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* * *
周囲はガヤガヤと騒がしいのに、鴻と朔瀬の間だけが静寂に満ちている。
午後四時のジャンクフード店は近くに三つの学校がある区域にある為か、制服を着た学生で賑わう。実に様々なグループが席を陣取る中で、二人は不良と不良のパシリにされる寡黙な優等生、実に不穏な組み合わせという印象を少数の大人達に与えていた。
入店し注文して端の席についてから、かれこれ十分は経った。だが、まだ二人の間に会話はない。
誘ったのは鴻の方だった。理由は、目の前にいる男の心意を図る為である。
さて、どうしようかと炭酸を喉に流し込んだ鴻に、朔瀬が先に口を開いた。
「ずるいと思っていますか?」
喧騒に掻き消えてしまいそうな声量。
瞬間、鴻は開口する。
「最初、抜け駆けはなしだって言ったのはそっちだぞ」
「……そうですね」
「覚えていてあれかよ」
「……すみません、言い訳のしようも」
その返答を聞いて、溜め息が出た。
「おい、朔瀬」
「はい……」
「何があったって言うんだよ」
「……」
「なんか最近、おかしくね」
その指摘は自分達、四人のことを指したつもりだった。
いつからか、何かが自分を蚊帳の外にして進み、違和感を覚えた時にはもう遅かった。
里津は笑顔の裏で何を深く考えているようで、湊は普段通りを装っているがやはりその言動に違和を感じる。
そして、目の前の男。朔瀬は、なんの断りもなく、告白した。高宮湊に。湊本人はちゃんと理解して聞いていたか怪しいものだが、自分はしっかり聞いて見たのだ。目前で行われている淫靡で背徳的なことにめもくれず、彼はどこまでも純粋で清らかに、伝えていた。
しかしそれが鴻には性急に思えて仕方がなかった。
例の契約と同時に、鴻と朔瀬の間にはあとの二人が知る由もない、もう一つの契約を結び交わしていたのである。
――高宮湊に本気で好意を寄せている夏々城鴻と朔瀬流夏は契約が結ばれている間中、抜け駆けをしてはならない。
……実際はそんな大仰なものではないのだが、確かに抜け駆けはなしだと約束したはずだった。そう、口約束。証拠もない、互いの善意が鍵の決まり事である。
だが、それを守ってきた鴻としては、突然起こされた朔瀬の行動には納得がいかなかった。それでも理由があるのだろうと問答無用で殴らなかっただけ褒めてもらいたいと思う鴻だったが……。
依然と騒がしい周囲に比べ、二人の間は静寂の精が支配している。
朔瀬も何を考えているのか黙ったきり顔を俯けてしまって、その考えていることも窺えない状態だ。
手持ちぶさたに、鴻はストローに口をつけ窓外を見遣る。
どうして同じ人を好きなってしまったのか。そんな純粋はとうに捨てた身として、何故朔瀬みたいな人物がこの歪んだ契約に加担したのか謎でしかない。好きな人がいるから、という理由がぴったりと当てはまりそうだが、実状を鑑みてしまえば、そんな淡い恋は一瞬にして冷めてしまいそうだ。
男同士っていうだけでも充分な障害で、それでも忘れない心を持ってしまった自分を懸命に嫌悪して。相手は誰にでも足を開く、淫乱……。
――真っ直ぐそうだし、こいつ。
自分とは違う、視界の端でより小さくなっている朔瀬を盗み見る。
普段は余裕綽々といった雰囲気だが、今回ばかりは落ち込んでいる、らしい。
彼の真面目な性格を考えると、約束を違えたことに何かしらの罪悪感を抱いているのかもしれない。
さて、どうしよう。出す手も持たず、鴻はただただ朔瀬が話し出すのを待つしかなくなってしまった。
ふと、思い付く。
