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* * *  ざわざわと、騒がしいのにどこか静謐(せいひつ)な空気。寒いのに内が熱いのは、高揚しているからか。 ‪ 十二月三十一日、午後十一時五十七分。新しい年になるまで後三分を切った。‬  近所の神社は小さいながらも人がたくさんいて、新年を今か今かと待っている。 「寒いね」 「うん」  湊と里津。二人だけでここへ来た。無論、鴻と流夏とも合流予定だが、それは新年を迎えてからの予定である。 「なんかさー今年は色々あった気がする」 「……うん、分かる」  配られていた甘酒を片手に、並んで思い巡らす。 「最大の事件は、みっちゃんに会ったことでしょー」 「ん、俺もりっちゃんと会えたこと」 「それから付き合うことになって、鴻くん達と交流することになって」 「うん。思い出すとすごく昔に感じるね」 「ね」  互いに相槌を打つ。  何故か静かに、時がゆっくりと流れていく感覚がどこか寂しくて。  道端に並んで立ってから里津の顔を見れず、湊は石畳をずっと見つめている。 「ありがとう、みっちゃん」 「え?」 「ふふっ、なんだか言いたくなった」 「……ふ、なにそれ」 「みっちゃんに救われてること一杯だなって」 「そんなことないよ」 「そんなことある」 「ないって」 「あるの」 「……ふは」  ようやく顔を見合わせ、笑いあう。 「なんだか年末の、この年が変わる瞬間って泣きそうになるんだよね」  唐突に里津がそう言った。 「本当?」  同じことを考えていたのかと、くだらないことなのに嬉しくなってしまった。抱き締めるのを我慢して、視線を絡ませる。  ――あぁ、好きだ。  強く、愛しく思う。これを恋と呼ばずに何て言うのだろう。 「あとね、一つ報告」 「なに?」 「ちゃんと話し合った結果、僕ここに残れることになったよ」 「! ほ、本当に? よかった!」  あの日、祖父母の家に行くと言う里津に合わせ、揃って流夏の家の前で別れたのだが。それから会っても里津から言うまで待とうと、こちらから聞くのは控えていたのだ。  待ちに望んだ報告、それも自分達にとって嬉しくないはずがない吉報に心が弾んだ。 「おじいちゃんおばあちゃん喜んでくれてさ。一緒に暮らそうって言ってくれたんだ。お父さん達のこと、二人も薄々気付いてたみたいで」 「……そっか」  しかし、その吉報は裏を返せば、里津は両親と別々に暮らさなくてはならないということでもあろう。喜んでもいいのか、ふと複雑になっていると、彼が何でもないように言うのだった。 「あと、みっちゃんのこと打ち明けた」 「…………俺?」  脈絡のない、字の如く、告白に言葉の意味を掴み損ねる。  里津が祖父母に打ち明けなくてはいけない自分のこととは何だったか。順立てて考え、ようやく浮かんだ【負】の感情に湊は自分の表情が固まったのが分かってしまった。余程酷い顔になっていることだろう。開いた口が塞がらないというのはまさにこのことで、口にする言葉を考えることすらせず、ぱくぱくと何かを求める。  しかし、湊をそうさせた当人は偽りのない笑顔であった。 「大切な人なのね、って」 「ぇ」 「ただ単純に好きな人ができたことを喜んでくれてるって感じだけど」 「そう、なんだ」  一波乱あるかと思えば、呆気ない反応で。だが同時に、今までに味わったことのない温かみを感じた気がした。 「……ごめんね、勝手に」  だが今度は逆に里津が眉根を寄せて謝るのである。 「う、ううん、そんな。りっちゃんが謝ることじゃ……」 「怖かったよ、言うの。でもせっかく居場所ができたのに、どうせ二人もみっちゃんとのこと気持ち悪がるんだろうな、なんて思いながら暮らすの嫌で……ごめん、僕のわがまま。みっちゃんを傷付けるかも知れなかったのに、ごめん」  それに湊は首をぶんぶん横に振る。  また視線が落ちていることに思い至り、わざと意識して里津の顔を見た。  すれば、にっこりとこちらまで笑顔になるような可愛らしい表情を彼はしていて。  どうして男女のカップルのように、人前で手を繋いだり抱き締めたりできないんだろうと歯痒い気持ちになった。 「あ、カウントダウン始まる」  そんな気持ちを誤魔化すように湊は言って。  数秒後、周囲が歓声をあげる中、湊と里津は向かい合って丁寧に頭を下げた。 「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」 「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします――好きだよ、みっちゃん」 「っ。俺も好き、りっちゃん」  誰にも聞こえない音量で。騒がしさを利用し、公衆の面前で想いを伝え合う。  それがなかなかに良いもので。  新年を祝う歓声が、まるで自分達を祝福するような音に聞こえた湊は、堪らず里津の手を引いてその場を離れることにした。  彼も同じようなことを思っていたのだろうか。  戸惑いの言葉を漏らすことなく、ただどことなく嬉しそうに笑って繋いだ手をぎゅっと握り返してくれた。 * * * 「――ということなので。湊は私達を纏めて相手してくださいね」 「……は?」  うふふ、と。例えるならそのままスキップでもして言い去ってしまいそうに感じるぐらい、何でもないように口にされた言葉を湊は上手く飲み込めなかった。  何が、どういうことだ。こちらは何の納得もしていない。 「ちょっと意味が……ていうか二人はどうしてそんな冷静に、」  言って悟る。先程の言葉は、一人の男による独断ではなく、三人の男による総意なのであると。 「お、俺を仲間はずれにしたな!」 