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 山を下りると、早々にスマホのライトを消し、支援室へ連絡を入れた。現状を前原に説明すると、すぐにもう一台、車を出してこちらへ応援に来てくれることになった。  その他にも、少女たちの家族や学校への連絡も頼み、通話を切る。 「ひとまず、学校に戻りましょう。皆さんの荷物もありますし」  そう言って学校へ向かって歩き出すと、少女たちは黙々と後ろをついてくる。俺は歩きながら桂木の横に移動し、前原たちが車で応援に来てくれる旨を告げた。前原、と言う名前に、後ろの方で美津が反応して顔を上げたが、すぐにまた、俯いてしまった。  学校の昇降口へたどり着くと、そこには誰もいなかった。生徒と俺たちがいないことに気づいた教師が待ち構えているかも、と思ったが、なんにせよ運がよかった。  少し考えた末、美津に尋ねる。 「……美津さん、保健室ってどこにある?」 「え……えっと、すぐそこです、右に行って、三番目の……」 「ありがとう。……桂木さん、先生たちには俺から説明に行ってくるので、彼女たちと先に保健室に行っていてくれませんか? みんな相当疲れているだろうし、先生への説明する間、ずっと待たせておくのはかわいそうなんで、先に休んでいてもらって……」  そう言いながら職員室に行こうとする俺を、桂木が止めた。 「それなら逆のほうがいいでしょう、多分。俺が説明してきますから、吉野さんは保健室へ、」 「え? あ、はい」  まあ、どちらでも同じことだから問題はない。  職員室に向かって歩き出す桂木とは逆方向へ進むと、教えてもらった教室には照明がついていた。ありがたいことに、まだ養護教諭が在室しているようだった。  急に入ってきた見慣れぬ成人男性と、泥だらけの四人の少女に、養護教諭は驚いていたが、俺の出した警察手帳を見て、ひとまず物騒な考えを取り消してくれた。そして、少女たちの憔悴した表情を見て、何も言わずベッドや椅子に座るよう勧めてくれた。  こんな時間なのだから当然と言えば当然かもしれないが、保健室に残っている生徒はおらず、俺はすこしほっとした。この状態の彼女たちが他の生徒に見られたら、なにか良からぬ噂が立ってしまうかもしれない。  救急箱を持ってきた養護教諭に手短に事情を話すと、中年のその女性は心得たように頷いた。  まるちと夕実が並んで椅子に腰かけ、美津と麗奈はベッドに腰かける。  俺は一旦、職員室のほうがどうなっているか様子を見ようとしたが、歩き出したところで服の袖をくい、と引かれて止まった。美津が、俺の来ていたスーツの袖を掴み、引き留めていた。驚いて座っている美津を振り返ると、彼女は途方に暮れたような顔をして俺を見上げていた。  ここまで麗奈を支えて歩いてきた美津は、暗い山道の中でも俺や桂木の指示をよく聞き、率先してほかの皆を誘導してくれていた。そのしっかりした働きのおかげで気が付くことができなかったが、彼女もまた先ほどの件で、深く傷つき、混乱しているのだった。 「吉野さん、わたし、どうしたら良かったのかな」 「……美津さん、」 「わたしが何か気付けていたら、何かできていたら、こんなことにならなかったのかな。ずっと五人で、今も一緒だったのかな……」  俺は何も答えられなかった。ただ、袖を離さない美津の手が辛くないよう、美津の隣に移動した。そして、きゅっと丸まっているその肩を、赤ん坊をあやすときのように、ぽん、ぽん、と叩いた。  養護教諭はそんな会話を聞かないふりで、黙々と夕実の怪我の治療をしていた。夕実は、祠を蹴り倒したときに、足に派手な切り傷を作っていた。夕実は治療されている間、なんの反応も示さず、ただまるちと固く手を握り合っていた。まるちもじっと、夕実の脚の怪我が治療されていく様を見守っているだけだった。  そうしていると、廊下をせわしない足音が近づいてきて、保健室の扉がガラガラと開けられた。そこに居たのは、以前顔を合わせたことのあるサツキの担任教師と、桂木だった。  教員は足を治療されている夕実のもとへ心配そうに駆け寄ったが、養護教諭にただの切り傷であることを聞くと、ほっと胸をなでおろしたようだった。  桂木がうまく言い含めておいたのか、教員はそのまま四人の生徒を順番に見つめると、 「……本当に、無事でよかった。今日は警察の方が家に送ってくださるそうだから、気を付けて帰りなさい」  と、言葉少なに告げただけだった。それがいい。危険な行動を叱るのは、彼女たちの体力が回復してからだ。  ほどなくして、前原の運転する車が到着した。前原が教員の一人に案内されて、保健室の扉をくぐる。その目がすぐさま保健室の中をぐるりと見渡し、ベッドに座り込む美津を探し当てたのがわかった。前原が部屋に入ってきたことにも気づかず、俺の服の袖を離そうとしない美津を見て、一瞬前原は痛ましそうに顔を歪める。だが次の瞬間には、前原の顔は仕事中のそれに戻っていた。  前原は低い声で、俺と桂木に告げる。 「お疲れさん、吉野。それに先生も、お疲れ様でした。先ほど、この件の担当者に、彼女たちの証言を伝えました。彼女たちが落ち着いたらもう一度、事情を聞きたいそうです。で、今日はもう帰って大丈夫とのことで……ああ、もう保護者への連絡も済ませてあります。……先生は後程、吉野に送らせますんで」  夕実の怪我も既に処置が済んでいたため、前原に促されて一同はぞろぞろと保健室から出た。