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FILE 07:山魅笑う 01

 --------  ----------------  ------------------------ 「俺さ、来年死ぬんだって」  そう言った彼の赤い頬は、頬杖をついた手の平に圧し潰されて、柔らかくたわんでいた。  哲生は普段、度数の弱い酒しか呑まない。だというのに今日は、比較的度数の高いハイボールの缶を2本と半分開けている。祝い事の席だからか、それにしては不穏な内容の言葉に眉をひそめた。 「急になんの話をしているんですか」  年上の自分が敬語で話しかけても、彼は何も言わない。これが俺の処世術で、お守りのようなものなのだと、彼はよく知っているからだ。  幼い頃は話すことが怖かった。  その頃はまだ、この世に自分にしか見えないものがあるなんて知らなかった。無知な俺はそれを口にしては、両親からの叱責と平手を浴びた。同世代の子供からは噓つきだと爪はじきにされた。  そんな経験を繰り返し、“あれ”が他の人に見えていないとわかる頃には、口と一緒に己の心まで閉ざしていた。  自分にもう一度言葉を授けてくれたのは、祖母だ。 『いつみさんは、今日はどんなことをして、過ごしたのですか? さあ、おばあちゃんに、お話してみてください。何を言っても良いのですよ』 『……そうですか。そんなことがあったのですね。聞かせてくれてありがとうございます。いつみさんは、そんなことがあったのに泣かなかった。強くて、いいこですね』  祖母はじっくりと、その穏やかな言葉で俺の言いたいことを引き出してくれた。  いつしか俺は、そんな祖母の言葉を借りることで周囲と話すことができるようになった。誰に対しても敬語を使うようになったのはその頃からだ。もっとも、その祖母が亡くなったことで、俺は再び心を閉ざしてしまったのだが。 「ごめんごめん。そんな深刻になんないで」  そう言って哲生は、無遠慮に俺の顔に手を伸ばす。皺を刻んだ眉の間を、ちょん、と指でつつかれた。  祖母が死に、目的も意義も見いだせず茫洋と日々を過ごす自分に、再び感情を与えてくれたのが哲生だった。  彼は生まれて初めて出会った、自分が見ている世界を共有できる人間だった。  その事実を知った時、頭が真っ白になった。少しして、じんわりと、体の内側がむずがゆくなるような感覚を覚えた。それが、長い間錆びついていた自分の心が蠢く感覚なのだと気が付くまで、そう時間はかからなかった。  哲生は俺と似た境遇を歩んできたというのに、正反対の性格だった。怪異に対して肯定的で、積極的で、好意的だった。そんな彼の目を通して見た世界は、いろんな色に輝いて見えた。  彼に連れられていろんな場所へ行き、いろんなことを知った。そのすべてに驚きや、喜びや、恐怖や、悲しみが詰まっていた。  俺は、彼を通してなら、生きることができた。それを実感する頃には、彼は俺の世界の一部に、なくてはならない存在になっていた。  そんな自分を打ち明けた。一緒にいたいと、離れないでほしいと伝えた。哲生は笑って俺を抱きしめた。今以上一緒にいようと思ったら恋人になるしかないね、と言われて、そうすることにした。  あっという間のような、長かったような時間が過ぎて、今日は哲生と出会って4回目の彼の誕生日だった。  彼が告げた不穏な言葉に、なんと答えたのかはっきりとは覚えていない。多分当たり障りのない言葉を返したと思う。気にしない、とか何とか。  それがどうしたのか、と聞こうとして、続いた哲生の言葉に阻まれた。 「俺ね、来年死ぬかもしれないんだって。鬼に食われて死ぬか……、死なずに…………なるか」  後半の言葉は、吞みすぎて眠くなったのか、あくび混じりで聞き取れなかった。どちらにせよ不吉な内容だ。険しい顔をしていた俺に、心配ないよ、と彼は付け足す。 「頭のおかしいおじさんに言われたのさ、昔にね。