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* * *
「ぁ、く」
人差し指で弄れば、もうそこで教え込まされたように頭がぼーっとしてきて一つの快感となっていく。
「ん、んッ」
ぎゅっとつねる。焦らして周囲を撫で、頃合いを見計らって引っ張る。
すれば漏れる吐息は甘く、矯声がこぼれる。
その間、鴻は覆い被さるようにしながらも真上から見ているだけだった。熱っぽさを湛えた二つの瞳が一心にこちらを見つめている。普段は剣呑さを窺える時もあるというのに、どこか真剣で湊の痴態を見て思っているらしい。
「こう」
生理的な涙に濡れ、視界もぼやける中、湊は呼んだ。
里津はいつも通りに、なんて言ってくれたが、そう言われなくても現状は変わらなかったはずなのだ。
――気持ちいいことが好き。
自他共に認めてしまう自分の淫乱さを思えば、あの時、通学路でいきなり口付けされた時からスイッチは入っていた。
無論、奥寺達に目撃されたのは予想外で罪悪感を抱く出来事だったことに違いないが。
「鴻……っ」
「お前さ、」
やっと鴻が口を開いた。
「あいつらに何て言うつもりだったんだよ? 関係をばらす? 恋人同士だって嘘吐く? お前が本当に好きなのは里津なのに。笑わせんなよ、罪悪感なんて感じるな」
「ぁあ!」
天を向き、たらたらとアピールするように透明の液体を滴らせるものの先を鴻が指先で撫でる。
ひくひくと、後孔が伸縮した。誘うみたいに。
「こ、う! やだ、もう……触ってよ!」
「触る? それで満足すんのかよ。これが欲しいくせに」
「ひ……ぅ、ほしい、それ欲しいっ」
擦り付けられたのをどうにか招き入れたくて、湊ははしたなくも腰を揺らす。
「クソ淫乱」
「ふ……ぅっ、鴻いれてよぉ」
「ダメ。まだ」
「ふえぇぇ」
やはり胸の、しかも自分で与える刺激だけでは物足りなくて。
だが、鴻はまだ湊をいじめ足りないようだ。見て口を動かすばかりで、肝心の体は動く気配もない。
「ばかぁ!」
口を突いて出た暴言にさえ気にした様子はなく、冷たい眼差しで早くしろと催促するばかりである。
さすがに泣きそうになった瞬間、
「――じゃあ兄貴、俺にやらせてよ」
場にそぐわうはずもない幼さの残る声が、大胆にも開かれた扉から入ってきた。
「い、いやああぁぁぁ! ――んん、んーッ」
「うるせぇ、馬鹿」
「ね、いいでしょ? 兄貴」
つい女の子のように叫んでしまい、すかさず鴻に口を塞がれる。が、冷静ではいられない。またもや目撃者を生み出してしまった。
鴻のことを兄貴と連呼している彼はきっと、間違うはずもない、鴻を追って不良になってしまった――と湊が思っているだけの――弟だ。明るい金髪に、着崩された黒の制服。ワイシャツの下には赤いTシャツとまさに不良代表な格好。唯一、彼の声や顔にはまだ幼さが残っていて可愛らしくもあるけれど。
「ね、じゃねぇよ気色悪い」
「ひどいよー兄貴」
「お子様はあっち行ってろ。つーか今日に限って帰ってくるの早すぎ。もっと夜遊びしてろ」
「それが弟に言う台詞? 俺ってばカワイソー。ねぇ、湊さん。湊さんもそう思いますよね?」
「え……え?」
何か隠すものをと、自分と鴻の下になっていた毛布を手繰り寄せることに必死になっていた湊は、不意の問いかけに固まった。
どうして名前を知っているのだろうか。まさか鴻が、今日は誰々がどうだったよなんて可愛らしいことは言うまい。
湊の疑問を知ってか知らずか。彼はいつの間にか部屋に入り、すぐ側まで近寄ってきては床に膝をつき、笑いかけてくる。
「兄貴はどえすだから。俺なら優しくしてあげますよ?」
「え、あの」
「おい、郁 !」
「湊さんかわいい。ずっと、そう思ってました」
「えっ? あ、……ん……!?」
呆気なく、軽い口付けをされる。
言うまでもなく混乱した湊は、眼前にある綺麗な顔を凝視するしかできない。
そんな中、冷静に問いかけるのはやはり鴻であった。
「郁、お前、見てただろ?」
「声聞こえてたからね。まさか男だとは思わなかったけど」
あっけらかんとそう言い、郁と呼ばれた弟はベッドに上がってくる。
もうどうするか、決定したように。
「や、やだ、鴻っ」
よぎった予感に戦慄した湊は慌てて鴻に助けを求めるのだが、返ってきた言葉は今までのどのそれらよりも冷たく、最早凍っていると思えるほどの突き放したものだった。
「俺のが欲しいって言ったんだから、郁のでいくなよ?」
「……」
――なんてヤツだ!
