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「哲生の遺体の周りでは怪異現象が起きやすい。だから俺はそういう、“最近になって噂になりはじめた怪異現象”の情報を主に集めています。集めた情報をもとに、その場所で聞き込みをしたり、現場を歩き回ったりするわけです。きちんと調査をして、もしも哲生の遺体があったのなら、団地から哲生の脚を見つけた霊能力者のように、感じ取れるはずだと」
「聞き込みに、現場を歩き回る、ですか……。ちなみに、そういう怪しい噂はどこから得るんですか?」
「ネット、それから通報履歴、などでしょうか。通報履歴は、定期的に前原さんから横流ししてもらっています。……おそらく今後、その仕事も吉野さんに引き継がれるでしょうね」
なるほど、情報の提供は前原が行っていたのか、と納得する。が、桂木の言葉には続きがあった。
「前原さんにしてもらっていたのは、そこまでです。前原さんは、俺の捜査を直接手伝うまではしませんでした。……吉野さんに協力してもらいたいのは、ここからです」
俺が桂木に頼まれたのは、つまりは桂木と同様、現地に赴いての聞き込みと調査だった。
先ほど桂木が教えてくれたように、警察から流れてくる怪しげな通報履歴や、ネットサーフィンで得た情報をもとに、現地へ向かって調査をする。
これには、俺が現役の警察官だという立場が大いに役立つ。今まで、桂木は調査の、特に聞き込みという点において、なかなか苦労していたらしい。探偵というのは警察よりもよほど怪しいため、最悪の場合、己自身が通報されかねない。そのため、調査に時間を要していたのだという。だが俺なら、警察手帳と言う葵の印籠を掲げればよほど簡単に済むわけだ。
それに、哲生が関係しているかどうかを判断するために、俺の体質も役に立つという。
これまで、哲生の遺体があった場所には必ず尋常でない怪異が存在した。俺なら、桂木同様、その気配を感じ取れるはず、だという。
そこで桂木は、深く息を吐いた。
「……一通り、これで話し終えました」
その声がどこか様変わりしたようで、俺はふ、と顔を上げる。
桂木は、前傾姿勢をとるようにして両手を組んだ。静かな、そして暗い熱を持った桂木の瞳が、こちらを見ていた。
「哲生の事と、芹沢の事、それから俺のことも、話しました。ここまで聞いても、それでも、吉野さんは捜査に協力をしてくださいますか」
恋人の遺体を探し、その恋人を死に追いやった犯人を殺すために生きている男。俺はそんな男に、協力すると決めた。
(……違う。止めるんだ、桂木さんを)
破滅に向かう桂木を止める。そのために、俺は彼に協力する。俺は桂木の目を見て頷いた。
「はい。もちろんです」
じっと見つめ続けていれば、桂木の目に宿る暗い炎が、俺の目にも燃え移るような気がした。それはどこか厳かで、暗い喜びを伴った連想だった。
「……ありがとうございます」
もう桂木は何も言わなかった。俺の申し出を素直に受け入れる。先日のやりとりで、さすがに腹が決まったらしい。
切り替えるように桂木はぐっと身を起こし、「では、」と自身のスマホを取り出した。
何をするのかと思えば、桂木は指先でスマホを操作し始める。直後、俺のポケットに入れていたスマホが振動した。
「早速ですが、調査をお願いしたい情報を一つ、お送りしました。開いている時間でいいのでお願いします」
「……は、はい!」
メッセージアプリに、桂木から怪異情報の概要と位置情報が届いている。俺は焦る気持ちをなだめつつ、その情報にじっくりと目を通した。桂木から任された初めての調査だ、失敗がないよう、念入りにチェックしておきたい。
「……危険かもしれない調査をお願いしている身で、こういうのもあれですが。調査中に身の危険を感じたら、すぐに戻ってきてください。あと、俺に事前に行く場所を連絡して、調査開始と終了時にメッセージを入れてください。安否を確認します」