当時は衝撃の事実だったからさ、年齢が近づいてきて、思い出しちゃった」  そう言ってひそりと笑った彼の言葉は1年後、現実になった。  そして俺は、色のない世界に再び放り込まれ、哲生の残したわずかな輝きに縋って生きている。それもいつの日か消えるだろう。俺は哲生を通してでしか、綺麗なものを見つけることができなかったのだから。  ふと、考えることがある。あの予言がもし本当のことだったら、予想される未来は二つ。  哲生が鬼に喰われて死ぬか、死なずに生き残るか。  もし彼が鬼に食われず生き残ったら、いったい、何になったのだろうか。  ------------------------  ----------------  -------- 『衣山(ころもやま)の|山魅(ヤマノカミ、ヤマガミ) おのれの体がうつろひ(衰え)ぬれば、おのれの代はりに衣山を治むる神を見つけむと考へき。 諸国見回り、一人の孕みし女を見つくと、こはと思ひ山魅は、その腹の子を山魅にせむと定めき。山魅、「かの子の育ちし頃にまた迎へにこむ」と言ひて山へ帰りき。その童、生まれしほどよりあやしき力を持てり。童大人しく成ると、山魅やりゆく。「なんぢは山の神になり、衣山を治むるなり」さてもその人は衣山の山魅になり、ときじく(いつでも)その山のてっぺんより、おのれのこどもらまもりゐるなり。』  ――――――  衣山(ころもやま)の神が自身の跡を継ぐべき子供を探して回るという話は、衣山付近に昔から伝わる伝承である。いくつかのバリエーションはあるが、選ばれた子供が不思議な力を授かり、大人になって山神を継ぐという展開はいずれも共通している。  不思議な力は神に寵愛された証であり、若くして神の元へ呼ばれる、すなわち早逝するという運命にある。  小野須正也/白山町史編纂室 (1934). 白山町史Ⅱ 三章【神々・妖怪の言い伝え】より抜粋  ------------------  1年で最も寒いとされる大寒を過ぎたとはいえ、まだまだ2月の空気は肌を切り裂くような冷たさだ。  俺と、そして、本日一緒に外出していた前原は、凍てつく外気から逃れるように、本部の自動ドアをくぐった。とたん、やんわりとした暖気が全身を包む。無意識にすぼめていた首と肩を、ほっとほどいた。 「うう、寒……。あ、前原さん、腰は、」 「腰、腰って今日何度目だ? 行くぞ、馬鹿」  前原は肩についた雪をはたき落とし、こちらを見ることすらせず、ずかずか進んでいく。気遣いなどしゃらくさいと言わんばかりの態度だが、その歩みはやはり少しぎこちない。車での長時間移動に加え、この冷えだ。足腰に疲労が溜まっているのだろう。 (やっぱり無理にでもひざ掛けをかけさせた方がよかったなぁ……)  前原の足腰に冷えは禁物なのだ、と言ったのは、前原の孫の美津だ。心配した彼女が、支援室にひざ掛けとホッカイロを置いていったのだが、車に乗った前原にそれを勧めると、「そんなOLみたいなモンはいらん」と頑なに断られてしまった。 (せっかく美津さんが用意してくれたんだし、もう少し粘っても良かったかもしれない)  明日も前原と共に車で出かける予定だ、その時は何が何でもかけてもらおう、と心に決めつつ、俺は前原の後を追った。  2月上旬、不法投棄場で哲生の遺体の一部が見つかった後、その事後処理が終わるや否や、俺は前原と共に各所への挨拶回りに追われていた。来月いっぱいで退職してしまう前原の、諸々の人脈を俺に引き継がせるため、顔見せも兼ねた挨拶回りだった。  警察は組織内でも所属によって派閥や競争が起きやすい。手柄を取ったの取られたの、捜査指揮権がどうのと小さな揉め事はよく起こる。お互いの縄張り意識が強いからこそ、どんな捜査にもしれっと紛れ込む支援班は目を付けられやすい。なんだこのよそ者は、と邪険にされてしまうのだ。  そんな事態が起きないように、あるいは、起きてしまったそれを穏便に済ませるために、警察の一部の役職には支援班の存在を知らせてある。もし問題が起きたら、事情を知る上の方から末端を取り締まっていただくのだ。  