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 ぎし、とベッドを軋ませ、桂木が肌を合わせるようにすり寄ってくる。視界を閉ざした俺の頬を、桂木の吐息が掠めていった。 「っ、あ……」  驚いて目を開けるのと同時に、桂木の腕に抱きすくめられていた。そして、すぐに気が付く。 (あ、体温、戻ってきてる)  凍えるようだった手の冷たさはもうだいぶ和らいでいる。密着した胸や腹は、まだ少しだけ桂木のほうが冷たいものの、触れ合った場所からじんわりと、互いに温度を交わし合って、やがて同じ温度に馴染んでいく。  その感覚を桂木も感じたのだろうか、心地よいため息が耳元を掠めた。  まどろむような体温に、俺も不思議と安堵を覚え、息をつく。だがその安らぎもつかの間、くっついた腰に、桂木のものと思しき固い感触を感じて一気に顔に血の気が集まった。  いつの間に脱いだのか、しっとりした生肌の感触が触れた部分から伝わってくる。もがいても、抱え込まれた腰に逃げ場はなく、まだ少し柔らかい俺の陰茎は、伸びてきた桂木の手の平に難なく包み込まれた。 「……っ」  びくっと上体をのけぞらせる。けれどぴったりくっついた下肢は逃がしてもらえない。  桂木の手が、俺と、自分自身のそれをこすり合わせるように動いている。反射的に腰部を見下ろして、その光景にくらりと眩暈がした。  鼠径部へ伸びていく筋肉に挟まれて、二人分の性器がぴたりとくっついている。見慣れた自分の陰茎のすぐ横に、自分のよりも少し浅黒く、大きさも形状も異なる桂木のそれがあった。陰毛が絡まりそうなほど密着した肌の隙間を、二つの肉を指の間に挟むようにして、桂木の手が蠢いている。  濃い肉色の間をするり、するりと滑る蛇のような白い指―――信じられないほど淫猥な光景だった。 (や、ばい)  視覚で得る情報はダイレクトに腰に響いた。  目に見えて自分の陰茎が硬さを増したのがわかる。さらに追い打ちをかけるように、桂木の手がやんわりと、自分と俺のものを一緒くたに握りこんだ。 「ぅあ……っ」  誤魔化しようのない声が口から転がり出た。手のひらと指と桂木のもので、竿全体が上下にもみくちゃにされる。一緒に握られたままゆすゆすと腰を揺らされると、そのたびに擦られる裏筋からじん、じん、とむずがゆい快感が体を走り抜けて、そのたびに小さく跳ねる体を抑えることができなかった。 「はっ、は、ァ、かつらぎさん……っ」  息も絶え絶えな俺に、桂木がもう一度、熱を求めるように上半身を密着させる。桂木の体温はもはや温かいという温度を通り越して、熱く火照りはじめていた。それでもなお足りない、と催促するように桂木は俺の首に歯を立てる。にゅるり、と柔い粘膜の中に隠された鋭い切っ先が、わずかに肌に埋まる。 「ひ、」  その瞬間、自分の性器の先端がじわりと濡れたのを感じた。  桂木の手の動きに合わせて、少しずつ粘着質な音が大きくなっていく。俺のものから溢れた先走りを塗り広げるように桂木の手が動き、ぐち、にち、と音が派手になっていく。  恥ずかしいのにどうにかなりそうなほど気持ちよかった。自分が自分でなくなりそうな恐怖感に襲われ、とっさに俺は下肢に手を伸ばす。絶え間なく動く桂木の手を止めようと、自分の手をその上に重ねた。 「ま、桂木さ、待って。たんま、お願っ……!?」  結局その行為は何の効果も示さなかった。どころか、俺の頭を完全な機能停止に追いやってしまった。  自分の手の下で、桂木の手はなおも二人分の竿をしごいている。桂木の手からこぼれた二人分の汁のぬめった感触。その汁にまみれ、上下に動く指。その指に挟まれた性器の先端の丸い感触。生々しいそのすべてを手のひらに直に感じて、ひっ、と情けない声を上げた。  悲鳴を飲み込むように慌てて噛み結んだ唇に、桂木の唇がゆっくり覆いかぶさる。これ以上何をしようと言うのか、キャパシティがとうに限界の俺は、泣きそうになりながら懸命に唇を閉じていた。  呼吸を求めた桂木が、催促するように俺の唇全体を吸い上げる。 「んっ、ぐ、……う、うぅう!?」  性器の先端を指で、閉じた唇を舌で、上下同時にぐじぐじと弄られれば、一瞬、ばちっと視界が白くなった。  気が付けば脱力した唇が、ぬるっと滑り込んできた桂木の舌を咥えていた。ぼうっとした頭で、無意識にその舌を吸い上げる。  ―――腰がおもだるい。甘い疼きが溜まっている。その(こご)ったものを発散するように、桂木の手の動きに合わせて、勝手に腰がゆらゆら動いた。  ぬちゅぬちゅ、と互いの腰の間でぬめった音が響く。脚は互いに絡み合い、唇は時折息を継ぐ以外は常に唾液を交換していて、上も下も逃げ場がない。