「仲間はずれになんかしてないよ、みっちゃん」 「だって……あんまりだっ!」  そう言うしかない。これはあんまりである。 「どうしてりっちゃんまで……」  続く言葉を形にできなくて、浮かした腰を落ち着けた。  冬休みも終わり、新年開けての学校初日。他には誰もいない図書室での一幕。しかし、警戒するには越したことがない為に言葉を止めた。……無論、とある決定事項を伝えてきた流夏の言葉は露骨以外の何物でもなかったが。  奥寺と白石のような被害者を出さないようにするのも、こちらの役目だと湊は思っているが目の前の彼らはどうなのだろう。 「り、りっちゃんはそれでいいわけ……? でもそれってさ、その……この関係になった理由は、どうなったの?」  嵐は過ぎ去ったはずなのに、こんなにも胸騒ぎがするのはどうしてだろうか。  里津の表情が暗くなったのも、湊を一抹の不安に駆らせる要因となった。 「みっちゃんに好きでいてもらう自信、本当にない」  紡がれた言葉に、湧いた予感はただの思い過ごしでないことが証明されたようで、果たして自分が今どんな顔をしているのか。  里津の言葉を借りるなら、そう――自信がなかった。 「りっちゃん……?」 「僕はッ」 「!」 「僕は、本当は……っ、最初からみっちゃんに挿入()れることができたんだ」 「……は、ぁ……ちょっと待って」 「あの時の僕はどうかしてた、バカだった! もうどんなことも覚悟してる。こんなこと、みっちゃんを傷付けるって分かってるけど隠し続けることなんてもぅ無理……っ」 「意味が、よく……」  鴻と流夏を窺うが、戸惑っている様子はない。  湊だけが、話を理解できていないようだった。  本当に訳が分からない。里津が言う単語を脳が解析してくれないのだ。 「聞いてくれる?」  すがるように言われ、状況すら把握できないまま、湊は話を聞くことにする。 「ありがとう、みっちゃん」  そうお礼を言われてしまえば、不穏を感じる現状でも嬉しくて。  ――やっぱり、里津のことが好きだ。  一日何回も思うことの一回をその瞬間、数えた。  だが、ゆらりと和らいだ心は瞬く間に張り詰めることとなる。  神妙に語りだした里津の言葉は、湊の心を深く抉ったのだから。 「あの日、僕が口走った、みっちゃんと同じっていうのは、ただただ、好きな人と同じでいたいっていう、感情からなんだ」 「……」 「僕が挿入()れられる方だと言ったのは、みっちゃんと同じでいたかったからなんだよ。後になってその“嘘”を後悔した」 「う、そ?」 「本当は、僕はどっちでもなくてあの時は……っ。事の重大さを、知らなかったとは言えないけど、ちゃんと考えていなかった。ただ大好きなみっちゃんと一緒、っていうのが欲しかったんだ」 「……えっ、と」  頭の中がより真っ白になっていくようだった。やはり言葉の意味を理解するまでに及ばないのである。脳が判別するには高度な言語、ではないはずなのだが。  やがてその“症状”は、全身で自分が里津の言葉を受け入れたくないと拒否している証だと思い至った。 「意味が、分からない」  そう言う声音に、それまでとは違う、拒絶が孕む。  机がそうしているように、対岸にいる里津をはじめとする三人との溝を確かに感じて、段々と湊の気持ちも泥の中に沈んでいくようだった。  そして思考が停止する。  なんとなく、始まる学校が嫌で。それは冬休みが楽しかったからで。もちろん大変だった事を忘れているわけではないけれど。だからと言って里津に会えない日々が考えられず、毎日顔を合わせられる学校生活が再始動することにわくわくして。  ……だが今は。 「少し、距離を、とろう」  湊はやっとそれだけを言葉にして、図書室を飛び出した。  みっちゃん、と呼び止める声が背中を叩く。が、走り出した両足は止まることがなかった。 「なん、で」  通り過ぎた場所から廊下を走るなと注意する誰かの声もかかる。  謝る暇もないスピードで駆け抜けた湊は昇降口で靴を履き替え、乱暴に上履きを下駄箱に突っ込んだ。 「はあっ、はぁ……どうしてこうなるんだよッ!」  人目も憚らずにありのままを叫ぶ。  名も知らぬ人の視線を集めても、気にはしなかった。  それどころではなかった。  乱れた呼吸が耳にうるさい。自分の音が鼓膜に突き刺さるようで、痛い。 「なんで……わかんないっ」  ――全てが片付いたと思っていた。  冬休みの間に起こったことが自分達の試練であって、里津も一緒にいれることが決まった。  もう、それだけ。それだけで全部終わったのだと、湊は思い込んでいたのだ。  肝心なことを忘れて、曖昧な現状に身を任せ続けようとしていた。それはきっと、彼らも一緒だと、勝手に安心して。慢心、していた。  だが、彼らは自分とは違い、変化を望んでいた。このままではいけないと決断して……。  「話し合いは、四人でするものじゃ……――」  流夏と、里津と、二人きりで話したことを思い出す。琉夏とは過去の話をした、里津とは契約破棄の可能性を話し合った。  口にした思いは、もしかしたら彼らの心の中にもあるかもしれない。  そう思ってしまったら、最後まで言い切ることができなかった。  そうしてあれだけ友情に感嘆した吐息も固まるように、鴻とは何も話していないことに気付く。  些細なことだろう、ただ話すことがなかったと言ったら簡単だ。  しかし、今その事実に気が付いて、湊の心中が掻き乱されないわけがなかった。  ――鴻の友情に感動してたくせに、自分は鴻と友情関係を結ぼうとさえ思っていなかった……? 「……ふ、はは」  乾いた笑いが口端から逃げていく。 「俺、すっごくクソビッチじゃん」

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