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* * *
「りっちゃん?! どうしたの? 泣いてる……? りっちゃん!」
「どうしたんだよ」
「どうしたんですか?」
受話器の向こうで里津が泣いていることに気付いた湊が問い質せば、それを聞いた鴻と流夏が眉を潜める。だが、二人に構っている場合ではなかった。
全てが変わり始めようとしているように、流夏から話し合いの場が設けられた。今後、どうするのか。大切な話し合いだ。誰もがそう思っているだろう。
しかし、集合場所に里津の姿だけがなかった。
どうしたのかと思い、電話をしてみれば、唐突に謝るのではないか。そして啜り泣いている様子なのである。
そんな里津に異変を感じないはずがない。
「りっちゃん、りっちゃん?」
《……みっちゃん》
弱々しい声。ちょっと前まで同じ教室で同じ授業を受けていたというのに、その時は特に不審にも思わなかったのに。
短時間で何があったというのか。
ただ事ではないと悟ったらしい鴻がスピーカーにしろと伝えてくる。
端末を耳から離し、里津の頼りのない声が言葉を紡がれたのは、スピーカーにする為に操作をした時だった。
《もう、バイバイしなきゃ》
「バイバイ?」
いち早く反応したのは流夏だ。
「どういうこと!? りっちゃんっ」
《ごめん、ごめんね、みっちゃん……っ》
「待ってどういうこと、」
「おい、里津」
《……っ》
息を飲む気配。
「今どこにいんだよ?」
《……家》
「お前、約束破ってまで家に直行したかったのかよ」
《ちがう……っ》
「だったら訳を話せ。それぐらい出来るだろうが」
意外にも一番冷静だったのは鴻で。
流夏も瞠目し、我に返って頷いていた。
「そうですよ、里津。私達を頼ってくれてもいいじゃないですか。貴方が泣くなんてよっぽどのことなんでしょう?」
「りっちゃん」
《……みんな……っうん》
* * *
「あぁ、二日続けて走ることになるなんて思いもしませんよ」
「あ?」
「なんでもない、なんでもない。口より足動かそうよ! 流夏」
「……そうですね」
男子高校生が街中を奔走する光景はよほど目線を集めるようだ。
どうにかぶつからないように人の波を駆け抜け、目指すは里津の家だった。
『実はお母さんとお父さん、離婚するんだ』
訥々と打ち明けられたのは、何とも言えない予想外の現状であった。
『前から不仲であんまり家にいなくて、とうとう来たかなんて楽観視してたんだけど。それが僕の親権問題で更に関係が悪化しててさ。どっちについて行くか、決めることになったんだ。でも僕決められなくて……決められないっていうのは、どっちか一つを選ぶのが難しいってことじゃなくて、どっちにもついて行きたくないって意味。今まで僕のこと放ってたくせに……って思ってて……しかも二人とも、日本には残らないで海外に行くって言うんだ。僕には無理だよ、ここから離れるなんて。……――みっちゃんと離れたくない。もちろん、琉夏くんと鴻くんとも。関係はどうであれ、僕にとっては大切な人達だよ。実の両親よりも……。で今ね、お父さんに連れ去られて監禁中。圏外にならなくてよかった……っ』
【監禁】という衝撃的すぎる単語に、時が止まったように思えた。鴻も流夏も押し黙り、控え目に視線を交わすばかりだった。
しかし、穏やかな状況を黙って見ているわけにもいかず、なんとか居場所を尋ねた三人は、自宅にいるという里津の言葉に動かされるようにしてひたすら走っているわけである。
「はぁ、はぁっ」
「体力ねぇな、湊」
「う、うるさっ……鴻は体力バカだ……ぁあっ」
「喋ってないで早く走ってください。監禁なんて一歩間違えれば事件ですよ」
「でもっ、なんで監禁……?」
「不仲だって言ってただろ。父親は母親に里津を取られまいとしてるのかもな」
「ということは母親は知らないんでしょうか?」
「さあな」
「は、はあっ……!」
学校から里津の家まで歩いて十五分ぐらいだろうか。
いつになく真剣に分析している鴻に突っ込みをいれることもできず、湊は必死に走り続ける。
里津が無事でいてくれたらそれでいい。そう願って。
息も絶え絶えになりながら訪問を知らせた湊達であったが、そう上手く事は運ばなかった。
「――里津は今いないよ」
「え、あの……!」
あっさり戸口を閉められてしまったのである。
「どういうことでしょうか……?」
「出てきたのは、お父さん、だよね?」
「……」
胸騒ぎのような、嫌な予感が三人の心を波立てる。
「思っていたよりも深刻なのかもしれません」
いつまでも玄関先で話すわけにもいかず、ひとまず離れようと門で仕切られた敷地内から出る。
