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* * *
「え」
翌日。昨晩は特に何をするでもなく、ご飯食べた後、なんでもないような話題で盛り上がってそのまま眠りに落ちてしまっていたらしく、二人が寝れるぐらいのベッドに無理矢理四人で寝転がって、朝起きれば折り重なるようにしていた。
初めてのことだった、そうして四人で誰かの家に泊まってそのまま朝を迎えるのは。
だが、朝食の時になって直ぐ様穏やかな時間は別れを告げたのである。
「どうしたんですか?」
手元に残った貴重品の一部である携帯端末を片手に、その画面を凝視する里津。
「貸せ」
「あっ!」
それを引ったくるように取り上げた鴻は無遠慮にも画面に視線を走らせたようで。
「母親からか?」
「……うん」
「え、何てですか?」
流夏がフライパンを持ったままキッチンから移動してきた。
そうして里津に戻った携帯端末を囲むようにして四人で覗き込む。
「今すぐ家に帰ってきなさいって」
里津はぱっと電源を落として、笑う。
「行ってくる」
「い、今からですか?」
時刻は七時過ぎを示している。
「うん。早い方がいいでしょ。それにみんなに迷惑かけたくない」
「りっちゃん――」
「みんなが、迷惑って思ってないことは分かってる。でも、一人じゃ思い付かなかったこと、ぶつけようと思うんだ。今までずっと押し殺してきたもの全部、話してくる」
「……」
「みっちゃん、」
「……っ」
頬に手のひらが宛がわれ、こつんと額がぶつかる。
「行ってくるね。流夏くんも鴻くんも、心配してくれてありがとう」
「……昨日も聞きましたよ、それ」
呆れたように言って笑う流夏は肩を竦める。
「お母さんが呼び出してきた理由に目星はついてるんですか?」
「いや、正直分からない。お父さんがしたことには気付いたんだと思う。だから俺のことが気にかかって連絡してきたんだと、思う……全部予想なんだけど……っでも、うん。僕を心配して連絡してきたわけじゃないことは分かる気がする」
「……りっちゃん……」
――分かり合えない、のだろうか。里津と両親の溝は、湊に推し測れるものではない。
しかし、考えてしまうのだ。
親は、そんなにも子を愛さないものなのだろうか。自身の欲の為、子供を利用するのだろうか。
どうにか分かり合えないか。
里津に言ったら苦笑されてしまうようなことを、湊はずっと考えていた。
湊自身、里津が両親と親しそうに話しているところ、一緒にいるところさえ見たことはない。里津はいつも一人、といった印象が強かった。
けれど、本当は一緒にいれないだけで里津のことを思っているのではないか。仕事が忙しくて家を空けてしまうことに罪悪を感じているのではないか。
様々なことを頭に浮かべては考えていた。そうであってほしい、という願いも込めて。
里津を送り出した後、室内は一気に静けさを増した。
朝ごはんを食べる気にもならず、作っていた流夏本人が皿を下げ、黙して座り続けた。
里津の帰りを待つ。
何か言葉を交わさずとも、三人の意思は同じであった。
* * *
小さいながらに、自分は生まれてはいけない子であったのだと実感した。
簡単に言えば、不要な子供だ。望んで生まれてきたわけでもなし、先に待っているのが幸福な未来なわけでもなかった。
自身の仕事にはとことん愛情を注ぎ、誇りを持って偉業を成し遂げる。仕事第一。仕事の功績が唯一、自身を認め、自身を形作るもの。
そう信じてやまない二人が何を血迷ったか、この世に一人の赤子を作ってしまった。
瞬く間に仕事を邪魔する存在だと勘づいた二人は、放任主義だと騙って里津に構うことがなかった。金銭的に余裕があった宗田家はベビーシッターを雇うことで、里津の育児を放棄していないと世間に示したのである。
次第に二人は互いを貶し、優劣をつけるようになった。社会一般的における、高い地位の役職が二人をそうさせたのであろう。
どうして里津が産まれたのか不思議なほど、互い顔を会わせれば罵倒し合うといった有様で。早く離婚すればいいと思っていたが、どちらも自身から折れるのは嫌そうで今まで家族とは言えない関係が続いてきたわけである。
それももうすぐ終わりだ。
里津は一度深呼吸をし、何もない家の扉を開けた。
すると、すぐ母親が顔を出した。
「――里津、私についてくるわよね」
「……」
一晩家にいなかったことを心配するでも怒るでもなく、まるでそれ以外の選択肢はないとばかりに押し付けられる。
だが、悲しくはなかった。裡にあるのは呆れにも似たような諦め、しかし、今は湊達が待っているという心強さがあった。