* * *
「……、……」
「っ…………ぅ」
最初から酷い男だとは思っていたが、まさかここまでとは誰が思うだろうか。
もう何が何だか分からなくて、全てを呪えるような気がした。
しかし、湊がいくら呪ってもそれは心中の話で、現実はさして変わらず進んでいってしまう。
「うぅっ」
するりと唇の間から潜り込んできた舌は薄く、鴻に比べればどこか拙い。だが、的確にいいところを舐めてくる分、経験がないわけではないらしい……。
――何が悲しいって、鴻と比べてしまう自分が悲しいのである。鴻はこうだとか、弟に触れられてしまえばしまうほど脳内は鴻でいっぱいになる。
「ん、んゃ……」
「逃げないでください」
どうして弟が、とか。鴻はどうして黙ったまま見ているだけなのだろうか、とか。思うことはたくさんあるものの、驚いたことに何よりも事実めいているのは、
「や、だ――」
鴻、と呼びそうになっていること。
それと、全くと言っていいほど気持ちよさを感じないのだ。
「っはぁ、湊さん」
高めの声が自分を愛しげに呼ぶ。
抱き締められて、顔を寄せ合う姿は端から見たら恋人そのものだろうか。
そんなの嫌だ、と思う。
郁とは初対面のはずで。彼が何の躊躇もなくベッドに上がってきた理由に思い当たらない。
思い当たるのはあの時の鴻のように……。
「欲しいって言ってたけど、解した方がいいですか? その方が痛くないかな……?」
「ひ……っ」
「あれ、湊さん?」
「…………」
「すみません、嫌でしたか?」
「…………」
ようやく湊の様子がおかしいことに気付いたらしい郁が、距離をとる。それでも指は後孔を今にもまさぐろうとしていて。
湊は震える声を抑え、郁の後ろに控える酷い男を睨んだ。
「……湊さん?」
その視線を辿り、郁が首を傾げる。
――ふと、怒りが湧いてくるのだった。
どうやって鴻に仕返しをしてやろう、と真っ先に頭に浮かぶ。
強引な行動をとる郁というより、平静を装ってこちらを見つめている男が腹立たしい。
そうして次にやって来るのは、ぎゅうっと胸を締め付ける苦しさと悲しみ。
堪えた声が、
「く、ふ……」
漏れた。
「こ……う」
郁の手が一瞬でも離れたのが、決め手であった。
湊は重たい体を起こし、郁を越え、鴻の首に手を回してあの弱点に口付ける。
「鴻が、いい」
「……」
「鴻が先にしてきたのに誰かに譲ってもいいの?」
契約の効力を繰り返していく中で、鴻は独占欲が強い方だと知っていた。それは里津よりも。加えて、横から獲物をかっさらわれることも嫌いだ。
この際、自分は獲物でいい。
「だから鴻がしろっ、バカ!」
そう言った瞬間、我慢していた雫がぽろぽろと落ちていった。
さすがに泣くとは思わなかったのだろう。目の前の双眸が大きく開く。
「ばかばかばかッ」
「……湊、」
「バカッ!!」
「泣くことないだろうが」
「だって、鴻がひどいことするから……っいくら淫乱って認めててもここまでじゃない、初対面の人とできるほど器でかくないもん!」
「器って」
全裸で大泣きする姿は酷く滑稽に違いない。しかし、かといって一度流れ出てしまったそれは簡単に止められないのである。
呆れているのか何なのか、困った様子の鴻に向き合って泣きじゃくる湊は、不意に抱き締められた。
「郁、残念だったな。湊が選んだのは俺だ」
「えー」
郁の不満げな声。
「湊、我慢ならなかったのか?」