窓にはカーテンが引かれ、中の様子は窺えない。
「里津が勘違いしてる可能性はありませんか? 家ではなく他の、別の場所とか」
「も、もう一回、電話してみる」
――が、
「つ、繋がらないよ! 電波が届かないか、電源切ってるって」
「私達が来たことによって里津が口外したと気付かれたのでしょうか……?」
「そんなっ、どうすれば……」
途方に暮れた次の瞬間。
「っち、めんどくせぇ」
そう呟いた鴻が再び門を開き、大股で突入していく。
「え、鴻?」
「強行突破はやばいですよ、下手したら不法侵入――」
「警察呼ばれて困るのは向こうだろうが」
言って、軽々と壁やら雨水を排水する為のパイプを伝って上っていくのであった。
「部屋の場所は分かってる」
そうして瞬く間に二階のベランダに降り立った鴻。それを地上から見守るしかない湊と流夏ははらはらと、祈るような気持ちで見つめた。
数秒後、窓の開く音がした。家の中にいる父親らしき男性が気付いた様子はまだ伝わってこない。
鴻が見ているだろう状況の不透明さにやきもきしてしまう。
里津は無事だろうか。そもそもそこにいるのか。
しばらくして、鴻がひょっこり顔を覗かせた。
「二人も早く上がってこい」
「……はい?」
「二度も言わせんな馬鹿」
配慮しているのか、小声で言うものだから地上にいる二人は顔を見合わせる。
「流夏……」
「自信あります?」
「こんなところ上れるの、鴻ぐらいじゃないの」
「……ですよね」
「鴻、一度降りておぶってよ」
「馬鹿言うんじゃねぇッ」
「無理ですよ、私達には」
「……泣いてんだよ」
「何がです?」
「だから里津が! 泣いてんだ。俺にはどうすることもできねぇ。おら、湊、こういう時こそお前の出番だろうが」
堪らず大声が放たれて。しかし、見つかる恐怖よりも、ただ里津が泣いているということが湊にとって衝撃的で……。
「流夏」
「は、はい」
「俺、行く」
「えぇ?」
「泥棒な気分で行けば行けそうな気がするっ」
「ちょ……っ、それって里津というお宝を盗む泥棒のつもりでですか?」
「そう」
「そう、って湊……はぁ、仕方ありません。私も続きます。というかこれだけ騒いでたら見つかりませんかね」
鴻のように身軽に上ることは叶わなかったものの、なんとか上りきった湊と流夏だったが、喜びを分かち合うどころではない光景が里津の部屋にあった。
「里津、これは一体……」
開け放たれた窓からカーテンが揺れ動く。
その先には空っぽの室内があった。文字通り、空っぽの。
湊は蹲っている里津に駆け寄る。
それを合図に鴻と流夏も室内に入り、窓が閉められ、カーテンが引かれる。
「りっちゃん」
呼び掛ければ、緩慢とした動きで里津が顔をあげた。
「みっちゃん、どうしよう」
「これって」
「お父さんが、全部持ってちゃったんだ。これでもうどうしようもなくなった」
たった一時間もしないうちに、と小さな声が後に続く。
――父親は強引に家中に侵入する湊達を止める必要が端からなかったのだ。だから声に気付いても、何しようとしているのか気付いても顔を見せることはなかった。
何故なら、もうすでに事は覆らないからだ。
里津の部屋にあった家具から私物という私物まで全てが、無くなっていたのである。
「荷物は一体どこへ消えたというのですか?」
「……ロンドン」
「ロンドン!?」
「お父さんの引っ越し先がロンドンなんだ……僕はロンドンに行くことになる」
「決定事項なのかよ?」
「だってどうしようもないじゃない! 僕が嫌だと言っても引き下がってくれる人達じゃない、大事なのは自分の気持ちだけで僕の気持ちなんて、これまでちっとも…………ふ、ふふ、ごめんね、鴻くん。当たっちゃった、八つ当たりだぁ……っ」
「……」
自身の感情全部を押し殺して、無理矢理に笑う姿に鴻の眉間が深く縦皺を刻んだ。
「お母さんについてたって海外には変わりない。……もう、捨てられたい……」
「……っ」
「里津……」
「……」
その言葉に誰も叱咤することができなかった。
――望んでも一緒にいられない子が世界にはいるんだよ。
そんな事実はどうしても言えなかったのだ。
里津がいつも家に一人でいて、誰よりも両親の愛を求めていたことを知っていたからだ。遊びに行くと家の中はしんとしていて、鍵っ子の里津がただただそこにいる。湊にとっては里津だけがそこにいてくれればいいが、里津は違うだろう。誰かの両親の話題を耳にすれば自分は違うと思って、孤独を感じるかもしれない。そんな里津が今更な、それも身勝手な愛情紛いのことをされたら納得いかないのも頷けるような気がした。
電話口で言ってたのを思い出す。