俺は苦しい呼吸を鼻声と共に漏らしながら、夢中になって桂木の手と陰茎に腰を擦り付けていた。  気持ちいい。それだけが頭の中を支配して、この快感を貪ることしか考えられなくなっていく。桂木の性器も固く勃起し、たらたらと先端から汁を零していた。  互いにもう限界が近い中、息継ぎのために口を離した桂木が、初めて、あ、と掠れた喘ぎ声を漏らした。それが耳を突き抜けて、脳の奥の奥まで、届いた。 「……~~っ! っ、っ!」  口をふさがれ、言葉にならない声を漏らしながら射精していた。腰がひくひくと痙攣して、桂木の手の平に何度も小刻みに精を吐き出す。その最中も、じゅう、と力強く唇を吸われ、舌を差し出したまま震えるしかなかった。  痙攣する俺の腰と腹に、一拍遅れて桂木が吐精する。ぴたぴた、と肌にしぶきが飛ぶ感触まで、射精後の敏感な肌にははっきりと伝わった。桂木のうめき声はくぐもって、すべてが俺の口の中に消えていった。それを、お互いの混ざり合った唾液と一緒にごくり、と飲み下す。酸欠と恍惚で頭がくらくらした。  どちらともなく口を離し、互いの肩に額をつけてぜーぜーと荒い息をつく。唇どころか、あふれた唾液で顎や頬までぬるついた。  ぼーっとしたまま手で拭おうとして、その手も先走りやら精液やらで汚れていることに気が付いた。何かで拭き取らなければ、と思いながらも、怠い体がなかなか動いてくれない。  そのうちに、桂木の手がもう一度伸びてきて、両腕を背中に回して抱きしめられた。 「……行かないで」  そう呟かれて、俺は仕方なく汚れていない方の手で桂木の背中を撫でる。恋しい、会いたい、足りないと叫ぶ背中を宥めるようにさすった。 「どこにも、行かないですよ」  そう答えると、桂木は強張っていた背中をわずかに緩め、安心したようなため息をついた。そしてそんな桂木に、誰よりも俺が安堵して、ほっと息をついた。  桂木は体温を味わうように、全身をひたりとくっつける。……今は、何も考えないようにしよう。桂木のこの穏やかな時間を邪魔しないように。  俺は桂木の気が済むまで、その背中を撫で続けた。  ---------------------------------  ゆらゆらと意識が揺らいで、ぼやけている。  真っ白い空間を意識だけがふわふわと漂う。牛乳の入ったコップに落っこちたら、こんな感覚がしそうだ。心地よいその微睡みにくるまっていると、する、と何かが肌の上を滑った。  そこで、唐突に目が覚める。ぱちっと音がしそうなほどはっきり目を開くと、横たわった俺にブランケットをかけている桂木が目の前にいた。  その手が、ばさりとブランケットを取り落とす。冷たい肩にふわりと温かな感触が降ってきた。  俺は目の前の桂木を見上げ、緩慢に自分の体を見下ろす。クリーム色の大きなブランケット。素肌から直接その感触が伝わってきて、自分が真っ裸だったことを思い出した。  そこに不快な感触はなく、もしかしたら拭いてくれたのだろうか、と寝起きのふやけた頭で思う。 「……すみません。俺、寝てましたね……」  ブラインドから差し込む光は、この部屋に来た時と変わらない明るさだ。眠っていた時間はそんなに長くはないのだろう。  ブランケットを体に巻き付けながら起き上がると、ベッドの横に佇んでいた桂木がじり、と後退る。既に着替えを済ませたのか、黒っぽいジーンズとTシャツを身に着けていた。  まるで大きな影のようなその体が、心なしかいつもより小さく見える。いつも猫背気味の桂木だが、その背中をさらに縮こませて、ベッドの上の俺を見下ろしていた。  見上げると、桂木は俺の視線から逃れるように、その場で深く頭を下げる。その下げた頭の下から、くぐもった声がした。 「……すみません、俺はあなたに。……本当に、なんの言い訳もしようがない」  目の前に差し出された桂木の後頭部に一瞬呆けた後、一気に眠気が吹っ飛んだ。こんな風に謝られてはむしろ俺が申し訳ない。慌てて、桂木に頭を上げるよう声をかけた。 「そんな、あ、謝らないでください! 顔上げて……」 「そう、ですね。謝って済む問題では、」 「そうじゃなくて! えーっと、ちょっと、いったん座りましょう、ね」  ベッドのふちをぽんぽんと叩いて必死に訴える。桂木は逡巡したようだったが、仕方なく、俺から体一つ分の距離を開けて、ベッドのふちへ腰かけた。  その間も、俺は寝起きの頭をフルに回転させて、この状況をどう乗り切るかを考える。  桂木は俺に酷いことをしたと思っているかもしれないが、それは違う。そもそも桂木を送っていくと強行したのは俺だし、……そういう事を期待していたのも俺だ。  むしろ桂木は俺が送っていく事を拒んでいたわけだし、全責任が俺にあると言ってもいい。だけど、それを桂木に伝えることはできない。俺の秘密を守りつつ、桂木の罪悪感を払拭するには……。