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 事件はその後、表向き調査を担当していた部署へ引き継がれ、支援班は桃羽様の正体と、怪異発生の原因を報告書にまとめて提出する運びとなった。  捜査担当者が、改めて夕実に話を聞いたところ、夕実は、自分とサツキが話をしている最中に、サツキが転落したと認めた。しかし、自分はサツキを突き落としていない、と頑なに主張していた。  また同様に、一部始終を階段の上から目撃していたまるちも、サツキが夕実と話している最中に転落したことを認めた。彼女は、サツキが自分から足を踏み外したのだと証言した。  夕実とまるちの二人が偽証していたことから、一時は彼女たちによるサツキの殺害が疑われたものの、結局立証することはできず、サツキの転落は事故だった、ということで片が付いた。二人が重要な情報を隠していたことについても、友人を目の前で亡くしたというショックの大きさから、やむを得なかったのだろうと考えて、厳重注意だけで済んだ。  夕実は三日たった今も登校していないというが、毎日のようにまるちや美津といった友人が家を尋ねているという。学校や専門の病院との相談の末、カウンセリングを受けることになるようだ。  麗奈に関しては、あの日の翌日は学校を休んだものの、それ以降は休まず登校しているという。  前原からは、美津のことで改めて礼を言われた。「ありがとうな」と前原に頭を下げられたときは大いに戸惑った。前原にこんな風に頭を下げられることははじめてだったため、どう返せばいいのかわからなかったのだ。  どうにかしどろもどろで、「自分は何も……」と首を振ったが、 「いいや、お前は随分よくやってくれてるよ」  と前原は笑って、いつもの調子で肩を叩いた。 「美津はあまり物事に動じる子じゃないが、今回のことは堪えただろう。話を聞いてもらえて良かったって言っていたよ」  本当に、ありがとうな、と、目を細めて言われてしまえば。もうこちらは、盛大に照れながらも、良かったです、と言うしかなかった。  まるちはというと、毎日夕実のもとを訪ねているらしい。その他には特に、彼女に関する報告はなかった。  しかし、俺は彼女の家庭環境や来歴といった情報に改めて目を通して、どうしようもなく複雑な気持ちを抱いた。  彼女の家は父子家庭で、母親は小学生の頃に離婚し、まるちは父親のほうに引き取られたようだ。中学のいじめの時も、父親はあまり娘に対して興味を持っておらず、無関心だったらしい。また、そのいじめ自体も、長期に及ぶ辛いものだったようだ。  そんな辛い状況から救ってくれたのが、夕実だった。あんなふうに特別な感情を向けるのも、納得できるかもしれない。彼女の持つ異常な執着の原因がすべて家庭といじめに起因するとは言えないだろうが、俺はただ暗い気持ちになるしかなかった。  もう一つ、懸念していた桃羽様の祠の移設だが、どうやら例の“謎の上層部”が対応を始めたようだ。  いつも知らぬ間に指示書だけを残していく室長が、またも、全員が不在のタイミングを見計らって短い指示書を残していった。そこには、  “怪異現象の原因とみなされる山中の祠の再建及び移設について。この件に関しては、支援班及び協力各所における対応は必要なし。”  と端的に記されていた。なんにせよ、俺が自腹を切って移設する、なんて事態にならなくてよかった。  気になると言えば、あの時夕実に破砕された祠だが、翌日桂木と共に様子を見に行くと、綺麗に土台の部分だけ残し、残りは完全崩壊していた。  土台の周囲には吹き飛ばされた壁や屋根が散らばり、その残骸の中には、祠の中にあったのだろう、頭と胴の区別がかろうじてつくような素朴な木の像も転がっていた。  何気なくそれを拾い上げると、その像の後ろからちょろり、とトカゲが顔をだし、俺は、うわっ、と声を上げて像を取り落とした。そのまま後退りすると、背後にいた桂木に思い切りぶつかった。  