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FILE 05:ゆびきりげんまん 01
『食品加工用機械に挟まれ指切断、安全装置の故障か』
XX日XX時ごろ、XX市の食品加工工場、有安食品の工場内で、食品加工作業中に安全装置が機能せず、同社従業員の女性1名(28)が指を切断する大けがを負った。その場にいたほかの従業員1名は、安全装置のスイッチを押したにも拘わらず、機械の作動が止まらなかったと証言している。
XX署は機械の安全装置が故障していたとみて、機械の初期不良の可能性も含めて捜査を進めている。
また、切断された指は現場からは回収されず、有安食品社長の有安氏は、「異物混入を防ぐためその日の出荷分はすべて廃棄した」と話した。
19XX年、XX地方新聞朝刊記事より抜粋
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鼻先をコーヒーの香りが漂っていく。コーヒーの香りにはリラックス効果があると聞いていたが、今の自分には作用しないらしい。俺は桂木の事務所でソファに浅く腰掛けていた。これから待っていることを思うと、緊張で背もたれを使う気になれない。
日百高校での事件を終えて、事後処理もひと段落したところで、桂木から呼び出しを受けた。桂木は、今回の件がひと段落したら、かつての恋人である哲生の事件について詳しく説明すると言っていた。呼び出しの目的はおそらくその件についてだろう。
哲生の事件。自分でも調べていたが、得られる情報は警察の捜査資料やネット記事程度のものだった。それが今回は、被害者の身内ともいえる桂木の口から語られる。きっと部外者では見えなかった事実がたくさんあるのだろう。
(ようやく、分かる。これで俺も、桂木さんに協力できる。でも……)
この話題は桂木にとって、最もデリケートな部分だ。俺に話すと決めるまでに、いろんな葛藤もあっただろうに、桂木はそれを許してくれた。俺はそれに見合う働きを見せなければならない。
事務所の奥にある給湯スペースから、桂木が手にマグカップを持ってやってくる。いい香りのするそれを俺の前のローテーブルに置くと、桂木はマグカップを持ったまま向かいのソファに腰かけた。
「どうぞ。おそらく長くなりますから、飲みながら聞いてください」
「……どうも」
言われておとなしく口をつける。桂木も自分の分を一口飲むと、静かにマグを置いた。
「検討はついているでしょうが、今日は哲生の事件について、吉野さんに説明したくお呼びしました」
「……はい」
「事件の概要は……おそらく吉野さんも大まかなところは知っていると思います。ですが、俺の視点から語る上で、事前に哲生の人となりを説明しておいた方がスムーズに進むと思うので、俺が哲生と知り合った件から話をはじめさせてください」
哲生の人となり。確かに気になった。調査書や記事では、哲生の性格や人間性が、驚くほど見えてこなかったからだ。
哲生の両親は、彼が九歳の時に一家心中を試みた。結果、両親は命を落としてしまったものの、哲生だけは運よく助かった。その事件以来、彼は親戚の家で育てられることになったという。小中高、そして大学と進学し、事件当時は飲食店でバイトをして生計を立てていたという。
良心が咎めつつも、低俗な週刊誌の記事も読んでみたが、彼の人生について語られることは驚くほど少なかった。せいぜいが中学校の時の写真と『問題もなくおとなしい生徒だった』と言う定型文が載せられる程度である。
これには少し、違和感を感じていた。こんなセンセーショナルな事件で、犯人という恰好のターゲットが不在という状況で、犯人の次に週刊誌の餌食となるだろう被害者の情報が、これっぽっちで済んでいるというのは少しおかしい気がしたのだ。
「俺が哲生と知り合ったのは、俺がまだ警察官だったころでした。刑事課に配属されて間もない頃です。深御市内のとある占い店で、占い師が殺傷される事件がありました。俺は事件発生直後に通報で現場へ向かい、店で働いていた他の占い師に話を聞く中で、哲生に出会いました」
「う、占い師?」
予想外の突飛な単語が出てきたのでつい聞き返してしまう。桂木は真顔で頷いた。
「彼はその当時、占い師としてその店で働いていました」
「……占い師だったんですか、」
「占い師で“も”ありました。彼は様々なバイトで生計を立てていて、占い師はその一つだったようです」
バイトで占いができるのか? という疑問はあったが、ひとまず桂木の話を先に聞くことにした。
「事件発生から数時間。その時点で犯人はわかりませんでした。その時間に被害者は占いの客を取っていなかったので、犯人候補が絞り込めなかったんです。ひとまず店の占い師全員に話を聞くうちに、哲生の番が来ました。その時、俺は一人で彼に話を聞いていたのですが、一言二言交わすうちに、哲生が俺に言うんです」