スマホに顔を近づけている俺に、くぎを刺すように桂木が言う。その表情は複雑そうだ。
桂木は俺がこんな体質になってしまったことに対して責任を感じている。しかし、どんなに常日頃そう思っていても、哲生のことになると彼は自制がきかなくなり、周囲を顧みなくなってしまう。俺の身の安全など頭からすっぽ抜けてしまうのだ。
桂木自身、その自己矛盾に悩んでいる、のだが。俺からしてみれば……確かに、一度桂木に見捨てられたときはショックだったが、それなら自分の身は自分で守ればいい話だ。もともと誰かに守られるような立場は性に合わない。
俺は、そんなこと気にしなければいいのになぁ、と思いながら、涼しい顔で言った。
「じゃあ、桂木さんも調査に行くときは俺に連絡ください。危険なのは、桂木さんもかわらないでしょうから」
「……、わかりました」
ちょっとした意趣返しのつもりで言った言葉だったが、桂木は少しバツが悪そうにして、素直に頷いた。
俺はほんの少し、口角が上がりそうになるのを我慢した。
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こうして俺は、本来の仕事の合間に哲生の事件の調査を行うことになった。
もともと支援班は基本的に暇だ。ほかの部署や課からヘルプを頼まれることもあるが、それでも個人的に調査をする時間はたくさんあった。
俺が桂木の手伝い始めたことは、前原も浦賀も既に知っていたようで、俺が外出したり資料室にこもったりするのを特に咎めはしなかった。むしろ前原からは、「無理するなよ」と労いの言葉をもらうほどだった。
そんな恵まれた職場環境、哲生絡みの調査に時間を割くことは容易いことだったのだが、とは言うものの、件の調査にかける時間はそこまで多くはなかった。
そもそも桂木のもとに入ってくる怪しい情報というのは限られている。たまに、これはという情報があって現場に行ってみても、大抵は空振りに終わった。
酔っ払って妙な通報をしただけだった、というようなケースならまだいいが、一番困るのは、哲生に関係のない怪異に行き合ってしまう場合だった。そうなると、利益も無いのに自ら面倒事に首を突っ込みに行くことになる。
適当に理由をつけて逃げ帰るのにも大変な苦労を要した。口に出すのも憚れるあれそれに付きまとわれて、そのまま桂木の事務所に逃げこんだことも多々ある。
大変な事には変わりないのだが、以前の、役立たずな自分にやりきれない思いを抱いていた頃と比べて、今は実際に足を動かして調査をしているという実感があるため、気持ちとしてはだいぶましだった。途方もない作業だけど、確実に桂木の負担は減らせていると思う
(……調査したところ、床下では、この家で亡くなったおばあさんの霊を発見しましたが、それ以上の害はなかったため、哲生さんのご遺体は関係ないかと思われます……と)
例のごとく暇を持て余す支援室を離れて、俺は調べもののために資料室にこもっていた。そこで、資料を片手に昨日の調査の結果を桂木に送る。
とん、と送信ボタンをタップすると、はたから見ればただの怪文書のメッセージが桂木のもとへ送信された。すぐに既読マークがついたのを見て、俺はスマホを置く。返信が返ってくるまでの間、今日手に入れた通報履歴に目を通そうとホチキス留めされた紙束をめくった。
まだ冒頭の三行程度しか読んでいないのに、スマホがヴーと振動する。桂木から返信が返ってきていた。
『そうですか。怪異に行き遭ったのなら、何か不調はありませんでしたか?』
不調はない。しいて言えば老婆の幽霊を見つけたときに、したたかに打った後頭部が痛いくらいだろうか。
家族団らんの場所である居間の真下にいた老婆。膝立ちになり、頭上の居間を見上げるように首を曲げて、何をしてるのかと懐中電灯を向ければ、その口が裂けようかというほど老婆はあんぐりと顎を開き、床板を支える太い横木に“がりがり”と喰らいついていた。その絵面は、大の大人が悲鳴を上げるのに十分なインパクトだった。