桂木は俺の頭越しに、放り出された木の像を見やる。トカゲは像を守るように、尾を像に巻き付けてこちらを見ている。  その時、ふっと視界が前触れもなく、白い布を覆いかぶせたように真っ白に染まった。そして耳元に、いつかの時に聞いた桃羽様の、低く、饒舌なその声が聞こえてきた。 「やれやれ、おなごはいつの時代も荒ぶれば男よりも怖い……。新たな祠を建てよ。なに、この程度で私は祟らぬ。まあちと、お灸は据えるだろうが、心配はないよ。とはいえ、屋根も壁もなければ神とて寒い。おまえさまに降りるのもこれが限界じゃ。よいか、万代に私が移ったら、もう一度私のもとに参れ。礼も兼ねて、おまえと、その後ろの男に伝えることがある」  相槌を打つヒマすらない。神は一方的に俺の耳元でつらつらと喋ったあと、よいな、と一言念を押した。  その声が響くや否や、俺はまるで夢から飛び起きるように、はっと息を吸い込んで閉じていた目を開けた。 「吉野さん? 大丈夫ですか、いきなり……」  気が付けば、桂木に肩を揺さぶられていた。俺はつい先ほどと同じように、破壊された祠の前で立ち尽くし、像の上に陣取るトカゲを見ているところだった。一瞬の出来事、まさに白昼夢と言った様子だった。 「今、桃羽様がいて……」 「桃羽様が?」 「……ええと、はい。おそらく。祠は破壊されたけど、怒ってないって……それと、気になることを言っていました。祠が再度建てられたら、伝えたいことがあるからまた来い、と。俺と……その、桂木さんとで」  俺も? と桂木は小さく呟いて怪訝そうな顔をしていたが、 「……まあ、ともかく、何事もないならよかった。桃羽様がそう言うなら、祠が再建されたら一度、お参りに行きましょう」  とだけ言った。  その後、祠の破片を一か所に集め、簡単な掃除をした。さらに、破片の中から大きな木片と石を選んで、雨風をしのげるような屋根を作り、その下に木像をそっと置いた。その間も、トカゲは木像から離れようとせず、俺達が山を下りようと歩き出した後もずっと、舌をちろちろ出しながら、俺達のほうをじっと見つめていたのを覚えている。  ともあれ、事件は解決を見た。ここ数日の報告書作りも終わり、支援班のメンバーは久々の長閑な待機時間を享受していた。  俺もデスクに向かって、まとめ終わった書類を片付けていた時の事だった。こんこん、と耳慣れない音がして顔を上げる。すると音がやんで、ゆっくりと支援室の扉が開かれた。そこから顔を出したのは、美津だった。 「あれ……美津さん?」 「あ……こんにちは、吉野さん」  俺は驚いて席を立つ。先ほどの音は、美津が支援室の扉をノックする音だったのだ。支援班のメンバーも含め、日ごろからここにやってくる人間は誰もノックなどしないから、おかしいと思った。  美津は、えへへ、とはにかみながら顔を覗かせて、「今、すこしいいですか?」と問うてくる。  ちょうど暇をしていたところだし、何か用事があるのだろうと思い、俺は美津を室内へ招き入れた。 「はれ!? 美津ちゃんだ! どうしたの、今日前原さんいないよ!?」  素っ頓狂な声が部屋の奥から飛んできたと思ったら、資料を抱えて戻ってきた浦賀だった。その顔は喜色満面である。  美津は浦賀にも丁寧にお辞儀をすると、 「今日は、おじいちゃんにも内緒なんです。どうしても直接、お礼が言いたかったので」  そういたずらっぽく笑った。  美津は何かを探すように、支援室の中をきょろきょろと見回していたが、 「あの、今日はもう一人の……桂木、さんはいないんですか?」  と俺に聞いてきた。そういえば美津は、桂木も警官だと聞かされていたのだった、と思い出す。  桂木は今仕事で外出しているのだ、とごまかすと、美津は残念そうに、「そうですか」と頷いた。  浦賀が少し後ろで、そんな美津をにこにこしながら見つめていたが、あえて無視する。 「麗奈のこと、それからサツキも、夕実も、まるちのことも、ありがとうございました」  美津は俺に向き直ると、ぺこり、と頭を下げたので、俺はすっかり慌ててしまった。 