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02

 黙って話を聞くことに徹してはいたが、疑問は顔に出ていたと思う。怪訝な表情の俺に目線を合わせながら、桂木は資料には描くことを許されなかった真実を語り始める。 「遺体の写真が送られてきた直後、俺のスマホは勝手に地図アプリを開いて、とある場所を示しました。俺は哲生の家よりも、まずはその場所へ向かいました。そこは深御市から離れた場所にある公園でした。位置情報を頼りに進むと、そこは立ち入り禁止区域の林の中を指していました。そのフェンスの入り口に立った時に、頭の中で見えたんです、哲生の姿が」 『……―――――……』 「哲生は、彼のすむ古くて小さいアパートの、部屋の中央に立っていて、何かを喋っていました」 『……―見つけて……お――体。――……――埋めてあ………――、殺さ…た……』 「切れ切れに聞こえてきた声の最後に、哲生ははっきりと言いました」 『――――――た男は、芹沢』  ぞわり、と肌が総毛立つ。  じっと桂木の唇を見つめていた。その唇が最後の言葉を口にした瞬間、哲生の―――俺は哲生と会った事すらないのに―――声がだぶって聞こえた気がした。 「俺はフェンスをよじ登って、向こう側へ行きました。すると地鳴りのような音がして、犬がいきなり茂みから飛び出してきて、泡を吹いて死にました。その、出てきた茂みに、哲生の脚が、ありました。どうやら犬が掘り起こしたようで、脚は半ば地面に埋まっていて―――……俺は、そこで職場に連絡を入れました」  一瞬、暗く遠い目をした桂木に不安を覚えたが、桂木は一度瞬きをすると、その光景を振り切るように顔を背けて、話を続けた。 「遺体は回収されて、間違いなく哲生のものだとわかりました。俺は、どうしてこの場所へ来たのか問い詰められて、送られてきた写真と位置情報を見せようとしました。でも、スマホに残っていたのは写真だけで、俺は本部内で疑惑を持たれることになりました」 「……」 「俺は芹沢の事も話しましたが、情報を知った経緯も話せないため、一笑に付されました。それに、被害者である哲生との関係も部署内に広まっていて、様々な事情から、俺は捜査を外されました」  その頃の桂木を思うと、やるせない気持ちでいっぱいになる。恋人を亡くし、その仇を討つために捜査に加わることもできず、重要な手がかりを持っていても、ほかの人間には信じてもらえない。  自分だったら、手足をもがれたようなその状況で、何を感じるだろうか。 「個人的な警察内部の知り合いに、芹沢のことを聞いてもみましたが、ほとんど相手にされませんでした。噂がもう本部全体に浸透していたのだと思います。当時は俺自身が容疑者候補の筆頭でしたから」  自嘲気味に言う桂木の姿は痛々しい。何でもないことのように無表情に話すさまが、余計俺の胸を締め付けた。 「捜査から外されてしばらくして、別件の事件が起こったので俺はそちらの調査をしていました。団地の一室で起きた殺傷事件で、団地内では不審者の目撃情報が多数あったため、捜査としてはその不審者の犯行だろうという目測で進んでいました。しかし、その目撃情報から推測される人物像が不可解なもので、人であるにしては上背があったり、奇妙な動きをしたり、奇声を上げたり……言ってしまえば、“幽霊を見た”という怪談話に近かったわけです。事実、その団地の調査の最中、俺はその目撃証言通りの異形の幽霊を見ました。警察はその目撃証言を、実在する人物として扱って捜査していましたが、当然実のある情報は何も得られない。俺は諸々、自分で調べた結果、その幽霊が被害者を殺傷したのだと確信しましたが、それを言いだすこともできず、事件は終わりました。被害者が、明らかに他者による傷を負っていたのにも関わらず、自殺として処理されたのです。そして――――その団地の敷地内で、哲生のもう片方の脚が発見されました」 「……えっ、」  俺は小さく声を上げていた。確かに資料には、哲生の遺体は右と左、二本の脚が見つかっているという記述があった。しかしそれが、別の殺傷事件が起きた建物の敷地内で発見されたというのは、恐ろしい偶然だ。  いや、待て。哲生の遺体の周りでは、怪異現象が頻発する。そう桂木は言っていた。だとしたら。 「―――実は、その捜査の最中、俺は前原さんに会っていました」 「……ま、前原さんに?」  何かを閃きかけた俺は、そこで予想外の名前を聞いて二重の衝撃を受けた。なぜここで前原の名前が出てくるのだろうか。その疑問を読み取ったかのように桂木が言う。 「前原さんはその頃から支援班所属です。団地の怪異譚をきき、支援班に要請が下ったのでしょう。事件が不可解な終わり方をしたのは、支援班によって、怪異が原因の事件だと証明されたからだと思います」 「あ……なるほど」 「そして哲生の脚が発見された経緯、俺は後から前原さんから聞きましたが……当時、支援班に協力していた……俺の前任にあたるその人物が、『“これ”がおかしくなった原因、その原因となる“何か”が、この敷地内にある』と言って、哲生の脚を見つけたのだそうです」 「……やっぱり、」  俺の思い付きはあたっていた。