(……不調はないです。幽霊は俺に気が付かなかったので、特に何もされてないです……)
老婆の奇行には触れず、文章を打ち込んで再度送信する。老婆が出たこの家は確か、床下から声がする、不審者なのではないか、という通報が度重なり、“奇妙な通報履歴”として桂木のもとにもたらされた。交番勤務の警察官が何度か確かめに入ったが、その時は何も確認されなかったらしい。
俺が床下で悲鳴を上げたのは、急にネズミが前を横切ったからだと言い訳したが、帰り際の家主の不審げな目つきは胸にぐさぐさと刺さった。
いくら怪異が関わっていても、事件にならないうちは支援班にできることはない。少し心が痛んだが、仕方ないと思うしかなかった。
(……できれば早めに、寺とかに相談に行ってほしいところだな……)
老婆の奇行の意味は俺には予想もできないが、少なくともいいものではない気がする。あの鬼のような形相は何か……その木の板の向こうに行きたいがためのものなのか。それとも……。
不穏な想像が勝手に膨らみ始めるのを感じて、俺はいかんいかん、と手に持った資料に集中した。
考えるだけ無駄だ、いや、むしろ考えてはいけない。何か気づいてはいけないことに気づきそうになる。
ようやく資料を読み進める心の準備が整ったところで、資料室の扉が開いた。集中しかけていた俺の意識がまたも霧散する。
入室してきたのは浦賀だった。
「吉野さぁん、ちょっといいっすか?」
「どうした?」
「メール来たんすよ。ええっと、日百高校の件で。壊された祠を移設するって言ってたじゃないですか、あれが
完了しましたって」
思わずその場から立ち上がった。
つい先月、日百高校で起きた生徒の転落事件にまつわる一連の騒動で、学校のすぐ裏にある山の祠が粉々になってしまった。そもそも、その騒動の一端となったのがその祠に祀られている氏神で、隣町の万代神社に祠を移設してほしいと俺に頼んできた。
祠自体は粉々になってしまったため、移設と言うより、場所を変えて再建という形に近いのだが、ともあれその工事は無事に終わったらしい。
「ありがとう、助かる」
「いーえ」
短く礼を言うと浦賀はにこっと笑って扉の向こうに引っ込んでいった。すぐに傍らに置いてあったスマホを手に取って、桂木に電話をかける。
『よいか、万代に私が移ったら、もう一度私のもとに参れ。礼も兼ねて、おまえと、その後ろの男に伝えることがある』
祠にいた神……女子高生たちからは桃羽様と呼ばれていたその神は、俺にそう言った。後ろの男、と言うのは桂木の事だ。
俺と桂木にいったい何の用があるというのか、それは見当もつかない。だがわざわざ、俺だけでなく桂木をも連れてくるように言ったことに、何か予感めいたものを覚えていた。
つい先ほどまでメッセージアプリでやり取りをしていたからか、たったワンコールで電話に出た桂木に今聞いたばかりの情報を伝える。
桂木は、あいにく今日は用事があるようで、明日の午前中に向かう段取りを組んだ。
「では、明日10時に車で向かいます」
「わかりました。ああ、あと調査の件なんですが、……不調がないとはいえ、しばらくは気を付けてください。では、何かあったら連絡ください」
「あ、はい。……お疲れ様でした」
最後の最後に微妙な雰囲気になって、通話は切断された。桂木に心配されるのはどうにもこそばゆい。最初のつっけんどんな態度の時のインパクトが強かったせいか、未だに慣れない。
気にかけてくれるのは普通に嬉しいが、男として、警察官として、心配されるよりは頼られたい。
だが現実問題、俺はまだ警察官としてまだまだ若造だ。警察官を辞めている桂木よりも実務経験は短い。そんなペーペーに頼りがいがあるはずもない。
結局のところ、今はとにかく経験と実績を積んでいくしかない。
俺は気持ちを切り替えるように、再三手元の資料に挑み始めた。
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