「そのことで話があるんだ」
「話? まさかお父さんについて行くなんて言わないでしょうね?」
「言わないよ」
「よかった。じゃあ、早く支度してちょうだい、明日の便で――」
「お母さんにもついて行かない」
「……なんですって?」
細い眉が一瞬でつり上がるのが見えた。
――あぁ、嫌だ。
もう慣れてしまったヒステリックな声音を想像して、里津は反射的に目を瞑った。
「里津、貴方、何言ってるか分かっているの? 里津!」
「――大きな声を出して、はしたない」
母親の声に呼応して、父親までもが顔を出す。
二人してなかなか休みの取れない職業に就いてるくせして、変な時に揃って居るのだ。嫌なら工夫すればいいのにそれすらしないのは、相手を貶し自身が優位だと優越感に浸る場を失わない為だろうか。
「あら、いたの」
「すぐ出ていくさ。里津を連れてな」
「里津は私のよ!」
家族とはほど遠い関係性に、もしかしたら他人よりも非情になれる間柄なのかもしれないと里津は思う。
「知ってる? 親権は母親の私の方に認められるものなのよ」
「それは君が里津を育てられる確証があった場合だ」
「あら、貴方にその確証があるって言うの?!」
「あるさ! 子供の意思は尊重されるものだ。里津が私と来たいと言えばいくら君でも里津を連れていくことは無理だ」
「二人とも」
二人の視線が突き刺さる。
こんな時でも、邪魔するなと言いたげな鋭い視線で突き刺してくるのだった。
嘘でも媚びてこちらを気を引けばいいのに。ある意味、不器用な人達だ。
「僕は、お母さんにも、お父さんにもついて行かない。海外なんて行きたくないよ。それに今まで放ってたのに急に両親面されても困る」
「り、里津、なんだその口の利き方は……」
「ずっと、思ってたことだよ。好きに放ってたくせに。自分の為だけに僕を利用しないでよ。どっちが優ってるか証明する為に僕を使わないで!」
「里津!」
「お母さん、僕はおじいちゃんおばあちゃんの家で暮らす」
「な、に言って!」
「勝負はお母さんの勝ちだ、だからここに残ることを許してくださいっ」
頭を下げる。それだけで了承されるわけがないと理解しながらも、深く腰を折った。
「お願いだから、それだけは許して……!」
――お願いだから解放して。
「里津……、貴方何を言ってるか分かっているの!? どうしてこうも裏切ってくれるのかしら! 私があの人達のこと嫌なことぐらい知ってるでしょう?!」
「……」
「里津、考え直せ。俺と来た方が幸せになれるんだぞ」
「お父さん……ごめん、ここから離れることはできない」
「どうしてなのっ? 一度だけでも親孝行しようっていう気が貴方にはないのッ!?」
「……僕は今、付き合ってる人が居る」
その瞬間、両親は信じられないと口をつぐんだ。
「だから海外なんて行けない。その人が、本当に大好きなんだ。ずっと一緒にいたい。その気持ち、お父さんもお母さんも少しは分かるでしょ?」
「……里津、」
「一体どこの娘と付き合っていると言うの?!」
父親を押し退け、すごい剣幕の母親が里津の肩を掴み揺さぶる。
「ねぇッ!!」
「女の子じゃない、同じ……男だ」
「いやあっ! なんてこと……っ、穢らわしい! 正気?! 男と付き合ってるなんて、普通じゃないわ!」
「僕は彼が好きだ。彼だけが、僕の味方だ。普通じゃないのは分かってる。お母さん、こういうの嫌いだと思うけど――」
「貴方にお母さんなんて呼ばれたくないわッ! もういい、たくさん! 里津、貴方は私に必要ないわ。やっと分かった。あなた、里津はあげる」
「! 急に何を」
「だってこんな子だとは思ってなかった。同性を好きになるなんて……きっとあのベビーシッターのせいだわ、なんかおかしいと思ってたのよ。その相手も気の毒ね。普通じゃない欲を抱いて……。さようなら。もう二度とその顔、私に見せないでちょうだい」
「おい、お前!」
横を颯爽と通りすぎた母親、彼女が家から出ていったのを里津は背中で感じ取った。あまりの告白に愛想をつかした、という風だろうか。……呆気ないとはこのことだ。最初からこうしておけばよかったのかもしれない。
「お父さん、だから僕ついていけない」
「あ、あぁ、分かった。分かったから口をつぐみなさい」
「……」
まるで自分が禁じられた呪いを吐いているような物言いに震える唇を噛む。咥内に血の味がしても、力を弱めなかった。
ただ一つ、悔しいのだ。何も言えなかったことが。
『その相手も気の毒ね』
湊のことを悪く言われて、黙ってしまっては、あの女の言葉を肯定したも同然だからである。
しかし、反論しようとした一瞬。しがらみが里津を引き留めたのだった。
