。  祠に正面から対峙する夕実と、その正面に回り込み、祠との間に割って入るように立つまるち。俺が広場へと足を踏み入れたところで、二人はようやく俺の存在に気が付き、同時に振り返った。 「夕実、まるち!」  後を追って登っていた美津が、俺の横をすり抜け、夕実たちのもとへ駆け寄ろうとする。  しかし夕実が「来ないで!」と叫ぶと、麗奈はその勢いに押されてピタリと止まった。  後からさらに、麗奈と桂木が現れる。  決して広くはない広場の中、互いに手が届くかどうかという距離で、六人もの人間が集まっていた。四人の少女と、二人の男。その中央には、古ぼけた祠。それは何とも、奇妙な取り合わせだった。 「ど、どうしたの夕実。何があったの。もう暗いから、今日は帰ろうよ、」  口火を切ったのは、美津だった。戸惑いの隠し切れない声でそう話しかけるが、夕実は聞く耳を持たない。 「美津には関係ない」 「なんでそんなこと言うの、わたし、夕実の力になりたいよ、どうして―――」  必死に呼びかける美津の後ろで、麗奈が静かに動いた。美津の半歩前に出て、夕実と対峙する。  夕実は麗奈の顔を見て顔を歪めた。「なんで、」と呟くように口元が動いたが、声はかすれていて聞き取れないほど小さい。  まるちはそんな夕実の腕に縋り付き、大きな目に涙をためて夕実を見ていた。 (……どう、したらいいだろう。この状況、)  少女たちは互いに見つめ合い、その真意を探るように言葉を交わしている。少しでも触れれば崩れてしまいそうな、危うい均衡を保つその空気は、他人が容易に割り込むことを拒んでいた。  山を登る間に日はほとんど落ちた。本格的に夜になれば山道は危険だし、できれば彼女たちを今すぐにここから連れ出したい。  だが、何故だろうか。すべてを暴露するのには、いくつもの秘密が眠っている、この場所がふさわしいと思う自分もいた。  いつの間にか横に来ていた桂木を仰ぎ見る。桂木はただその場に立って、俺を見て小さく頷いた。今は、彼女たちの話を聞こう。俺は、何が起きてもすぐに動けるよう周囲に集中した。  夕実、と、震える声で麗奈が言う。 「夕実、ごめん。黙っててごめん……。喋って、ごめん……」 「麗奈、あんたなんで……っ!」  夕実が吼える。だが、「なんで」の後の言葉が続かない。自分でもなんと言ったらいいのか、わからないかのかもしれない、苛立たしげに下を向く。  そんな二人の会話に、戸惑った様子の美津が口を挟んだ。 「麗奈、どういうこと? 黙ってて、とか喋ってとか、なんのこと? 夕実も、どうしてそんなに苛立ってるの?」  美津が俯く夕実と、麗奈を交互に見つめる。強く、静かな声で言った。 「お願い、わたしに教えて。夕実と麗奈が何に悩んでるのか。サツキが―――死んだことに、関係があるの?」  鋭い一言だった。途端に夕実がその場にしゃがみこむ。その腕に縋り付いていたまるちは、慌てて夕実の背を支えようとするが、結局一緒にしゃがみこんでしまった。  夕実は顔を両手で多い、頭を激しく振って取り乱す。 「サツキ、サツキは……ごめん。あたし、あ、あた……!」 「ゆ、ゆんちゃんは悪くない! 悪くないから」  まるちがすかさず夕実を抱きしめ、なだめるようにそう繰り返す。その様子を呆然と見下ろしていた美津が、ふっと、その背後にある祠に目を留め、そしてもう一度夕実を見つめる。 「夕実も、まるちも、どうしてここへ来たの? みんな、ここに来たことが、あるの?」  後半の問いは麗奈に向けられていた。美津の目から逃れるように麗奈が顔を伏せる。 「……そう。私と夕実は―――まるちはわからないけど、ここに来たの」  すすり泣きのような声を上げる夕実を麗奈が苦しそうな目で見つめる。 「私……あの噂を聞いた後、皆には内緒で、ここに来たの。七日参りのおまじないをしようと思って。