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第10話
過去のことを思い返しながら、イサクは彼等を見ていた。
手料理も振る舞われご満悦だ。獣としてではなく、人としてゆっくりと味わうことができた。
だが、どこかやはり欠けているようで。
食後、二人きりの時。イサクの様子に気づいたアダムが、不安そうな顔を浮かべている。そしてかけられた言葉に、イサクは困惑した。
「あの。やっぱり庶民のご飯なんて口に合いませんよね」
「……」
いきなりの事に言葉が詰まる。
美味しくなければ食べないし、庶民もなにも元はイサクも同じものを食べていた。
むしろ懐かしくて、それさえもイサクの記憶を揺るがすほど。
「……そうでは無いが」
「初めて人として宰相様が召し上がっているところを見ましたが、なんだか無理をしているように見えて」
「それとは関係ないことだ。味は良かった。不味い物を進んで食べるような趣味はない」
アダムは不安を解きほっと息をつく。イサクはなんだか居心地が悪くて身を捩った。
今日はやたらと胸がざわざわとする。
二人を見ていると特に感じて、それは、なぜなのかと不思議に思ってならないからだ。
「食事と関係ないことは分かりました。でも他になにか思うところがあるってことですよね」
「……」
伺うような視線と共に告げられて、イサクの呼気が乱れた。表情は変わらずとも些細な行動に人の心理は見えるものだ。
アダムはやっぱり、と呟く。
「私たちに関係することで、なにか思うことがあるなら言ってください」
ぐるぐるしていた疑問が唐突に膨らみ出す。イサクは言われるがまま、気づけば口を開いた。
そして、後悔する。
「お前は子供を手放そうとは思はないのか?」
「え……」
アダムの顔が張り詰めたように強ばる。綺麗な瞳は徐々に色を失い影がさした。
人の機微に疎くとも、目前に哀愁を背負い、無理に笑う者が居れば分かる。
また、自分の言葉が何かを間違えたのだと。
ただイサクには、不快な思いをさせたことに気づけても、どうしてかまでは分からなかった。
イサクはただ、不思議に思ってならなかったのだ。
オメガであろうとも子を守り、幸せそうに並ぶ二人と、自分たちの何が違ったのかと。
今でも母の選択を非難する気は毛頭ない。無理を重ねて我慢を続け、体や心を壊されるより、手放す方が賢い選択だ。
それは逃げではなく、一つの決断である。それにきっと沢山悩んだに違いない。でなければ、母はあんなにも隠れて泣くことは無かった。どんなにひとりぼっちで泣いていても、決してイサクの前で涙を見せることは無かった。
記憶の母は常に笑っていて、楽しそうな振りをしていた。だからこそ夜を恐れた。大好きな母がひとりきりで泣く姿を見たくなかったから。
ただ、ひとつだけ今になって思うことがある。
イサクは人の気持ちに疎くて、小さな頃から可愛げのない子だった。もしも、自分が人の心に聡く、思いやる心に溢れた可愛いらしい子供だったのなら……。サミーのように、愛らしい子供だったのなら。
イサクは母と別れることはなかったのだろうか。
ふっ、とアダムが物悲しい吐息で笑い、イサクの意識が引き戻れる。目にしたアダムの表情に、心臓が鈍く重く鼓動を打ち出した。
「……私は母として物足りないですか」
「……」
「将来が期待されたアルファの息子を育てるのに、私じゃ力不足ですか?」
急に何を言っているのか分からなくて、どういうことだろうかと数拍考える。
そして、イサクの質問が嫌味に聞こえたのだと気づいた。お前では十分に子など育てられやしないとは思わないのか?
そう捉えられたのではないかと。
誤解されていることに気づき、そうではないとイサクが口を開こうとした時。
アダムの悲しげな瞳がまっすぐにこちらを見た。
「貴方の事がよく分かりません。……手紙を読んで、本当はいい人なのかなって思ったりもしましたけど。……そうですね。手放した方がサミーも幸せになれると、サミーの為なんだと、何度も言われてきました。オメガがアルファを育てるなんて生意気だって」
アダムは目を伏せると、泣き出しそうな声音を飲み込んで気丈に振る舞う。そこに、母親としての誇りを感じた。
「……貴方たちのように、何もかも恵まれて苦労なんてしたことのない人達には分からないでしょうね。苦しくても悲しくても、それでも手放す方がうんと、心が張り裂けそうな思いをするんです」
「……」
「貴方には……。宰相様には到底理解できないでしょうけど」
ようやく全て理解した。自分の言葉が、これまで受けてきたアダムの傷跡を抉ったのだと。
「貴方はそうやって、何も知らないふりをして、人の心に土足で踏み込んで引っ掻き回すんですね」
あの日のように激しい怒りをぶつけられるよりも、淡々とした言葉で線を引かれる方がうんと堪える。
イサクの指先が微かに震えていた。
脳裏でテオの言葉が蘇る。
──ああ、テオの言う通りだ。俺の口は災いの元だな。
ぽつりと胸中で自嘲する。
イサクは傷つこうとも、涙さえ流さない強い母親を見て謝罪した。
「悪かった」
そして、苦しげに陰ってしまったアダムを見て告げる。
「もうここには来ない。迷惑をかけて悪かったな」
イサクはそう言い残して家を出た。
二度と訪れることは無い道を、憂い顔で歩く。来る時に浮かべていた楽しげな雰囲気はどこにも無い。
夕焼けに照らされた道は、酷く寂しくて、夜が恋しかった。
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