――俺もあの場で好きって言えば良かった……。って、柄じゃねぇか……。
「契約、やめにしましょうか」
そんな時、ぽつりと呟かれた言葉に、鴻の意識は店内に戻ってきた。
ゆっくり朔瀬を視界の中心に定め、口を開く。
「どの契約?」
言ってストローを吸うと、ズーッと居心地の悪い音を奏でた。
「最初の契約です」
眼鏡の奥で瞬く瞳がきちんと鴻を見た。
「やめましょう、こんなこと、もう……」
「そう言う割には嫌そうだけど?」
「……嫌ですよ、そりゃあ」
契約は、許されるという証明だ。好きでいてもいい、例え彼らが好き合っていてもその体に触れてもいいという。鴻と朔瀬にとっては都合の良すぎる、用意周到な契約だ。
「でも、卒業するまでこの関係を続けることはできますか」
「俺に言われても。その為の契約書じゃねぇの?」
「そうですよ、でも……。確実に彼らは変わってきています」
「“彼ら”?」
「里津と、湊です」
「……あーお前回りくどい。はっきり素早く言えよ。どう変わってるって?」
「彼らは彼らで生きていける方法を考えたようです。……私達の出番はもう、ないに等しいんですよ」
「…………」
――いつかその日がやって来る。
そう思っていた。けれど、こんなにも早く。
鴻は表情を変えず、助けを求めるようにこちらを見つめてくる朔瀬から目を逸らすようにまた窓の外を見た。
* * *
憧れ、とは何だろうか。ヒーローに憧れたり、近くの大人に憧れたり、様々だと思う。
誰にでもある、憧れ。
その的になることが多い夏々城は、誰にでもやって来るであろう【憧れ】を抱いたことがなかった。
『……あの、』
入学してからまもない放課後。女らしい小さな手紙を受け取り、すぐ理解する。告白されるのだろう、と。
その頃、すでに不良として知名度を上げていた鴻だったが、目の前の彼女に好かれるようなことをした覚えは一つだってない。
『――あの、好きです……夏々城くんっ』
いつも、そう。告白されても好きになってもらえるきっかけなんて見つからず、知らない人からされることだって伊達にあった。
それが、憧れを恋心と勘違いしていることだと気付いてしまってから、鴻の気持ちは冷め続けていった。
『ごめん、好きなやついるから』
断るその言葉は、無難なものに。理由は簡単だ、諦めてもらえるから。たまに例外もあったけれど、大抵はそれで片付いたのだ。
『はー……』
告白されて嬉しいと思えたのも随分昔である。
鴻はさっさと帰ろうと踵を返す。
人を好きになるというのは、憧れなんだろうか。恋心は憧れ、なのだろうか。
好きって、何だろう。
その瞬間、鴻の瞳に何かが映った。
『……?』
鴻の方に背中を向けて、ちょうど曲がり角で止まっている彼は何かを覗き見している様子で。そんなにも気になることがあるのか、鴻の気配に気付く様子もない。
帰るには必ず通らなくてはならない道の為、避けることはできない。
果たして何が、と上から覗き込んでみると――。
『……』
たった今、自分もそうであったように、男女一組の告白現場が堂々と公開されているではないか。
反射的に鴻の口から溜め息が漏れる。
『他んところでやれよ』
と呟けば、
『――うっわぁ!!』
驚くほど大きな声を出し、盗み見をしていた人物が足を縺れさせて盛大な尻餅をついた。鴻から距離を取ろうとしたらしいが……。
妙な空気が流れる。
その後、告白は成功したのか、揃ってその場から去っていった彼らを見送り、鴻は視線を下げる。
『なにやってんだよ』
『……ぁ』
顔面蒼白。思わず同情してしまうほど真っ白な顔色に、鴻は踏み留まることにした。
手を伸ばし、彼を引っ張り起こす。
