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* * *  里津の家に泊まって迎えた、‪翌朝‬。結局ぐっすり眠ることはできず、朝陽を体に浴びることとなった。  そして不思議なことに。起きなければ、と思えば思うほど、あれだけ訪れてくれなかった眠気が今になって凄まじい威力を持ち、襲ってくるのである。 「眠い」 「ダメだよー、ちゃんと起きなきゃ」  そんな中で、里津はけろりと支度をしているのであった。全く睡眠不足を感じさせない、普段通りの姿に内心げんなりとする。  泊まったのがいけなかったのか、今日は平日で、学校に行かなければならないのだ。昨夜、外泊の許可が下りたのも、必ず学校には行くことという約束をさせられたからでもある。その約束を破れは家族からの信用は瞬く間に失墜し、二度と外泊などできなくなるだろう。  どうしようもなく、登校するしかないのだが……。 「里津は眠くないの?」 「うん」  即答。 「そんなぬくぬくしてるから起きたくないんだよ。――ほらっ!」 「やだ〜やめてぇ」 「起きろー!!」  どこか楽しそうに、毛布を引っ付かんだ里津はばさりと剥ぐ。  瞬時に冷たい空気に包まれた。 「あ、あ……自然が俺に起きろと命じている……」 「バカなこと言ってないで起きて」 「里津も冷たい、空気も冷たい……」 「遅れるよー」 「……うぅん」  ふと、浮かんだ内容に笑いが漏れる。  ――なんか、見たことがある、こういうの。新婚生活っぽい。  自分と里津のやり取りがいつか見た映像とリンクするような気がして、にやけてしまう。 が、悟られてはいけないようで、湊はぐっと奥歯を噛み締め上体を起こした。 「あ、そうだ。みっちゃん、決めておきたいことがあるんだけど――」 * * *  学校のチャイムが鳴った瞬間に解放される感覚は学生特有のものだろうか。  寝不足な湊はようやく気だるい授業が終了を迎えたことに深く息を吐き出し、挨拶もそこそこに去っていく教師を見送る前に机へと突っ伏した。 「お、終わったあ、ぁ……」  今日の授業行程は全て終了である。  乗りきった、妙な達成感で眠気のピークにいる湊に声をかけてくる生徒がいた。 「――な、なぁ、高宮」 「あー?」  緩慢と顔を上げると、隣の席の奥寺がこちらを見ている。 「眠そうだね」 「んー……」  そんなこといちいち聞いてこなくてもいいのに、と内心思いながら頷く。人は眠らないと正常な判断ができないと言うが、当たっている。つい他人(奥寺)に冷たく当たりそうになってしまっているのを自覚した。 「勉強してた、とか?」 「……うん?」  奥寺とは入学式から結構経った今でもあまり話したことがないと思っていたのだが……。  話しづらくはないのだろうか、少なくとも奥寺はそうではないらしく、気遣わしげな視線を送ってきては顔を覗き込んでくる。  その瞳がなんだか。なんだか好奇心旺盛といった子供のようで違和感を抱く。 「えっと、何か、用?」  冷たく感じないように努めてそう言えば、奥寺ははっと我に返ったように体を揺らし、両手を胸の前で振る。 「ち、違うっ……あ、そうじゃなくて」 「う、うん?」 「じゅ、授業中、結構眠そうにしてたからさ……ぁー……そ、そうだっ。先生に注意されたら面倒だろ?」 「……あ〜」  奥寺の指摘は最もであった。  つまり、隣席の彼は授業中はらはらしていたというわけだ。湊が眠気と戦っている間。 「ご、ごめん。気にしてくれてたんだ」 「あ、ぁ、うん」  不明瞭な返答を疑問に思いながらも、苦笑した。 「ちょっと寝不足でさ――」 「どうして?!」 「え……えぇ?」 「や、あ……ごめん」  食い気味に鼻息荒く身を乗り出したかと思えば、しゅんと肩を落とす奥寺。  ……やはり、寝不足は体に毒だ。  彼は確かに人間なのに、別のものに見えてきて仕方がない。 “見えるはずもない耳”に触れるように、奥寺の頭に手を伸ばした湊は、思っていたよりも触り心地のいい黒髪を“犬にするように”くちゃくちゃにした。 「う、わ。た、高宮?」 「なんか、奥寺って……うん、なんか」 「え、えっ?」 「かわいい」 「……」  半瞬の間。 「え!?」  ぼんっと音がするような勢いで。  