困惑から不敵な笑みへ表情の色を変えた鴻が腰を引き寄せ、そう聞く。
正直に頷いた。
鴻に仕返ししようとふと考えて、浮かんだのは素直に鴻の行いを糾問することだった。
「契約は俺達の、だろ」
「ふ、そうだな」
「なんで笑うの!」
「いいや? 別に」
「むかつく、反省してないの!?」
「してる、してるよ」
普段、あまり見ることのない笑顔で肯定されてしまい、湊は腸が煮え返りそうな感覚を抱く。抱いた瞬間、
「ごめんって。さすがにやり過ぎた」
そう湊に聞こえるぐらいの音量で呟き、頬に唇が押し付けられた。まるで慈しむように、だ。
驚いて涙も引っ込む。
それから鴻は素肌を滑らせるように、涙で濡れた目尻をなぞっていった。
「ぅ」
ぎゅっと目を瞑った湊に、笑う声で。
「――――」
「……っ!」
紡がれた四文字の単語。なんでもない、男としては嬉しくない褒め言葉にぶわっと体温が上昇する。
それが目に見えたらしい彼は、湊をくるりと反転させ後ろから抱くように、すっかり萎えてしまったものに触れた。
「ン」
鼻から抜けた甘ったるい声にまた鴻が笑う。
「ちゃっかり気持ちよくなろうとしてるじゃん」
「鴻が……ぅ、触るから」
「気持ちいいかよ?」
「うん、いぃ……ぁ」
数回上下にされただけで、湊のそれは天を向きはじめた。天辺から涙ではない透明の雫が溢れ出てくる。
「はっ、すっごい素直。郁」
「……なに」
「これで分かっただろ? 湊はお前には興味が湧かないんだと」
「見てれば分かるよ、それぐらい。兄貴のこと好きなんだね。頑張れば寝取れるかなって思ったんだけど……」
「はっ、お前には早すぎんだよ、郁」
「……悔しいなー。湊さん、そんなに兄貴のこと好きなんですか?」
そんな呆れた言葉が聞こえてきてようやく郁が目の前にいることに気付いた。
拗ねているのか唇を尖らせ、胡座をかいて体を震わす湊をじっと見ている。
「兄貴のどこがいいの? 好きなところ言って?」
――郁は、奥寺や白石のように純粋無垢で疑うということを知らないらしい。
湊は郁が思うような恋人を演じるしかないと咄嗟に判断した。が、意外にも容易に一つ目が口から飛び出した。
「本当は、優しいところ」
「ふ〜ん。兄貴が優しい、ねぇ。他には?」
「笑顔、笑ってるところが好き」
「……!」
手指が止まる気配はないものの、湊がここでも素直に口を開くとは思っていなかったのか、鴻は驚いているようだ。
耳元に息遣いを感じて、あとは、と必死に思い出す。
――鴻の好きなところ。
「顎のほくろがいやらしくて好き。そこが弱いところも」
「恋人ならでは、ってこと? 他に」
「あとは人から貰ったものを大切にしてるところ、ぁ」
「まぁ、プレゼントは使わないって言いながらちゃっかり使ってることが多いかも」
「あ、ぁ……っ、そこ、や」
「喘いでないで、次。もしかしてもうない?」
「っぅ、ふ……あと、は……」
だんだんと鴻の手つきが荒っぽくなっていって、比例するように郁の言葉遣いも乱れてきた。やはり兄弟なのだと思い知るぐらいには、郁の目付きは鋭く、言葉の端々に意地の悪さが滲んでいる。
「んん……あと鴻の好きなところ、は……」
「もういい」
次の瞬間、鴻の手のひらが湊の口を塞いだ。
「もう充分だろ、郁」
「……そうだね。俺の入る余地はなし、ってことでしょ」
「湊も。郁に乗せられてぺらぺら言ってんじゃねぇよ、馬鹿」
「っぷは、だ、だって」
