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 ふとまるちは顔を上げ、木々の間から見える校舎のほうに視線を向ける。そこから見えるのはちょうど、西校舎のはずれ、彼女たちがあの日いた、北階段のある場所だ。 「あの日は、ゆんちゃんがサッちゃんに、話があるから付き合ってほしいって言って、それで西校舎の北階段まで行ったの。うちはそれを、三階の階段に隠れて見てた。二人は階段の踊り場にいて、うちは上からそれを見てたの。もちろんゆんちゃんにOKはもらってたよ。誰かが来たら合図するから、ここで見張ってるって……。ゆんちゃん、すごく緊張しながらサッちゃんに好きだって言ったの。そしたらサッちゃん……サツキは……」  そこでまるちは、今まで見たこともないほど激しく、表情をゆがめた。悔しさを耐えるかのように歯を食いしばる。 「サツキは“なんで?”って言ったの。どうして好きになったのか、とかそういう意味じゃない……。ただ“なんで?” って、悍ましいものでも見るみたいに、そんな酷い声音で。そんなのってある? 友達だよ? 友達相手にあんな声出せる? うそでしょ?」  ねえ、とまるちは笑いながら美津と、麗奈に問いかけた。その笑みはひきつっていて、奇妙に歪んでいる。  美津が、あっ、と小さく声を上げた。おそらく俺も、桂木も、同じことを考えたに違いない。  まるちは顔面を蒼白にしながらも、嘲るような口調でしゃべり続ける。 「もうドン引きみたいな声でさ、サツキが、ごめん、ちょっと今話せる気分じゃない、みたいなこと言ってさ。もう、うち耐えられなくて、言ってやろうと思ってさ、顔を出したの。そしたら、階段を降りようとしてるサツキと、追いかけてるゆんちゃんがいて、それで……もみあいみたいになって……」 「やめて……!」  夕実が激しく嗚咽し、叫ぶ。それでもまるちは止まらなかった。ただ静かに、その時を思い返しては、淡々と描写していく。 「廊下に、サツキが転がってて、びっくりした。髪がさ、きれいに扇状に広がってて、顔も苦しそうじゃなくて、ただちょっと眠ってるだけに見えた。その場で呆然としてたゆんちゃんを連れて、いったんそこから逃げたの。少ししたらすぐに悲鳴とか、先生を呼ぶ声が聞こえてきたから、しばらくは人のいない教室に隠れてた。人が大勢廊下に出てきたところでこっそり紛れ込んで、もう一回北階段に行ってみたの。もしかして、怪我してるだけなんじゃないか、と思ったよ。でも、先生たちが慌てて、息が、とか心臓が、とか言ってて……。それでも、救急車で運ばれていったのを見て、万が一、もしかして、って思った。けど結局、サツキ、死んじゃってた」  ひぃ、と細く甲高い声で夕実が叫んだ。全身を震えさせ、何度も声をつっかえさせながら、必死に訴える。 「あ、あたし、サツキを突き落としてなんて、そんなつもりなくて。さ、サツキがあの時すごく、き、傷ついたみたいな裏切られたみたいな顔で、あたしを見てて。ご、誤解しないで、欲しくて、あたし、そ、そんなつもりで、言ったんじゃなくて……!」  ぐしゃぐしゃになった顔を上げた夕実は、何もない中空を見つめていた。夕実の目には、あの時目の前にいた、記憶の中のサツキが見えているのかもしれない。夕実は視線の先にいる何かに問いかける。 「だ、だから、待って、って。そう言って、腕を……サツキの腕を……。ね、なんで? なんであたし、あんな顔されないといけなかったの? 女同士だから?」 「……。……聞いて、夕実」  よろよろとおぼつかない足取りで、美津が一歩夕実の方へ踏み出す。 「あのね、サツキはね、ここ最近落ち込んでたでしょう? サツキが少し前に打ち明けてくれたの」  少し震えた声で美津は言う。サツキ、という名前に反応して、夕実がわずかに顔を上げた。 「サツキは、自分が誰かに恋愛感情を抱いたことがなくて、むしろそれを気持ち悪い、って思ってしまうって言ってた。でも、みんなは楽しそうに恋愛の話をしていて、それを楽しめない自分はどこかおかしいんじゃないか、人として正常じゃないんじゃないかって悩んでいたんだって」 「…………なに、それ、」  夕実が愕然として呟く。まるちも、麗奈も、はじめて聞くその話に呆然として、ただ美津の話に聞き入っていた。 「そういうセクシャリティの人がいるっていうのは知っていたけど、それでも、みんなの話にだんだんついていけなくなるのが、怖くてたまらなかったってサツキは言ってた。わたしは、どんなサツキでも、サツキは大切な友達だから嫌いになんてならないよって、無理して苦手な話をしなくていいよって言ったんだけど……。サツキはやっぱり、嫌われるのが怖いから、言えないって言ってた。かといって、このままみんなにあわせて、好きなタイプとか理想の彼氏とか、嘘をつき続けるのもしんどいって。……でも最近、少しずつサツキが明るくなっていって。恋バナしててもサツキ、あんまり乗ってこなかったでしょ? うまく折り合いがつけれるようになったのかなって…………」 「ちょっと、ちょっと、待ってよ、」  そう言って美津の言葉をさえぎり、夕実がよろよろと立ち上がった。零れ落ちそうなほど目を見開いて、美津を見ている。危げな笑いが口元を歪めていた。 