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04
噂の不法投棄場は、和宿市のハイキングコース……和宿の森散策コースという、比較的緩やかな山道から、少し外れた山腹にあった。広さは学校の教室よりもやや大きいくらいで、大型家電や廃車といった、大きな廃棄物も捨てられているのだという。10年ほど前からごみが捨てられるようになったらしいが、最初は少量だったので目立たなかった。それがここ3、4年の間に一気にごみが増え、こんな規模にまでなってしまったという。
不法投棄場の中には、捨てに来る人が整えたのかある程度歩ける道があるらしいが、ごみの山の中に突っ込んでいくならば足元や手元を守るための装備が必要だという。
実際、和宿署職員の捜査の際には、念のためと持ってきた安全靴と軍手が役に立ったそうだ。今も、その情報を踏まえたうえで、俺の運転する車の後部座席には、安全靴と頑丈なグローブが積んである。
隣に座る桂木も、足元は、足首まで保護してくれるタイプのごつい安全靴だ。ごみの山に上るかもしれないことを考えると、俺もブーツ型の安全靴のほうが良かったかもしれない、と今更思う。
「今日は、車で直接、不法投棄場まで向かう予定でしたよね、」
「ええ、昨日対応してくれた職員の方が許可してくれました」
「勝手に入れる、というのもなかなか……いえ、仕方ないのでしたね」
桂木が短くため息をつく。俺も苦笑いに似た困った顔をするしかなかった。
昨日、対応してくれた和宿市役所の職員は、暗い声音でこう教えてくれた。行政はこの不法投棄場の存在を把握しているけれど、撤去のための予算がなく、注意勧告の看板を設置する程度の対処しかできていないのだという。もちろん、不法投棄場へ至るまでの古い車道も封鎖はしているが、門扉などはなく、杭を打って鎖を渡しているだけだから、簡単に外して中へ侵入することができてしまう。
また、この職員は最後に、これ以上ないほどげんなりとした声でこう語った。
「正直、他の……福祉とか教育関係の対処で、役所が手一杯なんです。不法投棄場は確かに大きな問題ですが、直接的な被害がまだ出ていないので、対応が後ろへ後ろへと回っているんですよ」
警察相手に愚痴りたくなる程度には、和宿市役所も人手不足にあえいでいるということだろう。俺には、その職員に丁寧に礼を述べるくらいのことしかできなかった。
和宿市役所へ話を聞いたその次は、和宿署へ連絡し、不法投棄場の捜査を担当した職員に話を聞いた。ネット上で見つけた噂話に書かれていた、”古い冷蔵庫”や、”探し物をする女性”について尋ねるためだ。
浦賀が送ってきた、和宿署による不法投棄場の調査報告書は大変簡潔なもので、その中に上記の冷蔵庫や女性のことは含まれていなかった。“不法投棄場を捜査したが、ごみの山の中を徹底的に改めるのは難しかったため、目視で確認できるごみの中に怪しいものがないか探し、可能な限り改めた”という文章だけが、報告書には書かれていた。調査結果としていくつかナイフや刃物を回収したが、どれも芹沢に関係するものではなかったらしい。
他人が見れば手抜きと思いそうな内容かもしれないが、この捜査を行った警察官を非難することはできない。なにせ、捜査二課からは「芹沢が行った場所だから、何かないか捜査してこい」という大雑把な指示しか受けていないのだ。だからこそ、捜査員たちは、捨てられた刃物を持ち帰ってきた。関係ありそうなものと言われてそれくらいしか思いつかなかったのだろうと察する。多分、俺だって、同じことを言われたらそうするだろう。
それはそうとして。家電や車なんかの大型のごみがごろごろ転がっている場所で、何か物を探すとしたら当然、中に何か入っていそうなものは扉や蓋を開けて確かめるだろう。冷蔵庫なんてその最たるものじゃないだろうか?