『どっちか一つを選ぶのが難しいってことじゃなくて、どっちにもついて行きたくないって意味』
言い澱むことなく、そう言い切った里津の明確な意思がそこから伝わってくるだろう。
「俺も、」
だから背を押す仕草のままに、その言葉が出て伝わってしまったのであった。
「俺もりっちゃんとずっと一緒にいたい」
「……みっちゃんっ」
ぐっと堪えていた表情が一気に緩み、里津が抱きついてきた。ぐずぐずと鼻を啜っている。
笑顔の印象が強い里津だ。故に、一大事であると如実に物語っている。
「きっと二人とも僕が欲しいって思うより、“相手には取られなくない”って思ってるんだ……!」
「りっちゃん……っ」
「やだ、海外なんて行きたくないっ。みっちゃんと一緒にいる。四人で、ずっと……」
「大事なこと忘れてないか」
ふと、それまで黙っていた鴻の低い声が三人を引き付ける。
「両親が一番大事としていることが“子供”の“入手”だとしたら、部屋を空っぽにしたぐらいじゃあ、どうしようもないだろ」
「え……」
里津が涙に濡れた顔を見せる。
そんな姿を眉根を寄せて見下ろす鴻は淡々と述べるだけだった。
「私物を取られればついてくる他ないと踏んだんだろうが、物が無いぐらいで諦めるのか? お前がとっとといなくなればいいだけの話だろ」
「っ……そんな簡単に、」
「お前のことを放ってたなら友人関係だって知らねぇだろうし、時間は稼げる」
「……?」
「止めに来る前に行くぞ」
「ど、どこへです?」
困惑顔の里津に代わり流夏がそう問えば、鴻は呆れたように溜め息をつき肩を上下させた。
「逃げんだよ、馬鹿。ずっとここにいる気か? 何の為に走ってきたと思ってんだ」
「…………鴻、かっこいい」
「うるせぇ。お前から降りろ、バァカ」
――不良は一度仲間と認識したら、すごく優しい。
ずっと思っていた一説が当たっていて。何よりも鴻がそうであったことが嬉しく、湊は里津を安心させるようにぎゅうっと抱き締めてやった。
――大丈夫、俺達がいる。
その照れ臭い言葉を言わなくても伝わるように、優しく、強く、愛情を注ぐように、里津に届けと願いながら揺れる体を抱き締め続けたのだった。
* * *
「……不思議なほどあっさりと抜け出せましたね」
流夏の言葉通り、一つの難なく、里津を伴って家を出ることができた。無論、ベランダから半ば滑り落ちるようにして外に出たわけだが、監禁している割には警戒心が弱い。
里津の父親は、本当に里津を監禁しているつもりだったのだろうか。
「でも本当に洋服一つ残さずどこに隠しちゃったんだろう?」
「さあ、里津の言うようにもう送られてしまったのかもしれません、海外に」
里津が着ていたのは制服で、連れ去られた当時に身に付けていた上着とマフラー、学校指定の鞄にあった財布と携帯端末が主だった貴重品だった。
室内には何一つ残っておらず、里津の父親はひとまず里津の物を手に入れたようであった。
言葉少なに四人で歩く。
ただこれからの話をするはずだったのに、とんだ展開を迎えてしまったものである。
「ごめん」
「え」
唐突に足を止めた里津が腰を折って頭を下げた。
「変なことに巻き込んでごめん……っ。僕が弱いばかりに……」
「なんで謝るの」
湊は迷わず彼の手を握り、引っ張る。
「何も悪いことしてないよ、りっちゃんは」
「……でも、」
「逆に何も言わないで消えられたらそっちの方が怒るよ! ね、流夏?」
「ええ、そうですね。……少し嬉しいですよ、私は」
「この状況が……?」
「あ、いえ、そういう意味ではなくて。なんだか証明になりませんか? 私達の関係が表面的なものではなく、ちゃんと友人関係のようなものが築けていると。里津が頼ってくれたのが私達でよかった」
流夏は本当に嬉しそうに破顔させ、繋いでいない里津の片手を握る。
「うわ、流夏くん手つめたっ」
「暖かいところに入りましょう?」
「う、うん……鴻くんまで来てくれるとは思ってなかったよ……」
「……気まぐれだ。それに行かなかったらこいつらの非難受けるだろ、そんなんめんどくせぇよ」
「あー……そっか。ありがと」
「気色悪りぃ」
そんな会話を側で聞いた湊は、思わず忍び笑いを漏らしてしまった。
里津からの電話が切れた直後。困惑するしかなかった湊と流夏をよそに、いち早く走り出したのは鴻なのだ。
それを知ったら里津は目を丸くさせるに違いない。
「みっちゃん?」
「ううん、なんでもないっ」
こんな時でも笑ってしまうのは四人でいるからかもしれない。
そう思ってしまって、湊はしばらく頬が緩まないよう力を込めていた。
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