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「最初は、言われた通りここに埋めてやるつもりだったんだ」  声とともに背後から腕が伸びてきて、びくりとはねた肩を手で押さえられた。背後から首にナイフを当てられ、抱え込まれるように誘導される。 「でも、それじゃあ面白くない。だから、ばらばらにしてやった。いろんな場所にばらまいてやろうと思った。作業の真っ最中にスマホに連絡があったから、ついでにいろいろ相手に送り付けてあげた」 「……、……」 「だって嫌でしょ? 命令されて、それを馬鹿正直に守ってあげるなんて。……こっちが殺す側なのに」  最後の一言には明らかな不機嫌さがにじみ出ていた。苛立ち、そして怒り。芹沢が今日初めて見せる感情だった。  思えば、芹沢が怒りや苛立ちといった感情をあらわにすることは今までなかったように思う。いつでも飄々とした態度を崩さず、喜びながら人を貶め、傷つける。快楽主義者のようにふるまいつつも、その裏では冷酷なまでに合理的で、物事を正確に判断し、行動している。  そう、芹沢の行動は、一貫して冷静で周到だった。だからこそ長い間、ぼろを出さずに犯行を続けてこられたのだ。そんな人間がなぜこんな軽率な行動に出たのだろうか。  何かが俺の中で引っかかった。俺は正面を向いたまま芹沢にまっすぐ問いかける。 「お前はどうして、そんなことをしたんだ」 「そんなことって?」 「賢く立ち回っていたお前がどうして、ただだ“面白いから”という理由だけでそんなことをしたんだ? そのせいでお前は警察に捕まる羽目になった。そこまでして、お前は何がしたかったんだ?」 「……それ、教える必要ある?」  背後の芹沢がまとう空気が一層冷たくなったと感じた時には、襟首をつかまれてナイフを喉に押し付けられていた。ひりつくような痛みが喉を襲う。  だけど俺はひるまなかった。芹沢は明らかに不機嫌になっている。ここまで芹沢が揺らいだのは今日初めてのことだった。だからどうなるとわかったわけではない。だが、これはチャンスだと、俺の中の何かがささやいていた。 「ある。俺はお前のことが知りたい。お前が何を思って行動したのか」 「違うでしょ、吉野さんが知りたいのは俺じゃなく、事件についてだ」  一笑に付して芹沢はナイフをひらひらと弄ぶ。きらめく刃を目の前にしながら、耳の中に冷たい声が流し込まれた。 「……やっぱりもう殺しちゃおうか。生意気な吉野さんも好きだけど、そろそろ飽きてきちゃったし。静かで、おりこうさんな吉野さんになろうか……?」  物騒な言葉と、耳をなぞる湿った感触にぎょっとする。耳殻を舐める芹沢の舌から懸命に顔を背けて逃れながら、俺は慌てて声を上げた。 「……っ、わかった。もう詮索はしない。しないから、一つだけ俺の願いを聞いてくれ」  芹沢を揺さぶる効果はあっただろうけれど、煽りすぎて殺されてしまっては意味がない。苦し紛れで考え付いた時間稼ぎの策を必死に叫ぶ。 「哲生さんの遺体を、掘り起こしてあげたいんだ。俺は遺体を見つけることと、お前を捕まえることを目標に必死に捜査してきた。できるなら、お前をもう一度捕まえたかったけど、お前はこの後すぐに死ぬつもりだろう。それにどうせ、俺もお前に殺される。ならせめて、彼を俺の手で掘り起こしてあげたい」  背後の芹沢は答えない。俺は芹沢の情に訴えかけるように死に物狂いで訴えた。 「俺のことは好きにすればいい。絶対に抵抗しない、約束する! だから、頼む。お願いだ」 「……ふぅん。そこまでして死体を掘りたい気持ちはわからないけど、まァいいよ。俺、吉野さんのこと大好きだし」  心なしか機嫌の浮上した声とともに、首筋に食い込んでいたナイフが引いていく。なめらかな刃が遠ざかるのを見て、詰めていた息をどっと吐いた。  この綱渡りのような駆け引きはいつまで続くのか、続けられるのか。不安と恐怖に一瞬叫びだしそうになるのを無理やり飲み下す。  芹沢は、自身が持っていた大きなスポーツバッグを地面に下ろすと、それを開けるようにと俺に命令した。震えの残る手でバッグのジッパーを下げると、中にはロープや懐中電灯といったものがごちゃごちゃと入っている。