「だって、じゃない。お前、すげぇ俺が好きじゃん」
「ち、ちが……これは!」
「あーはいはい、俺二人のらぶらぶっぷりなんて見たくないから。ちなみに兄貴は湊さんのどこがいいの? ちゃんと湊さんの魅力知ってんの?」
何故か自分の方が知ってますと言わんばかりの郁。
初対面だよな? と記憶を探るが、それは間違っていない。ただ弟の存在を知っていただけである。
「魅力? こいつただの平凡だぞ」
「ちょっと――」
「湊さんのこと悪く言う気!?」
「君もなんでそんな強気なの?!」
思わず出てしまった本音に、郁がキョトンとして何を知ったことをと呟く。
「俺、湊さんが好きなんです」
「……………………は?」
「初めて湊さんを見たのは少し前のことで。兄貴、見た目こんなだから。湊さんパシリにされてるんじゃないかって心配しちゃって。で、盗み見してたらなんか……えろいことおっぱじめちゃって。それがなんか、湊さんえろ可愛くて! 男をそんな目で見たことはなかったけど、嫌じゃなかった! 一目惚れ、とは言えないかもしれないけど……俺、本気で湊さんが好きなんです。これからもっと湊さんのこと知りたいです、何が好きとか苦手とか」
「…………」
何をどこからどう言おう。そしてどう突っ込もう……。
湊が真面目になって考えようとしていると、鴻が大きな溜め息を吐いた。
「萎えるようなこと言ってんじゃねぇよ。湊は俺を選んだんだ。お前が入る余地なんてねぇんだよ」
そして、
「入れるぞ、湊」
「え……えあっ」
止める余地こそなく。
「……ゃ」
後ろから抱き締めたまま、お尻を掴んだ彼は言葉の荒々しさとは裏腹に、ゆっくりと挿入してきたのだった。
「ん……ふ、」
「……」
「く……あっ」
緩慢な抜き差しながらも的確に湊の奥を突く鴻は、背後から何度も首筋に唇を押し付けてくる。
「ん、ン」
郁の前だから恋人らしく振る舞っているのだろうか。
鴻の指の先まで思い遣りに満ちているようで。いくらか前に里津と流夏を羨ましいと思ったことが、叶ってしまったようであった。
それが湊を行動させたのかもしれない。
湊は自身の胸元に手を滑らせ、郁が来る前に言われたことを再度実行した。
「あぁ……ん、んっ、こう」
「そんなに気持ちいいのか?」
「うん、気持ちいい……っ」
「好き?」
「好き。それ好きっ、あん」
「がつがつ突くより感じてんじゃん。自分で乳首引っ張っちゃって。やっぱ淫乱だな、湊は」
「あぅっ、ん……ふ」
「こっち向け」
「ん、んう」
顔を向けると、たちまち唇を奪われる。啄まれ、噛まれ、日々教え込まれている如く、湊は舌を差し出した。
「ん……っ」
「ふ、やっぱ淫乱。郁が見てんのに。まぁ、見られて興奮する質だからな、お前は」
「そんなんじゃない。早くちゅーして」
「……本当、お前って」
「ひあっ」
「いい性格してる!」
いきなり上半身をベッドに押し付けられ、抜き差しを早められる。
「ンンンッ……あ、あん、ん、あんっ」
すれば必然のように、郁が近くにいた。その表情は面白くなさそうに歪んでいるが……。
「気持ちいいですか」
問いかけにしては妙な語尾。だが、急な鴻の攻め様に意味のある言葉を発することなどできなかった。
きっと、恋人同士ってそういうことなのだ。彼だけしか視界に入らなくて、彼だけを感じていたい――そう思うのだ。
「鴻、もっと……もっとぉ」
「なにこの敗北感」
「出てけよ、今すぐ」