そうしたら、そこで……夕実も、この祠に来ているのを見ちゃったの」 「う……うぅぅぅ……!」 「夕実、ごめん。ごめんね、でも私もう、隠し切れないの。辛いの……限界なの……」  駄々をこねる子供のように、呻いて頭を振った夕実に、麗奈は何度も「ごめん」を繰り返す。そして麗奈は、押し殺した声で言った。 「夕実は、サツキのことが好きだったの。縁結びの相手は、サツキだったのよ」  え……、というかすれた声をあげたのは、美津だった。  夕実の腕に取りすがっていたまるちが、きっと顔を上げて麗奈を睨みつける。 「……っ、麗ちゃんどうして、」 「だって!! だって、見ちゃったんだもの!」  今まで聞いたことも無いような激しい声で、麗奈が絶叫した。そのあまりの勢いに、食って掛かったはずのまるちが、怯える小動物のように身をすくめる。 「ずっと秘密にするつもりだった。ずっとずっと。私だって、縁結びの相手がばれたらと思うと、怖いもの。それに夕実は、夕実は友達だもん、言うわけない!」  そうひとしきり叫んだあと、急に寒さを覚えたように、麗奈はぶるり、と肩を震わせた。先ほどまでの張り裂けそうな叫び声ではなく、弱々しい怯えた声だった。 「……だけど。その日以来、サツキと夕実のことが気になっていて、だから二人があの日、放課後に……一緒に西校舎の方へ行くのが見えたから……」  美津が口を覆う。あの日……それは、サツキが死んだ、あの日のことだ。  麗奈はますます顔色を蒼白にして、憑かれたように語り続ける。周囲の人間も、魅入られたように麗奈の声を聞いていた。 「私、どうしても気になって……。見ちゃいけないと思ったの、だから、ずっと西校舎の手前で待ってた。そしたら、誰かが叫ぶ声が聞こえて、なんだろうって思ったら、何人かが慌てて階段を駆け下りてきて、先生を呼びに走って言って…………。何があったんだろうって、階段を上って行ってみたら……あんな、サツキが……」 「あんた……ずっと見てたの?」  ひきつった声で言うまるちに、麗奈は慌てて「違う!」と叫んだ。 「そっとしておきたかった! だからあの日も、二人の後をついていくなんてしなかった! ただ二人が西校舎から戻ってくるのを待ってたの! その事だって、ずっと黙ってた! 誰にも言わなかった! 私はただ、ただ……」  麗奈が両手で顔を覆う。 「……ずっと怖かったの。あれをやったのは、サツキを―――殺したのが、夕実なんじゃないかって、」 「違う!!」  夕実が絶叫した。喉から血が噴き出しそうな絶叫だった。 「違う。違う違う違う違う。私はやってない!」 「うん、ゆんちゃん、分かってるよ、分かってる……」  いやいやをするように叫び続ける夕実をなだめるように、まるちが彼女の頭を抱きかかえる。そんな二人の様子を、呆然と美津が眺めていた。 「夕実、何があったの……。それにまるち、まるちは、何を知ってるの、」  まるちは、またすすり泣きを始めた夕実を抱きしめ、きっと美津を見上げる。 「うちは、ゆんちゃんがサッちゃんのことが好きだって、知ってたから、ずっと応援してた。ゆんちゃん、サッちゃんのことすっごく好きで、でも告白する勇気はないって言ってた。この縁結びの話をしたのは偶然だったけど、あの話をした後にゆんちゃんに、噂通りの七日参りをしてみたいって言われたの。そうしたら、サッちゃんに告白するって……」 「……ぜんぜん、気づかなかった」  まるちは、いつもの甘えた口調ではなかった。そして、呆けたように呟く美津に対して、ふふ、と少し呆れ気味に笑う。「みっちゃん、そういうとこ鈍いもんね」言いながら、まるちは腕の中の夕実を優しくなでていた。  そんなまるちの仕草と口調に、美津も、麗奈も、呆然としていた。

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