『あ、ご、ごめん。ありがとうっ』
『別に』
『お、驚いちゃって……まさか夏々城くんが後ろにいるなんて……あぁ、邪魔しちゃったな』
そう言い、男女が去っていった方向を寂しげに見つめる――それが高宮湊とのファーストコンタクトであった。
なんとなく去れず、彼の言葉を待つ。
高宮とは同じクラスであると記憶していたが、特に目立つ人間でもなく、地味なタイプだ。
『あれ、今の友達でさ。告白が上手くいくかずっと悩んでて、見ててって言われたんだけど…』
『女?』
『ううん、男の方』
『はっ、女みてぇ』
『ね。でもそんなところが…………。夏々城くんは?』
「その夏々城くんってやめろよ」』
『え?』
話を折られて、高宮が飲み込めないとばかりに目をぱちぱちとする。
『くん付けとか気持ち悪ぃ』
『あ、そっか。じゃあ、夏々城?』
『鴻でいいよ、みんなそう呼んでるし』
『いやっそんな、不良の王様を名前で呼び捨てなんて――』
『あ?』
『イエ、ナンデモアリマセン』
『……』
不良という、学校で部類される見た目重視なカテゴリーに属している自覚がある鴻は、緊張した面持ちで首を振る姿にまた溜め息が出そうになる。
従順でいれば害はないという、謎の防衛術。
『じゃあ、鴻ね。俺は高宮湊、湊って呼んでよ、鴻』
無言で頷いた。
『で、鴻はこんなところでどうしたの?』
『お前に関係あんの?』
『……ない、けど』
ちらりと――身長の差のせいで:-f上目遣いに見られる。
なんとなく、目を奪われた。奪われたなんて表現、鴻自身は鳥肌立つほど拒絶を覚えたが、代わりの言葉の方が見つからなかった。その鳥肌でさえ、湊の瞳を直視したことによる、ある種の衝撃と思えたほどだ。
『えっと?』
『お前は? 友達に見ててって言われて馬鹿正直に見て楽しいか?』
なんでもない、少なくとも鴻にとっては何気ない問いかけだった。
だが、たちまち表情を曇らせた湊は自嘲気味に笑って見せる。
『楽しくないよ、全然……誰かの恋を応援できるほど心に余裕がある訳じゃないし。でも、大切だから』
『友達が?』
『うん』
『ふーん』
『あ、もう帰るよね! 引き留めてごめん、また明日――』
『待てよ』
何故か途端、足早に去ろうとする湊の腕を掴む。
『な、なに?』
『……』
不安げな色を宿した双眸を捉えた鴻はその刹那、ぞくぞくとした何かを自身に走らせた。
――恋心というのは憧れから生じるものであり、意味はない。ただ見た目がいい人間を傍に置いておけば自分自身のステータスとなり、また力のある人間を傍に置けばやはり自分自身が得する。つまり憧れはいいなと思うことで、そこから生じる恋心というものは、ただ自分自身を満たす為の欲望の塊なのである。
しかし、眼前の男に抱いたのは憧れではない。人を見た目で判断し自分を守る為に変に気を遣うこの同級生のどこに憧れるところがあろう。
言ってしまえば、幾つも自分の方が“持っている”と思えた。見た目も力も、何もかも。劣っているところなど何も……。
『こ、鴻? う、うわぁ……っ!』
乱暴に突き放して、鴻は湊の横を通り過ぎる。
自分は一瞬、何を思っただろう。
『こ、鴻! どこ行くの!?』
『帰るんだよッ、バァカ!』
『え、ぇ?!』
何故か、想像してしまったのだ。
湊を組み敷いて、自分がすることに反応を見せて、何の変哲もない瞳が潤む様を。
――ぞくりと、した。
『……っ、クソッ!』
告白されて興味もない告白現場に居合わせて、頭がどうにかなってしまったらしい。
憧れを抱いているわけではないのに。
ざわざわと胸を騒がせるのは何であろうか? 自分は高宮湊に何を?
高宮湊を手に入れて、何がしたい?