だが、和宿署の捜査担当者は「そんなものはなかった」と戸惑いながら答えた。
「我々も、手の届く範囲なら、洗濯機やロッカーなど、中に何か収められそうなものは開けて確認しました。その中に冷蔵庫はなかった、と思います。私以外の他の誰かが見つけているかもしれませんが、報告にないということは、中に何も無かったんでしょう」
俺は他にも、現場には誰もいなかったか、地面が掘り起こされたような形跡はなかったか、思いつく限りのことを聞いたが、いずれも芳しい答えは得られなかった。
「地面を掘り起こした跡というのは、ぱっと見ありませんでした。しかし、月日が立っていれば痕跡も消えているでしょうね……。当日、現場には誰も居りませんでした。少し離れたところにハイキング客はいたようですが」
念のため、他の捜査担当者にも同じことを聞いてもらったが、今日の朝に届いたメールには、やはり”冷蔵庫”も”女性の人影”も見た捜査員はいなかったという。
捜査員たちの誰も、噂話にあるようなものを見つけられなかった。そのことについて桂木はさほど驚いてはいないようだった。曰く、
「俺や吉野さんのような、いわゆる霊感がある人にしか見えない存在なのかもしれませんね」
確かに、と俺は納得した。
それ以外にも、各々が集めてきた情報を突き合わせてみたが、結局のところ現地に行ってみないとわからない、という判断に落ち着いた。
そんなわけで翌日の今日、俺は朝から車を走らせている。もちろん助手席には桂木を乗せて。
車は深御市を出、県道を走っていた。郊外の大きなショッピングモールがあるほか、道々にはゆったりとした間隔をもって民家が立ち並んでいる。空は穏やかな晴れで、朝のニュースでは小春日和のような陽気だと言っていた。車でどこかに出かけるなら、これ以上なく気持ちのいい日だ。だというのに、行先はあいにく、海でも山でもショッピングモールでもない。山奥の不法投棄場だ。
ふと、自分が桂木と、車でどこかにでかける想像をする。桂木なら、観光地よりも自然を好みそうだ。……山はこれまで嫌というほど行ったから、県をまたいで海を目指して、途中のドライブインでおいしいものをつまみながら……。とまるであんまりな思考をし始めた自分に気が付いて、俺は真っ赤になった顔を助手席から隠すように逸らした。
(いやいやいや乙女か俺は! 仕事中だぞ仕事中、真剣にやれ……)
頼むからやめてくれ、と自分自身に懇願するような気持ちで、乱れた呼吸と思考を整える。無理やりにでも仕事の話をしようと、桂木に話題を振った。
「今日晴れて良かったですね。雪が降ったらしんどいだろうなぁと思いましたけど。これなら、地面を掘る用のシャベルも持ってきたほうが良かったですかね?」
外を見ていた桂木がこちらに視線を向ける。
「いえ、やはり地面の掘るのは、どちらにしても難しいと思います。これまでの傾向からして、地面に埋まっている可能性は高いかもしれませんが、そもそも芹沢があの場所に行ったのはもう3年も前です。埋められた場所の上にごみの山ができていたら、シャベル程度ではどうにもできません」
芹沢があの場所に行ったとされるのは3年前の夏、哲生が殺害されたちょうどその頃だ。それ以降もごみは増え続けているというから、その可能性も大いにある。だとすれば厄介だが、桂木は涼しい顔で、その時はその時です、と言う。
「俺も吉野さんも、哲生のいた場所に行くと何かしら感じることができた。それなら、ごみの下に埋まっていようと何かを感じて気が付けるはずです。その根拠さえあれば……」
「……あとは前原さんやお上に、頑張ってもらう?」
言葉の後を引き取って問い返せば、桂木はこくりと頷いた。
俺たちがその正体を知らない支援班の上部組織だが、これまでなんだかんだ、俺たちの捜査報告を蔑ろにはしてこなかった(一番ハラハラした、モモウサマの祠移動だって結局上層部で対応してくれた)。ならば、ごみの山の下に遺体があるという確証さえあれば、重機の一つや二つくらい調達してきてくれるはず……か?