「えーこのまま? 虚しいんだけど」
「知らねぇよ、弟の下半身事情なんて。さっさと処理して遊びに行け」
「傷心の身で遊びに行くとかねぇよ。ねぇ、湊さんー」
「やめろ、触んな。泣かせたばかりだろうが、お前は」
「いやそれ兄貴でしょ」
「う、鴻……喋ってないで」
湊がよそ見したり余計なことを考えていればすぐ怒るくせに、彼は器用にも湊の中を抉りながら弟と息も乱さずに会話をしている。
気持ちよさは絶えず送り込まれていたが、誘うように腰を動かした。
「もっとして。おく、ぐちゃぐちゃにして……?」
「……はぁ。馬鹿だな、お前」
「兄貴?」
「後悔すんなよ、湊。そこまで俺は付き合わねぇぞ」
「ぅあぁ!」
覆い被さってきた鴻の下半身が強く波打ち、肉と肉がぶつかってぱんぱんと卑猥な音を奏でる。
中学生の郁には刺激が強すぎやしないか。
深く考える前に湊は、
「え、え、湊さん!?」
「一回だけ、」
「う、わ」
見覚えのある制服、ベルトを外し、衣服の間を縫うようにそれを取り出して、舌を押し付けてやった。わざと、視覚を刺激するように見せつけて。
郁はたぶん鴻と同じく同類で、異性とか同性とか拘らないタイプなのだ。
可哀想なぐらい反応しているその部分を見逃すことができなかったのである。
こうなったのは全部自分のせいで。奥寺と白石の時に分かったはずなのに、たった数分後、二の轍を踏んでしまった。見なくて済んだものを郁に見せてしまった。
郁がどうして触ろうとしてきたのか、よくは理解できない。ただの興味だろうと予測はつけられる、けれど。
「湊さん……っ、ごめんなさい、出ますっ、うぁ!」
びゅっと勢いよく放たれた白濁は湊の顔面へ。
「ぁ……」
「す、すす、すみません、今拭くものを」
「いいよ」
「おい、なに顔射してんだよ、バカオル」
「いい、鴻」
湊は手の甲で拭い、外見とは似合わず気弱な焦燥を浮かべている弟へと笑いかける。
「郁くん、かわいいね」
「へ?!」
「じゃあもう一回だけね」
ぴくりと存在を示してきた手の中のものを再び握り、先へ口付ける。
「湊さん、なんで……っ」
「お詫びって言ったらあれかもしれないけど……。入れさせてあげられなかったから、これで我慢してくれる?」
「あ……!」
「俺、頑張ってみるから」
「湊さん……!」
咥内を満たす熱源を舌や粘膜で感じる。口淫なんて鴻によくさせられるのだから同じだ。
そう考えたのだけれど。
――全然違う。やっぱり、変だ、これ。
先程のように心が悲鳴を上げるのだった。忘れたはずの涙さえも思い出す始末で。
その瞬間、鴻が呟くのを聞いた。
「本っ当馬鹿」
意味をすぐさま悟った湊は、郁から目を逸らすようにして瞳を閉じた。……そうすることしか、できなかったのであった。
* * *
――この人を初めて見たのは。
兄に後ろから荒々しく抱かれ息もつけない、というような憧れのその人は、足の間に顔を埋め、時折上目遣いでこちらを見てきては酷く妖艶に微笑むのである。
郁はそれだけで再び達してしまいそうな心地だった。
憧れの人が今、自分の目の前で自分のものをくわえ、“はむはむ”している。それもおいしそうに。
視覚からの衝撃は暴力的で、一瞬にして郁を虜にした。
彼と出会った、あの日のように。
『兄貴、何見てるの?』
ふと背後から覗き込んだ手元。明るい液晶に流れる映像は作り物とは思えない、現実めいた感覚があった。
所謂、はめ動画。