その中にあった、金属パイプを折りたたんだような物体を取り出すように言われて手に取る。それは折り畳み式の軽量シャベルだった。 「それあれば十分でしょ。俺は見てるから、どうぞ」 「……ああ」  そういって芹沢は、ナイフを構えたままゆっくり後ずさる。懐中電灯は芹沢の手の中にあり、そこから照らし出される光の輪の中に、俺は一人取り残された。  手の中のシャベルを抱えて、一瞬の躊躇ののちに芹沢に背を向ける。武器を手に入れたとしても、反撃するのは今じゃない。そもそも肉弾戦で芹沢に勝てるとしたら、それは不意打ち以外にあり得ない。奴の身体能力の高さと、殺しの技術はよくよく知っている。反撃は、確実に仕留められるとわかったときか、最期の悪あがきの時に取っておく。  おおよその位置を芹沢に確認して、俺はその場所にシャベルの切っ先をめり込ませる。感触は思ったより柔らかく、石や木の根といった硬いものに当たる感覚もしなかった。そのまま抉るように土を掘り返す。  芹沢は、遺体をそこまで深くは埋めなかったという。永久に葬り去る必要はない、一時的に行方不明になれば十分だったからだ。  俺は、万が一にでも遺体を傷つけないように、一度にシャベルを深く突き刺さないように気を付けながら、慎重に掘り進める。感触に気を付けながら、土を抉っては掬い、払いのける。  掘り進めるにつれて、遺体を傷つける不安から抉り出す深さが浅くなっていく。繊細な作業はなかなか進まない。機械的に繰り返される挙動にだんだん頭がぼうっとしてくる。思考が行動と切り離されていき、先ほどの疑問がぐるぐると頭を駆け巡った。  どうして哲生は自ら埋められたのか、芹沢は危険な行為に及んだのか、どうして自分はそれにこだわっているのか、一体何に引っかかっているのか……。  もくもくと作業を続ける俺を、芹沢は面白いものを見るような目で観察していた。いつ、その目が飽きてしまうのか怯えながら、俺は土を掘り続ける。  そんな奇妙に静かな空間に、木のきしむ音が突如大きく鳴り響いた。  とっさに俺は頭上を振り仰ぐ。風もないのにどうしてこんなに大きな音を立てるのか、見渡してみても夜の闇に覆われた視界には何も映らない。  ただ、大きく小さく、そしてまた大きく、音は鳴り続けている。  気を取られながらも手元の作業を再開すると、音はさらに大きくなった。土の下から、にじみ出るように濃くなっていく気配に伴い、周囲のざわめきが大きくなっていく。  その音の奇妙さに、背後の芹沢も身じろぐ気配がした。動揺しているのだろうか? 車から降りたときは平然としていたが、こうまで不自然な現象が起きれば気になるらしい。  ふと、俺の頭の中に一つの考えが浮かんだ。 「なあ、芹沢。お前、哲生さんとここに来たときは夜だったか?」 「そうだけど」 「怖くはなかったのか? こんな暗い山奥に連れてこられて。しかも最後は自分が殺した相手を埋めなくちゃいけない、たった一人で」  手元を広げようと、横に積んだ土を雑に押しやる。ざざ、という土の崩れる音の中に、甲高い笑い声が混じった。 「いや? 怖いのは熊くらいかなァ」 「ここに来て、何か感じたりはしなかったか?」  大きく抉れた自分の足元を一度見下ろし、背後を振り向く。光の放たれている向こう側の闇、おそらく芹沢が立っているであろう場所を見つめる。 「自分を恨んで死んでいったはずの人間を埋めている時、何も起きなかったか。何も感じなかったか?」 「どういう意味?」 「お前は幽霊とか怨霊とかそういうのを信じないのか」  明らかに馬鹿にしたような笑い声が、闇の向こうから飛んでくる。 「そんなものぜんぶ幻覚とか、思い込みに決まってるじゃん。信じませーん」 「……幻覚。そうか」  静かにつぶやくと、視線の先に広がる闇が突然息を潜めた。芹沢がこちらを窺っているような気配がする。向こう側からは、懐中電灯で照らし出された俺の姿がよく見えるだろう。  ふと、俺は今どんな顔で芹沢を見つめているのだろう、と疑問に思ったけれど、今は確かめようもない。おもむろに、土を掘り起こす作業を再開する。 「じゃあ、お前。