「いや、そんなにお礼を言われることはしてないから! むしろ、あまり役に立てなくて……」  あまりに俺が狼狽するからか、美津は顔を上げて、おかしそうにくすっと笑った。 「正直に言うと、おじいちゃんに話を聞いた時は、ちょっと胡散臭いなあって思ってたんです。でも今は、本当のことを言ってくれてるんだなぁってすごく思います。信じてもいいんだなぁって」  いたずらっぽく笑っていた美津だったが、その声はしみじみと、こちらへの信頼と感謝の念がこもっていた。  その声と表情に、きゅっと胸が締め付けられる。  自分は彼女たちの行方を見守ることしかできなかった。怪異の正体を明かしはしたが、結局、彼女たちの日常は、壊れた。崩壊すべくして、崩壊してしまった。  それを止めることはきっと自分たちにもできなかっただろうが、だとしても、彼女たちのためにしてやれることはなかったのかと思わずにいられない。そんな後悔と罪悪感が、胸を苦しめる。  何も言えずにいる俺をじっと美津は見つめ、そしてかすかにほほ笑んで言った。 「あのあと、麗奈に、好きだって言われました」 「……」  俺ははっとして美津を見る(後ろで浦賀が「え?」と素っ頓狂な声を上げたが無視した)。  美津は俺の思いと自分の思いを重ね合わせるように、じっくりと俺の目を覗き込んだ後、ふっとその瞼を閉じる。噛みしめるように言葉を紡ぐ。 「わたし、ずっと麗奈のこと友達としか見てなかったから、そういうの全然わからなくて。心の整理がつかないから、自分がどんな気持ちなのかわからないから、言葉にまとめられるまで待ってほしいって言いました」  俺は黙って、美津の言葉に耳を傾ける。 「わたし、散歩が好きなんです。歩いていると悩み事ととか、もやもやした嫌な気持ちが、パズルみたいに解けていくんです。だから、何となくイライラしたり、悲しいときは外に出て、歩いたり走ったりする。そのうち、イライラしてた心が落ち着いてきて、原因だけが見えてくる。そこから、じゃあどうすればいいんだろうって、考えがまとまってくるんです。だから、いっぱい歩いて考えなきゃ。大好きな麗奈のことだから。いっぱいいっぱい考えて答えを出すんです。夕実のことも、まるちのことも」  美津の声は、穏やかな風のようだった。激しくはないけれど、絶えることなく常に吹き続ける風のような。 「じゃあ、わたしはそろそろ。―――今日もたくさん散歩するんです。いっぱい歩いて考えなきゃ」  美津は笑って、軽やかに身を翻した。俺はハッとしてその後姿に声をかける。 「あ、表まで送っていくから、」 「大丈夫です! お仕事のお邪魔しちゃいけないので」  そう言って手を振ると、美津は振り返ることなく、一人で部屋を出て行った。  背後では浦賀が、困惑したような声で 「なんか不思議な感じの子ですね。ほんわかしているような、しっかりしているような……」  と呟いていた。  まるちのように極端に生きていく人もいるが、美津のように諦めない人がいてくれれば、もしかしたらまるちにも、1か0以外の答えが出る時が来るかもしれない。  美津の姿を追うように扉を見つめていると、ふとポケットの中でスマホが振動していることに気が付いた。画面をみれば、桂木からのメッセージが一件届いている。 『今後の捜査についてですが、今からお時間ありますか』  考えるより先に、足が外へと走り出しているのがわかった。俺は荷物をひっつかみ、デスクに向かう浦賀に向かって声をかける。 「浦賀、俺ちょっと桂木さんのところまで行ってくる」  浦賀が何か見送りの言葉を言っていたような気がしたが、それを聞き終える間もなく、支援室の扉を開ける。  俺は先ほどの美津のまぶしい背中を思い浮かべ、真似るようにいつもよりも背筋をピンと伸ばし、駆け足で外へ向かった。  FILE 04:縁結びの祠  事件終了

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