そういう事情もあり、支援班を取りまとめる立場としては、各所への顔繋ぎが大事になってくる。  正直なところ、前原と比べて俺は力不足すぎると思うのだが、支援班は人手不足で少数構成のため、仕方ないのだという。そんな事情を先方も知っているし―――理解はしてくれないかもしれないが―――、それに、いつも姿を見せない元町班長もちゃんと話を通してくれているらしい。  ならばここはもう、若造らしく、胸を借りるつもりで行くしかないと腹を括った。せっかく前原が培ってきた繋がりなのだから、できる限りの関係維持に努めたい。  今日は本部だけにとどまらず、他の署や派出所、果ては地元の名士のもとにまで出向いた。ここまで来ると、前原の人生がどんなものだったのか途方に暮れるしかないのだが、ともかく。一通り回り終えて夕方、ようやく俺と前原は本部へと帰ってきた。  長い廊下を辿って支援室にたどり着く。扉を開けると、そこにはこちらに背を向けて、浦賀と何かを話し込んでいる桂木の姿があった。扉の開く音に顔を上げた浦賀を追うように、桂木もゆっくりとこちらを振り向く。  そのやつれたような顔色を見て、思わず顔が曇る。血色の悪い頬はわずかに削げ、目には濃い隈が浮いている。一昨日、顔を合わせた時よりも、さらに疲労が濃くなっているようだ。 「……お疲れ、さまです」 「あ、お疲れっす! 外の雪、大丈夫でした?」  声をかけたものの、桂木からは無言で会釈を返され、俺は喉に何かが詰まったような息苦しさを覚えつつ室内に入る。のんきに声をかけてくる浦賀に適当に答えながら、小さくため息をついた。  桂木はここしばらく、ずっとこの調子だ。  数週間前、哲生の遺体が新たに見つかった、その直後は問題なかった。  遺体発見の後処理も、既に慣れたものだ。俺がとり憑かれた女性の件も、浦賀がうまいこと情報を絞り込んでくれたおかげで、行方不明者の顔写真の中から無事、該当する女性を見つけることができた。  その先は刑事部にお任せしたが、交友関係を洗った結果、彼女の交際相手の男が薬物を常用していたことが判明し、そこからヤクの売人をしていた男に繋がって、略取・誘拐に殺人諸々の罪で検挙となった。  問題が起きたのはその後だった。捜査本部が遺体発見場所である不法投棄場をくまなく探したものの、新しい情報は何も得られなかった。芹沢も相変わらず黙秘を続けているため、捜査は完全に暗礁に乗り上げてしまった。  今、捜査本部は苦肉の策として、過去の遺体発見場所や拠点としていた場所に芹沢を連れて行き、再度証言の確認や現地調査をしているが、現状特に成果は出ていない。  捜査本部から流れてくる情報が途絶えれば、支援班で行っていた捜査も自ずと行き詰まる。  芹沢の行動範囲と怪異の発生場所を突き合わせていたわけだが、芹沢の新たな行動範囲がわからなければ、捜査を進めようがない。  その頃から俺は前原と共に外出することが増えていたのだが、支援班に顔を見せる桂木の顔色が日に日に悪くなっていくのを見て浦賀に問いかけたところ、桂木は以前のように、怪異の起きていそうな場所をしらみつぶしにあたっているのだという。それも、どうやら昼も夜も関係なく、暇さえあれば調査に出かけているらしい (……焦るのはわかるけど、これじゃあ体壊すだろ)  俺だけでなく、支援班メンバー全員が既に何度も無理をするなと声をかけている。だが桂木は、 「もう少しで哲生を見つけてやれそうなのに、何もできないのが歯がゆいんです」  と、聞き入れてくれなかった。  本人曰く、「夜は休んでいる」らしいが、この調子ではきっと嘘だろう。  せめて以前のように、俺が調査に同行できれば、ある程度桂木の無茶を止められると思うのだが、前原の退職が来月に迫った今、なかなか時間が空かない。  それに、桂木と一緒にいることが難しい理由は、それだけではなかった。

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