哲生さんの遺体は見たことがあるか。埋めるとき以外……埋めた後、しばらくしてから、とか」  だいぶ深くなってきた穴。そのふちに膝をつき、底のほうから土を掻き出す。 「……どうして俺が埋めた死体を掘り起こさなきゃならないの。無いよ、見たことない」  いぶかし気な芹沢の声が途絶えたとたん、騒がしかった木の軋む音までぴたりと止んだ。  風の音も、生き物の音もしない。  唐突に訪れた静寂に、芹沢が辺りを見渡したのか、懐中電灯の光が急に俺の手元から失われた。  次の瞬間、騒々しい羽ばたきを残して、どこからか鳥が一斉に飛び立つ。見上げれば、ごうごうと空が鳴り始めた。  じゃり、という地面を踏みしめる音は、芹沢がたじろぎ、後ずさった音に違いない。  オカルトを信じないという人間でも、五感で受け取れる情報は同じだ。急な音や出来事に驚くのは仕方がない。  だけど、それだけじゃない。  どうしてかはっきりと分かった。もはやシャベルを捨て、素手で土を払い続けている、俺の手元に埋まっているそれが教えてくれたのかもしれない。  暗闇が、この山が、哲生が怖くないなんて嘘だ。芹沢は恐れている。  恐怖は判断を鈍らせる。周到な芹沢が判断を誤った理由は、本当に“面白かったから”なのだろうか。  この暗い山を登り始めたとき、芹沢はまるで恐怖を感じていないかのようにふるまっていた。だけどそれは見せかけだ。今の芹沢は、暗闇と音に恐怖を抱き、見えない向こう側に何かの気配を感じ取っている。  俺は奴の、押し込められていた“恐怖”の一端を握っている。きっかけがあれば、それは全体像を露わにするはずだ。  そしてそのきっかけはもうすぐ、顔を出す。 「哲生さんを殺して、何もなかったはずがないんだよ」  自分で呟いたその声はどこか他人事のように聞こえた。掘り出す手は休めない。ほぼほぼ地面に腹ばいの状態で一心不乱に土をかき分ける。 「哲生さんは、俗に言う霊感というか……多分、それよりもっとすごい力を持った人、だったらしい。幽霊とか妖怪とか、神様とか、そういったものと親しく……なんて言ったらいいのかな、そういう質だったんだと、俺は聞いた」 「正気の発言とは思えないね」  いつの間にか、懐中電灯の明かりが俺の手元に戻ってきていた。芹沢が俺に視線を戻したのだろうが、電灯を手持ちしているのか、ふらふらと光が定まらない。馬鹿にしたような甲高い笑い声が、心なしか引き攣って聞こえた。 「桂木から聞いたのかな。それを吉野さんは信じたわけ? まァ、スマホ覗いた時に妙な事言ってるな~とは思ったけどさ」  ありえないでしょ、と言う芹沢の声は、俺には平静を保つために必死に笑い飛ばそうとしているようにしか聞こえなかった。 「俺は信じた。いや、信じてるというより、知ってる。俺も最初は信じられなかったんだけど、もう慣れた」 「……どういうこと?」  投げかけられた声がひりついていて、芹沢がまた苛立ち始めているのだと気づいた。なのに不思議と、俺の心は揺さぶられない。 「俺もそうだから。ここで働き始めて、そういうのが見えるようになった」 「……馬鹿げてるよ」  いつの間にか芹沢が近づいてきていた。ちらりと見れば、少し離れた場所に、見たことのない顔をした芹沢がいる。不信感がありありと現れた苦い顔で、俺から距離をとり、何かを見定めようとしているかの如く、眇めた目で俺を凝視していた。  信じないのなら、それでいい。俺は手元に視線を戻し、また作業に戻る。シャベルは足元に引き寄せ、穴の中に身を乗り出す。 「ほんとに、馬鹿げてる」 「馬鹿げてると思うなら、今から出てくる遺体を見ればいい」  声を小さくして繰り返し呟く芹沢に、そっけなく答える。  ここには幽霊や妖怪のように、見えるものが限定される希薄な怪異現象とは違う、誰しもがその異常性を認識できる怪異がある。先ほど芹沢が聞き取った奇妙な音のように、人の五感で認識できる、否定できない怪異が。  俺は肩越しに振り返り、芹沢のゆれる目を見据えて言った。 「哲生さんの遺体は腐らないんだ」

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