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* * *
「うわ、なにこれ」
気付けば朝陽が室内に満ち、いつの間にか翌朝を迎えていたらしく。昨晩のことを思い出しながらベッドを這い出た湊は、洗面所で鏡に写る自分を前に目を見張った。
裸であることに驚いたのではない。肌を覆い尽くすばかりに散る痕に驚愕したのだ。
「え……なに……うわっ足まで」
赤紫のそれを辿っていくと、太ももの裏まであるようだ。
記憶を辿るも、相当とんでいたのか曖昧で。
どこも痛くないところを鑑みるに、手酷く抱かれたわけではないらしいのだけれど。
「これは……、どうする」
鏡の中の自分に問い、顎に手を置く。
冬であったのが幸いだが、着る服を間違えると見えてしまいそうである。それぐらい際どいところにキスマークがあり、数えるのが億劫なほどの多さなのだ。
ふと、洗面所の扉が開く。弾かれるようにして振り向くと、そこにはしっかり服を来た――琉夏のだが――鴻が立っていた。
「お、おはよ」
「……はよ」
急に裸でいるのが恥ずかしくなって、さっさと戻って床に落ちているだろう服を着ようとした次の瞬間。
「おい」
呼び止められる。
「な、なに?」
裸でいることを咎められるのだろうかと身構えれば、昨日も使った歯ブラシを渡される。
「歯、磨くんじゃねぇのかよ?」
「あ……うん、磨きます」
遠回しに逃げるなと言われているようで、鴻の隣で全裸のまま歯磨きをするという珍事に持ち込まれてしまった。
* * *
流夏の家には手ぶらでも来て大丈夫だと思わせるほど、お客用の品々が多い。歯磨きもその一種で。
口をすすぎ、濡れた口をタオルで拭く。
その一連の動作中、ずっと視線を感じていた。何故なら、先に磨き終わったはずの鴻が戻ることもせず壁に寄りかかってこちらを見ているからであった。
ちらりと鏡越しに盗み見ようものならばっちりかち合い、鴻が何を考えているか窺う隙もないのである。
しかし、自分も終わってしまったのだからいつまでもここにいるわけにもいかない。
湊は意を決し、振り向く。
「よ、よし、歯磨きも終わったことだし――」
「お前さ」
「は、はいっ」
「やっぱり馬鹿だろ」
「!? い、いきなり何」
何を待っているのかと思えば、唐突な罵倒である。
必然的に眉を寄せた湊に、彼は平然と立っている。
「色々と自覚足りてねぇんだよ」
「じ、自覚……?」
「俺、お前相手に勃つんだよ」
「は、はあっ!?」
今度は理解できない言葉を紡ぐ。
「そんな報告されても、」
「忠告してんだよ、馬鹿」
「ばっ……ばかばか言うなよ!」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪い」
「〜〜っ、むかつく!」
「勃つってことは、お前の裸にも欲情できるってことだ」
「……へ?」
「しかもその痕……無防備に歯なんて磨きやがって」
「それは鴻が、」
「むかついてるのは俺の方だ。昨日のこと覚えてねぇの? 驚いたように見つめて……それ、付けたの俺なんだけど」
「…………?」
突如、湊の脳内が混乱しだす。
今、鴻は何と言っただろうか。聞き間違いではないか。
洗面所に入って自分の姿に驚いている様を見ていたと言うのか。それに……。
「これ全部……? 鴻が?」
「そうだ」
「……いやいや、里津とか流夏のも――」
「あいつらは付けてねぇよ」
「え……? いや、でも」
「やっぱり覚えてないのかよ」
「なっ何を?」
思わずそう言うと、大きな溜め息が返ってきた。
「囃 されて実行したのが間違いだった」
後に酷く後悔したと言うような言葉が続いて。
「な、何したの?」
「うるせぇ!」
「ちょ、横暴!」
太ももを蹴られた。軽くではあるが、感情はしっかり込められている。
故に、そのままにはしておけなかった。
「鴻、待って。昨日、だよね? 鴻が本当にこんなたくさんキスマーク付けたの?」
「……」
「あぁえっと……あんまり、記憶なくて……気持ちよすぎてとんでたから――んっ!」
「……これでも覚えてねぇって言うのかよ」
突然鴻が迫ってきて、殴られると思った次の瞬間、触れるだけの口付けされた。
「…………」
どこか苦しそうな言い方に、湊の意識は全部鴻に持っていかれた。
「昨日……」
鴻に突かれながら里津にいれて、それだけで死にそうだったのに流夏の上に座らされて――一つ一つ、後を辿るように思い出す。
鴻は自分が付けたと言っていたが、記憶にあるのは流夏だけで。
――鴻に纏 わる記憶は何もなかった。
「え、っと」
そう言えば怒られるのは目に見えているので口をつぐむ。
だが、何も言わずに去ることはもちろん鴻が許してくれる様子もないのだ。
どうしようと逡巡するが、いい案は浮かんでくれそうもない。
さて、困った。
うぅむと唸ってしまう始末で、明らかに鴻を苛立たせていた。
「あの、ですね」
「覚えてないんだろ」