『また明日ねー!!』
怯えていたのではないか。妙なところで積極的なのか、背中に元気な湊の声がかかった。まるで幼少期を思い出すような声音と調子だ。
――それがきっかけであった、とはすごく曖昧で、鴻自身納得できるものはそこにない。
しかし、興味がなかったはずの同級生を視界の端に入れるようになったのは間違いなかった。
恋心ではない。だが、何かが鴻を惹き付ける。
その何かを漠然と知りたいと思い、湊の存在を念頭に置いて過ごしていたある日。
運命は鴻に味方した。
あの放課後以来、喋ることさえなかった湊に鴻は持ちかけたのである。後に契約となる話を。
不運にも湊は、好意を抱き思いを通じ合うことができた同級生の宗田里津と体までは繋ぎ合えない間柄らしく、鴻は相手が――自分が不良というカテゴリーにいる為に――逆らえないのを知りつつ、“提案”をしたのであった。
言い訳じみたことを言えば、ただの提案である。湊と里津は拒否することもできた、という呈なわけだ。
それに湊に興味を抱くにつれてあの放課後に味わった【ぞくぞく感】を確かめたい気持ちもあったのだった。
単なる興味。魔が差した、といった風。
けれど、いつの間にか本気になっていた。
好きな人間は別にいるはずなのに、すがりついてくる四肢、鴻が見たかった潤んだ瞳にだらしのない感じ入った顔。そんな姿を見せた昨日を幻覚だと不安にさせるほどの普通な同級生を演じる湊。困った顔、楽しそうな顔、お弁当を食べた時の喜んだ顔。
自分は一生そうならない、なるわけがないと思っていた恋心に夢中になっていた。
体が目的じゃない。
湊が欲しいのだ。
それから同類を察する能力に長けているようで、契約から数日もしないうちに朔瀬も湊が好きなのだと知った。
* * *
遠い昔のような近しい記憶に思いを馳せ意識を戻した鴻は、まだ顔を俯けている朔瀬に視線を戻す。
「そんなにショックなの?」
「あ、当たり前じゃないですか!」
瞬間、彼は生気を取り戻した如く、ぱっと、その悲惨までな表情を見せる。
「契約がなくなれば、湊はもう里津のものです。何もできなくなってしまう」
「最初からあいつらはあいつらだった。俺達はただ道具にすぎなかった、手段だよ。それを分かってなかったお前じゃないだろ」
「それは、そうですけど……」
「それに、悲観的になるようなことかよ?」
「! 貴方はどうなんです?! 冷静ぶって……っ」
「穏やかじゃない、心中はな。お前は告げられただろう、好きって。言えなかった俺はどうなるんだよ? なぁ」
「っ、それは…………」
「まぁ、言う気もねぇけど」
「……夏々城、どうするつもりですか?」
「変わらねぇよ、やることなんて」
そう言って立ち上がる。
「待ってください、まだ話は――」
「あのさ、朔瀬。寝取る、なんて現実的には難しいんだよ。想いが通じてる二人を引き裂くには、ゼロの確率を引き寄せなきゃいけないって俺は思う」
「……?」
「お前は好きだって伝えたんだ。湊が聞いてたかは不確かだが……結果はまだ出てない」
「……」
「はぁ。聡明なお前にしてはニブニブだな」
「あの、夏々城は私を勇気づけようとしてくれてるんですか?」
「馬鹿、気色悪いこと言うな」
「では?」
「全部、お前の推測だ、朔瀬。まだ何の結果も出ちゃいねぇし。あいつらが契約を破棄するのか、湊の答えがどうであるか。少なくとも、この関係をまっさらに出来るほど物足りなさは感じさせてないと思うぜ?」
「っ、夏々城! 場所を考えてください」
「ふは、必死すぎ、朔瀬。いつもの余裕はどこ行ったよ?」
「……貴方は不自然なほど暢気ですね」
「言っただろうが。穏やかじゃない、って。あいつらが俺を切り捨てようって言うなら、俺にも考えがある。この契約が茶番だったことを証明してやる」
「? どういうことです?」
「みんな馬鹿ばっかりだ。俺も……お前も」
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