哲生の遺体のある場所では、何故か怪異が絡む事件が起きやすい。そう聞かされたのは、野辺町の事件の真相がわかった直後、哲生の腕を羽山で見つけた後だ。  野辺町にある羽山では、哲生の遺体が埋められたことで、山の神が怒り、その影響で事件が起きていた。  哲生の脚が見つかったという団地でも、同じような出来事が起きたのだろう。 「前原さんは、俺の体質を知っていました。これも、支援班の外部協力者が気づいたのだそうです。俺の噂も知っていました。前原さんは……何が理由かは知りませんが、人に言えない情報源から得た俺の証言を信じ、“芹沢”と言う人物が哲生の周りにいなかったか、調査してくれました。しかし、それでも芹沢と言う人物は、哲生の周囲から浮かび上がってこなかった……」  前原がなぜ協力をしたのか。完全な憶測だが、前原の性格上、桂木を見捨てておけなかったからなのでは、と俺は思う。前原は俺が小さな頃から何かと世話を焼いてくれて、学生時代に不良じみた生活を送っていた時も、絶対に俺を見捨てようとはしなかった。  しかし、そんな前原を通じて調査を行っても、芹沢なる人物は見つからなかった。 「俺は、その頃には地方の署へ異動が決まっていました。様々な点で俺は本部内で問題になっていましたから。……それに、哲生の事件は怪異が絡むものでしたから、資料の改ざんは必須です。そうなると、事情をすべて知っている俺が本部内にいては、何かと不都合が多い。このまま警察に留まっても飼い殺しになるだけと判断して、俺は警察を辞めることにしました。そして自力で、哲生と芹沢の調査をしようと考えたんです。ちょうどそのタイミングでした。前原さんから……前原さんを通じて、取引を持ち掛けられたのは」 「取引……」 「警察が得た情報を提供する代わりに、俺が外部の人間として支援班に協力する、という取引です」  その話も、聞き覚えがあった。同じく、野辺町の事件の直後に前原から聞いたのだ。 「支援班にはある種の、俺のような体質を持つ人間が必要です。俺はその点はクリアしていましたし、何より元警察官と言うことで、警察組織の人間やその決まりになじみやすい。そう考えたのでしょう、支援班の上層にあたる組織の人間が。俺はその要求をのみ、表向きには探偵を装って、支援班に協力し始めました。……そして今に至ります」  桂木は、長くしゃべり過ぎてさすがに疲れたのか、ふっと溜息をついてコーヒーの入ったマグを傾ける。  固唾をのんでその話に聞き入っていた俺も、急に喉の渇きを覚えて、すっかり冷めたコーヒーを呷る。 「……これまで、警察から得られた情報はほとんどありません。俺が独自で進めている調査では、哲生の遺体に関係しそうな話題は集まってくるものの、ほとんどが外れです。何より、芹沢の足取りがまったくつかめない。こういった面での情報収集において、警察以上の力を持った組織はそうそういません。その警察でも、ほとんどなんの手掛かりも得られていない。これについては、いわゆる暴力団といったそれなりの組織が関わっていることも示唆されています」 「暴力団が手引きして、芹沢を逃がした、とかですか?」 「もしくは匿っているか。殺人を犯して逃亡している身ですから、それを匿うというのはどんな組織であれリスキーです。ただ、現状その可能性が最も高いということです。素人がこうも鮮やかに身を隠すことは難しいだろう、と」  そう言って桂木はマグカップをテーブルに置いた。その硬質な音が響いたきり、しばらくの静寂が流れる。  桂木がなぜ支援班に協力するのか、なぜ芹沢という男が犯人だと確信しているのか、その理由は分かった。そこに至る経緯も、哲生の事件の真相もわかった。  しかし、俺の心中のほとんどは、“桂木は一体どんな思いで、ここまでやってきたのだろう”という、切実な疑問で占められていた。  辛かった、悲しかったはずだと思うのは当然だ。だがその言葉では、桂木のその時の感情を一割も理解できないだろう。 (……きっと誰にも理解できない)  桂木も理解してもらおうとは思わないだろう。だから俺は、心を重く満たすそれを今は見ないふりをした。  同情や言葉はいらない。行動とそれに伴った結果で、桂木に報いたい。 「話してくれて、ありがとうございます。俺、何でも協力するので。桂木さんは今も、調査続けてるんですよね?」 「ええ。……説明の前に、コーヒー淹れなおしましょうか」 「あ……ありがとうございます」  空になったマグを握り締めていた俺の手元をちらりと覗きこんで、桂木が席を立った。桂木も話し続けて疲れているだろうに、続きを急かしてしまったようで少し恥ずかしくなる。  再度あたたかなコーヒーで満たされたマグカップをテーブルに置くと、桂木はソファへ腰かけた。 「ここからは、俺が警察を辞めた後、行っている調査の内容についてになります」  そう前置きをして、桂木は話始める。

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