『あなたも、見えてるんでしょう?』
「部屋の中では、聞き取りの間ずっと、被害者が壁に向かいあうように立っていました。もちろん被害者は死んでます。他の人には見えていません。ですが哲生は……はっきりと、被害者が立っている部屋の角を見て言いました。彼にもそれが見えていました」
『俺も見えてますよ。大丈夫。刑事さんが見える人でよかった、手っ取り早く済みますね』
「その時、被害者は店で働いている占い師の一覧が張り出されている壁に向かって立っていたんです。俺は関わらないようにしようと、できるだけそちらを見ていませんでしたから、言われて初めて気づきました。被害者は一人の占い師の名前を指さしていて、結局、その占い師が犯人であるとわかりました。“被害者と犯人の占い師がもめていた”と哲生が証言“したことに”して、その占い師をいの一番に調査することで、事件は早々に片が付きました」
「な……なるほど……」
事件調査としてそれはどうなのかとも思ったが、過去の件に関して突っ込むのも野暮かと、何も言わなかった。結局、犯人が捕まったならいいか。
「……その当時、自分と同じものが見える人に会ったのは、哲生がはじめてでした。彼は俺と同じように、生まれた頃からそういったものが見えていたようでしたが、……彼が両親を亡くした後、預けられた親戚の家が神社をしていたようで、彼はその生活の中で、怪異に対処するすべを身に着けていったようです。……哲生の両親の事件は資料で読みましたか?」
「はい、一応」
桂木は一つ頷いて、話を先に進めていく。
「怪異に対して無知な俺を見かねて、哲生は対処方法などを俺に教えてくれるようになりました。俺も、うまい対処方法があるならと教えを乞うていました。俺は……。……それがきっかけです」
何かを言いかけて桂木は逡巡し、結局不自然に話を終わらせた。その時の桂木の表情は、うまく言えないが、とても真摯なまなざしをしていた。ふっとろうそくの灯が灯ったように、視線が一瞬熱を帯びたように思う。
だがそれも一瞬の事だった。
「……桂木さんがいろいろ、怪異に詳しいのも、哲生、さんに教えてもらったおかげなんですか?」
「ええ、……ほとんどは」
恐る恐る、そっと、尋ねてみた。すると桂木は、少しだけ和らいだ表情で答えた。
「寺や神社関係の伝手も、哲生を通じて得たものになります。怪異の対処法も、彼はとても柔軟で……怪異に、ある意味好意のようなものを抱いていたので、積極的に関わり合っていくことが常だった。彼は、俺の師でもあるし、理解者と……言っていい存在でした」
一つ一つの言葉を、大切なものを扱うがごとく丁寧に話す桂木は、とても安らいで見えた。哲生の遺体と相対したときの、あの表情と似ていたが、今は目に理性の光がある。だからこそかもしれない、そうして桂木が選び取った言葉や声音から、哲生のことをどれほど想っていたのかが伝わってきた。思わず胸がきゅっと締め付けられる。
桂木はしばらく沈黙していたが、一度瞬きをすると、その顔から安らぎや慈しみと言った表情は消え失せていた。
「……彼が殺されたのは、出会ってから五年後の夏です。哲生の誕生日の数日後でした」
静かに息をのんだ。桂木はゆっくりと瞬きをする。
「事件の通報者は、俺です」
「……、」
「哲生の携帯から、俺に宛てて写真が送られてきた。哲生の、ばらばらになった遺体の写真だった」
背中がささくれ立つような、言いようのない感覚に襲われた。
酷い。最初に頭に浮かんだのはその言葉だった。
最も大切な人の無残な姿が、当のその人から送られてくる。犯人の悪意に満ちたその行為に表情が歪みそうになる、が、何故かそれを桂木に見られてはいけないような気がして、俺は無表情を保った。
おそらく、誰よりもそのむごたらしさに蹂躙されはずの桂木が、ただ淡々とその事実を口にしていたからだと思う。その表情は、すべてが枯れ果てたような、乾いたものだった。
「……通報者は写真を見た後、被害者の家へ向かい、そこで遺体の一部を発見。警察に通報した。調査が始まってしばらくすると、新たな遺体の一部が見つかり、また過去の事件との関りも明らかになり……捜査は進展を見せた。しかし、それきり犯人の手掛かりを見つけることができず、被害者の遺体もそれ以上見つからなかった。そのうち、深御市多重殺人事件は捜査本部を解体され、長期継続捜査担当の部署に引き継がれた。現在も引き続き、情報の提供があり次第捜査を続ける方針。……これが、警察資料に載っている経緯です」
「……?」
その言い様にどこか引っ掛かるものを覚えて顔を上げると、それを待っていたかのように桂木が俺の目線をとらえる。
「ここから話すのは、俺から見た事件の本当の経緯です」
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