「……はぁ? サツキ、そんな風に、思ってたの。恋愛が、苦手って。気持ち悪いって……?」 「あ……夕実、その、ちが、」 「そんなこと、あんたに言ってたの? ……あたし、あたし」  夕実が両手を持ち上げて顔を覆う。その指の間から、らんらんと光る目だけが覗く。 「……あたし、あの時、サツキに、気持ち悪いって思われてたの?」  違う、と美津が叫ぼうとしていた。しかし、突然激しく暴れ、まるちの腕を振り払った夕実に、その叫びは届かなかった。  乱暴に振り払われたまるちがその場に尻もちをつく。とっさに俺は駆け出していたが、間に合わなかった。  夕実はすぐ後ろにあった祠の前に立つと、 「お前のせいだ!」  獣のように吠え、力任せにその脆い木の祠を蹴りつけた。  ばきん、という音と共に祠の扉が粉々になり、夕実のローファーを履いた足が祠の内側に突っ込む。二度、三度と振り下ろされた夕実の足によって、祠の屋根が、壁が、破砕される。  夕実のもとに駆け付け、後ろから羽交い絞めにして引き離そうとしても、夕実は恐ろしく強い力で、執拗に祠を破壊し続けようとする。 「何が縁結びだ、何が神様だ! お前だ! お前のせいだ!」 「やめるんだ!」  ようやく夕実を祠から引き離した時には、祠は土台の岩とわずかな床部分を残して、粉々に破壊されていた。  とたん、力が抜けるように腕の中の夕実が脱力する。ずるり、と滑り落ちてその場に座り込む夕実の体を支えきれず、彼女はその場にぺたん、と座り込んだ。そこに、美津とまるち、そして麗奈が駆け寄ってくる。  座り込み項垂れる夕実を、まるちが抱きしめようとした瞬間、夕実はするっ、とその腕を逃れた。  そして、近づいてきた麗奈の腕を掴んで強引に引き寄せると、驚く麗奈の顔を間近で覗き込んだ。 「……ねえ、なんであんたは無事なの」 「っゆうみ、」 「なんで私はサツキが死んじゃったの。あんただって美津が好きだったんでしょ。この祠にお参りしたんでしょ、どうしてサツキは死んじゃったの? なんで美津は生きてるの?」  麗奈の顔は紙のように白くなっていた。震える唇がわずかに開閉するが、言葉は出てこない。  そんな麗奈を、夕実はどんよりと濁った眼でつぶさに観察していた。  麗奈の口から、しわがれた声が漏れ出す。  ご――――ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。  小さく繰り返すごとに、麗奈の全身がガタガタと震え始める。とっさに美津がその両肩に触れると、途端に麗奈は、夕実から逃れるように後ずさりした。  夕実は麗奈を憎々しげに睨みつけると、叫んだ。 「こんな噂聞かなかったら、あたしサツキに告白なんてしなかった! ずっと五人で仲良くやってた方がましだった! あたしは! あたし、は……」  叫び声は徐々に震え、涙にのまれていく。完全に力を失って、すすり泣くばかりになった夕実の唇が、最後に呟いた。 「ごめん、サツキ。気持ち悪くてごめん。告白してごめん。ごめんね……」  あとはもう、それっきり。幾人かのすすり泣きが響くばかりで、誰も何も言おうとしなかった。  日はとっくに落ち、あたりは視界がきかないほどに暗くなっている。何も見えないし、誰も何も言わない。そんな混沌とした空間で、どこからか低い声が発せられた。 「……暗くなってきました。一度、山を降りて安全な場所へ移動しましょう。皆さんが落ち着いたら、家までお送りします。だから、はぐれないようついてきてください」  薄暗闇の中で振り返ると、桂木がそこにぼんやりと見えた。その声と姿は、すべてがバラバラになってしまったこの空間において、唯一しっかりと形を保った道しるべのように見えた。  その声に顔を上げた少女たちに歩み寄り、立ち上がるように促す。桂木の指示に従い、いち早く立ち上がった美津とまるちに、他の二人に付き添ってもらうようお願いをした。美津は麗奈を、まるちは夕実を、それぞれ支える。その四人二人組を挟むように、先頭を桂木、俺を最後尾にして、山を下りることになった。  先頭の桂木が、スマホのライトで後の二人の足元を照らしながら降りていく。俺も自前のスマホをかざし、前を進み始めた彼女たちの道を照らす。  その時、ふと首筋をするりと撫でる風を感じて振り返った。視界の先には、見るも無残に破壊された祠の残骸がある。 (……あの状態じゃ、祠の移動は無理だな……)  粉々になった祠を見て、心の中で小さく詫びる。祠の建て直しで許してくれるといいのだが。  その時、視界の中でひらりと翻る白い布が見えた。はっとして闇に眼を凝らすと、じっとこちらをみつめる、翁面に和装の男がいた。息をのみ、その姿を見つめる。  桃羽様はその場から動かなかったが、どこかあたたかな、こちらを見守るようなまなざしを確かに感じた。 「……吉野さん、どうかしましたか?」 「あっ、……いいえ、何でもないです」  下り道の下方から、桂木が呼びかけてくる。俺はその場で、桃羽様に向かって軽く一礼すると、すぐに桂木たちを追い、山道を慎重に下り始めた。  ----------------------

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