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「俺からも聞きたいんですけど、吉野さんはどういう経緯であの場所に来たんです?」 「俺?」  今まで聞いたことを脳内で咀嚼していた俺は、急に水を向けられて顔を上げた。浦賀と桂木が二人そろって俺を見ている。  そうか、二人とも俺がどうやってあの場所に来たのかは知らないのか。 「浦賀と桂木さんの予想は当たってるよ。俺はアパートの部屋で芹沢に拉致られた。その……あのタイミングで支援室に戻るのは少し気まずくて。泊まるのに必要な物を取りに行くっていう口実で部屋に戻った。それから芹沢に拘束されて、車に乗せられて、あの山まで連れていかれた。芹沢は…………」  急に喉の奥にものが詰まったようになって、意図せず言葉が途切れた。  言いづらいことではある、けれどこんな程度で傷つくほどやわではない。俺は小さく一息ついたあと、改めて言葉をつづけた。 「芹沢は、 “事件のすべてを知った時に俺がどんな顔をするのか見たい”って俺に言ったんだ。さっき、芹沢が俺に粘着してるって話があったけど、あれは間違ってない。芹沢は……なんて言ったらいいんだろうな、俺自身というか、俺の指に執着してる」 「指ぃ?」  いー、と言葉尻を伸ばしたせいで、歯並びを見せつけるような変顔になっている浦賀の向こうで、桂木も怪訝そうに小さく首を傾げる。  俺は、芹沢に連れていかれる道中で聞いた、芹沢の幼少期の体験と、それ以来芹沢が指と食人行為に執心するようになったいきさつを明かした。 「……給食に指、ってトラウマレベルの出来事っすね。そら性癖も歪みますわな。それにしても、指……なるほど……」  浦賀は一人納得したように呟きながら、手元のスマートフォンに素早く何事か打ち込んでいる。事件の記録をメモでもしているのだろうか。 「……吉野さん、」 「あっ、はい?」 「ほかに芹沢は、何か言っていましたか」  浦賀の手元に気を取られていると、壁にもたれていた桂木がそう問いかけてきて、俺ははっとした。  芹沢は自身のことだけでなく、哲生殺害時の詳しい経緯も語っていた。その内容は、きっと桂木が長年知りたかったことだと思う。  恋人が最後に何を話し、何を見たのか。どんな最後を迎えたのか、それは何故、どうしてそうなったのか。  それを知るのは辛いことでもあるが、桂木は残酷な事実から目をそらし耳をふさぐような人間ではない。すべてを己の目と耳で捉え、判断しようとする強さがある。  俺は一度小さく息をつき、そして大きく吸い込んで、桂木を正面から見据えた。 「芹沢は、俺に、哲生さんを殺害しようとした動機や、遺体を切断した経緯も説明しました。……話しても構いませんか」  今から一番つらい思いをするのはきっと目の前の桂木だ。だから少なくとも俺は、できるだけ冷静に桂木に事実を伝えたい。  控えめな問いかけに、桂木は迷うことなく頷いた。俺は、芹沢が哲生を偶然ターゲットにしたこと、殺される寸前哲生が持ち掛けた取引のこと、芹沢が哲生を殺害した後に約束を破ったこと、一つずつ説明していった。  途中で語るのを躊躇したけれど、桂木に促されるまま時系列に沿って話し続けた。哲生の首を掘り起こしたこと、その直後に哲生の首が動き、笑いだしたこと、そして芹沢が崖下に落ちたこと。  桂木は最初から最後まで、一言も発することなく、俺の話に耳を傾けていた。 「……俺の推測ですが、多分芹沢は、哲生さんが恐ろしかったんだと思います。だからあいつは、哲生さんをバラバラにしたんだ。哲生さんの遺体を好きなように扱って、自分の方が優位だと証明して安心したかったんです。あの後、桂木さんに連絡してわざわざ犯行を見せびらかしたのも、その一環ではないかと」  最後に、ためらいながら付け足した考えは、あの時確かに自分が芹沢に言い放った言葉だ。だけど、本当にこれは“自分の考え”だったのだろうか。  あの夜、自分は常に正気だったと言えるだろうか。出来事はすべて覚えている、自分の意志で行動したという実感もある。なのに、あの瞬間だけ、自分が本当に自分だったのか確信が持てない。まるで、誰かに操られていたかのような―――。  俺はふるり、と頭を振って、にじり寄る恐怖を振り払った。今は不安になっている時ではない。  改めて桂木に視線を戻すと、ずっと黙って俺の話を聞いていた桂木が、ふぅっ、と詰めていた息を吐きだした。 「そう、でしたか。話してくださって、ありがとうございます」  今更になって、椅子に座ってしまったことを後悔した。