――言われた通り、湊は気の毒なのだと思ってしまったのだ。
「僕の服とか、返してもらえる?」
「あぁ……。本当にお義父さんお義母さんのところに行くのか?」
「……とりあえず話してみる」
「……」
父親はまだ里津の口から飛び出た言葉を処理できない様子で、学校から強引に連れ去った時の勢いはどこかに消え、戸惑っているようであった。
しかし、母とは違い、最後まで里津や湊を、非難しなかった。
* * *
沈黙が苦痛にならないのは、相手の側に居ることが心地の良いことだから、らしい。
「居心地悪りぃ」
誰も喋らなくなって一時間も過ぎた頃。鴻が溜め息混じりにそう呟いた。
里津の帰りを待つだけとなった湊達がすることと言えば会話だが、大した種を見つけることができなかった。
気にかかるのは里津のことだけ。
やはり一緒についていけばよかっただろうかと一人逡巡する、自問自答の繰り返しだったのだ。
「何か、飲み物用意しましょうか」
流夏も例外ではなかったようで、席を立ってしまう。
「りっちゃん、大丈夫かな。泣いてないかな」
それらに引き摺られるようにして溢れた言葉に、鴻は何も返してくれなかった。
やがて流夏がマグカップを三つ持って帰ってくる。
「はい、コーヒー。湊はミルクたっぷりでしたよね」
「は、お子様」
「ちょ……ブラックが飲めるからって大人ぶんないでよね」
「反論がお子様」
「ぐぐ……っ」
「まぁまぁ」
堰を切ったように会話が生まれたのはいいものの、口を開けば鴻は余計なことしか言わないのである。
流夏に宥められ、一旦は落ち着いた湊だったが、マグカップを口につけたままこちらを凝視する鴻に気付き顔をしかめた。
「何?」
「……」
無言で顔を寄せてくる。
「ちょっ! たんまっ」
そのまま唇を押し付けられるのかと腕を突っ張る。
が、鴻の唇は寸前で止まり、代わりに伸びてきた手が、鴻がいる側と反対の首筋に触れた。
「な、に」
「……流夏、お前」
呼んだのは湊の名ではなく、怖くなるほど無を表情に湛えた流夏だった。
その流夏も半瞬で表情を取り戻し、にっこりと笑っていたが……。
「なんですか?」
「殺されるぞ、お前」
「殺されるのは嫌ですかね」
飄々、といった調子で受け答える。
一方、二人に挟まれていた湊には一体何の話をしているのか、皆目見当もつかなかった。
「ねぇ、何の話――」
堪りかねて問おうとした矢先、玄関から誰かが入り込んでくる足音を感じた。里津以外にはいるはずもない。
三人は顔を見合わせ、室内に入り込んでくる姿を待った。
「……ただいま、みっちゃん。鴻くん、流夏くん。ごめん、みんなのこと、守れなかった」
そう呟かれた真意を探る暇もなく。
「あ、りっちゃん!」
里津は膝から崩れるようにして座り込み、大声で泣きはじめたのだった。
* * *
余程の事があったのだと思わせる里津の泣き具合になんとか事の次第を聞いた湊達だったが、あまりのことに言葉を失った。
そんなにも親とは非情になれるものか。いや、なれるのだと知って怖くなった。子供であっても簡単に捨てられてしまう。
思わず、湊まで泣いてしまった。
悲しくて辛いのは里津であろう。だが、体を震わせて泣き喚く彼を目の前にして、ただ心配するだけではいられなかったのだ。それに自然と溢れ出てしまうそれを止める術も持っていなかった。
そしてどんなことよりも、湊達の心を打ちのめしたのは、里津が最初に放った言葉の真相に自ら辿り着いた時であった。
謝ってきたということは、それは湊達の為なのである。
きっと里津は、母親に言われたことを気にしている。
そうして嗚咽が止まったその時。
目を兎のように赤くさせた里津がようやく顔を上げた。目が合うと、小さく笑ってごめんと呟く。
湊はふるふると言葉なしに首を振ることしかできなかった。
「じゃあ、解決したってことでいいのか」
鴻が口を開く。
紛れもなく頷いたのは里津で、明日こそ近くに住む祖父母の家を訪ねると言う。
「お母さん、おじいちゃんおばあちゃんのことも嫌ってて……絶縁状態なんだ。僕のことは可愛がってくれてる、とは思うんだけど」
「……どうしてそんなことになってしまったんでしょうか」
そんな、流夏の呟きが、この場にいる全員の気持ちを代弁していたようだった。
到底、子供には知り得ない大人の事情、というものなのだろうか。
誰も流夏の言葉に何を言うでもなく、それを失言だと思ったらしい流夏のおかえりなさいという受け入れに、時は、まったりと動き出したようであった。
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