駄目だ、思いつかない。  こうなったら、「こんなの全然大した事ないから気にするな」でゴリ押しするしかない。俺は、できるだけ桂木が罪悪感を覚えないよう、あえてゆるい笑顔を顔に張り付けた。……内心、俺の方が罪悪感まみれだったが。 「本当に、気にしないでください。俺はなんとも無いですから」 「……ですが……」  俯いた桂木の口元が歪む。ああ、心が痛い。 「ほんっとうに、なんともないですから! 怪我もしてないし。それに、桂木さんもあんなに辛い思いをしたんですから、仕方ないですよ。辛いときはお互い様と言いますか、俺だって怪異に襲われたときさんざん桂木さんに迷惑かけてますし。むしろ俺の方が迷惑かけまくってますし!」 「…………」  口が動くに任せて、まくしたてている間も、桂木は俯いたまま動かない。  俺は一度口をつぐむと、迷いながらこう告げた。 「……あの、じゃあ、一つ聞かせてください。いつも……哲生さん、を見つけた後は、こんなふうに……取り乱してしまうんですか?」  桂木がどうしても気が済まないというなら、これでイーブンということにしよう、そんな提案のつもりで投げかけた問いだった。  それに、桂木がこれまで、こんな状態に陥った時にどうしていたのか、誰か別の人間を相手に、同じような事をしていたのか……それが気になってしまったのだ。  桂木の顔を窺うようにそっと覗きこんでいると、彼は項垂れたまま静かに唇を開く。 「……一人の時は、ただ、耐えています。哲生を見つけた直後からの記憶は曖昧なのですが、哲生が、自分の手から離れていくのははっきりと覚えています。まるで、皮を剝がれるような、心地がします」  膝の上で組まれた桂木の手に、力が籠る。 「寒くて、孤独で、ひどく飢えているような感じがするんです。いっそ事務所の屋上から飛び降りて仕舞えば、哲生の元に行けるんじゃと何度も思いますが、その度に、哲生を”すべて見つける”ことも、芹沢へ復讐することも、まだできていない、と踏みとどまるんです。……なのに、哲生がそこで呼んでいる気がする。俺が行かなないと……と思ってしまう。だから、普段は部屋の扉を塞いで、まともに戻るまで自分を閉じ込めておくんです」  ふう、と息をつき、語り終えた桂木の肩がすとん、と落ちるのを俺はただ見ていた。  何も、言うことができなかった。ただただ切なくて、彼の感じている痛みを、自分が肩代わりできないことが歯がゆかった。 「俺がいて、少しは楽になりました?」  気が付けばそう縋るような声で問いかけていた。桂木がぴくり、とわずかに顔を上げる。しばらくして小さく頷いた。 「……触れていると、ひどく……安心するんです」  そう告げるとすぐに、すみません、と小さな声で謝る。そんな風に謝ることはない。謝ることは無いんだ、だって俺は。  どうしようもない衝動に耐えかねて、俺は片手で顔を覆う。  この気持ちをどう伝えたらいいかわからなくて、でも、どうしても桂木に伝えたくて、俺は湧き上がる言葉をそのまま口にした。 「もう……ぶっちゃけ、されたことはどうでもいいです。関係ないんです。俺はあんたが……桂木さんが、一人で耐えることにならなくて本当によかったと、思ってます」  耐えられず語尾が震えた。それを押しとどめるようにきつく唇を引き結ぶ。  初めて桂木がまともに俺の顔を見た。その表情は唖然としていて、小さく丸く開かれた口から、思わずといった感じで俺の名前が飛び出してきた。 「……吉野さん、あの」  俺は桂木の視線をさえぎるように手で顔を覆ったまま、すくっと立ち上がった。 「桂木さん、俺ちょっとシャワーお借りします」  返事を待つことはしなかった。ブランケットをマントのように羽織ったまま、一目散に部屋を横切り、バスルームに駆け込む。ばたん、と閉まった扉の向こうから、桂木が追ってくるような気配はしなかった。  俺はその場で、ずるずるとしゃがみこむ。襲い来る様々な感情に耐えるように、ぎゅっと手足を縮めた。  桂木に触れられた瞬間は幸福だった。そのうえ、桂木が少しでも楽になったというなら、これ以上嬉しいことはない。だけどその幸せはあの瞬間だけのことで、後に残ったのは嫉妬とも呼べないような残りかすの感情だ。どうあっても、桂木の存在の、人生の大部分を占める哲生には敵わない。その事実に何度も打ちのめされながらも、自分は、桂木の隣に留まり続けるのだろうか?  「……ああ、ほんと、しんどい」  呟いて俺は、体を柔らかく包むブランケットを引き寄せ、自分の体ごと抱きしめた。  ---------------------------------

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