……息を飲む。恐る恐る顔をあげてみると、こちらを冷たく睥睨 する鴻の双眸があった。
身長差があるばかりか、そう睨まれては身動き一つすらできなくなってしまった。
「正直に言えよ」
「は、はい……す、すみません」
再度、大袈裟にも聞こえる、溜め息。
それが額を掠めて、遠回しに殴られているようだった。
「本当、馬鹿」
「! ばかばか言うな――ひゃっ」
鴻がより近くに寄ってきたと身構えた次の瞬間、お尻を両手で鷲掴みされる。
「な、に……すんのっ」
「むかつく」
「さっきから馬鹿とか、そればっかり……!」
やっぱり裸で動き回ったのがいけなかったのだと後悔するには遅すぎて。
いつかそうされたように、妙な手つきで揉まれて湊は焦る。
「ま、待ってっ」
しかし悲しいことに心と体は裏腹である。
昨夜の余韻を忘れられずにいたのか、些細な刺激でも気持ちよさを手繰り寄せてしまう体の変化は顕著なものであった。
体が揺れるほどお尻を良いようにされ、小さな反応をしていた前は鴻自身で擦られるという計算高い体勢の為か、すっかり臨戦態勢を整えていた。
「ふ、これだけで感じるのかよ。馬鹿湊」
揶揄 にも満たない意地悪な言葉が羞恥心を仰ぐ。
どうにか距離をとろうと、手のひらを鴻に押し付けたが最後、お尻を弄くり回していた両の手が湊を抱き締めてきた。
「こっ鴻……?」
慌てて彼を見る。
すれば、意外にも真剣な色を湛えた眼差しが向けられた。
至近距離で見つめる鴻の瞳。近くで快楽に溺れず冷静に見て初めて分かる、褐色の虹彩。
顔も無駄に整っているせいで、思わず見惚れてしまった湊だが――他人が羨むほどの外見の持ち主なのだ――。
湊同様、こちらを見るばかりで肝心の声を出さない鴻が何を思い、考えているのか、判然としない。
「ちょっと……鴻」
「囃し立てられて調子に乗んじゃなかった」
ぽつり、と。溢れる。
「……?」
「俺らしくねぇ」
「こ、鴻? ……お、落ち込んでるの……?」
「うるせぇ、喋んな」
「ぇ、ンンッ」
口を封じられて。
問い質す暇も与えてもらえず、湊は咥内に溢れる涎 を必死に嚥下 した。
* * *
「――いいのですか」
疑問符がそこにはあるのか。ないようなその呼び掛けに、里津は同級生を見る。
昨夜、言っても日付が変わっていたので今日ではあるのだが、数時間に及んだ事の激しさを物語らない、けろりとした流夏の表情を見て苦笑を返した。
「まだ契約は続いてるしね」
「……」
「っていうのは冗談で。みっちゃんの声聞いてるだけでも満足だよ、僕。それだけで抜けそー」
「そういう、ものですか」
「流夏くんは変わったよね」
「私ですか?」
「そう。流夏くんが」
「……どういうところでしょう? 自分ではさっぱり、」
「見当がつかない?」
「ええ」
その返事を聞き、里津は笑みを深めた。
単純に気付いていない彼が面白いのだ。
「みっちゃんに好きって言ってから、みっちゃんにしか手を出さなくなった」
「……!」
「今気付いた? 僕ははじめっから気付いてたけどなぁ」
「……そんな……貴方に言われるとは思ってもなくて」
「いやー分かるのは僕だからでしょ。最初からそうだったけど、えっちする相手、鴻くんとみっちゃん、流夏くんと僕っていう組合わせだった。長く流夏くんに相手してもらってないもん」
「……そう、ですよね」
「まぁ、それが自然だよね。本当なら好きでもない相手とはできないって言うし。僕もする気ないし。でもさ。みっちゃんを“三人で”代わる代わる愛するのって、待つのが長いよね」
「…………」
「よしっ、突撃してこよう!」
微かな喘ぎ声が聞こえてきて、朝からお盛んなことで、と片付けられるはずもなく、里津はすっと立ち上がる。
「流夏くんは行かないの?」
「私達に足りないのは、【独占欲】、なのかもしれません」
流夏も立ち上がり、二人して声が漏れてくる洗面所の扉を躊躇いもせず開けた。
そうして広がった、朝に見るにしては強烈な光景に、里津は思わず笑ってしまったのだ。
やっぱりそれでも――こんな日常が愛しい。
四人の関係に疑問を抱いた矢先の危機に、彼らは必死に応えてくれた。助けてくれるとは思ってもみなくて。
だからどこかの勇者のように窓から飛び込んできた彼らに、湊に一緒にいたいと抱き締められた時、その腕を離されたくないと思ったのだ。
もしかしたら、期限が迫ってきたら、延長しないかと誰ともなく口に言い出してしまいそうな居心地のよさ。安心さえも感じてしまうのだから、結構重症なのかもしれない。
だが、価値がある。こうしていることに。
里津はそう思うのであった。
湊も、鴻と流夏二人もそう思っているなら……誰に非難されようとも。
「みっちゃん、気持ちいいの?」
「あぅっ、ん!」
「かわいい」
里津の意思は、この時に定まったと言っても過言ではなかった。
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