桂木の表情が見たい。声音だけでは、彼が悲しんでいるのか、怒っているのか、それともまったく別の感情を抱いているのかわからない。  桂木が悲しんでいないか、傷ついていないか、今すぐ確かめたい。だけどわざわざ立ち上がって、桂木の顔を覗き込みに行くわけにもいかない。もどかしさに駆られて、じりっと胸が焦げ付いた。 「……なるほど。ずっと、芹沢がどうして哲生さんの首だけを衣山に埋めたのか、わかんなかったんスけど、それは哲生さんが芹沢を誘導したからだったんですね……」 「そのようですね。……哲生は、自分に与えられた予言を、しっかり覚えていました。“鬼に食われるか、神になるか”。おそらく、“鬼に食われる”、イコール、殺害されることなのだと思い当たって、とっさにそれを回避するために、衣山へ連れていけと言ったんでしょう。そこで“神になる”ために」 「鬼に食われる……? それが予言のフレーズっスか? 芹沢の存在も予言されていたってことスかね……」  淡々と事件を読み解いていく桂木と、興味深そうにうなずく浦賀をしり目に、俺は複雑な気持ちでいた。  哲生は、鬼に食われるか神になるかという違いはありこそすれ、自分が定められた年で死ぬことを知っていた。  それを知りながら、生きて、桂木と出会い、恋人になった。哲生はずっとどんな気持ちでいたのだろう。どんな思いで、自分が死ぬという運命を桂木に告げたのだろう。  神になると言って行列に担がれていった哲生は、始終穏やかな表情をしていた。幼い頃から自分の死と向き合い続けてきた時間が、あの諦観した態度を生み出していたのか。  どんなに考えても、俺には哲生が計り知れない。だけど、自分がもうすぐ死ぬとわかっていて、それでもぎりぎりまで桂木と過ごすことを選んだ哲生を思うと、胸が苦しくなった。 「吉野さんは芹沢が崖から落ちたと言っていましたが……芹沢の遺体は、見つかったんですか?」 「……見つかってはいるっス。確かに崖の下で発見されたんスけど……」  妙に歯切れの悪い浦賀に視線を向けると、浦賀は「言おうか迷ったんスけど……」と躊躇いながら口を開く。  語られた言葉は想像を絶した。  崖下に転落した芹沢の死因は、何者かに全身を食いちぎられたことによる、出血性ショックだったらしい。  俺は思わず手のひらで口を覆った。 「噛み跡は様々でした。山に住む肉食性の動物の歯形もありましたけど、全身にくまなくついている歯形は、人のものだったそうっす」 「人、ってまさか」  哲生が、やったとでも言うのか。  口には出さなかったその一言が、二人の頭にも浮かんでいることは明らかだった。  頭の中によみがえるのは、ひとりでに動きだした哲生の生首だ。ある瞬間までは、うっすらと浮かべた笑みが妖しくもどこか神秘的で、神聖なもののようにすら思えた。それが一転して、裂けんばかりの大口で下品に嗤いたてる、悪鬼の如き形相に変わった。  化け物じみた変化。それは “山の神”というよりも山に住む妖怪や、物の怪を連想させた。  こんなことを考えてはいけない、哲生はあんな怪物ではない、生きた人間だったのだから。そう言い聞かせても、あの強烈な光景は脳に焼き付いて消えようとしない。 「遺体は、見つからない部分も多かったっす。特に体の末端……指は、すべて食いちぎられて、見つかりませんでした」 「……”神”は本来、苛烈で、残酷です。哲生がそういうものになると決めたなら、人間性が失われるのは当然のことでしょう。人のままでは神になりえない。山の神になることは、山の一部になる事。人を捨て、獣になり、天災のような理不尽さで時に人を苦しめる、超然とした存在になることなのですから」  桂木の、静かな声にはっと顔を上げた。まるで、俺の葛藤を読み取ったかのような言葉だと思った。  “人”としての哲生を尊重したい。でも、“人ではなくなった”哲生の残酷さ、おぞましさをどうしても否定できない。  静かな桂木の口調には、俺と同じ葛藤を抱き、そしてすでにそれを乗り越えた後の穏やかさがにじんでいた。諦めにも似ているけれど、投げやりでもない。すべてを受け入れた、凪いだ声音だ。 「それを俺に教えてくれたのは、哲生です。哲生は神たるものがどんな存在なのか、俺よりもよほど知っていた。哲生はきっと、すべてを受け入れていたのでしょう」  一方的に己の死期を決められた挙句、死んだあとは人ではない存在になることを課せられた。そんな自らの一生を受け入れ、静かにその生をまっとうした哲生の気持ちは…………やはり、俺ごときには推し量れなかった。  