何か言いたげな教員の視線に見送られながら、昇降口をくぐる。駐車場へ向かうと、自分たちが乗ってきた車の横に、もう一台の車がエンジンをかけたまま駐車されているのが見えた。車内には浦賀が待機しているのが見える。  少女たちは二台の車に分かれて乗ることになるが、まるちは夕実と、美津は麗奈と離れようとしなかったため、自然とそのように別れた。  美津は前原と同じ家に住んでいるため、美津と麗奈が前原と一緒の車に乗る。夕実とまるちは、俺と桂木の車に乗った。  死んだような沈黙だけが詰まった車を発進させる。その、異様に重い空気に意識を向けないように、カーナビの指示にだけ黙々と従った。  最初に向かったのは、山戸市内にある夕実の家だった。学校から徒歩十分程度の距離にあるため、車で走れば数分程度で到着する。目的地付近に到着しました、というカーナビの声で減速すると、目的の家の前に立っている人影があった。その人物は車が減速しきらないうちに、小走りで駆け寄ってくる。長い髪の毛とスカートからして、夕実の母親のようだった。後部座席に座っている夕実に気が付いて、車の外から「夕実!」と叫んでいた。  すぐに車を止め、ドアロックを外す。夕実がドアに手をかけた瞬間、 「……ゆんちゃん、」  まるちが夕実を呼んだ。夕実は振り返ってまるちに、うん、と頷くと、車のドアを開けた。とたん、ドアのわずかな隙間から滑り込むように母親の腕が入り込み、抱きかかえられるようにして夕実は車外に連れ出された。  俺も続いて運転席から出るが、夕実の母親は咳き込むようにあわただしく「ありがとうございました」とだけ言った。そのまま、ぺこぺことお辞儀をしつつ、素早く夕実を家の中に連れて行く。  もっと事情を聞かれたり、こんな遅い時間まで未成年を連れまわすなんて、と責められたりするかと思ったが、夕実の母親はとにかく、一刻も早く夕実を、安全な家の中へ入れてしまいたいようだった。  家の扉がガチャリ、と施錠される音を聞き届けて、車内へ戻る。  車に残っていた二人の間に当然会話はなく、どちらもちぐはぐな方向の窓の外に視線を向けていた。  再び、車は静かな住宅街を走り出す。エンジン音だけが支配していた車内に、ふいにまるちの声が混じった。 「刑事さん、あのね、言っておきたいことがあるの」 「……何でしょうか」 「夕実、サツキのことを殺してないよ」  まるちの声は、今までにないくらい静かな声だ。振り向きたくなる衝動を押し殺し、平静を装って尋ねる。 「それは、どういうことですか」  まるちの座っている後部座席から、ぞわぞわと嫌な気配が這い上ってくるのを感じた。本当なら、車を止めてでもまるちに詰め寄りたい。いや、本来ならそうするべきだ。これは大事な……人一人の人生を左右する、重要な証言なのだから。  だというのに、どうして俺は。 「だから、サツキは自分でよろめいて落ちたんだよ。夕実は手を伸ばしてたけど、それより先にサツキが階段から足を踏み外してたの」  まるちの声を聞きながら、ただ、何事もなかったかのように車を走らせるしかできない。車を止めて、後部座席を振り返った途端、そこにまるちではない何かがいるような気がして。それに気が付いた瞬間、取り返しのつかないことになるような気がして、俺はただ車をはしらせることしかできない。 「こうね、階段の上から、踊り場のほうを見下ろしていたの。だから、夕実の手が届いていたか、サツキの体がどのタイミングで落ちていったかは、よく見えたんだ。だから、サツキは事故死なの。夕実は無実」  桂木が言っていた。怪異に、自分がその存在に気付いていることを悟られてはいけない、と。気が付いていることを察知された瞬間、怪異はあなたを標的にするだろうと。だから、気が付かれてはいけない、そう、思うのかもしれない。  わかっている、まるちは怪異じゃない。そんなことを考えるのは逃避以外の何物でもない。  まるちは一体―――何を言っている? 重要な証言だ。警察官として、何を答えなければいけない? その証言を聞いて俺は何をしなければならないのか、何を、聞かなければいけないのか―――。 「それを、夕実さんは知っているのですか」  頭の中が真っ白になりかけた俺に変わり、冷たい金属のような声が助手席からまるちへ問いかけた。 「だから、私は何度も言ってるもん。ゆんちゃんは悪くないよって、」 「そうではありません」  桂木の声が、考え過ぎて何もわからなくなっていた俺の頭をひんやりと冷ましていく。桂木はなおも後部座席は振り返らず、頑なに窓の外を見たままだ。 「そうではなく、“サツキさんは足を踏み外したのが原因で落ちた、あなたのせいではない”と言ったのですか」  逃げを許さない鋭い声。まるちはそれでも、はぁ、と笑い交じりに言った。 「それは勿論。言わない訳がないじゃん」  違う、と感じた。  思い出した。ずっとずっと、まるちは夕実に、「ゆんちゃんは悪くない」としか言っていない。一度も具体的に、「突き落としていない」「殺していない」と言っていないのだ。  だが、かといってまるちが夕実に重要な情報を黙っていたことは証明はできない。俺たちはまるちと夕実のすべての言動を把握しているわけではないのだから、まるちが“言った”と言えば言ったことになる。

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