奥寺の顔が赤に染まった。 「え、ぁ……あの」  照れているらしい。  尚更、愛らしさを感じて、気にも止めていなかったいちクラスメートに一気に興味を抱いてしまった。 「なんかね、癒される」  自分はもう目も当てられないほど汚れてしまっているから。 「――おい」  その瞬間、地を這うような低い声音が二人の間を切り裂いた。  目を遣ると、そこには鴻の姿。と、 「――奥寺……」  同じくクラスメートの白石がいた。白石はこのクラスの副委員長である。奥寺と仲がよく、部活動に励む姿が女子心をくすぐるのか、爽やかな印象を抱く容姿とあいまって、鴻とは違うタイプの人気者であった。  そんな二人が同時に話しかけてきた。その相手は一目瞭然だが、何故か二人は怖い顔をしている。些か白石の方は、顔がひきつっているようでもあるが。 「ど、どうしたの? 白石」  奥寺が戸惑いつつも首を傾げそう問いかけると、白石は言いにくそうにしながらも明瞭な口調で奥寺を呼んだ。 「帰り、少しいいか、時間」 「え? あ、うん、別にいいけど」 「……」 「……?」 「……」 「……、え?」  以降、黙ってしまう白石に奥寺は戸惑いを隠せないようで。ちらり、と湊に視線を送ってくる。  対して湊も鴻の出現に首を傾げるしかなく、恐る恐る鴻と目を合わせた。 「こ、鴻は? どうした……?」 「顔、貸せよ」 「え゛っ」  妙なタイミングに思わず動揺してしまう。 「んだよ」 「い、いやぁ……?」 「いつものとこで待ってる」 「え。や、ちょっと待ってよ!」  湊が引き止める間も無く。鴻は早々と背中を向けて教室を出て行ってしまった。 「あ、相変わらずだね」  ふと呟かれた奥寺の言葉に、湊は深く頷くしかなかった。 * * *  つまり、二人が言いたかったことは用事があるから顔を貸せ、ということだった。無論、奥寺を呼び出した白石の言い草はそんな横暴なものではなかったが。  鴻はいつもの場所で、と言っていただろうか。そんな場所を瞬時には思い付かなかったのだが、ひとまず彼の溜まり場である空き教室を覗くことにした。  ……悩んだが、一人で行くことにして。  教室を出る前、ふと巡らせた折にぶつかった里津の視線を受け止め、小さく頷いて見せた。  ――決めたことは必ず守る、と。 『決めたいこと?』 『うん。たぶん、もう僕達の関係は変わろうとしてるんだと思う』 『あぁ、うん、俺もそう思う。思いたい』 『僕とみっちゃんの意見はたぶん一緒なんだ。僕が契約の破棄を仄めかしたことによって流夏くんは鴻くんと何か話し合ってると思う。それまで――』  それまではこれまで通りに居ること。  それが今朝、里津とした約束である。  契約を破棄したいと言うのは簡単だ。だが、これまで付き合ってくれた彼らに容易く言える言葉ではなかった。  彼らがどうするのか、どうしたいのか。こちらがどうするつもりであるのか知っているであろう二人が、どういう行動に出てくるのか。  湊と里津は様子を窺う――。 「おいこら、どこ行くつもりだ」 「ぐうぇっ」  いきなり首根っこを掴まれたと思いきや、そのまま上に持ち上げられた。 「あ、こ、鴻」 「テメェ、人を無視するとは良い度胸だな」  呼び出し時とは比べようもない恐怖を感じさせる般若のような顔に、湊はははっと乾いた笑い声を上げるしかなかった。  ……考えることに没頭するあまり、鴻が廊下で待っていることにも気付かず、待ち合わせ場所についたことにも気付かず、大胆にも通り過ぎてしまったらしいのだ。  ぴくぴくと怒りを表している鴻の眉尻をどこか遠くに見ながら、湊はどう機嫌を直してもらおうか、思考するしかなく。またもやそれによって鴻の問いかけに返答するまで時間がかかり、より怒らすという泥沼にはまるのを湊はまだ知らない。 * * * 「いいから目の前にいる俺だけに集中しろ!」 「は、はいぃっ」  鴻の堪忍袋の緒が切れるまで、校門まで持たなかった。  事情を知らない一生徒の不良に絡まれている可哀想な人、と見ているに違いない遠巻きな視線に恵まれながら、湊は体を縮こまらせて鴻の隣を歩く。  怒りの沸点が低くはないかと言いたいところではあるが、今は閉口するが利口だ。  