事件の大まかな内容を語り終えた後は、こまごまとした雑事を確認して解散することになった。  ひとまず、桂木はこのまま支援班の外部協力者として契約を継続することになり、俺も明日から普通に出勤しても良いと許可が下りた。といっても、俺と桂木はまず、ことの顛末を長い長い報告書にしたためる作業が残っており、当分支援室のデスクと、桂木の事務所に缶詰めになるのは必至だった。  前原は今回、病院の検査のさなかに事態を知らされて、気が気でない状態で過ごしていたらしいが、動けるようになった頃には浦賀と管理局がすべて対応済みだったため、今回出番はなかったらしい。  しかし、持ち前の伝手を頼られたことで、退職の間際まで今回の殺人鬼脱走騒動の火消しに加勢する羽目になったそうだ。医者が渋い顔をしない程度まで、と決められてはいるが。  最後の最後まで多忙を極める前原だが、合間を縫って明日の午後、支援室に顔を出してくれることが決まった。  今回は前原にも大変な迷惑をかけた。早く元気な顔を見せたいし、前原の豪快な笑い声を聞いて自分も安心したい。  浦賀には、後日ぜひ口頭で、哲生が“輿入れ”したという場面を詳細に語ってほしいと要望された。 「輿入れ……不思議っす。神になることと伴侶となること……神とその嫁を同一視している? それとも神になるというのは山に嫁ぐという……ああ、考察が捗るっす……」  何にそんなに興奮するのかはわからないが、断るほどのことでもないので了解した。前からうすうす感じてはいたけど、浦賀はオカルトマニアの気がある。  一通り、明日の業務打ち合わせも終わって、この場はいったん解散することになった。時刻はもう深夜になろうとしている。 「では、お疲れ様です」 「あ、桂木さんちょっと……!」  軽い会釈とともに早々に部屋を出て行った桂木の後を追おうとして、はたと足を止める。これから帰宅だというのに、浦賀がいそいそとデスクについて、ヘッドフォンを装着しようとしているのに気が付いた。 「……浦賀、何やってるんだ。こんな日まで残業する気か?」  あきれたように尋ねると、ぱちくりと目を瞬いて浦賀はヘッドフォンを下ろす。 「ああ、俺、ほとんどここに住んでるようなもんっスから」 「は?」  呆気に取られていると、浦賀はけろりとした表情で言う。手にはすでにマウスを握り、複数のアプリを立ち上げていて、俺の話などもののついでのような態度だ。 「何かしら情報に触ってないと落ち着かないんですよ。だから暇つぶしに、よそ様のセキュリティ組んだり、違法サイトに潜ったり、内職してるんス。ショートスリーパーなんで朝方にサッと寝ればそれで充分だし、仮眠室が俺の根城っすね。まぁ……こんななんで、エリートに向いてるわけないスよねぇ」  呆然として立ち尽くしていたら、服は一週間ごとに家からクリーニングされたものが運ばれてくることや、仮眠室のロッカーを秘密裏に二つ占領しているなんてどうでもいいことまで聞かされた。  部下の予想外の才能と生体、そして家庭環境にもはや開いた口がふさがらないが、浦賀の興味はもうすでに半分以上、電子の海の向こう側へ向けられている。これ以上ここにいても無意味らしいということを悟った。 「えっと、じゃあ……また明日」 「うぃっス。お疲れ様っす」  挨拶するなりヘッドフォンを装着する浦賀をチラチラ振り返りつつ、俺は廊下に出る。桂木を追いかけるつもりだったのに、浦賀が予想外の行動をするせいでだいぶ時間をくってしまった。  急いで出入口まで廊下を走るが、結局桂木はいなかった。建物の外へ出て左右の道を見渡しても、誰の姿も見えない。  俺はその場で一つ、ため息をついた。  桂木と話がしたかった。  部屋に軟禁されている間、桂木にあったらどう声をかけよう、何を話そうとたくさん考えてきた。だけど、用意していた言葉は、今日、桂木の顔を見てすべて吹っ飛んでしまった。  そして、桂木の話を聞いてそんなものは不要だったと悟った。慰めや同情といった月並みな言葉は彼には必要ない。ただ、一言だけ俺が桂木に伝えたいことがあった。 (明日から仕事が忙しくなる。少し落ち着いたら、話に行こう)  気を取り直して、顔を上げる。  深夜の道にはもう、俺をここへ連れてきた車はない。付きまとっていた男たちも姿を消している。もう監視は必要なくなったのだろう。  俺は少しすっきりした気分で、冷たく澄んだ夜の空気の中を歩いて帰った。

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