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* * *  全日学校が終わり、夜に行動する人間と擦れ違う夕暮れ時。  大型書店の一角で奥寺真崎は数冊の漫画を手に取り、とある表紙とにらめっこをしていた。  初めての作家の、あるいはあらすじに惹かれて買う漫画には悶々と悩んでしまうのが恒例だ。思っていたのと違ったらどうしようとか、これを買ってしまったらお金が今月底につくからどうしよう、とか。謂わば、どうしようスパイラル。  中でも一番怖いのは、表紙に騙されることである。  表紙と中身の絵が違った、なんていうのは珍しくなく、思い通り、なんてことは数少ない。表紙というのは購買力を増大させる顔であるからみんな力を入れるのだろうが、だからこそ見極めが大事なのである。  選ぶのは自分だ。限りあるお金で最大限のときめきを――! 「――あっ、奥寺くん」  静寂が主なBGMの店内。その端に設けられたボーイズラブコーナーにて、聞こえてきた嬉しそうな声に顔を上げた。  視界に映るは麗しい顔、漫画から抜け出したような酷く整った顔をした男である。  名前は柏木(かしわぎ)、もう三十路だなんて会えば口にするが全く感じさせない童顔ぶり。何を隠そう、奥寺が日々萌えの普及場にしているこの書店の店員であり、ボーイズラブコーナーを担当している、なんとも可哀想な人である。  しかし奥寺が可哀想だと思っても柏木自身、どうしてか自身が受け持つジャンルには興味があるようで。  こうして珍しい男性客だという奥寺を見つけては談笑したいとばかりに話しかけてくる奇人なのだ。 「柏木さん」 「こんにちは、学校の帰り?」 「そうですよ、制服だもん」 「だよね。あ、鹿原(かしはら)優一郎(ゆういちろう)先生の新刊気になった?」 「え、柏木さん知ってる?」 「新刊、っていってもデビュー作だけどね。大々的に発表されたわけではないけど、僕的には面白かったよ?」 「……」 「えっなに?」 「やっぱり柏木さんぐらいの人がこういうの好きなんて変だなって」 「あ。やっぱり三十路近くてBL好きってやばいかな」 「いや、そうじゃなくて。俺の考えではこんなかっこよくて優しい男性がBL好きなんて思わないってことですよ」 「えー? 好きな人は好きだよ。あと、そう言うなら奥寺くんだってそうじゃない。今時にしては爽やかな好青年って感じで……」 「――奥寺!」  その瞬間、二人を切り裂くように奥寺を呼ぶ声がする。揃ってそちらを見遣ると、険しい表情をした白石がいた。 「あ、やばい」 「え?」 「ごめんなさい、柏木さん。今日は“ダメな”友達と一緒で」 「あぁ、そうなんだ?」 「うん。また今度来ます。そうだ、これ買うことにしたんで感想言い合いましょうね!」 「奥寺っ!」 「あぁっはいはい、今行くー! じゃあ、またね、柏木さん」 「あ、うん。また……またのご来店、お待ちしてます」  丁寧に柔和な笑みを浮かべて頭を下げる書店員を背に、白石へと駆け寄る。  間中、彼への配慮として、ましな表紙の漫画を一番上にすることを忘れない。 「ごめんね、今買ってくるから……」 「あれ、誰?」 「え?」 「あの人」  躊躇いも遠慮もせず指をさす白石に慌てながらも、奥寺ははたと考えて言い悩む。  友達、ではないような。だが他人ではない。 「なんだろう……趣味が合う、的な?」 「……ふ〜ん」 「なに?」 「別に、特に理由は。……はぁ、早くそれ買ってこいよ」 「あ、はーい」  奥寺が持つものを目にして半ば呆れたように言う白石に気付かない振りをして、奥寺は会計へと急いだ。 * * *  あの衝撃的な現場を目撃してから早一週間。  白石はまだ受け入れがたいのかピリピリしており、何か悩んでいる様子で。奥寺には友達として見守ることしかできず、自重することもできないでいた。  しかし、あまり露骨なことを言わないよう、心掛けてはいるが。  ――好きなものを好きと言えないなんて、苦しい。  本屋を出て帰路を歩く。何かと白石といることが増えたのはどうしてだろう。白石の受け入れがたいものを嬉々として受け取る自分といれば苦痛も多いだろうに。  夕陽に照らされた影が伸びていく。白石と別れる最後の道のりには、長い上り坂がある。その途中を奥寺は右に折れて行くが、白石はまだまだ続く上り坂の頂上を目指していくようだ。こんなふうに一緒に帰っているが、互いの家の場所さえ知らない、友人というには浅い関係だろう。 「奥寺」 「うん?」 「俺は、色々考えた結果、辿り着いた答えがある」  すっかり悟った顔をして部活に励む好青年の姿はどこへやら、の状態な白石が神妙な面持ちでそう言う。 「なんの答え?」 「……あいつらのこと」 「あ……うん」  高宮と夏々城のことであろう。 「俺は、受け入れないことにした」 「……、……そっか」  思わず、どうしてと問いかけそうになって、寸前のところでそれを飲み込んだ。  理由は分かりきっている。受け入れがたい嫌悪があるからだ。普通じゃない、変。それが当たり前の感想なのかもしれない。  だが、どうしてか。当人ではないのに、奥寺は悲しくなった。  好きなものを否定されたからだろうか。こんなにも素晴らしいジャンルはないと叫んでも補えないほどの愛情を否定されたからか。  いや、違う、違うのだ。悲しいと思うのは、白石が不器用で、でも優しくて。 「色々整理してみた。そしたら色々な形があってもいいよなって思えてきた。だから、認めることにはした」  そんな言葉でしか祝福できない自身を恨んでいるようであったからだった。 「認める……?」 「あぁ。なんかで見たことあるなって。“好きになってしまったのなら仕方がない”ってさ……それに俺がどうこう言ったってあいつらが変わる保証はないし、そもそも付き合うのをやめろなんて言う気もないんだ。夏々城達には悪かったけれど、」  ――あぁ、白石。俺は君を友達として誇りに思う。 「副委員長としてもあいつらは大事なクラスメートだしな! 理解してやらなくちゃ、」 「白石……」  別れ路に差し掛かり、奥寺は前を見据える。  一週間に及んだ白石の悩みは消化されつつあるらしい。それが嬉しくて、嬉しくて。  自然と笑顔になった奥寺だったが次の瞬間、全身を尖った氷柱で刺されたかのような衝撃に遭った。 「白石……っ」  そのせいで、自分でも思わぬ行動をとってしまったのだった。  白石を守る為だったと言うには聞こえがいい。だが、奥寺がその行動をとってはならないと一番に知っているはずであった。 「……っ」 「! ……ッ」  白石の唇が小刻みに震え熱を失っているのがありありと分かる。それらを自分の唇で受け止めた奥寺は様々な思いを胸に、投げ遣りな思考で少しかさついた彼の唇を潰す。ぎゅっと瞼を閉じた白石の体を引き寄せ、奥寺は白石のきつく閉じられた瞼を越え、閑静な住宅街に似つかわしくない水音が充満していそうな一角を見つめた。  夕紅の色に浮かぶ二つの濃い影、それは紛れもなくクラスメートのもので。  どうして。  ――高宮と朔瀬。  二人は何故か、今の自分達と同じように、唇を重ね合っていた。

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