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08

「……ここが見つかるのは、俺が死んだ後かもってことか」  苦々しく吐き捨てると、芹沢は俺の両頬をするり、と両手で挟んだ。 「!」  びくっと体を跳ね上げる。その仕草自体に驚いたわけではない。それが―――桂木が俺にキスをした時の仕草を、思い出させたから、必要以上に驚いてしまった。  その過敏な反応に気を良くしたように、芹沢は俺の頬や耳、首を撫でさする。皮膚が薄く、どうしても反応を返してしまう場所ばかりを撫でられて、俺は歯を食いしばって背筋に伝うむずがゆい感覚に耐えた。 「……っ俺の、仕事、どのくらい知ってるんだ」  その手の動きが少しでも止まればいい、と思って、とにかく思いついた言葉を投げかける。さっき、芹沢は俺のスマホを見ていた。おそらくだが、桂木とのメッセージのやりとりも見られているのではないか。それなら、俺が芹沢を追っていたことを……そして、桂木の存在も、知っているのかもしれない。  芹沢はにんまりと笑い、俺の首筋から胸へと指を移動させる。服の上から体の中心線を辿られ、へそをくすぐられる。 「……実はね。吉野さんがお仕事してるところ、何度か見た。でも、びっくりしたなァ……あいつと一緒に働いてるなんてさ」 「……あいつ?」 「桂木一巳。知ってるよ。探偵事務所を経営してて、吉野さんと一緒に仕事してて……俺が昔殺した男、の、恋人」  芹沢は奇妙に上ずった声で嬉しそうに笑う。 「覚えてるよ、俺が最後に殺した男……アァ、あれは大変だった。でも、ちょーっと楽しかったかな。知ってんだよね? 俺が死体をあちこち埋めたこと。あいつは今もまだ、方々探し回ってるって。ふふ。まァ、気が長いっていうかなんていうか」 「……っ」  その馬鹿にしたように笑う口を今すぐ殴ってひしゃげさせてやりたかった。俺は歯を食いしばってそれを耐える。 「ほんとすごい偶然! でも嫌だなァ、なんで、いつの間に、俺の吉野さんと知り合ったのかな? ねえ!」  芹沢は急に声を弾ませ、はしゃぐように言う。もがく俺の腰を押さえつけるようにその上に馬乗りになった。腹が圧迫されて呻く俺のことなど気にもしない。 「ねえ。吉野さん、最初は桂木一巳と知り合いなんかじゃなかったよね?」  そう言いながら芹沢が俺のシャツの裾から手を差し入れる。 「おい、触んな!」 「俺、見てたんだよ。川の近くから、俺が殺した女の死体を掘り起こしてた。二人でさァ、何してたの?」  芹沢は聞く耳を持たず、シャツの下で俺の腹を撫でまわす。筋肉を押したり、つまんだり、まるで肉付きを確認するかのように。それに気を取られながらも、俺は芹沢が事件調査の現場を見ていたことに興味を引かれた。 「っ、見てたのか。自分が警察に見つかるとは思わなかったのか?」 「ま、野次馬も多かったし。見つからない自信はあったよ。あの場所は覚えてたから、死体見つかったのかな~と思って見てたんだよ。そしたら、吉野さんがあの男と一緒にいるじゃない。俺はねぇ、」  はぁ、とそこで芹沢はわざとらしくため息をつく。その表情は、まるできかん坊に教え諭す母親のような表情だった。 「あれが関わってなきゃ、もう少しじっくり時間をかけて、吉野さんにアプローチする予定だったのに。もっともっとばれにくくて、周到で、……でも吉野さんが俺の存在を知ったなら、さすがにあの店に居続ける訳にも行かないからさ。こうして大急ぎでやってきたわけですよ」  正面から見る芹沢の顔は、店のカウンターに立つ彼と表情は同じだが、雰囲気が少し違っていた。あの店で働いている時の彼は髪を後ろでまとめていたが、今はそれが流れるままになっている。肩につかない程度のやや長い髪の毛が彼の輪郭を覆って、その表情にいつもよりも濃く影を落とす。  だがそれ以外は、惣菜の会計をしている時と今とで、まったく差異を感じられない。レジ打ちと殺人を同じ顔で語れるということが何より俺にとって恐ろしい。  芹沢が俺のシャツを大きくたくし上げる。 「……っ何やってんだ!」  思わず怒鳴っていた。芹沢はシャツの下から現れた肌を真剣なまなざしで見つめ、なんでもないことのように言う。 「ああ、俺、食欲と性欲がダイレクトというか……文字通り、吉野さんの指に”一目ぼれ”したんだよね。食べたいし、欲情してる」  これには別の意味で血の気が引いた。ざっと肌全体に鳥肌が立つ。俺は改めてめちゃくちゃに暴れてみたが、しっかりと腰に体重をかけられていて身動きができない。 「くそ、ふざけんな……!」  苦し紛れに叫ぶうちに、シャツが俺の顔までめくりあげられる。顔周りにまとわりつくシャツから頭を引き抜くと、あらわになった腹から首までを見てぎょっとした。そしてカッと顔が熱くなった。首に胸に腹に、噛み痕や鬱血が残っている。それは明らかに、桂木につけられたものだった。当然その痕跡を芹沢も目に止める。ピタリ、と動きをとめて、ひときわ大きな脇腹の噛み痕に指を這わせた。 「……吉野さん。この痕どうしたの?」  静かで平坦な声だった。とたん、芹沢の指がぎりっ、とその噛み痕に爪を立てる。 「いっ……!」 