鴻に集中する、と何度も口内で唱えて肝に命じていた湊は三度、その言葉を聞き逃しそうになるところであった。 「今日、二人は?」 「え、あ。流夏は学級委員の集まりで、りっちゃんは……先に帰った」 「ふ〜ん」 「こ、鴻こそ。顔貸せって何?」  やっと目的を聞けそうな話の流れに持っていけたことに安堵しながら歩き続ける。  横断歩道の信号が赤になった。目の前を車が過ぎ去っていく。 「別に」 「え……?」 「大した理由なんてねぇよ。暇だっただけ」 「ひ、ま」 「そうだよ。お前は俺の暇潰し。退屈さを感じさせんなよ?」 「……ちょ、ちょっとなにそれ! すごい怖い顔してたから俺はてっきり!」 「なんだよ、怖い顔って。あ?」  ――その顔です〜ッ!  とは言えない。  魅力的な顎の黒子が霞むぐらいの眼力に湊は腰が引けつつも、真正面からその瞳を見つめる。  ――どうして鴻は契約を持ち出してきたのだろう? 「え、えぇっとこれからの予定は? このまま帰る、の?」 「馬鹿言うな、何の為にお前を呼び出したと思ってんだよ」 「……」  これまで通り、というのはつまりそういうことで。  里津が寛大なだけなのか、ただ単純なのか、それとも単に頭がおかしいだけなのか。  普通は好きな人を自分だけに繋ぎ止めたいと思うはずだろう。湊自身もそう思う。  たとえ、鴻達を思い遣った結果としても、考えれば他にも方法があるかもしれない。  拒むことも、難しくないのではないか……。 「俺に付き合え」 「え、えぇ?」  鴻らしくもない誘い文句につい後退してしまうと、すかさず腰に回ってきた力強い腕が湊を引き寄せてくる。 「こ、鴻っ、見られるって」 「見られない、誰も見てねぇよ」 「ちょっ」  まるで女の子にするみたいな仕草に、湊は腕を突っ張って拒むのだが、それよりも強い力に逆らえず、体の距離はゼロに近付くばかりで。  人通りも多い通学路での行動にどきまぎする湊に対し、鴻は涼しげな顔をして拘束をほどく素振りすら見せない。  今は誰もいないとしても、いつその物陰からやって来るか分からないのに。 「こ、こう……っ」  更にぐっと引き寄せられたような気がして、鴻から視線を外す。  しかし、それを許さないとばかりに鴻が顔を無理矢理に上げさせて唐突に――唇を塞いだ。 「ん!?」  容赦ない、口付けだった。咄嗟に結ぶことができなかった唇の間からするりと入ってきた舌が奥に引っ込んでいた湊のそれを巧みに絡め取り、柔く噛んでは最後の仕上げとばかりにキュッときつく吸い上げる。 「ンッ……ん、ふ」  他人の目に触れて。嫌悪を抱かれて。通報されて。学校にも親にも露見して、この世界で追放されるのだ――最悪の事態が湊の脳裏を過り、鴻との口付けに酔うことなどできるはずもなく、足掻き続けたのだが。 「――うわあああっ」  耳にするには珍しい驚愕と恐怖を滲ませた、最早悲鳴が鴻の唇を引き剥がした。  ちゅっ、と音を立てながら離れたことに些か頬が赤くなるのを感じた刹那。湊の顔面は蒼白となった。 「…………」  ぷるぷると顕著に震え、何も言えないらしい白石と、 「…………」  同じく何も言えないながらも、何故か携帯を翳して何かしている様子の奥寺。  クラスメート二人がきっちり一部始終を見ていたようで。  湊の小さな世界は、終わりを迎えたように思えたのである。  きっと、奥寺が携帯を取り出していてこちらに向けているようなのは証拠を残す為で、不快なものを見せたとして偉い人に直訴する気なのだ。そして自分達はどこかに収容されて、一生指をさされて噂される……。  湊は鮮明に一秒後の未来を描いて今にも現実逃避しそうになっていた。  ――いっそのこと逃げよう。  事態を悪化させると知っていながらもそう行動しようかと逡巡しようとしたところで、鴻が口を開いた。 「ちょっと面貸せよ」 「……あ、はい」  ――なんて傲慢な!  危機に面しているのは圧倒的に自分達のはずなのに、鴻の高圧的な態度は変わらず、湊が唖然としている最中、奥寺に携帯を下げさせ、こくりと頷かせたのだった。  その間、白石は憐れなことに固まったままでその焦点はどこも捉えていなかった。

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