(本当に、大丈夫か? 小さい祠の移設程度ですむ金じゃないぞ……)
改めて考えると、行政が苦労するほどのごみの山を警察の一部機関がどうにかできるものだろうか。
「……結構、費用かかりますよね、ごみを退かすとなると」
「でしょうね。ただ、芹沢の事件は今注目度が高い。さらに、警察も新しい手掛かりは喉から手が出るほど欲しい。金がかかるとしても動くと思いますよ、俺は」
世論が注目しているなら、警察はそれだけ早く事件解決を目指すものだ。一部の週刊誌やワイドショーではすでに、「事件が進展しないのは警察の怠慢なのでは」などと批判が出始めている。そういう現状なら、多少費用がかかろうとも警察は動くだろう、という読みだ。
(……まあ、たとえ警察が動かなくても、桂木さんはどうにかしようとするだろうな)
何も言わなくてもわかる。そういう強い意思を桂木からは感じる。哲生のためならばどんな苦労も、犠牲も厭わないという決意だ。そこに無駄な気負いは感じない。実際にそれを有言実行してきた者だけがもつ、淡々としているが故の揺ぎない意思がそこにある。
「……っ?」
ふと、唐突に目の前がくらり、と歪んだ気がした。一瞬、ブレーキを踏む足に力を入れかけるが、すぐにその視界の異常は消えてなくなる。
(なんだ、今の……)
一瞬の出来事とはいえ、車の運転は少し捜査を誤れば大事故につながる。そんな、一歩間違えれば危なかったかもしれない一瞬を顧みて、心臓がドッドッと嫌なふうに脈打つ。俺はとっさに、視界に入ったコンビニの看板を見て桂木に提案した。
「桂木さん、ちょっと俺、次のコンビニで飲み物買っていいですか?」
「ええ、どうぞ」
俺は、しばらくして道沿いに現れたコンビニに車を止める。もしかしたらまた気が付かないうちに寝不足になっているのかもしれない、と思って、コーヒーを買うつもりだった。そのついでに、目の疲れをとる目薬と、小腹もすいたので目についたチョコレートを手に取る。桂木もホットコーヒーと、向こうについてから飲むのだろうか、水のペットボトルを2本手に持っていた。
俺は何気なく、その手元を覗き込む。
「あ、水……。俺も買っておこうかな、向こうに着いたら結構重労働ですよね?」
「ああこれ、ついでに吉野さんの分も買っておこうと思って2本持ってきました。足りませんか?」
「あ、いや、足ります足ります。気を使ってもらってありがとうございます」
ぱっと顔をあげて礼を言えば、案外顔が近いところにあった。だけど、ここ最近の俺ならすぐに飛び上がって距離を取るところなのに、和やかな雰囲気の会話だったからか、自然と笑って受け答えをすることができた。それが何となく嬉しい。
(あ、よし。今日はなんだか、挙動不審率が低いような気がする)
先ほどの奇妙な眩暈で覚えた不安も忘れるほど、気分がよくなった気がした。自分でも現金だと思う。
「あ、いつまでかかるかわかりませんし、ここで少し食料を買っておきましょうか」
笑みを浮かべたまま桂木を振り返る。「そうですね」と頷いた桂木と一緒に、適当におにぎりやパンを買い物かごにいれた。
それらをまとめて買って、領収書を切ってもらう。会計を済ませると、先に店のコーヒーマシンで二人分のコーヒーを入れていた桂木のもとへ合流した。
コーヒーを手に車へ戻り、出発前にしっかりと、刺激強めな目薬を差す。これで準備万端、と俺は改めて車のエンジンをかける。ゆっくりとコンビニの駐車場から県道へと出た。
アクセルを踏みこんで車の流れに乗ってから、ああ、買っておいたチョコの袋を開けておけばよかった、と気が付いた。仕方ない、次の信号で開けようか……。
「……あ、桂木さん。もし小腹がすいたら、さっき買ったチョコが袋に入ってるんで、食べて大丈夫です」
ふと思いついたから、そう声をかけた。桂木が顔を上げる。
「いいんですか? ありがとうございます」
「いえいえ、もし食べるなら俺も食べるんで、横置いといてもらえます?」
桂木がガサガサとコンビニ袋を漁ってチョコの袋菓子を取り出す。丁寧に包装を破くと、自分で食べる前に俺の方へ、破った袋の口を差し出してきた。
「どうぞ。食べたかったんですよね」
「あ、あはは。どうも……」
食べたかったらどうぞ、と勧めたのはこちらなのに、先に俺に差し出してくるあたり、桂木は本当に礼儀正しいと思う。俺は笑いながら、桂木の差し出す袋からチョコを一粒つまみだし、口に放り込んだ。続いて桂木も一粒、チョコレートを口に放り込む。
お互い、もぐもぐと口を動かして甘味を味わう。その瞬間が何とも言えず、口の中のチョコレートと一緒にじんわりと心の端が溶けそうな気がした。
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