「吉野さん、彼女いないよね……そんな気配もなかったし。ここ最近は帰ってきてもずっと何か調べものしてるし、女と話してる時間なんかなかったじゃん」  なんでそんなことを、と思って気が付いた。こいつは俺の部屋の合鍵を作って、自由に部屋に出入りできたのだ。盗聴器でもカメラでも仕込み放題だろう。そんな疑いがあることも、部屋に侵入されたことも、俺は何も気が付かなかった。悔しさに歯噛みするが、すべてが手遅れだ。  芹沢が、爪で肉をこねながら上目遣いで俺をじっと見つめる。 「これ、もしかして桂木一巳?」 「違う!」  即座に叫んだが、芹沢は、ふぅん、と鼻を鳴らすのみだ。嫌らしい笑みを浮かべているその顔は愉悦をにじませていて、俺の嘘を信じているとは到底思えない。  動揺が筒抜けだ。まずいと自覚すればするほど、俺の中で焦りが膨らみ、さらに大きな動揺を生んでしまう。  芹沢の瞳が急に大きくなったように感じる。嘲るような笑いを含ませた声で、俺の顔に直接息を吹きかけるようにまくしたてる。 「あれ? 吉野さん顔真っ赤なんだけど。どうしたの? 吉野さんがそんなに動揺する相手って、桂木一巳じゃなきゃ誰なのさ?」 「……るせえ!」  近づいて来た顔に頭突きを喰らわせようとして、躱される。逆に、頭髪を鷲掴みにされて後ろの壁に強引に押し当てられた。  叩きつける、というほどの勢いはなかったが、それでもかなりの衝撃が後頭部を襲う。 「吉野さん、実は口悪いよね。俺と普段話すときはあんなに好青年って感じなのに……ギャップ萌えってやつかなァ。可愛いね」 「……気色悪い」  ジンジンと痛む後頭部が、壁に押し付けられてゴリっと音を立てるのが聞こえる。芹沢の吐くセリフも、良いようにあしらわれている俺も、全部が全部、たちの悪い冗談に思えた。  睨みつける俺の視線に愉悦の笑みで返して、芹沢は俺の上半身に顔をうずめる。みぞおちのあたりにべちゃり、と濡れた感触がして、それが舌だとわかった。そのままアイスでも舐めるかのように胸の真ん中を舌がなぞっていく。その濡れた刷毛でなぞられるような感覚を、顔を背けて耐えた。 「……しょっぱい。汗の味。おいしい。これ、俺より先に味わった人がいるんだなァ……ずるいよね」 「ヒッ!」  脇腹に走った引き裂かれるような痛みにびくっと体をこわばらせた。先ほど芹沢が指でもいじり倒した噛み痕。その痕の上から芹沢が歯を喰い込ませていた。肉の薄い場所。桂木に噛まれた時とは衝撃の程度が段違いで、その痛みに本能的にひるんだ。この強さでは本当に、肉が食いちぎられてしまうのではないか、そう連想せざるを得ないほどの強さで肉がたわむ。皮の下で筋組織がちぎれていく。 (い、痛い、いたいいたいいたい……! まじで千切られる、千切れる……!)  堅固に閉ざした口を割って悲鳴が飛び出す寸前に、それは開放された。とたんにどっと汗が全身から噴き出、肌をじっとりと濡らす。  芹沢を見ると、唇を唾液で光らせてにんまりと笑っていた。  痛みにしぼんでいこうとする反抗心を苦労して奮い立たせ、芹沢を睨みつける。噛まれた痕は見たくなかった。血が出てはいなさそうだったが、相当酷い内出血になっているだろう。 「痛かったよね。暴れなかったらあまり痛くしないから。俺、食べる以外には別に、嗜虐趣味とかないからさ」  そう言いつつ、芹沢は俺の腰から退いた。足首をひとくくりにした縄を膝で押さえ、俺の足元へ器用に移動する。そして、あっという間に俺の腰からベルトを引き抜いたかと思うと、ボタンを外し、ファスナーを下ろし始めた。抵抗しようにも手と足を押さえられていては何もできない。結局、ものの数分で下半身も衣服を一つ残らず剥かれてしまった。  怒りと羞恥に体が震えているのがわかったが、ここで喚いても相手が喜ぶだけだろうと、唇を噛んで沈黙を保った。  むき出しの下半身は、当然ながら膝を固く合わせて芹沢からできるだけ局部を隠す。足首が押さえられているため、もうそのくらいしかできることがなかった。  芹沢は太ももの外側をさらりとなでおろすと、「うん、いいね」と呟き、意外にもそのまま立ち上がった。  何が、いいね、なのか。食肉を選別するような芹沢の目線に嫌悪を覚えつつ、俺は体を芋虫のように這いずらせた。できるだけ壁際に寄り、芹沢と距離をとる。そのうえで、目は皿のようにして芹沢の行動を追っていた。  芹沢は部屋の隅にある不透明な衣装ケースのようなものの引き出しを漁っている。振り向いた芹沢の手にあるものを見て胃液が逆流しそうになった。 「痛くはしないけど、味見させてね」  右手にローションのボトルとコンドームのパッケージ、左手にナイフを持って芹沢が歩いてくる。これ以上の後退は無理だとわかっていつつも、足は無意味に畳を蹴って芹沢と距離を取ろうとした。踵が畳の荒れた表面を削りながら滑っていく。その足を、傍らにしゃがみこんだ芹沢が掴んだ。 「……あ」 「楽しもうね、吉野さん」  俺はただ、先ほど芹沢が撫でた腿の外側に、鈍く光るナイフの刃があてがわれるのをじっと見ていることしかできなかった。

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