にじり寄る足音にも気付かなかった兄が素早く画面を遠ざけるのと同時に、また同じ質問をした郁だったが、
『ゲームだよ、ただの』
その返答に納得するわけがなかった。
――あれは恋人なのだ。兄貴に恋人ができたんだ。
その妙な嬉しさと好奇心がない交ぜになった感慨が深くなっていくほど、興味は次第に映像の中へと移っていった。
――でも、あれ……男、だったよね。
再度確認する訳にも盗み見する訳にもいかず、たった一瞬の記憶だけでそう決め付けた郁は次に兄が同性を恋愛対象として見ていることに思い至ってしまった。
――へえ、兄貴って男が好きなんだ。
なんとなく嫌悪を抱かずに受け入れた郁は程なくして彼の人と出会う。
学校から帰宅し、玄関を開けてみれば微かな話し声らしき音が室内に充満していて。
兄の背後を取った時と同じような忍び足でその部屋を窺ってみると、
『う、わー』
あの映像と同じような事が兄の部屋で繰り広げられ、あの人が兄に組み敷かれあらぬ姿で体を震わせていた。
それが、兄の同級生だという高宮湊との一方的な出会いである。
兄の年齢に相応しくない腰遣いよりも郁の興味を誘ったのは、のちに湊と名前を知ることになる彼の年齢不相応の子供っぽさとこちらを煽るような瞳だった。特に欲情を目一杯孕んだ瞳は郁の体を疼かせた。それまで性に特殊な目覚めがあったわけでもなく、周りと同じように女子が可愛く感じたりどうこうしたいと考えたり、友人のそれらの考えを共有していたのだから普通であった自信はある。だが、彼を一度 見てしまったら、郁の価値観はくるりと翻ってしまったのである。
同じ男の、彼を組み敷いてすがらせて、奥を突いてやりたい。
そう本能を思わせてしまったのだ、郁が湊に好意を抱くのは自然であった。
湊が傍にいてくれるなら、なんでもする。
その誓いの元、様々な方法で湊に近付こうとするもことごとく兄の防衛にて敗北。なかなか対面する機会も、話をする機会もなかった。
言ってみたらこの郁の感情は、兄の失態から成るものである。
しかし、当の本人は干渉せずさせずなのでどうしてくれることもなかった。
つまり、兄はそれほど湊を想っているのだ、と郁は思い知らされることになったのだ。
兄の言動や情報を集めていった結果、湊は気持ちいいことには目がない、淫乱体質であることが窺えた。そこから導き出した答えは、
――寝取ってやるしかねぇ!
至極真面目に考えれば鼻で笑えるほどの馬鹿げた発想であった。が、この時の郁は恋に真っ直ぐであり、恋とは人間を馬鹿にするものである。
そう、真面目だったのである。
そうして郁は同性同士のあれこれを探りに探って、途中同級生カップルを見つけてしまうというハプニングはあったものの、知識は蓄えたつもりでいた。
……しかし、いざ好機を目の前にしてみれば、自分は失敗し、湊を泣かせて終わってしまったのである。
「……くそ」
やはり恋人同士の中に割って入ることはできないのだろうかと、しくしく考えてどれぐらい経ったか。実行前ではできるという自負が七割だったはずが、今ではできない方が逆転している状態だ。
「一生、立ち直れない気がする……」
金髪に鋭い眼光を曇らせて、不良のふの字も感じさせない中学生の悩める夏々城郁は、三日経った今日も布団の温かさに慰められている。
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